落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

百花繚乱の花便り~2018年11月30日 新鋭女流花便り寄席~

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携帯の電源は切った?

 

私の出番が終わりますと、皆様晴れて無罪放免でございます。

  

11月30日。朝8時30分。我家にいて、私は『東京かわら版』を手に、悩んでいた。午前11時30分に連雀亭で玉川太福さん、午前12時よりお江戸上野広小路亭にて『新鋭女流花便り寄席』で一龍斎貞寿先生と神田阿久鯉先生。かたや500円、かたや2000円である。ううむ、ここは眉目麗しき女性に目が無い男児として、太福さんには申し訳ないが、広小路亭に行こうと決意。明日の太福さんの独演会にも行けぬので、二重で『太福ロス』な訳だが、講談の、特に貞寿先生と阿久鯉先生の二大巨頭には男として敵わない。行くしかないと決意し、ぶらぶらと散歩をしながら行く。

会場に到着すると、平日の昼間だというのに大行列。そして年齢層が高い!私のような新参者は浮くわ浮くわ。列に並んだだけでじろじろと見られる始末。若い人達が平日の昼間から寄席を楽しめる、そんな幸せな社会が来ないかな、と切に願うばかりである。

そうそう。落語・講談・浪曲のような日本の演芸は、お金と時間を持て余した老紳士、ご婦人の嗜む物だと思われている。事実、多くの20代~30代は働き盛りで、お金はあっても時間が無い人が殆どであるというのが、私の体感である。だから、たまの平日に休みを頂いて、普段行く機会の無かった寄席に行くと、客席の年齢層が高いというのは当たり前のことなのである。サラリーマン生活を引退し、老後は悠々自適に暮らそうではないかというご高齢な方々が、そういえば今、落語や講談が面白いらしいぞ、ということで昼席に集まってくる。反対に、忙しい合間を縫って時間を作る演芸好きな若い世代は、夜席、特に19時以降にどっと押し寄せてくる。というのが、私の今のところの体感としてある。

仮に真に演芸を第一とする人間は、22時~翌朝5時まで7時間働き、7時間睡眠の後、午前12時~21時まで9時間、仮眠を取りつつ演芸を楽しみ、1時間小休止するというような、そんな生活リズムになるだろうか。

例えば水曜日が休みになれば、もっと演芸を楽しむことの出来る人も増えるのではないかと思う。あくまでも理想だが、月火働き、水休み、木金働き、土日休むというのが、素敵な生活のリズムではないだろうか。もちろん、全部休みというのもアリだが、収入と支出のバランスは大切にしたいものである。

 

さて、話を寄席に戻そう。会場に入ると圧倒的に60代~70代の層で埋め尽くされた会場。お喋り祭りと携帯のなる空気がプンプンしながらも着座。こういう時は「別の時代に来たのだ」と思って諦めることにしている。定刻になって開口一番が登場。

全部語ると切りがないので、貞寿先生と阿久鯉先生以外は申し訳ないがさらりと。

 

三遊亭遊七『初天神

能面のような切れ長の目とお顔立ち。知的な感じのする前座さん。子供の小噺から演目は『初天神』。前座さんらしいテンポ。言葉数少なく、とんとんと進んでいく。二つ目さんや真打さんの『初天神』では、登場人物の心の機微。特に、息子が父親に初天神へ連れていけという気持ちと、息子を連れて行きたくない父親の気持ちと、息子を夫に連れていかせたい妻の気持ち。この三者三様の気持ちのぶつかりあいが重要だったのだということに気づかされる。案外、さらりとそこを流すというか、言葉が費やされていない印象を受けたので、より自分が何を面白いと思っていたかがはっきりした一席。

 

田辺凌天『塙 団右衛門 加藤左馬之助との出会い』

きりりとしたお顔立ちと風格。ふくふくと語られる様は勇ましい。塙 団右衛門の意固地さが面白かった。

 

神田こなぎ『寛永宮本武蔵伝より吉岡治太夫

朝練講談会の神田紅純さんで聞いて以来の話。紅純さんではコミカルさが押し出されていたように感じられたが、こなぎさんの語りはしみじみと。他流試合を禁止されていたが、賑わっている道場を見ているうちに、その道場の門弟たちと他流試合をすることになり、圧勝していく吉岡治太夫の唯一の弟子、清十郎。とうとう道場の師匠、卜部藤蔵が出てきて試合をし、「参った!」と言っても傷つけられて血を流す清十郎。その清十郎の元へやってきた吉岡治太夫が、敵討ちを決意する場面。この辺りの表現の仕方が、私はこなぎさんの方が好みである。師弟の絆、弟子がやられて放っておけない吉岡治太夫の心意気を感じつつ、吉岡治太夫は卜部藤蔵を打ち負かす。どうにも私は『敵討ちモノ』に弱いようである。『弱きを助け強きを挫く』というテンプレートに心がうるうるしてしまう質であるらしい。こなぎさんは『鉢かづき』もしっとりとした語り口で、この穏やかでしっとりとした語り口がこなぎさんの持ち味なのかも知れないな、と思った。最後の良い場面で客席からのハプニングはあったけれど、どっしりと動じない姿は素晴らしかった。

