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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

上方の神々方~2019年5月25日 天満天神繁昌亭 桂かい枝 受賞記念ウイーク~

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すごいいい時期に関西にお越しになられるとは!

 

全日程の全演者が本当にいい演者なのですよ!どの日かは是非とも!

 

繁昌亭の至近距離にある「ワーズカフェ」さんは、美味しいお食事や飲み物をいただけますよ〜

 

これから、開始やぁ!

上方の神様

朝、目を覚ますと枕元に神様が立っていて、大阪弁で「お前は本当に演芸が好きな人だな」と言った。僕は寝呆けた目をこすりながら、「好きだから、ここにいる」と返事をした。神様はにっこりと笑うと、「良く来たな。楽しんでお行き」と言って去って行った。どこか後ろ姿が桂枝雀師匠に見えた。

 

起床と天神さん

目を覚ますと、色々な物事が綺麗に整理されたような感覚があった。それまで乱雑に並べられていた本の一つ一つが、きちんとあるべき場所に収まっている感覚。全てはあるべき場所にある。だから、僕はここにいる。

じっと天井の壁を眺めていると、昨夜の夢のような『だんじり』の光景が浮かんできた。今の上方落語の確かな未来を見たような一席。それは、決して美化されたものなんかじゃない。本当に美しいものが、目に見えることを越えた風景が、ここにしかないどこかに確かに存在しているのだ。

寝ぐせが酷いのは常なので、シャワーを浴びて髪を整える。心という名の箪笥の前で、引き出しをぐっと引いて、丁寧にしまい込んだ思い出を見つめながら、僕は服を着替える。あの時見た風景は、その時は分からなくても、後になって分かるという時が来ることを僕は知っている。一日を迎える度に、僕は言葉で思い出を形にするから、何度でもその時の僕の思いを思い出せる。僕は僕だけの言葉の捉え方で、思い出を形作っている。虹に手を伸ばして、ぐっと手を握ると、そのときそのときで、手のひらに収まる色が違うみたいな感覚。演芸に触れた時、そのときそのときによって、掴むものは異なるみたいに。

ホテルを出ると、うだるような猛暑である。まだ時刻は9時を少し過ぎたところだったが、こんなに暑くなるとは想像もしていなかった。取り合えず、幾つか行きたい場所の候補がある。時間に余裕があったので、僕はTwitterでオススメされた『ワーズカフェ』に行く前に、大阪天満宮にお詣りした。早朝にも関わらずかなりの列が出来ていて、御朱印を頂くのに少し時間がかかった。大阪天満宮は『天満の天神さん』と呼ばれ、大阪の人に親しまれている。最近は文菊師匠の『質屋蔵』で何かと縁のある菅原道真が参詣した場所である。黄金週間の時に九州を一周して以降、不思議な運命に導かれて、僕は生きているような気がする。出会うもの全てに、運命を感じるのだ。

まだまだ時間があったので、『川端康成生誕之地』や『露天神社』へ行った。『初天神』と聞くと、落語の『初天神』を思い出す。僕にも小生意気な男の子と出会い、一緒に天神様へお詣りに行く運命があるのだろうか。そんな日が来たら、僕はどれほど幸福な思いに満たされるのだろう。分からない。分からないけど、楽しみだ。

露天神社』は近松門左衛門曽根崎心中』ゆかりの地で、落語では『お初徳兵衛』で知られている。ここにも一つ、落語と出会ったことで開けた世界があった。

美しい御朱印を頂き、僕は来た道を戻って『ワーズカフェ』へと入った。素人ではあるが、言葉を生業とする身の私にとって、ワーズカフェ、すなわち『言葉たちの店』に入ることは、何か特別な意味があるように思えてならない。僕の頭の中では、The Chi-Litesの『A Lonely Man』が流れ始め、それはやがてピッチが上がって、Shagの『Every Day』へと変わっていった。同じメロウな曲であっても、胸の高鳴りとともに、淡い気持ちが盛り上がっていくみたいに。

