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荒浪に沈むことなく咲く花を結び直してくれる節~2018年12月2日 浅草木馬亭 定席~

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山路来て 何やらゆかし すみれ草

 

三味線の音に導かれまして

 

いつでも呼んでくださいね

 

二世で会おうと誓った夫婦

 

2000円という僅かばかりの銭を払って、浅草木馬亭へと入った。約130席ほどの人が入る会場には、赤い椅子、左右の壁には演者の名が書かれた赤提灯。中央には船の綱のような絵と浅草木馬亭と大きく書かれた垂れ幕。ここが浅草木馬亭

会場には約80人ほどだろうか、いずれもご高齢の方々が着座している。普段、通いなれている新宿末廣亭や上野鈴本演芸場と比べると、キャパも少なく、椅子はあまり良く無いし、長時間座っていると尻も痛くなるし、多少は劣る環境であることは間違いない。それでも、ここで数々の名人が浪曲を披露してきた。浅草という街の、本当に薄汚れた環境でありながら、それすらも味に変えてしまうような、素晴らしい浪曲師と曲師が登場する場なのだ。

開館は1970年5月、以来50年近く浪曲の場として存在し続けている。根岸京子さんの笑顔が有名だと言うのだが、私はまだ一度も見たことが無い。

私の浪曲歴は、今年の5月11日、渋谷らくご玉川太福さんの『石松三十石船』を聞いたのが始まりである。それまで、浪曲というものを全く知らなかった。だからせいぜい半年くらいの浪曲新人がこの記事を書いているのだということをご容赦頂きたい。

『石松三十石船』以降、何度か太福さんを追い、浅草木馬亭の存在を知る。これは一度行かなければならないと思い、6月2日に太福さんの独演会とセットで一日木馬亭にお籠りした。その時のトリは澤孝子師匠で、『大新河岸の親子河童』だった。その時に富士琴美師匠や大利根勝子師匠を見て、その凄さに度肝を抜かれた。浪曲って、こんなに骨太で、心揺さぶられるものなんだ!と感動したことを覚えている。その後の太福さんの独演会で『浪花節じいさん』と『紺屋高尾』を聞いて、完全に浪曲に惚れ込んでしまったという経緯がある。

それからは便利なYoutubeで有名な浪曲師を知る。広沢虎造、春日井梅鶯、吉田奈良丸京山幸枝若、三原佐知子。70代の祖母と話が出来るだけの知識を得ることが出来た。因みに祖母は虎造も梅鶯も聞いたことがあるという。嘘か誠かは分からないが、私の祖母は虎造に「あの子、もらってもいいかな」と赤ん坊のころに言われたらしい。当時は地方巡業が主で、各地の宿に泊まって風呂に入ったりしていたのだそうだ。残念ながら両親が断ったのだという。その時に祖母の両親が断ったおかげで、私が生まれたのだと思うと不思議なものである。去年亡くなってしまった祖父と、浪曲について語り合うことが出来なかったことが、今はとても悲しくて悔しい。浪曲を知った頃には、時すでに遅しだった。演芸をきっかけとして、祖母から当時のエピソードを聞くことが出来たのは、何よりも、私の浪曲初体験となった玉川太福さんのおかげである。そのようなこともあって、私は玉川太福さんの浪曲が好きだ。

何度か木馬亭に通っていくうちに、東家浦太郎師匠、鳳舞衣子師匠、三門柳師匠など、現代の名人と呼ばれる浪曲師に出会った。同時に、浪曲師を支える曲師の存在も知る。沢村豊子師匠、伊丹秀敏師匠、水乃金魚師匠、佐藤貴美江師匠、虹友美師匠、沢村美舟さん。中でも私は佐藤貴美江師匠の曲師としての佇まいが大好きで、澤孝子師匠と出る時は、佐藤貴美江師匠のカッコよさばかり見てしまうのだ。超カッコイイ佐藤貴美江師匠のお姿を、是非木馬亭で見て頂きたい。

そして、忘れてはならない人物が一人いる。国本武春師匠。この人の存在は浪曲界、ひいては演芸界にとって、とてつもない存在だったということが、浪曲、そして講談に触れて行くうちに、段々と分かってくるようになった。それにはまだ少し時間を頂こう。

