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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

縁を綯う~2019年7月16日 渋谷らくご 20時回~

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闇の深さに怯えながら、それでも覗き込むのさ 

縁の意と意図、糸

「どうにもならんよ、こればっかりは」

見知らぬ居酒屋で、齢65になろうかという男はそう言って日本酒を飲んだ。お猪口に並々と注がれたお燗のしてある酒を、嬉しそうにぐいっと飲み干すと、ぷはぁっと息を吐いて、男はすっかり紅くなった頬を痒そうに掻きながら、私の方を見た。

「所長、ちょっと飲み過ぎのようですが・・・」

「ええねん。飲みたい時は飲む。なぁ、森野。おれが酒を飲んでるのか、酒がおれに飲まれてるのか、どっちやと思う」

「それ、どっちも同じです」

「いいや、違うんや。これが分からんと、さっきの話は分からん」

徳利を満たしていた日本酒はあっという間に底を尽きた。私はカウンターに向かって「すいませーん、同じのもう一杯!燗でお願いしまーす」と叫んだ。

店内には、私と所長以外の客はいなかった。人気の無い店である。人気が無い店ほど、トーキングイージーなことは無い。それなりに空間も広かったが、周りを気にせずに話すことができる。店を貸し切っているような気分だ。

店員は気さくで、開店早々に来た若造と初老の男性コンビに驚く素振りも怪しむ素振りもなく、お通しを出して生ビールを出してくれた。

店に入ってから、もう既に二時間が経とうとしていた。

「ええか、森野。本当に不思議なもんや。男と女。ほんまにようわからん。だがな、森野。お前は分かる筈や。おれが言った言葉通りや」

人間万事塞翁が馬

「そや。それや。それに尽きるで。だからどうしようもないねん、こればっかりは」

揚げ豆腐をつつきながら、所長はすっかり酔っていた。既に同じ話を三回しているが、なかなか前に進まない。ちょっとずつ、ちょっとずつ確信に迫って行くような気がした私は、所長の言いたいことを何となく言ってみる。

「良い時もあれば、悪い時もある。悪い時もあれば、良い時もある。これは、その時には分からない、ということですよね」

「その通りや。そんでな、それがいつやってくるか、全く分からへんねん。気づいた時にはもう、遅いって時もあるんや。来るぞ、来るぞと思って来たら嬉しいけどな、来たらあっという間、一瞬で終わりや」

「所長、それちょっと卑猥ですね」

「レフト・アローンっちゅうやっちゃ」

「行ってしまった・・・」

店員さんが熱燗を持ってきてくれた。私は徳利を持って所長のお猪口に注ぐ。「すまんな」と言って所長はお猪口に入った酒を口に近づけると、温度を確かめるようにして一口飲み、「上出来や」と言って嬉しそうにテーブルに置いた。

「森野、お前は読書家なんや。もっとおれの言いたいことが上手く言えるやろ」

所長とは、昔の映画や文豪の話で盛り上がる仲である。これは持論であるが、『古きを良く知る者は、例え自分より年上の人間との会話であっても、分け隔てなく話すことが出来る』と私は思っている。最初から年上だと思って『自分とは考えの違う人、古い考えの人だ』と突き放すのは勿体ない。どんな年齢差であっても、その差を埋めるのが本であり芸術でもあると私は思っている。

そんなことを、所長に理解して頂いたのが嬉しくもあり、また僅かに重圧でもあるのだが、所長は私の言葉を待つように、じっと私の方を見ている。

いつだって、その眼差しは優しく、そして、私に期待している眼がそこにある。

少し、「うーーーん」と言いながら時間をもらって、私は口を開いた。

「人間、いつ死ぬか分からないことと同じように、いつ誰と出会うかも分からないですよね。誰と出会うべきかも、誰と出会わずにいるべきかも。所長が仰ったようなことは、確かにどうにもなりません。良いか悪いかも、その時は分からない。でも、そうなる前と後では、はっきりと変わっている自分がいる。所長と出会ってから、僕は----」

ふいに、所長は私の言葉を遮って、

「そこから先はおれが言いたい。おれは森野、お前が面白いと思った。お前と初めて会うた時から、おもろいやっちゃと思ったんや。でもな、おれとお前が出会ったことは不幸かもしれへんで。おれにとっても、お前にとってもや」