 

わがし『腹話術漫談』

お初の方。腹話術と言いながら、めちゃくちゃ唇動いてるやんけ!と心の中でツッコミつつ聞く。右手にはカラスのキラちゃん。わがしさんの左手が隠れると瞬きをするらしい。とてもふわふわしたカラスで日本語を喋る。わがしさんに声が似ている。わがしさん自作の指人形「わがし」も、わがしさんにそっくりの声で喋る。昔使っていた想像力を抽斗から出して使ったというような一席。え?キラちゃんが人形ですって?そんなバカなぁ。

 

一龍斎貞寿『石川一夢」

やってきました貞寿先生。出てくるなりお綺麗だし、美しいし、広辞苑に載っているありとあらゆる美しさを表す単語を、全部当てはめても足りないくらいのお姿で、颯爽と着座。お声も琴?ハープ?川のせせらぎ?と思うような、これまた可愛さが余り過ぎて憎さを圧し潰し、ただ「あ、好き・・・」という感情にさせてしまう魅惑の講談師。そんな貞寿先生が語り始めると、私のような好男子(?)はあれよあれよと引きずり込まれる。夏木マリの誘惑の指使いばりの語りに惹き込まれる。途中、ハプニングがあったが、若人が助けたご様子。貞寿先生、何もあなたの講談を邪魔するものはありませんよ!と心の中で叫びつつ、心中のマクラから演目は『石川一夢』。

 これがまた、良いんだぁ!!!

と、思わず大文字にしてお伝えしたいくらいに、素晴らしい一席。

まず、何より噺の筋が素晴らしい。実在した世話好きな講釈師、石川一夢が、川へ身を投げて心中する男女を助ける。助けた男は一夢が嫌がらせを受けていた笹川五岳という同じく講談師の先輩の男の倅。心中の理由を聞くと酒と博打に溺れて借金をし、遂には店の10両に手を出して返すことが出来ないからとのこと。困った一夢。だがここで一夢。「私が立派な講釈師に成れたのも五岳先生がいたからこそ」と思い、恩師への恩返しのため、倅に10両を工面する。なんと、一夢は自身の十八番の演目『佐倉義民伝』の本を質に出すのだ。この辺りの覚悟、一夢の心意気に胸を打たれる。良い人だぁ。立派な人だぁ。と、命の為に自らの十八番の演目を捨てるという覚悟にあっぱれ感涙。

十八番の『佐倉義民伝』の講釈本を質に入れた一夢。当然のように講釈場に行っても本が無ければ演目が出来ない。遂には客席から「一夢先生よう。『佐倉義民伝』が聞きたいんだ!」と言われる。そこで一夢は『佐倉義民伝』の講釈本を質に入れたことを観客に言う。すると、「なんだよ、そんなことなら早く言ってくれよ!」とばかりに、客席から小銭が集まって、あっというまに10両が貯まり、客席から「これで『佐倉義民伝』を買い戻して来い!」と言われ、買い戻す一夢。その話が評判になって、ますます人気を高め、名人と呼ばれて後世に語り継がれるようになった石川一夢。

このあらすじだけで、感動せずにはいられないのだが、講釈本を売った一夢の姿や、佐倉義民伝を買い戻して来いという客の心意気。その全てが貞寿先生のお優しく美しい声。そして美しい川の流れのような口跡によって、訥々と温かく胸に響いてきて、もう目頭2:50分は熱くなり、黒タイツは拳で突き上がってしまった(この表現は駄文)

感じたのは石川一夢先生に対する貞寿先生の愛である。いつ如何なる時も、人情を持ち、優れた芸を持つ者は、温かい観客の支えによって成り立っている。まさに『人情は人を救い、芸は身を助ける』の一席。これが聞けただけでも、今日一日の感動はあったなと思ったのだが、この後に阿久鯉先生が控えている。貞寿先生が鮮やかで華やかで、その美しさに感嘆する芸だとすれば、阿久鯉先生は、私が最初に見た時から勇ましく、重厚な芸の講談師。物凄い後半への期待が高まりつつ、仲入り。

もう一回だけ、太文字で表現させてください。

 貞寿先生、最高です!!!

 

仲入り中の出来事を記そうかと思ったけど、止めておきましょう。

 

玉川ぶん福『瓜生岩子物語』

仲入り後は浪曲。ここで三扇達成。日本のナイチンゲールと呼ばれた瓜生岩子のお話。特に身なりが汚いから賞を断る場面での節が染みた。関東節にはお馴染み玉川太福さんがいるが、その師匠、故・二代目玉川福太郎のお弟子さん。表に出ていた写真と実物を比べると、あの、その、パネマジ感はありましたが、お見事な一席。でも、ちょっと物語が私にはわかりづらかった。

 

ナッキィ『大阪漫談』

登場と同時に音楽に合わせて奇声を発する。おっと、キワモノ系の方かなと思いきや、音楽が終わると正統派な大阪関連の漫談。高齢層にバカ受け。奇抜な恰好だったけど、きっと演芸以外の時は質素な服を着ているんじゃないかなと思う。寄席にいたハプニングに最後は話題を奪われつつ、見事な切り替えしで去っていく。

 

神田阿久鯉天保六花撰より河内山と上州屋~松江候玄関先』

はい、再び太字の大文字で書かせてください。

 阿久鯉先生、カックイイ!!!!