木馬亭に入って椅子に着座。一体どんな痺れるような出会いが待っているのかとプログラムを見る。Twitter界隈で話題になっていた上方の浪曲師、真山隼人さん、そして曲師の沢村さくらさんが登場するという。上方の浪曲は一体どんなものなのだろうと、とても楽しみに思いながら、会が始まった。

 

富士美子/金魚『秋田蕗』(記載は浪曲師/曲師)

現・五代目東家三楽師匠の弟子で、見た目はかなりお若い。野太くてオペラのような声で唸った演目は『秋田蕗』。自分のお国自慢をした男が周りから「そりゃ、ありえないでしょ」と馬鹿にされ、悔しさのあまり馬鹿にしたやつを殺そうと思うのだが、付き人の女性に助言を受け、自分の自慢が嘘じゃなかったことを命がけで証明するというような話。良い話であるだけに、心意気をどう表現するか難しい演目だと思った。

 

木村勝千代/貴美江『芝浜の革財布』

落語ではお馴染みの『芝浜』の一席。声はつややかで張りがあって良く、可愛らしい見た目。この辺りで朝練講談会からの疲れがピークに達し、眠ってしまった。無念。

 

真山隼人/さくら『円山応挙の幽霊図』

さて、一体どんなものだろうと楽しみに見た。衝立で隠れてはいるが、美人だと評判の沢村さくらさん。一方、真山隼人さん、見た目はイカツイし、23歳とはとても思えない風格。浪曲の為に体が出来ているような人で、映像で見ただけだが、国本武春師匠に風貌が似ている。ちょっと滑舌が悪いのかなと思ったが、恐らくそれも浪曲に身を捧げたが故のものなのだろう。小柄な体からは想像も付かない第一声を聴いて、背筋に電撃が走った。

うっわぁ、やっべぇえええ!!!

こういう時の私はだらしがない。最初の節で尻から脳天まで突き抜けて行く電流に痺れ、思わず笑みが零れる。これがゾクゾクするという感覚なのかと思う。もはや正常ではなくなり、心の中で(来い、来い、もっと来い!)と叫ぶ。

簡単なあらすじは、円山応挙という有名な絵師が、旅先の長崎で泊まった宿で出会った女と出会い、そこから出会いと絵を起点として様々なことに巻き込まれるという話である。この最初に出会った女は、後半の展開に大きな伏線となってくる。

落語では柳家小満ん師匠で『応挙の幽霊』を聞いていた。同じような話かと思ったら全然違う。落語では幽霊と酒を飲む話だが、浪曲では幽霊が非常に重要な道標として現れ、後半、めちゃくちゃ良い話になる。もしも落語でしか知らないという人がいたら、是非聞いて欲しい一席である。笑いどころもあるし、泣ける部分もある。まさに浪曲の一席だ。

そしてこの一席をやる真山隼人さん、とにかく徹頭徹尾凄いのだ。浪曲は声、節、啖呵の三つが揃ってこそ名人と言われているのだが、真山隼人さんはトータルのパラメータ値が半端ではない。スマブラで言ったらゲッコウガポケモンで言ったらミューツー。浪曲漬けにされて純粋培養の浪曲師。『浪曲が産んだ浪曲師』と言ったら褒め過ぎだろうか。とにかく声、節、啖呵。どれをとっても抜群なのだ。自信に満ち溢れている姿、登場人物の個性を演じ分ける表情と声、浪曲を知らない人でも、一度聴いたら「すげぇ!やべぇ!」となるくらいの力を持った、『全身全霊で浪曲師』の人である。若干23歳でこの迫力なのだから、もはや今後は向かうところ敵無しなのではないだろうか。

そして忘れてはならないのは沢村さくらさんである。この時はまだ衝立でお姿をまじまじと見ることは出来なかったのだが、沢村豊子師匠の一番弟子、美人、三味線を最近新調したらしいということだけはTwitterで見ていた。