「そんなことありません。とても幸せですよ」

「今はお前はそう思うとるかもしれん。でも、後々に---」

「いや、ありえないですね。僕は感謝しても感謝しきれませんよ、所長には」

「そうか。なら今は一緒や。おれもお前の言葉が好きや」

「これ、僕が女だったら大変でしたね」

「大変やったな」

そう言って、私と所長は笑った。

結局、所長が『どうにもならんよ』と言った、そのことが、今もずっと私の心の中に残っている。知らず知らず、歩き続けていたら、生き続けていたら、そのことになるのだ。そのことに気づいてから、何だか人と接することが楽になったような気がする。そして、そのことになったら、もう、覚悟を決めて相手を全力で楽しませること、そして自分も楽しむしかないのだ。

縁の意とは、縁の意図とは、そして糸とは、そのことによって綯われ、やがては綱となるのだと思う。

そんなことを思い出しながら、渋谷らくごの記事を書く。

 

柳亭市童 夢の酒

残念ながら、疲れがピークに達し、あまり覚えていない。申し訳ない。

 

立川笑二 五貫裁き

今日の会は、笑福亭福笑師匠を目当てに行った会だった。だから、笑二さんが何をやるかも気にしていなかったし、どんな演目でも面白いことには間違いないから、と至ってフラットな気持ちで高座を見ていた。

だが、その考えは大きく覆されることとなった。

五貫裁き』という演目は、堅気になって八百屋を始めようとした八五郎が、大家さんの助言を信じて行動を起こすが、思い通りに行かず、徳力屋という質屋の旦那に怪我をさせられる。それを見た大家さんが奉行に訴え出ろと八五郎を説得し、名奉行である大岡越前に裁かれるのだが、徳力屋は裁かれず、八五郎が罰を受ける。困り果てた八五郎が大家さんに食ってかかるが、大家は罰を素直に受け入れろと八五郎を説得する。不思議に思いながらも大家を信じた八五郎は罰を素直に実行する。やがてその罰が、八五郎に八百屋を開かせる。

というような話で、珍しく全編をざっくり記述した。それも笑二さんの芸が、物語の筋の随所で光っていたからである。

まず、冒頭の八百屋を始めようとした八五郎の姿。笑二さんはマクラも少なく、八五郎という男を言い表す言葉を短く纏め、大家との会話でくっきりと八五郎という男の性格を浮かび上がらせる。

言葉による立体的な人間の造形手法に鳥肌が立った。

言葉だけで、あれほど一人の人間の精神と温度を表現できるなんて、想像もしていなかった。

同時に大家の人と成りが、八五郎と会話すればするほど、浮き上がってくる。ひょっとすると、「こんにちわ、隠居さんいますか?」と「はいはい、どなた、ああ、八っつぁんかい」という短い言葉だけで、全ては表現しきれてしまうのではないか。

なぜその時にそれを強く思ったのかは分からない。だが、その日の笑二さんの言葉、声、トーン、間。全てが絶妙に八五郎と大家を浮き上がらせていた。

私自身も驚いているのだが、登場人物の深い信頼関係が滲み出てくるような会話を初めて聞いたように思った。

徳力屋に怪我をさせられた八五郎の姿。それを見つめる大家の眼差し、言葉。決して説明されることの無い、二人の間に流れる情、信頼関係、絆、深い繋がり、人同士の強い結びつきを感じさせる言葉が、胸にじんわりと染みてくる。

怪我をさせられ、奉行に訴えて見たが、返って自分が罰を受けることになっても、八五郎は大家さんに喚いたり、叫んだり、怒鳴ったりしない。「どういうことなんだ?」という大家への思いがあっても、それは最終的に「なんかよくわかんないけど、大家さんの言われた通りにしてみよう」という考えになる。

この信頼関係に私は胸を打たれた。きっと八五郎には大家さんを信じる強い理由や心があるんだろうなぁ。大家さんも八五郎に多くを語らずとも、自らの知恵と心で助けてやっているんだなぁ、という二人の心が感じられて、思わずジーンときた。

一旦は裁きを免れたかに見えた徳力屋も、次第に罰に苦しめられる。その心変わりが見ていて楽しい。八五郎に多くを語らない大家と、大家を信じる八五郎と、罰の真の意味に気づかない徳力屋の関係が、徐々に分かってくるのがとても面白かった。

私は『五貫裁き』は人情噺であると思う。大岡政談の一つと言われているが、私は奉行よりも大家が主役だと思った。こと笑二さんの演じ方に関して言えば、私は大家さんだと思ったのである。

