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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

御披楽喜までの笑みと絵と美と~2019年5月24日 天満天神繁昌亭 落語と講談~

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 南森町駅で降りてっと

 

ほああ~、繁華街だなぁ。

 

おっ!天満天神繁昌亭だぁっ!

 

来たよ

上方遠征

暑さは我慢できても、上方落語への熱さは我慢できない。

東京では桂春蝶師匠や桂紋四郎さん、桂三四郎さんなどが活躍されているが、上方にはまだまだ私の知らない素敵な落語家さん達がいる。だから、どうしても見たい。繁昌亭の寄席で、素敵な上方の芸人さんを見たい。そんな思いが日に日に増していき、ようやく実現する機会に恵まれた。

京都の街を後にして、南森町までの電車の道中、私はずっとこれまで自分が見てきた演芸のことを思い出していた。

桂枝雀師匠の『代書屋』に出会ってから、私は浴びるように枝雀師匠の落語を聞いた。上方訛りの強い枝雀師匠の語りに魅了され、自分でも「すびばせんねぇ~」などと言って真似をしながら、枝雀師匠の言葉に時折顔を出す、生きるための処方箋のような知性に惹かれた。だから、私が落語好きになる発端は『上方落語』にあった。

近くのホテルに宿を借りていたが、そこへ寄る前に一度天満天神繁昌亭を見ておきたかった。南森町駅を降りてすぐに繁華街がある。赤い提灯には『大阪天満宮 参詣道』と書かれており、人が多く道を行き交っている。『めん家だるま堂』にぶつかったところで左に曲がると、そこに『天満天神繁昌亭』がある。

何度も夢に見た場所である。大阪に住む人々のツイートを見ていると、とても楽しそうで、誰もが笑顔で帰って行く。そんな温かい景色が繁昌亭には会った。すぐ近くまで来ると、どうやら夜席のチケットを販売しているようだった。表には『落語と講談』と書かれている。出演者のどちらも芸を見たことは無かったので、中でチケットを売っている人に声をかけてみた。

どうやら全席指定のようで、幸いにも一階の席に一つだけ空き席があった。チケットを売っている人が「お客さん、ラッキーですね。一階はこれが最後の一枚です」と言ったので、私は空き席に対して「あ、奇跡」と思いつつ、『空き席の奇跡』に喜びながら、当日券のチケットを買った。

さらに、繁昌亭の扉には『乙夜寄席』なる寄席が開催されるという張り紙がある。21時45分の開演で、東京で言えば『深夜寄席』と同じようなものだろうと思っていた。こちらに関しては、別記事にて詳細を記す。

『落語と講談』の開演時刻まではまだ余裕があった。私は一度近くのホテルにチェックインし、身軽になってから周辺を歩くことにした。

国道1号線沿いにはぽつぽつと店が並んでいるが、『天神橋2』と看板の掲げられた通りの賑やかさに比べれば僅かに劣るであろう。一銭焼きと言って、一枚が120円の鉄板焼きを食すことが出来る店や、天麩羅やうどん等、大阪の人々の小腹から大腹まで満たしてくれる店が立ち並ぶ。東京の定席に似ているのは新宿末廣亭が一番感覚的に近いであろうか。建物というよりも寄席の周りの雰囲気が、何となく新宿末廣亭に似ているように私には思えた。

何度通っても、賑やかな参詣道からひょっと脇道に逸れた場所に、静かで清楚な佇まいで建つ天満天神繁昌亭がある。すぐ隣に大阪天満宮もあるせいか、どこか品のある風格を漂わせている。特に提灯の灯が絶妙に良いと私は思った。日本人としてのDNAのどこかに、提灯に対して美しいと感じる感覚が備わっているのであろうか。そう思ってしまうほどに、建物にズラリと並んだ提灯と、その下に掲げられた『天満天神繁昌亭』の文字を見ると、美しいなぁという思いが沸き起こってくる。そして、その中で多くの人々が笑い、楽しそうに喜びを抱えて寄席を出て行くのである。

 

いざ、天満天神繁昌亭の中へ

チケットを切ってもらい、繁昌亭の中へと入る。中は鈴本演芸場のような格式高いカッチリとした雰囲気で、椅子も高級なのであろう、とてもフカフカで座り心地が良かった。何と言っても驚くのは、天井にびっしりと並べられた提灯である。繁昌亭の建設に出資した人達の名前が書かれた提灯がびっしりと、静かに温かい光を湛えながら天井に並べられているのを見て、思わず心の中で「おおお~」と驚いてしまった。これほどの数の提灯を見るのは、祭りのときくらいではないだろうか。