なんと言っても後半の畳み掛けるような節と、物語の展開が凄まじい。激情を掻き立てるような三味線の音に導かれて、ぐんぐんと張りを持った唸りを見せる隼人さん。節と物語の緩急のキレが凄まじくて、まるで名場面ばかりを切り取った映画を見ているかのような、怒涛の展開に涙が零れた。あれはもはや表現しきれない。時速200km/hくらいでいろは坂を下るような、そんなスピード感。途中何度も物語中、衝撃の事実にぶつかりながら、ガンガン心を揺さぶられてしまった。

途中、映画『セッション』のラストシーンのような、とんでもない節が出てくる。高い音で「ふー」みたいな音だったと思うのだが、そこからまるで上空を飛んでいた鷹が獲物に向かって滑空していくような、鮮やかな切れ味を持った節があるのだが、それを聞いた時に思わず心の中で

(来た来た来た来た来たぁあああああああああ!!!!!!!!)

と絶叫してしまった。映画『セッション』では、ラストシーンで指揮者の男の締めの合図を無視し、ドラムを叩く青年が、テンポをMAXまで叩き、MAXから徐々にMINまでテンポを落とすシーンがある。その緊張感、一瞬の緩みも許されない真空状態のような緊迫感。そして最後はMINからMAXまで徐々にテンポを上げて行くのだが、その瞬間以上の興奮を、私は真山隼人さんの節、そして沢村さくらさんの三味線の音から感じた。浪曲を聞き続けて初めて、浪曲師と曲師が混然一体となった浪曲を聞いたように感じたのだ。

節と物語のカットイン、カットアウトが凄まじかったことだけは脳裏に焼き付いている。もはや憑依と言って良いんじゃないかと思えるほど、迫真の浪曲だった。久しぶりに凄いモノに出会った時に起こる笑みを浮かべてしまって、痺れた。こんなとんでもない人が上方に存在しているということが、とてつもなく羨ましい。

演目が終わった後も、周囲のご婦人方が「あのお若い方、凄かったねぇ」とか「私、あの声が本当に泣いているみたいで、思わず泣いちゃった」と仰られていた。かくいう私も後半の怒涛の感動デンプシー・ロールにやられ、目から涙が零れた。本日二度目。朝はいちかさんに泣かされ、隼人さんに泣かされている。

 

浜野一舟/金魚『男の花道』

浪曲感電状態』で次に出てきた浪曲師を見た時、大変に失礼だとは承知しているし、決して悪意は無いのだが、一舟師匠を見た時に私が感じたことは、

 綺麗なE.Tだ!

という印象だった。(超失礼)一度そう思ってしまって、なかなか『綺麗なE.T』のイメージから抜け出せないまま、前半は全く頭に入って来なかった。だんだんと口の両脇に白い唾が溜まっていくところや、なぜか右手の親指と人差し指に絆創膏をしているところとかが気になってしまい、肝心の浪曲を聞く態勢を整えることが出来ないまま演目が終わってしまった。もう大変に無礼な男である。切られても仕方がない。

後で知ったのだが、というか、この後で曲師として登場するのだが、一舟さんは曲師として伊丹秀敏という名前がある。なぜ浪曲師と曲師で名前を変えるのか分からないが、私は正直に言う。曲師としての伊丹秀敏さんの方が好みである。

 

玉川福助/沢村さくら阿武松

こ、これは言えない。敢えて書かない。どんな風に見えたかなんて、言えません、書けません。

そんな福助さん。太福さんと同じ故・二代目玉川福太郎師匠の弟子である。豪快にも生年月日を公開されている浪曲師さんで、とにかく最初の間が面白かった。それほど面白いマクラを言う訳でもなく、「なんかいいですね、楽しそうで」というようなことを言うだけで会場が盛り上がった。

演目の『阿武松』は、後半は意外とあっさりだったが、落語の『阿武松』と比べると薄味。どこに力点があったかと言えば、飯を食らう部分というような感じだった。

連雀亭で太福さんが『阿武松』をやったというのを見ていたので、太福さんはどんな風にやるのか見てみたいと思った。

 