終盤、鬼気迫る啖呵を徳力屋に向かって切る大家さんの場面がある。私はそれを聞いて涙が出そうになった。それは、大家さんが八五郎を思う気持ちが、徳力屋への怒りと共に溢れたように思ったからだ。笑二さんの声、眼、その真剣さにぐっと前のめりになって聴いた。凄い迫力だった。

大家さんの啖呵を聞いた八五郎は、さぞ嬉しかったに違いないだろうと思った。同時に、大家さんを信じ続けた八五郎と、八五郎に知恵を与えた大家さん、二人の間の羨ましいまでの絆に、私は胸が締め付けられたのである。

こんなに素晴らしい話があるのか、と感動に浸っている暇も無く、最期は何だか全てが時の流れの中へと消えていく終わり方。それでも、否、それだからこそ、聞き終えた後に笑二さんの凄さに震える思いだった。

五貫裁き』自体、初めて聞いた演目だった。笑二さんで聴いて、物凄く好きになった。Youtubeで様々に音源を聞いたが、渋谷らくごの高座で聴いた笑二さんの会に勝らなかった。それほどに、笑二さんの語りには何か凄まじいものがあったのだ。

私が最初に抱いていた笑二さんの印象は、優しくて良い話をする大らかな落語家さんだった。元犬や、饅頭怖いを聞いた時は、優しい雰囲気そのままの人だなぁと思っていた。ところが立川談笑師匠の一門会でその考えは一変した。大喜利で告げられた衝撃のエピソードで、初めて笑二さんという人間の人間らしさを感じた。

その後、お直しや居残り佐平次、棒鱈などを聞いて、もっとダークな部分、人間の浅ましい部分が感じられるようになって、言ってみれば芥川龍之介を『杜子春』や『鼻』を読んでいた人が、『蜘蛛の糸』や『地獄変』を読み始めたような感覚だろうか。笑顔の多い人だなぁと思っていたら、思わぬところでブチ切れたり、借金が多かったという情報を知った時のような衝撃があって、それ以来、底の見えない笑二さんの、見た目だけじゃない面白さに興味を惹かれるようになった。

一体、どんな場所から笑二さんは人間を見ているんだろう。

立川笑二という落語家の、凄まじいまでの深淵を覗き見た一席だった。正直、福笑師匠目当てだった自分を恥じたくらいの凄まじい一席だった。

 

笑福亭福笑 桃太郎

インターバル前に残った、何とも言えない凄みに自分でも戸惑いながらも、打率10割、敬遠の球ですらホームランに変える勢いの福笑師匠が高座に上がった。

前回、『知的なアウトサイダー』と勝手に私が銘々した、内臓飛び出るくらいに面白いシブラクの四人の会があって以来の福笑師匠。とあるネットニュースでは『性善説桂枝雀に対して、性悪説笑福亭福笑』みたいな記事があって、正しくその説を立証するかのような『憧れの甲子園』で死ぬほど笑った身としては、福笑師匠を見逃すわけにはいかない。

70歳の古希を迎えてもなお、衰えることの無い笑いへの情熱。一言一言が面白いし、何よりもダミ声を聞いた途端に、「ああ、これだよ、これこれ」と安心して笑う態勢が整う素晴らしい声。

東京でもたまに聞く桃太郎が、福笑師匠の手によって大迫力、大爆笑の古典になっている。思わず私の席の近くにいた人が「今の新作?古典じゃないよね」と言うほど、思いっきり脚色されている。

だが、桃太郎という古典に流れるのは面白可笑しく脚色したという、それだけでは無いことを、福笑師匠は最後の数分で見る者に気づかせてくれる。

散々笑った後で、最後の最後に胸に染み込む教えを諭してくれるような、そんな尊い語り。オチを話すまでのゆっくりとした、静かなトーンと、そしてオチの言葉に、何百、何千もの感情を凝縮したような語り。

まだ、あれほどの実感を込めてオチを言う落語家を私は知らない。歳を重ねた者だけが発することの出来る、実感の籠った語り。あれは、誰がどうやっても真似することの出来ない、究極の語りだと私は思う。

出来ることならば、東京にどんどん来て欲しいと思うのだ。大阪の人が羨ましくて仕方がない。

上方落語の記事をある程度書いてきたが、その中でも、笑福亭福笑師匠はあまりにも偉大な存在であると私は思うのだ。東京で言えば柳家小三治師匠や三遊亭円丈師匠、桂米丸師匠と同じように、重鎮であり、伝説であり、凄まじい落語家だと私は思っている。

