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伝説の夜~深夜寄席 2018年9月22日~

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堺屋ぁ!日本一ぃ! 

  台風によって流れた深夜寄席の会を席亭のお心遣いで、同じ演者でやる。そのニュースを目にしたとき、気を長くして待っていようと思いながら、その日がいつになるのだろうと待ちかねていた矢先に、9月22日の開催ということが決まる。

 様々な物事にタイミングがあるようで、前日の9月21日には『報道ステーション』という番組に神田松之丞が出演。この男、100年に一度の講談ブームを牽引しているという肩書きなど不必要なほどに、芸に血が通っている。その迫真の炎に迫るために、私は深夜寄席に行くこと決めた。

 混雑が予想された。前回の深夜寄席では359人という深夜寄席始まって以来の観客動員数であったため、今回もそうなるだろうということは大いに想像できた。足腰が弱く並ぶことに対して苦労の多い年配の私からすれば、2時間、もしくは3時間並ばなければ入ることが叶わない会に行くのは億劫だった。1000円ほどのお金を払ってでも見る芸かどうかは分からない。だが、自らの『見たい』という欲求に抗うことが出来ず、結局どうなるかも分らぬままに新宿末廣亭に着く。

 再び異例が起きる。深夜寄席始まって以来の『整理券』が配布された。私も初めて見た。整理券を頂くと『21時に集合』という文字がある。しばらく時間を潰してから21時に行くと長蛇の列。新宿末廣亭界隈の店にいる店員の目が驚きに満ち、何も知らない通行人は「キングオブコントか何か?」、「歌舞伎?」などという言葉が飛び交う。人々が興味を持った時に発するお決まりの言葉を聞きながら、私はそっと時計を見る。21時10分ほどを過ぎて開場。チケットとチラシを小笑さんと松之丞さんが配ってくれる。ぼんやりと、とぼけた様子でありながらも、どこか内に秘めた熱を感じさせる男、神田松之丞。彼のチラシをもらい席に座る。会場は立ち見が桟敷の左右から後方までびっしりと埋め尽くされており、後で聞いた話では札止めになったという。

 ざっと客席を見回すと、寄席の常連が多く後方に初心者が集ったというような形。二階席は解放されず、あくまでも1階で演芸を楽しむスタイル。これほどまでに人が集っているのだから二階席も開けた方が良いと思われたが、そこは事情があるのだろう。私は少し心配になった。これだけ大勢の客が押し寄せると、マナーの悪い者が一人くらい混じっていてもおかしくない。また、長時間の鑑賞によって気を失って倒れる者が出るかも知れない。以前、深夜寄席の列に並んでいたお客が倒れて演者が救急車を呼んだことがあったが、芸の最中に倒れられたら気を削がれてたまったものではない。本当に真剣に芸を楽しむとなると、隣の客の唾を飲む音さえ煩く感じられる。

 そんな心配をしながらも客席の顔ぶれを見ると実に様々である。高校生らしき青年から、ずっと松之丞を追いかけていたというようなご婦人。色気と愛嬌のある美しいお姉さま方、髭をぼうぼうと生やした旅人というような風貌の男性、平凡でありながらも堅実に仕事をこなしてきた紳士。様々な客の視線を一度に浴びながら、演者は芸を披露する。そのトップバッターを務めたのが、春風亭柳若さんである。

 

 春風亭柳若『番町皿屋敷

 粋な選択だと思った。何よりも会場の空気に合わせて松之丞を立てる姿に、成金メンバーとして苦楽を共にしている柳若さんの優しさが垣間見える。客席の反応を見て、後に続く芸人達への美しい橋渡しとして、開口一番を務めた柳若さんの演目の選択。それは、面白可笑しくもありながら、芸人ならば誰もが一度は夢を見る『売れる』ということに対する思い。それを一心に背負って柳若さんはこの演目を選んだのだと思う。

 本心は分からない。けれど、松之丞という超売れっ子芸人の周囲にいて、超売れっ子ほどの人気を得ることが叶わなくとも、自分の信じた落語家の世界に身を投じ、芸を披露する者達の姿勢には、どこか目に見えない信念があるように思えてならない。それは、決して嫉妬や恨みという陳腐なものではない。ただ同じ世界で活躍している仲間を称えるという意味で、柳若さんは演じていた。もしも自分ならと考える。やはり少し悔しいと思うだろうか。いいや、きっと松之丞の傍にいたらそんなことは思わないだろう。むしろ、大いに尊敬するとともに自らの芸を磨きたいと思うはずだ。事実、神田松之丞はメディアに多く出演し、人気・知名度ともに成金メンバーの中では断トツであるだろう。それに及ばずとも劣らない次世代の名人がいる。