店内に入って、気に入った席を見つける。名物のカツサンドとアイスコーヒーを頼み、壁に目を向ける。壁にはたくさんの有名人のサインがある。文字通り、そこかしこに『言葉』がある。その壁に僕はまだ、自分の名を、言葉を残すことは出来ない。いつか、有名になれたら、その時はまた、そこに言葉を残しに来たい。

素敵な店主と美人によって運営されているカフェ、ワーズカフェ。運ばれてきたアイスコーヒーを一口飲むと、チョコレートのような甘い味に心を奪われる。普段、マクドナルドやスターバックスで飲むアイスコーヒーは、酸味と苦みが強く、どちらかと言えばスッキリとした苦みのある味わいであるが、ワーズカフェさんのアイスコーヒーに苦みは無く、やわらかい飲み口で、体感的にカカオ75%と同等の甘さである。ブラックしか飲まない私にとって、スイーツのように甘く、とても美味しいコーヒーだった。酸味の強いコーヒーを勝手に想像していたので、かなり衝撃の美味しさだった。見た目の黒さに反して、スイートな味、野暮と承知で演芸に例えるならば『三遊亭円楽コーヒー』と言って良いと思う。

名物のカツサンドは、パンのしっとりとした甘みの後で、ぴりっとした塩気のあるカツが、じゅわっと肉汁を溢れさせて口の中に広がって行く。ブラックペッパーとオニオンのスパイシーな味が、パンをクッションにして口の中で跳ねる。甘く長い口づけのような、ワイルドで食欲を誘う味わいに、心が満たされる。私は思った。

 

ああ!幸福だ!

 

そう思った時には、コーヒーもカツサンドも無くなっていた。繁昌亭の昼席を迎える前に、私は至福の午前を過ごした。うだるような、ピーカンの天気だったけれど、爽やかに体を冷やしてくれたコーヒーの甘みが心地よかった。

 

おおきに、繁昌亭

開場前になると、整理番号順に列と並ぶ位置が分けられる。この辺りの入場整理は徹底していて、見ていてとても気持ちが良い。年配の方々も「〇〇さんは~~番だから、この辺に並んで」と的確に指示されている。整理番号にする最大限の効果が発揮されているように思った。また、事前の入場者数を知る目的であろう、前売り券で管理されているのも上方の寄席ならではの、効率の良いシステムであろうと思った。

客層はやはり高齢の方々が多い。うだるような猛暑の中でも、大阪の人々の会話力は凄まじい勢いである。東京の人の4倍は喋っているのではないかと思うほど、様々なことを語り合っている。とにかく寄席の会場が活き活きとしていて、聞き耳を立てているだけでも楽しい。

開演が近づくと、係員の人が大きな声で携帯電話の電源を切ることを会場にアナウンスする。これもとても念入りに注意喚起されており、演芸鑑賞の姿勢がとても素晴らしいと思う。時代の流れに順応して、観客全員の集中力を削がないように配慮された、安心安全の注意喚起。松之丞さんの連続読み『慶安太平記』以来の注意だったので、良いな、鑑賞する姿勢がとてもいいな、と思った。唯一残念だったのは、『オチを先に言っちゃう人』が紛れ込んでいたことだが、まぁ、それは、しゃあないやろということで、許す。

再び繁昌亭の中で、提灯の灯を見つめながら、僕は胸の高鳴りを押さえることが出来なかった。

なぜなら、開口一番は、僕が落語好きになった桂枝雀師匠の実の息子さんなのだから。

 

桂りょうば 子ほめ

運命の一席というものを、僕は信じる。桂りょうばさんが高座に出てきて、言葉を発したとき、僕の胸には言いようの無い感情が込み上げてきた。7年前、Youtubeで見た枝雀師匠、その枝雀師匠の姿が、りょうばさんの言葉の端々に現れているように思った。もちろん、枝雀師匠の『子ほめ』を僕は動画で見ている。まるで、枝雀師匠の姿が透けて見えるかのように、桂りょうばさんの中で、確かに枝雀師匠が生きている。僕はそんな風に思った。