神田鯉栄『清水次郎長伝より羽黒の勘六』

やってきました鯉栄先生。案外小柄なんだとびっくり。末廣亭で見た時は2メートルくらいあるんじゃないかと思っていたのだが(ちょっと誇張)、木馬亭で見ると可愛らしい。声は相変わらずカッコイイし、マクラのエピソードは講談が役立った話を丁寧にご説明されていて、まさに『一人スカッとジャパン』な話だった。それから清水の次郎長伝に入った。巻き舌の口調、威勢の良い啖呵、気持ちの良いリズム。どれもが清々しくて心がスッとする。気分爽快な講談で、オープンカーで真っすぐな道を爆走しているかのような気分になる。

愛山先生のブログによれば、二代目神田山陽先生が清水次郎長伝の中で最も好きな噺だという。次郎長の貫禄が出た良い話なのだそうだ。簡単なあらずしはたった一人で次郎長を殺そうとやってきた勘六に対して、その心意気を次郎長が受け止めるという義理と人情の一席。これがとにかくカッコ良くて、鯉栄先生のリズムの良い語り口、勘六の潔さと、次郎長の親分としての心意気を感じる凄く良い話。久しく次郎長伝を聞いていなかったのだが、改めて聞くと実にカッコイイ。勘六と次郎長の間で交わされる二人の信念が現れた言葉や、周りの連中(特に桶屋)の様子なども実に面白い。何度も言うので覚えてしまったのだが「俺は桶屋だ。箍が緩んでるじゃねぇ、外れてるんだ!」みたいな言葉は面白かったし、個性が溢れていていいなぁ。と思った。

鯉栄先生の講談は、講談を愛している感じがもう溢れまくって輝いている感じなのだ。名人の域に達しようとしている気迫の阿久鯉先生や、講談界にお客さんを呼ぼうという野心に溢れた熱情の松之丞さんや、熟練の語りと刻み込む語り口の松鯉先生の、どれとも重なることのない、溌溂として眩くも人情味溢れた様は、きっと多くの方々の胸をスッとしてくれるのじゃないだろうか。何よりも巻き舌で江戸弁語りをする姿もカッコイイし、「あたしの師匠は男ですから、あたしが女でも、男に教えるような講談を教えると、師匠に言われました」というようなことを仰っていて、もはや顔の骨格からして男前な鯉栄先生。女が惚れる姉御講談師という感じだろうか。勇ましくて力強い講談に、客席のご婦人も終演後、「カッコ良かったわねぇ、あの女の人」とか、「あたし浪曲は寝ちゃうの。でも今の講談は面白かったわぁ」と仰られていて、届きましたよ!鯉栄先生!と心の中でガッツポーズ。

 

国本晴美/秀敏『三婆物語』

国本と名前を聞いて、真っ先に思い浮かべたのは国本武春師匠。志半ばで倒れた浪曲界の巨星である。その母親であり、今もなお浪曲師として舞台に立つ晴美師匠。少し喉を傷めていらっしゃったようですが「いつも風邪ひいてるみたいな声なんだけどね」というようなことを仰られ、「悔しい」とはっきり仰られていたことを覚えている。

喉の調子の悪いなか、演目は『三婆物語』。おばさんたちが語り合う話で、途中ハプニングもあったがご愛嬌。それよりも印象に残ったのは、男の話をし始めた婆さん達の話。そこで、隼人さんや一秀さんはイケメンよねぇ、みたいなことをいうのだが、そこに、もしも武春師匠が生きていて、晴美師匠の前に浪曲をやっていたら、三婆物語の中でどんな風に語られたのだろうかと想像してしまって、どうしても私は国本武春師匠のことを想像してしまった。

晴美先生の演目よりも、終演後の客席のご婦人方の様子の方が、私は印象に残った。「あの人、亡くなられた浪曲師のお母様よ」、「ああ、国本武春よね」「えっ!?武春のお母様なんですか!?」というような会話が聞こえてきて、まさかの実録・三婆物語(失礼、綺麗なご婦人でした)が始まった。「そうなのよ。今80幾つでしょ」、「もう息子さんが亡くなられてから随分立つわよね」、「幾つだったんでしたっけ?」、「確か50代よ」、「そうそう、50よね。モトハル」、「違うわよ、ほら、なんだっけ?」、「武春・・・」、「そうそう、武春、武春」というような会話をしていて、まさかのオチ付きかよっと内心ツッコミつつ、っていうかモトハルってサムデイかよと思いつつ、私は会話を聞いて楽しんでいた。同時に、それだけの巨星亡き後で、どんな覚悟で晴美師匠は舞台に立っているのだろう。とか、様々なことは想像することしか出来ない。