登場と同時に大迫力の声。まるで巨剣で会場をバッサリ斬ったかのような勇ましい声と音量。登場から気迫で会場を一気に圧し潰し、平日の昼間で集中力が切れつつある、ぼけっとした会場に一気に集中力と緊張が満ちる。あ、これは凄い芸になるぞ、という予感のまま、話題は待ってました『天保六花撰』。先週の貞橘会で貞橘先生の『河内山と直侍の出会い』を聞いていたので、めちゃくちゃ嬉しい。おまけに全26話のうち、1話と2話をやるというので、もう心の中は『歓喜エレクトリカルパレード』。

もう一言一言が痺れるリズム、そして気迫のトーン。ボディブローのような言葉の連続。そして何よりもリズムが物凄い良い。ああ、ヤバイ。恰好良すぎる。と終始痺れっぱなしで、もはやノリにノッた溢れ出る気迫の講談。これが文字で伝えられるかどうか分からないが、目の前で極太で長い角材を畳み掛けるように、どすんっ、どすんっと積み上げて行く感じと言えば良いのだろうか。それが最後、一気に燃え上がるのだから、キャンプファイヤーをやっていたら、地球全域を照らしていたというような、さながらアースファイヤー、いやいや、アース・ウインド・アンド・ファイヤーである(意味不明)

あらすじとしては、博打で金を使い果たしたお数寄屋坊主の河内山宗俊。50両の金を借りるために上州屋という質屋に、自分の家の表札を出す。番頭に断られるが、言葉と悪知恵を働かせて50両の大金を頂こうとしたところで、主が引き留める。話を聞くと、娘が松江家の妾を断って幽閉されているとのこと。ここで悪党の河内山宗俊、『手付に100両、救い出せば100両。しめて200両を頂こう』という訳で、娘を助け出すことを約束する。この辺り、悪党でありながら憎めない感じ。貞橘先生の第三話を聞いていたせいか、悪党でありながら、情に厚い河内山宗俊像が出来上がっていたため、この辺りの語り口も憎めない。むしろ、情に厚い悪党として肩を持ちたくなる。今なら片岡直次郎の気持ちも分からないでもない。

ここまでが『河内山と上州屋』。すなわち天保六花撰の第一話である。もうこれだけで、阿久鯉先生の重厚かつ気迫の芸に吹っ飛ばされているわけであるが、さらに白眉はお次の第二話『松江候玄関先』である。

娘を救い出すため、上野寛永寺の高僧、道海として松江家にやってきた河内山宗俊。大胆不敵でありながら、その策略にまんまと引っかかる松江出雲守。この辺りのやりとり、松江出雲守の間抜けさも、阿久鯉先生の語り口で是非聴いて欲しい。脂が乗っていて、もはや向かうところ敵なしの重厚な戦車に乗っているかのような心持ち。

見事、娘を救い出した河内山。意気揚々と帰ろうと、松江候の玄関先から出ようとしたところで、遅れて河内山であることに気づいた北村大善が槍を持って出会う場面。緊張感たっぷり。もう唾を飲み込むことさえ忘れてしまうほど。ここでの大善と河内山の迫力の言い合い。特に河内山の啖呵。もうね、本日四度目。

 カックいいぜ!河内山宗俊!!!

これは是非聞いて頂きたい。語りのテンポ、啖呵の威勢、阿久鯉先生のドスの効いた声とトーン。もう全てが天保六花撰を語るために費やされている。松鯉先生の天保六花撰も渋くていいのだが、今、気迫と、重厚さで効くものをガツンっと痺れさせてくれるのは、阿久鯉先生だろう。もはや十八番と言って良いのではないだろうか。

貞橘先生にも、松鯉先生にも、松之丞さんにも無い。唯一無二の阿久鯉先生の『天保六花撰』。こりゃお弟子が二人いるのも納得の実力。

もう後に残った感想は、阿久鯉先生がカッコ良過ぎて惚れるという一言に尽きる。それくらいに凄い。マイク・タイソンのパンチばりの破壊力。もうボクシングで言ったら超ヘビー級の講談。凄まじかった。あまりにも凄まじかったので、Twitterでちょっと乱れた。

 

何はともあれ、総括すると、貞寿先生の流麗さ、阿久鯉先生の重厚さのダブルパンチで講談にノックアウトされた寄席でございました。

平日の昼間にやっているにしては、とんでもない気迫。終演後に誰もが口をそろえて「阿久鯉先生、名人芸だねぇ」と言う事態。凄いよ、本当に凄いよ。

そんな思いに打ちのめされながらも、貪欲にも新宿末廣亭に向かう私であった。

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