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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

ずっとあなたを愛している~2019年11月17日 きょんスズ30 14時回~

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恋してるんだ。

 

ごめんね。

 

生きて、いたいんだ

 

高橋しん最終兵器彼女』 

  

二度目のきょんきょん

すっかり季節は寒くなって、体調管理が難しくなった。少しでもバランスを崩せば、一気に熱を出して寝込んでしまいそうなくらいに、寒暖差が激しい。朝と昼では10℃くらい違うんじゃないかと思う(言い過ぎ?)

寒くなってくると、布団から出たくない。なるべく外出は避けたいと思う私だが、こと演芸に限っては反対である。家にいても暇だから外に出たい。誰かに会いたい。会って話がしたい。なんて、人の温度がある場所を求めてしまう。

だから、今日は下北沢に来た。というか、チケット取ってたので、来ることは決まっていた。

ぼんやり、当日券の列を眺めたり、良く見かける常連さんの顔をぼーっと見るともなく視界に入れながら、色んな言葉が頭を駆け巡る。

ふいにとーんと、言葉がやってくる。

寂しいんだろうな、ずっと。

なんて、自分の心に問いかけてみる。

答えはすべて、風のなか。

 

柳家やなぎ 牛ほめ

すすすっと登場のやなぎさん。きびきびっとした動きに「むむっ、何か企んでるな!?」と表情を見て思う。北海道の大地が産んだ生粋のあどけなさの裏に、仕込みに仕込んだネタをぶっ込んでいき、会場を笑いの渦に巻き込む姿は圧巻だった。

似ているなぁ、と思うのは鈴々舎馬るこ師匠。ダークさと弾けっぷりに近いものを感じる。やなぎさんの『牛ほめ』は、もはや他の追随を許さない、現地取材に裏打ちされた、やなぎさんだからこそできる『牛ほめ』だと思う。

特に与太郎のサイコっぷりが面白い。全部計算してボケているんじゃないかと思うほど、悪知恵の働く与太郎が、ガンガンにおじさんの家を褒めたり、家の節穴を褒める。挙句は女の人(女房?だったかな)を褒めたりする。

痛快な弾けっぷりがド派手に炸裂する『牛ほめ』。もはや『牛ほめ・改』としても良いんじゃないかと思うほどの突き抜けた北海道アレンジ。

会場もドッカンドッカン受けて、開口一番から物凄い熱気に包まれた。

 

柳家喬太郎 ウルトラのつる

続いて登場は主役の喬太郎師匠。ウルトラマンの衣装を初めて見た。強烈な赤が映えるお着物。やなぎさんの流れを見事に受けて笑いに変える。

ゲスト出演される貞橘先生と貞寿先生の師匠を語りつつ、両名の師匠の物真似が最高に面白かった。特に貞水先生からの雲助師匠は物凄く似ていて腹を抱えて笑ってしまった。

演目の内容は、簡単に言えば『マニアに翻弄されるウルトラマン初心者』という話で、徹底的に出鼻を挫かれる男の姿が面白い。ウルトラマンの詳しい情報を知らなくても、なんとなく「そういうもんなのかなー」くらいの感覚で楽しめる。

特に、隠居から教わったウルトラマン情報を言いたい男が、その情報を言う相手に情報量で上回られ、隠居から教わったウルトラマン情報を全く言えない場面があり、それがとにかく面白かった。「分かる、分かるよ、その気持ち」と共感してしまったのである。

どんな話でも、覚えたてのことは人に言いたくなる。でも、言った相手が自分の覚えていること以上のことを言ってくると、途端に萎えたりもする。たとえば、

喬太郎師匠って、夜の慣用句が面白いですよね」

と言ったら、

「そうだね、喬太郎師匠は新作が面白いんだよ。特にね、午後の保健室とか、バイオレンス・チワワとか、最近だと、赤いへやみたいな、シリアスな落語が面白いよ。でね、圓丈師匠の作った『ぺたりこん』もやってるんだけどね。これも凄いの。喬太郎師匠はね、夜の慣用句だけじゃないんだよ。べらべらべらべら、うんぬんかんぬんうんぬんかんぬん」

と、畳み掛けて情報を与えられると「お、おう・・・」となって戸惑ってしまう。そういう『マニアの恐怖』が感じられる一席。喬太郎師匠もきっと、そういう経験があったのかなぁ。と思ってしまう。でも、マニアの人の、ついつい語りたくなっちゃう気持ちもわからないでもない。大事なことは、押し付けないことと、相手の理解度を測って発言するということかな、と思う。

 

 一龍斎貞橘 寛永馬術より~愛宕山梅花の誉れ~

物凄い久しぶりに聞いた貞橘先生。やっぱりめちゃくちゃカッコイイ。貞橘先生の語り口は、これぞ講談の語り!というような気がするくらい、均一なトーンとリズムがあって、講談調の語りになった瞬間の金色の調べが素晴らしい。

去年は割と積極的に聞いていて、左甚五郎ものから赤穂義士伝も聞いていたのだが、2019年になってからめっきり聴く機会が無くなってしまっていた。それでも、私にとって、一番好きな講談師は貞橘先生であることに変わりはなかった。

お茶目な部分が随所に挟まる感じも堪らない。以前に聞いたことがあったが、愛宕山を上って失敗する三人の家来の様子を語るところや、曲垣平九郎が登場する場面は爽快で面白い。馬の可愛らしさと、平九郎の名人ならではの工夫。また、梅花を得た後の山下りの場面も、とにかくカッコイイのである。