今更私が語らずとも、それは誰もが認識していることだと思う。

そんな笑福亭福笑師匠の貫禄と年季の入った気合の高座。

素晴らしい一席を見ることが出来た。

 

 柳亭小痴楽 宿屋の仇討ち

小痴楽さんの宿屋の仇討ちに関して言えば、私は特別な思いを持って聞いた。というのも、小痴楽さんは7月14日に繁昌亭で『大工調べ』を、7月15日には成金で郡山に行っている。要するに、旅の終わりに7月16日の渋谷らくごを迎えているわけだ。

きっと小痴楽さんの中で、旅の楽しさが溢れるほど実感を伴って湧いてきていたのではないだろうか。幸運にも上方での小痴楽さんの高座を見ることが出来た私にとっては、いつもの高座とは違う楽しみ方が出来た。

始終三人でいる男達が会話をする場面も、それを咎める侍の場面も、お客に振り回される伊八の姿も、どれもが以前、深夜寄席で見た時よりも遥かに面白くなっていた。上方の話が挟み込まれる場面では、正しく一昨日行って来たのだろうという実感が籠っていて、私はなんだか嬉しくなった。旅をする落語家を追い、再び東京に戻って来た時にどんな言葉を話すのか、どんな演目をやるのか、追っているからこそ味わうことの出来る喜びが、ここにはあるように思えた。それは本当にたまたまだったけれど、不思議な感覚があって、小痴楽さんという一人の落語家が、真打に向けて準備段階に入っているんだなぁということが如実に感じられた。皆さんも是非、チケットは本人から買いましょう。

こんな風にも思った。きっと、小痴楽さんにとっては人生の何もかもが落語と繋がっているのかも知れない。旅をした自分を思って『宿屋の仇討ち』をやったり、東京の落語の凄さを上方で見せてやるぞ!という気概を込めて『大工調べ』をやったのかも知れない。これは私の単なる推測でしか無いけれど、小痴楽さんには、そういう情熱のようなものを高座から感じた。全ては芸で魅せて行く。そんな小痴楽さんの美学があるのだとすれば、私はカッコイイなぁと思う。本人にその気があるかは分からないし、きっと語らないとは思うのだが、それでも一席一席、小痴楽さんそのものを爆発させて、会場を盛り上げているのは事実である。

私も真打昇進の公演には必ず行く。どんな高座が見れるか、今から9月が楽しみだ。

 

 総括 綱と縄

縁を糸とするならば、会う回数が増えれば増えるほど、その縁は綯われ、やがては縄となり、最終的には何物でも切れぬ綱となるのかも知れない。そう考えると、目に見えぬ縁の糸というものは、一度手繰り寄せたら、その糸を運命だと思い、良縁だと思ったならば、綱にするまで糸を綯えば良いと思うのだ。

高座に上がる落語家さんを見れば見るほど好きになったり、新しい発見をするのは、私自身が縁の糸を綯っているからだと思う。文菊師匠と伸べえさん、その他私が好きな落語家さんとは皆、直接の話し合いは無くとも、演者と観客という強い縁の綱で結びついているように思う。

今はまだ糸の人も、縄の人もいる。それは、人間関係と同じように、会えば会うほどに強く綯われていくものだと思うのだ。無論、バッサリと縁の糸を切って二度と綯わないという人も中にはいる。縁の糸を切るも綯うも、全ては縁を手繰り寄せる人次第では無いだろうか。

冒頭、私は実体験を書いた。特に重要な部分は敢えて書かなかった。人それぞれ、想像して頂ければ良いと思ったからだ。

どういうきっかけで、縁の糸、縄、綱を想像したのだったかは忘れた。ただ、この日の渋谷らくごで見た笑二さんの高座があまりにも素晴らしすぎて、しばらく言葉に窮していた時期に、ぼんやりとそんな言葉が浮かんできた。その言葉が浮かんできたと同時に、お世話になった所長との思い出が蘇って来て、「あっ、書けるな」と思ったので書いた次第である。

近頃、私もより面白い文章が書きたいと思うようになってきた。つらつらと長い文章を読むのは読者も体力がいるであろうし、見た瞬間に気が滅入る人もいるであろうと思う。

だが、これは私の演芸の記録でもあるので、そこを妥協するわけにもいかない。

そういうわけで、演芸以外のブログを立ち上げようかと思案している。

さて、どうしようか。

それでは、また、次の機会に。