同じことは、親子の関係だけでなく、師弟の中にもある。

柳家小八師匠の中に生きる、柳家喜多八師匠。

立川談吉さんの中に生きる、談志師匠と左談次師匠。

目には見えないけれど、確かに感ぜられる先人の魂に震え、目頭が熱くなった。

僕は言いたい。りょうばさん、落語をしてくれてありがとう。あなたのお父さんに僕は、何度も笑わせてもらいました。あなたのお父さんが、僕に落語の面白さを教えてくれました。生きるための知性を教えてくれました。

本当にありがとう。ありがとう。

 

ありがとう!!

 

 笑福亭喬介 犬の目

twitterで何度か情報を目にしていた喬介さん。袖から出てきて、頭を下げるときの仕草が面白い。私の見間違いかも知れないが、頭をボトリッと落とすかのようなお辞儀の仕草。きっと東京で生まれたら鯉昇一門だな、と思いつつ、語り始めるとファンタジックなリズム。

東京に哲学派のゆるふわフィロソフィーで人々を魅了する瀧川鯉八さんがいれば、上方にはゆるふわキラーで人々を魅了する笑福亭喬介さんがいるように思った。まだ初見だが、犬の目という少しファンタジックな話を、さらりと笑いで語って見せるキラー感。底の知れない笑いのゆるふわキラーの感じを抱いた。犬の目という演目は、簡単に言えば『目玉を洗って戻す』話である。筋だけを聞くと「何それ・・・」という感じではあるが、結構笑いに持っていくのは難しい噺である。そもそもナンセンスな話なので、嘘っぽさが出ると面白くないと私は思っている。その点、喬介さんの場合は『マジで何回かやってる感』があって、そこがゾクゾクするほど面白い。

他の演目もどんな風にやっているのか、もっと見てみたいと思った。

 

桂三金 新党結成

見た目の太さもさることながら、着物が豪華で煌びやかな印象。勇ましく雄弁に自らの肉体を肯定する新作落語は圧巻。調べたところ、デブサミットにも出演経験があるとのこと。

あれだけの熱演と饒舌な語りをしても、一切汗をかいていない清潔感のある高座。私の二倍の体重があるというのだから、驚きである。すがすがしく勇ましい一席だった。

 

ラッキー舞 太神楽

太神楽に関してはよほどの新技で無い限りは驚かないぞ、と見る度に思うのだが、やはり会場の雰囲気、そして何よりもラッキー舞さんの一所懸命な姿に思わず「が、がんばれっ!!!」と思ってしまう。包丁二本での皿回しに行く前に、ふうっと息を吐く舞さんに、客席から「頑張れ!!!舞!!!」の掛け声が飛ぶ。そんなん、泣くやん。思わず胸がうるっとしながら見ていると、ラッキー舞さんは嬉しそうに「あっ、ありがとうございますっ!!!」と応える。うわー、こういうの僕弱いわぁ。涙腺が緩むわぁ。と思いながら、舞さんの挑戦。成功の瞬間、会場は割れんばかりの拍手。結局、何回見ても、太神楽って最高なんです。

 

笑福亭銀瓶 短命

出演者の衣装が段々派手になっていく仕掛けでもあるのか、銀瓶さんも派手な着物に身を包み登場。桂歌春師匠や笑福亭たまさんや桂三四郎さんのような、あっさりとした塩顔のイケメン。イケメンの短命は最高ですよ、奥さん。短命という話はざっくり言うと『美人妻の噂を聞いた男が、自分の妻を見て思うこと』というような内容で、観客である私が女だったら、「こっちが短命じゃい!」と思ってしまうほど、面構えの良い人の短命は絶品である。春蝶師匠の短命なんか聞いたら、ゾクゾクして聴いている最中に卒倒するんじゃないかと思う。僕も短命は得意ですよ(いらない情報)

