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パッと明るく咲いて、たま。~2018年10月25日 深川江戸資料館 小劇場 笑福亭たま~

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皇潤

 

彼はね、分析力が凄いわ

 

 やっぱりたまが一番だね!

 

ええ、昔からこの、出会いは偶然なんということを申しまして、出会いと言えば別れもあり、別れがあったかと思うと出会いがあったりするもんで、どうにも難しいもんでございますが、そういうことを偶然なんて呼ぶようでして。

ふと目にした文字から、自分の行動が決定されるということが、あたくしには随分とございまして、本日もそういうことがございまして、足早に家を出て深川江戸資料館というところにやってまいりました。

2Fにつきますてえと、ロビーの受付には三遊亭あんぱんさんと瀧川どっと鯉さんがおりまして、ご挨拶をしてから入場。19時前に瀧川あまぐ鯉さんで『犬の目』でございまして、円生師匠語りはここで中止。

 

開口一番の客層判断から察するに、笑福亭たま師匠を見ようという玄人客が多い印象。普段は江戸落語に慣れ親しんでいるが、上方で面白い落語家がいるというので、楽しみに待っている客が多いという感じで、ちらほらと『関西出身で東京で仕事をしている人』という方々もいる様子。生半可な江戸落語はまぁ、ウケ無い。

続いて出てきた瀧川鯉舟さんは『幇間腹』。いやぁ、ウケていなかった。私と同世代のご高齢の方でびっしりと埋め尽くされた客席、若い人は1人くらいなんじゃないかというほどに年齢層が高い。そして女性率が高い。これぞ、イケメンの宿命であると思いきや、前列はご婦人方で密集。後列は年配の紳士で満たされるという構図。こんな独演会、アウェー過ぎて出る方も大変だろうなぁと思う。

鯉舟さんの『幇間腹』は、幇間っぽさが薄く、若旦那の退屈さがあまり感じられなかった。今のところの断トツである立川寸志さんの『幇間腹』をどうしても私の中で超えて来ない感じ。寸志さんをMAXとすると、次いで文菊師匠、小んぶさん、その次に鯉舟さんという感じ。会場の空気から「お目当てはたま師匠なのね」という空気をビシビシ感じる。いやー、本当に独演会っていうのは、厳しい修行の場のように思います。

19時を過ぎてまばらに客が入る。キャパ300におよそ270人は入っているかというくらいに、ぽつぽつと空きはあれど人は集まっている。一体東京のどこにそんな落語マニアが隠れていたのかと思うほどの入りである。今回、私はお初だったのだが、客の入り具合で少し期待が高まる。Twitterなどを見ていても面白いと評判だったので、この目で一度見て見なければ!という気になっていたので良い機会だった。

 

笑福亭たま『永遠に美しく』

颯爽と登場してきた笑福亭たま師匠。紫色の着物。一席目は釈台は無く、上方の繁盛亭の話題や、お客様の入りの様子。春団治師匠の話題など、次から次へと話題が尽きない。語り口はさすが上方の落語家さんで、大阪弁というだけで面白く感じるのだが、その口調、飄々としつつも陽気な感じが面白い。シブラクで見た笑福亭福笑師匠の門下。知的なマフィアの若頭といった風貌で、どことなく狐要素と陽気さを朝七さんに足している感じ。一歩間違えれば大阪のヤンキー的風貌でありながら、どこか秀才っぽさを感じさせる。その秀才っぽさには、柳家三三師匠に近いものを私は感じた。

かたや爆笑の二文字をがっつりと抱え込んで客にぶちまける福笑師匠と、人間国宝であり江戸の風を滑らかに吹き流す小三治師匠。この対極にある二人の弟子が同じ年(たま師匠は早生まれ)であるということに、私は何か不思議な運命を感じてしまう。そんな会があるかは分からないが、『笑福亭たま・柳家三三 二人会』を見てみたいと思う。

さて、『永遠に美しく』という新作落語。二人の男のちょっと卑猥な話から、物事が発展していき、最後は歌丸師匠で閉じるというアクロバティックな新作。けれども、あまり卑猥さを感じさせないのは、あまりこってりとやらずにさらさらと流れるようなテンポで話を進めるたま師匠の技だと思う。張りがあって大きな声、そして次々と繰り出される小ボケ。まさかのビフォーアフターの鳴り物には驚いた(笑)お客さんを全力で楽しませようとする上方の風を感じる。これはこれで良しと思う。新作派の中でも強烈な鳴り物をやったのは、確か柳家小かじ(現春風亭かけ橋)さんの『闇が広がる』だったが、たま師匠の場合は唐突にやってきたので思わず笑ってしまった。