今回は貞橘先生による貞水先生の物真似まで見れた。もっと去年のように、積極的に聞かなきゃ駄目だ、と思った。こんなにカッコイイ講談師が、案外、世間に知られていないというのが、驚きである。好みは人それぞれだけど、私には貞橘先生が一番、しっくりくる。

 

一龍斎貞寿 出世浄瑠璃

黒に赤の衣装が目に彩な貞寿先生。艶やかな色気と、魅惑の語り口。貞橘先生の春の話を受けて、今度は紅葉が美しく想像を彩る秋の話。

この話の簡単な内容は『紅葉に彩られた秘密が形を変えていく』お話である。碓氷峠で語った秘密の浄瑠璃が、巡り巡って幸運をもたらすという、不思議に幸せなお話である。

残念ながら、私の集中力が切れてしまい、内容をあまり覚えていない。無念。

 

柳家喬太郎 夢枕獏作 鬼背参り

前半の大爆笑ムードから一転、漆黒の闇夜に消えゆくかのような静かな語り口で始まった大ネタ『鬼背参り』

音源で何度か聞いたことはあったが、かなり昔(大学生の頃?)だったので、すっかり内容は忘れていた。チケット取る時も「あ、貞橘先生出るんだ」くらいの感覚で、後から演目を知り、「ん、一回くらい聞いたことあるネタだな」と思った程度だった。

ところがどっこい。これがもう、痺れるくらいの圧巻のネタ。改めて音源を聞いたら、まるで違う印象。語りの雰囲気が物凄くフィットしたトーン。

この話は、簡単には言えない内容。色々とネットには語られている記事もあるので、興味のある方は読んで頂ければと思う。

鬼になったオミツの思い、オミツを見てきた太鼓持ちのゼンスケ、そして、何より、この物語の大きな要であるヨモキチさん。ヨモキチさんの心情が後半に向かって徐々に変わっていく描写が実に胸にきた。

前半は、怪談噺のような雰囲気がありながら、後半、ヨモキチが陰陽師であるゼンスケの助言に従い、オミツの背に跨った後の場面からの展開が素晴らしい。オミツがヨモキチを探し求める場面は恐怖を覚えるのだが、オミツが巡る場所、そして明かされるオミツのヨモキチへの思い。そして、オミツの思いを感じ取ったヨモキチの後悔。全てが明らかになるとき、光の中に消えていく灰の儚さたるや、涙を抑えることができなかった。

どうして、人は人を愛してしまうんだろう。どんなに駄目な男でも、愛してしまう女もいる。その逆も然り。時代とともに、色んな愛の形があるなかで、いつも男女はすれ違ったり、勘違いしたり、喧嘩したり、仲直りしたり。時代がどれだけ経っても、男と女の関係には、普遍的な何かがある。男と女だけではない。愛しあう者同士の間には、余人には考えも及ばない、強烈な何かがあるのだ。

頭では分かっているのに、口にすると、頭で分かっていたことと違うことを言ってしまう。理屈では納得しているのに、理屈に合わないことをしてしまう。自分自身でさえ、恋をすれば、愛に落ちれば、どうしたって、自分ではどうしようもないものに突き動かされてしまう。そんな時に、ずっと心の奥に秘めていた思いが、まるで結露するかのように、一滴の雫となって零れる。その雫の輝きの美しさたるや、どう表現してよいか分からない。

頭を苛むエゴだとか、どうしようもない自分を抱えながら、それでも愛したいと思うほどに、人は人を愛することのできる生き物だ。同時に、そうでない生き物でもある。

『鬼背参り』には、たとえ死んで鬼になろうとも、一人の男をとことんまで愛した女性の、純粋で美しい魂と、その女性の心に気づかないまま過ちを犯し、自らの人生を後悔する男が現れる。なんといえば良いのか。気づいた時にはもう遅いのか。たった一度の過ちが、取り返しの付かない運命へと導く様を見るとき、私は、過ちを犯さなければ、どんなに幸福な未来が待っていただろうと思う。

いつの世も、人は過ちに気づかぬままに、生きていくのかも知れない。過ちを犯さずに生きた者だけが結ばれるのだろうか。それとも、人と人とが結ばれることは過ちであるのだろうか。

わからない。何もわからない。それでも、男女は恋をする。

今日も明日も、この先ずっと。

 

総括 季節が移り変わっても

前半と後半でまるっきり雰囲気が違う回だった。凄まじいまでのめまぐるしい季節感。春夏秋冬とウルトラの星が同時にやってきた感じのある特別な回だった。改めて、貞橘先生、貞寿先生の講談の素晴らしさを再認識したし、喬太郎師匠のレンジの広さを感じた。

特に『鬼背参り』は、ラストシーンで嗚咽を漏らす方が現れるほど、すすり泣きが会場に響き渡る圧巻のネタだった。実際に生で見ると、喬太郎師匠の表情や仕草が凄くて、まるで映画を見ているかのような鮮やかな想像の景色に涙が零れた。

たとえ鬼になっても、好きになった男を愛する女。その強さに心が締め付けられる。そこまで愛してくれたら、もう他に何もいらないんじゃないかと思う。

って、こんなことを書いているくらいだったら、恋をしろよって思うんだけど、私はヨモキチのようにはなれないので、夢の話だなと思う。

でもね、愛とか恋って本当に分からないもんだよ。いつ落ちるか、いつ盲目になるかなんて、誰にもわからない。そうなったら、そうなっただけどね。

では、よくわからなくなってきたので、この辺で。

おや、私の頭から何かが生えてきた。

むむむ、これはっ

牛の角だ!