マクラの途中でひょっこり顔を出した文福師匠が可愛かった。森を彷徨う熊さんみたいだった。

そうそう、柳家権太楼師匠の短命も最高ですね。あれは、目と鼻が遭難して、心が密林のような奥さんが登場するので、機会があったら聞いてみてください。

さて、美人によって短命になる理由を語り合う男と男の場面。これが何度、誰で聞いても面白い。ちょっとニヒルな男の感じがたまりませんよ、奥さん。ねぇ、奥さん。ちょっと、聞いてます?奥さん?ねぇ、ちょっと、いや、ちょっと~~~

マフィアタイプの鮮やかな一閃で笑いを起こして去って行く銀瓶さん。形が良かったぁ。。。

 

 桂文福 民謡温泉

立川談之助師匠、古今亭寿輔師匠と並ぶ、上方のド派手な落語家、桂文福師匠。もう出てきた時のインパクトが強すぎて、以下は褒め言葉であるが、

 

ガマガエルの神様やぁ!!!

 

と思った。浜乃一舟師匠の感じた『E.T』レベルの失礼さかも知れないが、初めて見たインパクトが強すぎる。『長州力Lv.Max』とか『木村清さんを赤井英和さんで塗った感じ』とか、『どこかの相撲部屋の親方』とか、色々例えてしまいたくなるほど、強烈な風貌。そして、その美しい声で響き渡る言葉。「ええ声やろ、な、ええ声やろ」と確かめる仕草が可愛い。僕は心の中で「めっちゃええ声ですよ」と呟く。

正直、7割くらい何言ってるか分からなかったけれど、それでも面白くて笑えたし、会場も大盛り上がりだった。文福師匠の後で仲入りだったのだが、僕の後ろのお客さんが「何ゆうてるか分からんけど、おもろいよなぁ」と隣の席の方と話をされていて、なるほど、ネイティヴオオサカンでも聞き取れないんだ、と思った(誰がネイティヴオオサカンやねん)

民謡温泉という話は、簡単に言えば『民謡のオンパレード』な話で、7割聞き取れなかったので筋は全然わからないのだが、マクラで相撲甚句が出たり、河内音頭の節が出たりして、めちゃくちゃ面白かった。こちとら、民謡クルセイダーズで民謡についてはバッチリ勉強しているので、出来れば『串本節』や『牛深アイヤ節』、『おてもやん』から『炭坑節』も聞きたかった。高座姿は『落語界の三橋美智也』と言っても良いかも知れない。相撲漫談の一矢さんとの共演も見てみたい。

ただそこに座って喋っているだけで、あんなに面白くてパワーのある落語家さんは、中々いないのではないだろうか。上方落語協会の理事で、東京では林家彦いちさんの出囃子でお馴染みの『鞠と殿様』を出囃子にしている。東京で言えば最高顧問の鈴々舎馬風師匠並みの風格で、なんだか分からないけど面白い人だ。

一度見たら忘れられない落語家さんである。そんな桂文福師匠の満面の笑みで仲入り。最期のオチもなんだったか覚えていないけれど、面白いという感情だけが残った。

 

 記念口上 笑福亭銀瓶 桂かい枝 桂文福

仲入り後の記念口上は壮観である。幕が開いて、

僕は思った。

 

神主さんに、

ビリケンさんに、

なんかご利益ありそうな神様

 

神様勢ぞろいやーん!!!

やーん!!!

             やーん!!!

やーん!!!