『永遠に美しく』の肝の部分だと思うのだが、話の中で98歳の婆さんと一夜を共にするため、婆さんに皇潤を打って若返らせるという、説明していても可笑しなシーンが出てくるのだが、これが面白かった。しかも皇潤を打って98歳が80歳に若返ったとしても、途中で18歳になったり98歳になったりするという、めちゃくちゃな想像があり、その設定が飛び抜けていて笑った。特にその98歳になった瞬間の演じ方。扇子で顔を隠す所作など、随所に配慮というか、演出の細かさが光っていた。ワードで笑わせるというよりも、シチュエーション及び設定を利用し、その中で言葉を繋ぐという手法が発揮された新作のように思った。オチまでの繋げ方はお見事で、単に歌丸師匠のワードを出したのかなと思いきや、ちゃんとオチに繋がっているという、上方の落語家さんなのに、そこをフューチャーするんだという驚きもあったが、最初の印象としては「上方、おそるべし」である。

考えてみれば、上方の落語家さんは陽気で明るい人が多いように思う。とにかく笑わせることに徹していた桂枝雀師匠。笑いと知性を合体させて解き放つ桂春蝶師匠。爆笑の塊を叩きつけてくる福笑師匠。そしてスパパパパパッと切っていくような小気味の良い笑いを生み出すたま師匠。上方と江戸の違いがぼんやりしてきた。

江戸落語には、ある種のクールさ、誇りが感じられる一方、上方はもっと泥臭いながらも笑いのエネルギーに満ち溢れた、根源的な笑いの気迫を感じるのである。大阪弁という生まれながらの武器を土台に、明るくて陽気で、明日は明日の風が吹くんやから、今を精いっぱい楽しもうや。というような、何ともいえない、笑いそのものの、原始的な感性があるように私は感じた。対して、江戸は美化された笑いがあるように思うのだ。上方のように最初から存在していた笑いというよりも、人工的に様々な物事が付加されてきたような笑い。これは個人的な意見だが、江戸の落語家さんは『クサさ』、『ワードで笑わせる』というような、少し作為的なものを感じさせる落語家さんがいる。これは推測だが、地方から江戸に出てきた者達が持つ江戸への憧れが、そういうものを生み出しているのかも知れないとも思う。

ところが、上方の落語家さんは生まれながらに笑いが染みついている。日常会話と地続きで話すことが出来るから、そこに「ちょっと演技が臭いな」とか、「なんか心が籠ってない」ということが、私には感じにくいのかなと思うのである。たま師匠の話を聞いていても、どこか「こんな面白い話があるんやで!聞いてくれや!」という、演者との距離感が近いように思うのだ。

勘違いしないで欲しいのだが、決して江戸落語が悪いという訳ではない。江戸落語を聞いて、特にさん喬師匠や小満ん師匠を見ていると、「もはや芸術の域だ!」という感覚になる。私にはそう感じる江戸の落語家さんが多い。芸術性や人間味という点では、どこか江戸落語はクールであるというように思った。そのクールさをどう表現して良いか、私はまだ言葉を見つけていない。

そんなこんなで二席目

 

笑福亭たま『寝床』

今度は釈台が出てきて、再びたま師匠。江戸ではお馴染みの寝床も、上方バージョンで聴くのは初。義太夫を語る江戸バージョンとは違って、こちらは浄瑠璃。本家は浄瑠璃で、東京に移植された際に義太夫になったらしい。

大家の旦那のヤバさを僅かに垣間見せる百栄師匠や小満ん師匠の型とは違って、「おがおがおがあ、いいいいやああ」で浄瑠璃のヤバさを表現するたま師匠。これも実に痛快で良かった。特に浄瑠璃を語らせようと女将がやってきて語り合うシーンも新鮮。なるほど、こんな進め方があったのかという驚きと、番頭との掛け合いの滑稽さよりも、後半の浄瑠璃を聞くことになった客の心境に滑稽さを表現するというところが面白い。オチも爽快。まさかのスプラッター映画のような展開に、旦那の浄瑠璃のヤバさが想像されて面白かった。番頭との滑稽さで笑いを誘う小満ん師匠のバージョンは、物凄い知性の応酬で、痺れるくらいに精査された言葉の数々で、こちらも大好きなのだが、後半の気持ちよさというか、寝床という物語を綺麗に納めずに、痛快に幕切れさせるたま師匠のバージョンも甲乙付け難し。

上方落語の凄さに驚きつつ仲入り。購入した限定1500本の手ぬぐいにサインを頂き満足。

 

笑福亭仁智 『スタディベースボール』

お次もお初の仁智師匠。出てくるなりたま師匠を「彼は分析力が凄いわなぁ」とほめつつも、色々とクサした後で野球の話題。どこから本編だったのかも分からないくらいのマクラの後で、気が付くと本編の新作『スタディベースボール』。文武両道ということで、野球と勉強を掛け合わせたスタディベースボールなるスポーツの解説。ホームランを打ってホ-ムベースに戻ってきても、国語・数学・化学・英語・その他の科目から、無作為に選ばれた一科目の問題に正解しないとアウトになるシステム。