誰にとっても非常に残念なことだった。それだけ、国本武春師匠は次の浪協界を引っ張っていく力を持った人だったのだ。

 

澤孝子/貴美江『岡野金右衛門の恋』

人生二度目の澤孝子師匠。天界から降りてきたのかと思うような穏やかさ。一語一語が悟りの境地に達した達人の声。その佇まいを見た瞬間に、まるで山頂から地上を眺めているかのような、雄大な景色を前にした時のような心持ちになる。衝立はなく、横で三味線を弾く佐藤貴美江師匠をいじりつつ、話題は若い人たちの成長の話。楽屋にたくさん若い人がいること、昨日玉川太福さんの独演会に呼ばれて出たということを仰ってから、若い人たちが育ってくれることを願っています、というようなことを言っていた。それから楽屋に向かって「いつでも呼んでくださいね」と言った時に、私は胸の奥をぎゅっと握りしめられるような思いになった。

国本武春先生が2015年に亡くなられたとき、澤孝子師匠を始め武春師匠よりも上の世代が、どれだけの衝撃を受けたのか、想像は容易くない。自分たちが受け継いできた浪曲の魂を受け継ぎ、さらなる後進の育成と浪曲界の中心となる筈だった武春師匠。道半ば、脳出血でこの世を去ってしまう。

生きていたら、と想像することは容易い。けれど、襲ってくる悲しみに耐えられなくて、想像することをやめる。私は残念ながら武春師匠の生の高座を見ることが出来なかった。

そして、武春師匠という大き過ぎる後継者を失ったとき、澤孝子師匠を含め数多くの師匠達が決意したのだと私は思う。それは、若い人たちが育って欲しいという思いだと私は思う。だからこそ舞台に立ち続け、そして唸るのだ。自分達が愛し、生涯をかけて挑んだ浪曲そのものを、後世に絶やすことなく伝えるために。自らの芸で持って感じてもらうために。

それは言葉では伝えることの出来ない芸と芸との魂の伝承だ。目に見えない形の無い物を、自らの芸で示す。澤孝子師匠の言葉から、私はそんな思いを感じた。

三味線が鳴る。貴美江師匠は何も語らない。それでも、じっと目を閉じ、ただ何かを感じようとしているかのように弾く。見えないものを五感の全てで拾い集めて、全身でその場に存在する何かを纏めて、三味線に乗せて音として出すかのように、貴美江師匠は弾いている。その風貌はまるで居合の達人のようだ。

貴美江師匠に心を奪われていると、孝子師匠の節が響いてくる。鐘を鳴らす丸太のように、太くて安定した声。ずっと胸の辺りを貫かれているような節。

浪曲岡野金右衛門は、貞橘先生の講談で聞いたような『恋の図面取り~スパイ大作戦~』のようなコミカルさはない。むしろ、金右衛門が吉良邸の図面を入手するために、本気でおよねに恋をする。特に堀部安兵衛に色々言われる場面に重点が置かれていて、貞橘先生の講談とはまるっきり違う、哀切さが滲み出た演目になっていた。吉良邸の図面を持つ大工の棟梁の娘に本気で惚れ、夫婦になる金右衛門に、討ち入りの覚悟が襲ってきて心を苦しめる。金右衛門はおよねに惚れているのだけど、討ち入りのことを口に出せない苦しさ、何も知らないおよね。そしておよねが図面を持っていこうとするときに、父親は勘づくのだが、敢えておよねに言わない。様々な人の心が交差するなかで、純粋に愛を誓うおよねと、討ち入りという目的を抱えた岡野金右衛門との、二人の心の差異が苦しくて苦して、「二世で会おう」というようなことを言うのだが、もう切なくって儚くって、涙がぽろぽろと零れてくると同時に、講談とは違った岡野金右衛門の苦悩を感じて、同じような題材でも、こんなにも違う角度から物語を体験することが出来るのか!という新しい驚きと発見があった。