 

真ん中に座したビリケンさん似の落語家、桂かい枝さん。見ているだけで功徳積んでるんじゃないか、と思えるほどに神々しいお三方が並ぶ。

まず初めに口上を語ったのは桂文福師匠。最初はどうなるかと思ったけれど、色々と温かいお話に、最後は「かいしやぁ!」と言っていた。正直、最後の「かいしやぁ!」しか覚えてないけど、それも合ってるかよくわからないけど、雰囲気が面白かった。

銀瓶さんはさらりとかい枝師匠のハードルを上げる質問を客席に投げかけ、戸惑うかい枝さんの姿が可愛らしかった。かい枝さんも決意を述べながら、伸び伸びと高座をやるぞ!という思いが感じられた。

どんなトリを見せてくれるんだろう。そんなことを思いながら、素敵な口上が終わった。

 

桂梅団治 荒大名の茶の湯

現・林家正蔵師匠にビリケンさんを足して2で割ったような風貌の梅団治師匠。東京では『荒茶』で知られる話。内容は『茶の作法を知らない侍がお茶の席でしくじる』という感じ。じっくりとした語りの中に、侍の名前が丁寧に盛り込まれていて面白い。現代風に言えば、『ATSUSHIの歌い方を真似をして、TAKAHIROと清木場俊介とSHOKICHIが無理して歌う』みたいな内容である。もっと言えば『少女時代がAKB48を真似して、ちょっと無理がある』という内容である(どんな内容やねん)

もう少し過激、志茂田景樹な例えをすると、『甘利さんがSNSを頑張る』みたいな話です。語弊だらけだと思っております。勘弁してください。許してギャアアアア。

茶の作法を知らない侍(豊臣七人衆)、特に加藤清正のしくじりっぷりが面白い。茶の会に誘った相手の侍(本多佐渡守正信)の呆れる姿が目に見えるようだった。歴史上の人物が出る話だから、当時はどんな風に庶民に受け入れられたのか興味がある。調べると、元は講談で『関ヶ原合戦記・福島正則茶の湯』から来ているのだそうだ。確かに、講談で聞いてみるのも面白いかも知れない。

じっくりとした素敵な語り口の一席だった。

 

桂枝女太 狸賽

柳家小はぜさんが年を取ったらこんな感じなのではないか、と思えるような風貌の枝女太さん。これで『しめた』と読むそうである。ふんわりと優しいソフトクリームのような語り口で演目へ。タヌキの変身シリーズには『狸鯉』、『狸札』、『狸の釜』などがあるが、『狸賽』は初。内容は『狸がサイコロに化けて博打でしくじる』話である。タヌキの可愛らしさが博打の場を面白くしている。化ける合図も面白い。

もしかすると、『ドラえもん』は狸の出てくる落語をヒントにしているのかも知れないと思った。タヌキは自らが化けることによって、ちょっと助けが必要な人のために力を貸す。一方、ドラえもんは自らが化けるのではなく、道具という形でのび太、すなわち、ちょっと助けが必要な人のために力(道具)を貸す。

考えてみたら、『ドラえもん』が好きな人は、もしかしたら狸の出てくる話はとっつきやすいかも知れない。読者に『ドラえもん好き』がいるかは分からないが、もしもドラえもんが好きならば、狸の話に出会って見て欲しい。

狸の話をやる人は、私の性格も似ている部分があるかも知れないが、オススメは台所おさん師匠、桂伸べえさん、立川談吉さんである。ちょっと自分にのび太感を抱いている人は、きっと好きになる筈だ。

ふんわりと、優しくて、それでいてちょっとズル賢いけれど、最期はつるっとしたオチ。なんだか福禄寿のような縦に長いお顔の枝女太さんが袖に去って行く。

ここまで、たくさんの神様を、僕は見たんだなぁ、と思った。

 

桂かい枝 青菜

最後に出てきたのはビリケンさん、じゃなくて、桂かい枝師匠。

実は客席の前方には、開口一番から海外からのお客さまが座っていて、隣の通訳さんであろうか、親しい友人の方であろうか、博識で知的な紳士が座っていて、一席終わるごとに「さきほどの話は分かりましたか?」と親切に話しかけていた。特に文福師匠が終わった後に、民謡のことを上手い具合に英語に翻訳されて説明していたのだが、失念してしまった。海外のお客様も日本語が堪能で「分かりました。面白かったです」と言っていた。荒大名の英語による説明もめちゃくちゃ興味深かったのだが、残念ながら失念してしまった。(上手い翻訳するなぁ、すげぇなぁ・・・)と思ったことだけは、心に残っている。