しばらく会場の様子を伺っていると、50代~60代の年配の方々が次から次へとぞろぞろ入場される。恐らく常連であろうお客様が「ああ、〇〇さん。何番ですか?」とチケットの座席番号を確認して誘導されている。どこの寄席に行っても、常連は前方の席に座ることを好むらしい。ちらっと聞こえたのは「わしはかぶりつき席やで」という嬉しそうな紳士の声だった。「わしの席は、何番やったかなぁ」とチケットと座席を見比べながら、自分の座る位置を探す人達。楽しそうに落語会の話をする人達。面白い婦人がいて、かかってきた電話に対して「これ、絶対間違い電話やわぁ」と言いながら、一度スルーし、しばらくして掛け直したときに「あんた、私に電話してきたの間違いやろ?そうやろ?」と言って電話を切り、隣の友人であろう婦人に向かって「やっぱり間違い電話やったわぁ。あの人、良く間違えるねん。抜けてんねん」と笑いながら話す。知り合いに会えば「まいど、まいど」、席を教えてもらったら「おおきに」と言葉を交わす。そんな言葉を聞いているだけで、私は今、大阪にいるのだなぁという気持ちになってくる。

旅をすると、長野に行けば長野県の名が記されたナンバープレートを良く目にするように、その土地に行けばその土地の名が記されたナンバープレートを良く目にすることで、その土地に来たという実感が湧く。同じように、大阪に行けば大阪弁を良く耳にするように、その土地に行けばその土地の方言を良く耳にすることで、その土地に来たという実感が湧く。その時に私の胸に沸き起こってくるのは、異国に来たのだという喜びと、同時に、自分の故郷の言語が自分に染みついているという事実である。

繁昌亭に入り、自分以外の殆どの人々が大阪弁で言葉を交わすのを耳にしながら、私はこの土地に深く根付く、上方の芸に心惹かれた。ゆっくりと目を閉じて耳を澄ませば、そこには温かい常連の人々の言葉がある。

これは推測であるが、旭堂南照師匠のファンの方が大勢いらしている様子である。また、講談そのものに魅了された人々が多い様子だった。

いよいよ、初めての繁昌亭で、落語と講談の会が始まった。

 

露の棗 つる

開口一番で出てきたのは露の棗さん。めくりを見ても『棗』という字が読めなかったのだが、棗さん本人が「これでナツメと読むんですよ」と言うと、会場からは「へぇー」とか「ああ~」という声が上がる。なかなかに反応が良い。

風貌は講談師の神田こなぎさんと林家やまびこさんを足して二で割った感じで、ベレー帽を被ったらジャイ子に似ていなくもない。ご飯をたくさん食べそうな優しく逞しい姿で演目を語る姿が朗らかである。どっしりとした芯の太い声で、大阪弁の語りでつるを聞く。冒頭は即座につるとは分からなかったが、髪結い床に行く場面からつるの演目であることが分かった。どこか陽気で、想像のつるも逞しく飛んでいる。初見のため、詳細な判断は出来ないが、これからの成長に期待。

 

 旭堂南照 おぼろの便り

万雷の拍手に迎えられて登場した南照さん。男心をくすぐる可愛らしい風貌の奥に、得体の知れない色気を漂わせている。『タッチ』に登場する浅倉南のような、純朴な乙女を思わせる風貌に心を奪われる。上杉達也と和也が心を奪われるのと同じように、南照さんの素敵な笑顔に完全にノックアウトされた青年が一名。思わず心の中で「貴美江師匠、すみません・・・」と謝りながら、じっと南照さんを見る。ゆっくりとした語り口と、柔らかく耳馴染みの良い声。まるで母親から子守唄でも聞かされているのではないかと錯覚するほどの心地よい声とリズム。時折ぺろりと口の周りを舌が動き、頬がぷくっと膨らむ様に、もう青年はドキドキが止まらなかった(どこ見てんねん)

柔らかい色気というのは南照さんの持つ独自の雰囲気であろう。聞く者が童心に帰って母の腕に抱かれ眠るかのような想像のまま、南照さんは4代目旭堂南陵師匠が創作されたという『おぼろの便り』を語り始めた。

冒頭から実に見事で、子守唄から物語が始まるのである。この唄の不思議なタイムスリップ感。久しく子守唄を聞いたことの無い私は、かつて母が私に歌ってくれた歌を思い出しながら、目を閉じた。客席では、懐かしむように南照さんの声に合わせて、心に染み込んだ子守唄を歌う人々の声も聞こえる。その声に耳を澄ませていると、あっという間に話の中へと入り込んでいく。

詳細は聴く者の楽しみを奪わぬために簡潔に記す。この物語は昆布講談とも呼ばれ、『昆布職人の親子の物語』である。一つの昆布を軸に、親と子の数奇な運命が語られる人情噺である。

開口一番の直後に人情噺を聞くと、少し感情に戸惑いがあった。人情話は基本的に最後に聴くというリズムに慣れていたためか、冒頭からの人情噺に驚き、妙にしんみりと話に聞き入ってしまった。南照師匠の声と語りの素晴らしさもあって、過去と現在が映画のように何度もカットバックし、親と子の姿が目に浮かんでくる。また、おぼろという言葉の響きも良い。

人間、誰しも過ちはある。それでも、その過ちをしっかりと受け止めながら、自分の腕を磨くことが、人が生きるということではないだろうか。そんなことを思わせてくれる、素敵な話だった。

 

林家市楼 お好み焼

いきなりの人情噺とは打って変わって、陽気でさらりとした風貌の市楼さん。思わず柳亭と亭号を書きそうになってしまうが、四代目林家染語楼師匠の実の息子さんである。私は「そめ~」と聞くと太神楽の海老一染之助・染太郎を思い出すが、全く関係は無い。