澤孝子師匠の浪曲は、節も声も、そして物語の語りも、全てが一つの境地に達した人の言葉のように私には感じられる。それを支え導く佐藤貴美江師匠の三味線も相まって、最後に岡野が朝日を見る場面があったと思うのだが、太陽のまばゆいばかりの光を浴びて、吉良を討ち取った後の未来を、生まれ変わっておよねと平凡に暮らす未来を、岡野金右衛門はどんな思いで見つめていたのだろうか、とか。人生の巡り合わせ、運命とか様々なことを考えてしまって、ただただ目から涙が零れた。

 

木馬亭を出る時、左の棚に陳列された国本武春師匠のCDが目に入った。音源は残っている。そして、これからの将来を担う若手は、既に浪曲界に育ってきているのだ。

その筆頭は、私を浪曲の素敵な世界に導いてくれた玉川太福さん、そして玉川奈々福さん。さらに、若手では国本はる乃さん、真山隼人さん、富士綾那さん、まだ見た事は無いけれど、12月5日に初舞台の天中軒すみれさん。若い人たちがどんどん入ってきて、自らの声と節を作って、浪曲の世界を盛り上げてくれる。

 

国本武春師匠。講談界には神田松之丞さんが、浪曲界には玉川太福さんが、あなたの残した魂のバトンを受け取って、今、花を開かせようとしていますよ。あなたにも聞こえていますか!

 

最後に、日本の数学者、岡潔先生の話だったと記憶しているのだが、こんなことを仰られていた。たぶんに私の想像が混じっているので、おおよそのニュアンスだけ感じ取ってほしい。

 

情緒というのは、人類に共通する大きな木だという。スミレの花を見てスミレはいいなぁと思う。これが情緒。たとえ西洋人でも日本人でも、心の奥底に共通する木、すなわち情緒を持っている。花を見て綺麗だと感じる心、夕日を見てなんだか寂しくなる心、清流を見て心が洗われるような気持になること。これは人類に共通する情緒なのだ。さながら枝はそれぞれの国。そして枝の先に咲く花はその人そのものなのだ。

 

これは確か森田真生先生の著書のどこかで書かれていたものである。引用ではないので私の想像補正である。私は浪曲というのは、花、すなわち上記でいう『その人』が社会という荒浪に落ちたとする。情緒から離れ社会の荒波へと落ちた花は、やがて沈み込んで消えて行く運命だが、その花をもう一度救って、情緒の大木へと戻してくれるのが『浪曲』、もとは『浪花節』。節とは『結びついているところ』という意味もあるから、再び情緒と結び直してくれるものだと私は考える。

浪曲では義理と人情が根底にあると思っている。人の情緒、情けの緒を結び付けるために、浪曲は存在しているのだと思う。国本武春先生の言葉を借りるとするならば

 

浪曲は人間賛歌、人生の応援歌

 

人間、情緒を失ってはいけない。花を見て美しいと思う心、汗をかいて一所懸命な人を見た時に応援したくなる気持ち。困っている人がいたら、一緒になって助けてあげようという気持ち。命を捨てようとしている人がいたら、救ってあげる気持ち。

生まれた時から自然と作られていった人間の情緒を、浪曲は節に乗せて物語とともに思い出させてくれる。その大切さを教えてくれる。

誰もが手を振って応援してくれるような人生を歩むことが出来たら、こんなに嬉しいことはない。浪曲は、そんな人の情緒から荒波に飲まれてしまった花(人)を救ってくれる素敵な芸なのだ。

だからもしも、自分が独りぼっちだとか、誰からも応援されていないとか、人の気持ちが分からないなんてことがあったら浪曲を聴いて欲しい。人の心と蒟蒻は裏表が分からないけど、それでも、人情を、人の情緒を、浪曲は教えてくれる。

そうか、節を聞いている時に感じるあの「ああ、いいなぁ」という気持ちは、私の情緒だったのかも知れない。と今、書いていて思った。自分の中にある情緒と出会うためにも、皆さま、どうか浪曲を体験してください、木馬亭に行ってみてください。

 

長くなりましたが、次の記事ではもっと書ききれなかったことを書きます。この後は、真山隼人さん、五月一秀さん、沢村さくらさんの『浪曲いろは文庫』に続きます。