桂かい枝師匠を繁昌亭で見るのは初めてで、英語の落語もされているということは知っていた。機会があれば、英語の落語も聴いてみたい。

どんな話をするべきかマクラで探りながら、日本語で行くか英語で行くか悩みつつ、英語の小噺。私が勝手に『マダム・ミラー』と呼んでいる小噺で会場は割れんばかりの爆笑。これは英語落語が聞けるか!と思ったが、渾身の決意でかい枝師匠が「日本語でやります!」みたいなことを仰った姿が印象に残っている。

落語イントロ・ドン!があったら、落語好きの誰もが一秒で押せる落語の演目がある。それが『青菜』である。冒頭の名フレーズ『植木屋さん、ご精が出ますな』は『青菜』には欠かせないフレーズである。

うだるような猛暑に最適の演目。私は思った。

 

うおお!!!青菜だぁああ!!

 

東京の寄席で猛暑の日には、必ずと言って良いほど『青菜』が高座にかけられる。この日も、最高気温は30℃を越えるかというほどの猛暑。そこに来て、涼しい風と冷たい酒で一杯飲み、風鈴の音を聞きながら語り合う植木屋と旦那の会話を聞くのは、なんと心地の良いことであろう。僕はもう、それだけで嬉しくなってしまった。

かい枝師匠の語りも素晴らしい。爽やかで伸び伸びと軽やかなリズム。明るくて優しくて、活き活きとした姿に笑顔が零れる。会場にいた誰もが、涼やかな風を感じ、粋な夫婦の隠し言葉に痺れる。私も植木屋さんと同じように、とてつもなく真似したい気分になる。二人だけの隠し言葉を持って、暑い夏の夜に、粋なマウストゥマウスを・・・

さて、妄想は置いておこう。久しぶりに聞いた『青菜』は、東京での演じられ方とさほど大きな差は無い。粋な旦那の隠し言葉を聞いて、真似して失敗する植木屋さんの姿が可愛らしい。濃くやらない感じが爽やかで、とても面白かった。

うわー、終わらないでー。終わらないでーと思っていても、落語には必ずオチが来てしまうもの。落ち着いて最後のオチを聞き終えると、なんだかぶわっと色んな思いが込み上げてきて、しばらく僕は拍手をすることを忘れ、いいなぁ、いいなぁ、という気持ちに満たされた。

繁昌亭に来れて良かった。生きててよかったー。深夜高速。

 

 総括 あなたの手と、僕の手と、そして未来と

幸せな気分で、楽しさと喜びに包まれながら、席を立った。今日で、ひとまず、上方遠征はお終いだ。嫌だなぁ、帰りたくないなぁ。と思いながら、ぞろぞろと出て行く人の後ろを歩いていく。繁昌亭の係の人の満面の笑み、そして「ありがとうございました!」という声を聞くと、なんだか、泣きそうになる。

出口では、さきほどまで高座にいたかい枝師匠が、一人一人のお客様に挨拶をしながら、満面の笑みで握手をしている。なんて言えばいいか分からないけれど、それはとても輝いているように僕には見えた。そこには幸福な、眩いまでの光を湛えた、何か一つの流れのようなものがあって、僕を含め繁昌亭にいた大勢のお客様は、その流れの中を笑顔で泳ぐ魚のようだった。ぐっとかい枝師匠の温かい手に触れて握手をしたとき、僕はこの手のぬくもりを一生忘れないだろうと思った。