名前の通り「イチロー」に関係したマクラから、四代目林家染語楼師匠の創作『お好み焼き』を語り始めた。この話は簡単に言えば『お好み焼きの店主になった元・噺家の店で起こる珍事』という内容である。色んなお好み焼きがあって、課長焼きや部長焼き、テレビ焼きなど、元・噺家の店長が趣向を凝らした面白いお好み焼きが次々に登場するお話である。お好み焼きを軸にしたギャグの連発する話と言っても良い。

話が終わったかと思いきや、客席から市楼師匠がお題を取ることになった。印象深かったので覚えているのだが、『ショーケン』や『ジュリー』、『皇室』などのお題が出され、それに即興でギャグのお好み焼きを返す市楼さん。頭の回転の速さもさることながら、ギャグもなかなかの完成度で、客席は大盛り上がりだった。話のオチも華麗に決まって、爽やかな風の吹く面白い一席で仲入り。

 

旭堂南照 那須の余一

着物も新たに登場の旭堂南照さん。サクラ大戦に登場する帝国華撃団花組に、最後に入隊した真宮寺さくらを思わせる風貌で、語り始めたのは東京で言えば『扇の的』とも呼ばれる『那須の余一』。言葉の響きの凛とした雰囲気はそのままに、丁寧な解説を踏まえて源氏と平氏の思惑が交差する様が語られる。また、余一の境遇も丁寧に語られ、扇の的を射抜くことが出来なければ、そのまま海に飛び込んで死ぬという余一の覚悟。そして真っすぐな瞳と声が胸に響いてくる。

キリキリと弓を引き、扇に向かって矢を放つ那須の余一の姿の勇ましさ。矢を射抜く場面よりもむしろ、矢を射抜くまでの人々の思惑が交差する様に重点を置かれて語られており、よりくっきりと扇の的を撃つまでの背景が浮かびあがってきて、とても素晴らしい一席だった。

私はまだ、扇の的神田松鯉先生でしか聞いたことが無い。私にとってはなかなか巡り合う機会の無い噺である。南照さんの語りによって、それまで知ることの無かった余一の境遇を想像することが出来たことは、とても幸せである。

とても素敵な笑顔を見せた最初の一席から、真剣な眼差しで矢を射抜くまでを語る南照さんの眼。全てに凛とした力強さ、柔らかい色気が漂う語りであった。

いずれ再び聴く機会に巡り合えたら、その時もまた、私は心惹かれてしまうだろう。

 

 林家市楼 ねずみ

真っすぐに胸を貫くような南照師匠の演目の後で、市楼師匠はさらりと演目に入った。落語の世界では、スーパーヒーローである左甚五郎という彫刻職人が登場するお話で、水戸黄門長谷川平蔵中村主水等々、この人が出てきたらもう安心!と思えるほどの人物である。

この演目は簡単に言えば『左甚五郎が親子を救う物語』である。ふとしたきっかけで汚い宿屋に泊まることになった左甚五郎。そこで出会った宿屋の主人の話を聞き、木片に鼠を彫る。そこから物語が目まぐるしく動き出していく。

宿屋の店主が汚い宿屋に住まうことになった顛末を語る姿は、ほろりと涙を誘う。それを聞いた甚五郎が鼠を彫る心意気。店主のために一所懸命に仕事をする幼い小僧の姿など、随所に温かい心が流れている。

元は浪曲の演目で、二代目広沢菊春師匠が得意とされているネタである。菊春師匠と言えば『徂徠豆腐』や『甚五郎の蟹』など、人情噺が凄まじい。現代では澤孝子師匠へと受け継がれ、浅草木馬亭澤孝子師匠/佐藤貴美江師匠で聴く甚五郎の話は絶品である。

どこかファンタジーな雰囲気もありながら、甚五郎が彫り物に魂を宿す様に不思議な説得力がある。オチは軽やかな笑いに包まれて、穏やかな気持ちで終演。

 

総括 御披楽喜

繁昌亭を出ると、すっかり外は暗くなっていた。それでも、建物に掲げられた提灯の灯が温かく建物を照らしている。帰る人々を見ていると、私と同年代の若い人はいなかったのではないだろうか。誰もが口々に「ええ話やったねぇ」とか「やっぱりおもろいなぁ」と語る声が聞こえる。あまり東京では口を出して人々の感想を耳にすることは無いが、大阪の人々は言葉で感想を述べあうことを常としているようだった。人と人との意思の疎通に、言葉という力強い手段が今も強く根付いている。『語らない優しさよりも、語る優しさ』を優先するのが、大阪に住む人々の思いなのかも知れない。

近くの『だるま堂』でうどんを食しながら、私は胸のぬくもりを感じた。ところ変われば品変わる。場所が変われば、そこに息づく人々の思いもまた異なる。素敵な場所に立つ、素敵な笑顔に溢れた天満天神繁昌亭。時計を確認しながら、上方への熱の冷めない私は、次なる会、乙夜寄席までの間に、うどんを啜るのであった。楽しさと喜びで心を包みながら。