 独自の世界を創造し、自らの個性を爆発させている瀧川鯉八さん。流暢な江戸の風とあっさりと流れるようなリズムで古典を披露する柳亭小痴楽さん。溢れ出るエネルギーで驀進し続ける桂宮治さん。気持ち悪さと過度なデフォルメの新作で人気の春風亭昇々さん。二つ目という身分でありながらも、そんな階級制度さえ曖昧なものに思えてしまう実力を兼ね備えた者達が、まだまだ落語界には数多く存在しているのだ。

 遅咲きの落語家と言われても、ただ静かに自らの信念を貫く春風亭柳若さん。その朴訥さで披露された『番町皿屋敷』は見事に会場を沸かせ、会場を一つにし、爆笑を巻き起こしていた。素晴らしい開口一番だった。

 

 春風亭橋蔵『初天神

 二つ目に昇進後、初の深夜寄席ということで、成金メンバーの間に挟まる形で登場した橋蔵さん。もっと挑戦しても良かったと思う。間や語尾のイントネーションが独特だったが、まだ覚えたてというか、それほど独自性がある演じ方ではなかった。顔が大きくて語尾がちょっと変わっているなという印象。会場のお客様の温かさに支えられたという形で、さらっと交代。

 

 三遊亭小笑粗忽の釘

 どうしても師匠がマッドマックスだけに、そのマッドマックス芸を引き継いで活躍してほしいと思うのだが、まだ笑遊師匠のエッセンスを吸収しきれていない感のある小笑さん。喋り方の癖は相変わらずで、それが独自と言えば独自で、好きな人は好きなのだろうという感じである。髪も乱れ肌も荒れ気味で、全体的に汚く見えてしまっているのが、少し芸の妨げになっているのではないかと思う。成金メンバーの中ではおそらく最弱の部類に入るとは思うのだが、温かい客席が支えている。芸は客席が作るを体現している方だと思う。世の女性はゆるキャラを見る感覚で見ているのだろうか。ちょっと小笑さんのファンの方に色々と聞いてみたいような気もするのだが、そこは敢えて私の評価だけで今は鑑賞しようと思う。いつ、ずば抜けた才能を発揮するか見ものではある。というのも、やはり成金メンバーの相乗効果は凄まじいものがあると思うのだ。塊としての戦略もさることながら、一人一人の個性が実にはっきりしている。そして、一番の広告塔として神田松之丞がいるのだから、その腰巾着にいつまでも縋っていては駄目なように思う。見据える先は既に成金解散後にどうなっているかだと私は考えている。トリを取れるのは数人だと思う。

 落語には様々なグループがあった、もしくは現在進行形である。生粋の江戸情緒を纏った古今亭文菊師匠が在籍していたTENなどは、落語ファンにはお馴染みであろう。

 それについてはまた書いてみたい。たとえグループで活動していたからと言って、全員が全員スターとは限らないということを、小笑さんを見て改めて思った。

 

 神田松之丞『中村仲蔵

 出てくるなり『待ってました!』の大歓声。追っかけらしき女性の声は松之丞の会に行くとほぼ聴ける。ぼんやりと登場しながらも、じんわりと内にある炎の火力を高めている。それほど笑いを誘うこともなく、昨日の報道ステーションの話題をする。

 そして、「中村仲蔵をやる」と言った時の松之丞さんの目を私は生涯忘れることは無いだろう。そこには確かに魂の決意があるように思えたし、何よりも松之丞さんが『中村仲蔵』に対して思いを込めているのだということが、あの言葉と目から感じ取ることが出来た。

 『中村仲蔵』のあらすじは他に任せるとして、松之丞さんの語るこの話は、各所で絶賛の嵐だった。地方公演でも本当に良く掛けられている演目で、一期一会の芸能において、客席の思いを一心に受けて応えるという松之丞さんの姿勢には心打たれた。恐らく、この会場にいた誰もが神田松之丞がやる『中村仲蔵』を望んでいたのだということが、拍手と、そして客席の表情から見て取れた。私も松之丞の言葉を聞いて歓喜した者の一人である。

 歌舞伎の世界では特に血筋が重んじられることがあるという。血筋ほど代々受け継がれてきた者は無いだろう。下手をすれば、芸能の世界は芸能の世界だけの男女の営みによって栄えてきたと考えても良いのかも知れない。男役者と女三味線引きなんて組み合わせから、現代では俳優と女優など、芸能人と芸能人の夫婦。そんな血筋が重んじられる世界で、血筋の無い中村仲蔵が名役者を目指すというお話なのだが、松之丞さんの『中村仲蔵』には一人の男としての中村仲蔵の葛藤があるように思えた。