これがテンポ良くボケが繰り返され、野球に詳しくない私でも笑える。シブラクの福笑師匠に続き、仁智師匠も野球ネタ。もしかすると、大阪と野球には根強いものがあるのではないかという気持ちになるほど野球ネタが続く。たまたまかもしれないけど(笑)

流れるような大阪弁の口調が心地よく、繰り出される小ネタにふふふっと笑いながら、オチは見事に伏線を回収する。こちらも勉強という野球を掛け合わせた一つの設定、シチュエーションの中で想像される言葉を次々と繰り出していく。強烈なパワーワードは無いとしても、そのシチュエーションの中で人間臭さが滲み出る。上方らしい笑いなのかも知れないなぁと思った。

印象に残ったのは「海の部首はさんずい、じゃあ読むの部首は?」という質問に対して、ホームランを打ってホームベースに戻ってきた岡田が「わかりまへん」というボケを言う。会場の客が一瞬遅れて笑ったところで、このボケの秀逸さに驚く。気持ちの良い口調は、たまにこういう小さく光るワードを見逃しがちなので要注意だと思う。

素晴らしい爆笑と拍手で、すっと去っていく仁智師匠。上方の落語家さんはパワフルで面白いなぁ。

 

笑福亭たま 『ショート落語 AI  のど飴 居合 死体』

大きな紙にデカデカと文字を書いて、ショート落語。日常生活で使いたいなと思ったのは、私は『居合』です。

 

笑福亭たま 『死神』

江戸と違って上方は短く終わると言った瞬間、客席の右前方で男性の「えええー」という落胆の声が上がる(笑)その後で「15分くらいですんで。あんまり長くやるやり方が分からん」というようなことを言って本題の『死神』

これも上方で聴くのは初で、入り方が新しい発見。奥さんから「ねぇ、死んで、死んで、死んで。早く死んでぇ」という言葉の連発から入る。おっ、こりゃ面白いなと思っていると、つるつると滑るように物語が進んでいく。この辺りの導入の仕方が上方と江戸の大きな違いだと思う。江戸、特に菊之丞師匠、蝠丸師匠、文菊師匠、喬太郎師匠のような導入は、金を工面してこいという妻の話から、夜桜を見たりした後で、木の陰に白髪の老人が立っていて、医者になれと言ってくる。

たま師匠の方は、「死んじゃおっかな」とか「ん?なんだてめえは!」というような驚きの表現よりもむしろ、たまたま上手い話に出くわした感があるし、その状況に何の疑問も持たずにあっさりと受け入れてさっぱりと進んでいく。妻と別れることも無ければ、枕元にいる死神を見ても苦悩する様子はない。この辺の描写が決定的に江戸と違う。非常にあっさりとしていて、パッとしている。江戸落語に慣れていて、死神というものを大ネタだと思っている人にとっては、「こんなん死神じゃねぇ!」と思う方もいるかも知れない。けれど、私にとってはとても新鮮で新しい発見のある『死神』だった。江戸と上方でこんなに描き方が違うんだという驚きと、また別の角度から古典落語に触れることの出来た喜びが大きい。

後半までの流れもスムーズだし、あまり違和感を感じさせない。またオチも見事だ。あれはたま師匠独自のものなのかは分からないが、とにかく、こんなに陽気で明るい死神を見たのは初めてだった。どこか聞いた後に少し影を残す江戸の『死神』とは違って、聴いた後に気持ちが良い上方の『死神』はとても良かった。もちろん、まだたま師匠でしか聞いたことが無いから、上方の落語と一概に表現してしまうのは語弊も六弊も七弊もあるのかも知れないが、それはおいおい私が上方落語を聞いて行くことで改めるか、改めないかが決まるので、今はその記録として記しておくことにする。

 

終演後、

「やっぱりたまが一番だね!」

と嬉しそうに話しているお客さんがいた。何をもってそう言ったのかは分からないが、そういうお客さんが一人でもいるということは、とても幸福なことだと思う。ちなみに私は、私的に外れたことが無い落語家さんがたくさんいるので、一概に一番を決めることが出来ない。この話ならこの人!という人もいるし、この人はどの話をやっても凄い!面白い!という落語家さんもいる。それぞれの楽しみ方で落語に触れていってほしい。

総括すると、笑福亭たま師匠は噂に違わぬ実力を持った面白い落語家さんです。私の希望としては三三師匠との二人会をやってもらって、上方と江戸の違いを分かって頂きたかったりもするのだが、そんな方はいらっしゃるのだろうか(笑)

京大出身ということで、実は今日一日、そのワードには結構笑わされたので、何だか不思議な縁を感じた落語会でした。寄席でどんなネタをやるのかちょっと楽しみ。上方もいいですねぇ。桂三度さんが新人落語大賞を受賞しているし、江戸だけじゃなくて、来るぞ!上方落語ブーム!

 

 

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