そして、その奥には、桂りょうばさんがいた。

思わず、僕の手が出た。

りょうばさんは驚いたように、「あっ、ありがとうございますっ!」

と言って、僕の手を握った。

涙がこぼれそう。

僕は、ずっと、ずっと、この瞬間のために生きていたのかも知れない。

色んな競争をしながら、色んな傷をいっぱい付けながら

転んだりして、くじけたりして、情けない思いに、いっぱい泣いて

丸め込まれて、どうにも立ち行かなくなって、

つまんねーな、が口癖になって、

なんか面白いことないかなーと、Youtubeを見ていたら

僕は桂枝雀師匠の『代書屋』に出会って、

そこから、世界が変わった。

こんな面白い世界が、こんな面白い人がいるんだ。

会ってみたい。

この人に、

会ってみたい。

この人は、今、どこにいるんだろう。

どこで、何をしているんだろう。

インターネットで調べて、名前を見つけて、そして、

もうこの世界にはいないことを知った。

そんな・・・

こんなに面白い人が、もうこの世界にいないなんて、

だったら、他に面白い人はいないかな。

柳家喬太郎師匠、柳家三三師匠か。

二人の落語を聞いた。確かに面白かった。

でも、そこに桂枝雀師匠はいなかった。

僕は、枝雀師匠。あなたにお礼が言いたい。

あなたの落語がどれほど素晴らしいか、お話がしたい。

僕は、あなたの落語を生で見たかったと思う、何千・何万・何億という

あなたのファンのうちの、一人です。

あなたに救われた人間の中の一人です。

ちっぽけな僕に、落語という生きる知恵を教えてくれたのは、

あなたなんですよ、枝雀師匠。

あなたが残したりょうばさんという一人の落語家の一席に、

僕は今日、腹の底から笑いました。

あなたは生きていたんだと、そう思いました。

ずっとずっと、あなたの姿を追い求めてきて、

今日初めて、あなたの高座を見たような気がしました。

こんなことを思うなんて、失礼なことかもしれません。

でも、りょうばさんと手を握ったとき、僕はりょうばさんに出会い、

そしてあなたと出会った。そう思いましたよ、枝雀師匠。

 

胸に込み上げてきた思いが、言いようのない感情が、僕の心を震わせた。長い長い人生の中で、僕はりょうばさんの手を握った。その出会いに、僕は勝手に意味を付随させているだけなのかも知れない。無粋なのかも知れない。それでも、僕にとって、あの握手ほど、運命の一瞬は無かったと思う。そして、これからも僕は桂りょうばさんの高座が見たい。そう強く思った。

そして、文福師匠とも握手をした。なんだかよく分からないのに、そのおおらかさ、包み込むようなエネルギーに僕は「面白かったです」と泣きそうになりながら言った。暑い太陽の光が、なんだか全てを照らしているみたいで、僕の心の花を咲かせるために、一所懸命に光っているみたいで、まるで夢みたいな時間が過ぎた。

朝、目が覚めてみた光景は何だったのだろうか。夢だったのだろうか。いずれにせよ、僕は上方の神様に出会い、神々方に出会った。オチを無理に付けるとすれば、そんな上方の神々方が、噛み噛みガタガタにならないことだけを祈りたい。そんな心配は不要ですね。

今回の上方遠征、そして天満天神繁昌亭での落語会。

僕は思う。

 

 最高の、体験だった。

 

エピローグ 繁昌亭、のち。

繁昌亭のあと、時間が空いたので、とある方から頂いた情報を頼りに、動楽亭に行って、その裏にある『たつ屋』さんに行ってみることにした。残念ながら『たつ屋』さんは休業だった。ぶらぶらと新世界の串焼き屋とカラオケバーばっかりが並ぶディープな世界を観光し、東京へと戻ることにした。

僕は再び、大阪の地に来る。その時は、きっと、また繁昌亭で素敵な出会いに巡り合うと思う。調べたら笑福亭福笑師匠が出演される会が7月にある様子。今度はガッツリ寄席狙いで土日を満喫しようと思う。

そう、僕は土曜日の夜に大阪に泊まることは無かった。なぜなら、日曜日にビッグイベントが控えていたからである。

それは次の記事で語ることにしよう。ご存知、『芸協らくごまつり』のことを。