 そして、中村仲蔵の姿は神田松之丞の姿そのものでもあるのかも知れない。多くの感想を拝見すると『中村仲蔵と神田松之丞の姿が重なった』という意見が見られた。だが、私はそう思うと同時に、中村仲蔵は『夢を追う全ての人々』の姿そのものだと思うのだ。

 二世には二世の葛藤があると思うのだが、そんな二世のように生まれながらに他とは違う幸福を約束された者とは違って、多くの人々は自分で道を決め、夢を見て、その夢をかなえるために人生を突き進んでいく。その一つの体現者として松之丞さんは『中村仲蔵』を演じたのだと私は思う。語りは言わずもがな、表情と目が素晴らしかった。仲蔵がもがき苦しみながらも必死に知恵を授かろうとする姿。いつか名役者になってやろうと意気込む姿。そして自らの創意工夫を披露する中で、戸惑いながらも一世一代の大勝負に出る姿。全てが『何かを生み出す者の姿』であると私は思った。

 生前、誰にも理解されることは無くても絵を描き続けたゴッホのように、生きている間に誰の評価も得ることが出来ない残酷な現実が押し寄せてくることもあれば、小さい頃に子役として大成功し、お昼のコメンテーターでワガママし放題の駄々っ子のような人間もいる。人生は何度でも評価がひっくり変える。その中で、ただただ己の才能を信じて、勝負を続けた男の姿がそこにはあった。その勝負の中で世界で初めて血糊を使ったのは仲蔵だという話が出てくる。まだ誰も見たことのないものを想像してみせても、それが誰にも理解できるものではないとしたら、やはり不安になるのは必然だろう。

 理解されない時期に仲蔵が出会う、ある観客の言葉。それは演芸に親しむ者達にとって未来永劫変わることのないもののように思えた。

芸は今なんだよ。どんなに過去の名人上手と言ったって、芸は今なんだ。

  この世界の、この瞬間の、この場にある芸。それはどんなものによりも新しいものなのだ。それより先に新しいものなど何も無い。だからこそ、一瞬一瞬で新しいものが現在には生まれてくることが出来るのだ。そして、新しいものを創造し、人々の理解が得られる得られないにしても、誰か一人に届くものが創造できたら、それは成功なのだということを中村仲蔵は信じるのだ。

あの人一人だけでもいい。俺はあの人一人だけのために、この役を演じ続けてみせる

  大勢に好かれるのではなく、たった一人に自らの全てを届けようとする姿勢。そして、その思いが徐々に徐々に広がって行き、やがて大きな渦のように中村仲蔵を名役者へと育て上げていく。

 これは想像でしかない。きっと松之丞さんもそう思って講談の世界で修業をしたのではないか。自分の信念と、たった一人だけでも理解されればいい。今、俺が信じていることは決して間違っていないんだと信じて疑わずに、一所懸命やっていれば誰かが認めてくれるんだ。

 その強い思いが重なっていき、中村仲蔵に向かって客席から観客が声を掛けるシーン。

堺屋!日本一!

  聴いていた私の全身をビリビリと電撃が走った。ぶわっと鳥肌が立ったかと思うと、目からは熱い涙がじんわりと零れ落ちてきた。良かった、良かった。やっと認めてもらえたんだという喜びを、中村仲蔵と同じ気持ちになって私は喜んでいたのだ。

 日の目を見ることなく、長く苦しい葛藤の末に、どうにもならず一世一代の大勝負に出て、失敗した、蹴られたと思いながらも腐ることなく、自らに与えられた役を見事にこなし、後の世代にまで語り継がれるほどの工夫を凝らした役者、中村仲蔵。彼を褒めたたえる第一声に会場中が胸を打たれたに違いない。誰もが中村仲蔵のように日々を過ごしているのだ。手探りで、確かな確証は無いけれど、これが自分の信念なのだと強く思いながら生きているのだ。そして、その一つの到達点として、誰かが認めてくれた時にかけてくれる言葉。これ以上に胸を熱くさせることは無いだろうと思う。

 誰かの努力が報われる光景は、誰もが望む光景でもあるのだ。

 終演後、鳴りやまない拍手と席を立つことが出来ずに放心状態の観客が大勢いた。

 目から滲み出た涙を拭いて、私は思う。そうだ、私も誰か一人に届けるために物を書き続けよう。物語を生み出そう。

 

 23時10分にお開きとなって、会場を後にする。観客の表情は何かに打たれたようにしんみりとして、何かの決意に満ち溢れているように思えた。

 9月22日。伝説の夜に立ち会うことが出来た幸福を噛み締めながら、私は新宿末廣亭を後にした。

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