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手と手を合わせるような温度で~2019年1月20日 ナツノカモ低温劇団 「ていおん!!」~

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才能って放っとかれないよね。

 

ありがとうございます。

 

ナイジェリア

 

心に残って忘れられない低温やけど

きっかけは一つのツイートだった。とある方の呟きで『文章書くの好きなひと低温劇団ライブ行ってレビューしてくんないかな(行けないので…)』とツイートしているのをたまたま目にして、「ん?変な名前の劇団だな」と思って調べてみると、サンキュータツオさんが出るという。動画の『コミュニケーション教室』を見て期待が高まる。

初めてやってきた『プーク人形劇場』。なんだかディズニーのイッツ・ア・スモール・ワールドみたいな空気感である。

開場時刻になって、チケットと台本を購入し入場。場内は何だか映画に出てきそうな、ファンタジー感がそこはかとなく感じられる。淡いローファイポップのようなBGMが流れ、続々とお客様が入場。若い女性、お綺麗な女性が多い印象。私のような新参者は、それだけでも胸が高鳴る。

ナツノカモ低温劇団がどういうもので、演者についても何も知らないという状態で参加したのだが、前情報も出演者のことも何も知らなくても、全く問題の無い会だった。

普段は寄席演芸に親しんでおり、落語・講談・浪曲に親しんでいるが、コントだけの回に行くのは初めてである。普段、青年団さんや、チャーリーカンパニーさんのコントを寄席で見ている私にとっては、とても新鮮な会である。

低温と銘打たれていたため、笑福亭たまさんで言えば『微笑落語会』みたいな会なのかなと思いきや、これがとにかく面白かった。全部で8本あったのだが、それぞれの感想を書いていこう。

 

01『明日の手術』

このコントを見終えた時、私は笑福亭羽光さんを思い出した。最近、渋谷らくごの創作大賞となった『ペラペラ王国』や、もう一つ羽光さんの面白いネタがあって、その二つと『明日の手術』が共通していたのは、【入れ子構造】である点である。内容は台本を買って頂いた方だけに分かると思うのだが、台本を読むだけでも面白い。次々と、まるでマトリョーシカのように、話の空間の位置がズレていく感じが面白い。その空間のズレに謎を一つ混ぜ込んで、その謎を最終的な着地点にするのも気持ち良かった。色んな人が一人のために一所懸命になっているのも面白いし、明日の手術を受けさせようとする大人達の無邪気さや可愛らしさが感じられてとてもほっこりした。低温劇団とは、こんなちょっと笑えるようなコントなのかな、と思ったのだが、次のコントが凄かった。

 

02『ノットヒーローインタビュー』

全8本のコント中、私はこのコントが一番面白かった。設定も面白いのだが、完全に振り切れた山下役のおさむさんが最高に面白かった。さらっと発せられるおさむさんの言葉と、その言葉に何の罪の意識も感じていないおさむさんがとにかく底抜けに面白くて、おさむさんという芸人さんは全く知らなかったのだけれど、おさむさんのナツノカモさんによる、おさむさんのためのコントだったような、もはや演目と演者がぴったりと合致したようなコントで、台本を読み返して光景を思い出すだけで、もはや大笑いしてしまうほどの、強烈な面白さだった。これは、是非台本を買って読んで頂きたい。ツッコミどころ満載で、現代っ子感が素晴らしかったし、現実ではありえない場面におさむさんとしまだだーよさんが、その存在だけで強烈な説得力を持っていた。

会場も爆笑に次ぐ爆笑で、私は終始笑ってしまった。こんな面白いコントが世の中にあったんだ!という衝撃のコントである。

たった二人しか登場しないのに、おさむさんの強烈なキャラ、インパクトのあるワードを声のトーンと間で説得力を持たせ、超ワガママで絶対日常生活では関わりたくない奴なのに、誰にも真似できない愛嬌と、ペットを愛する気持ちだけで人生を渡り切ってしまうような、物凄い人間の魅力が溢れたコントだった。

終わった後の強烈な解放感というか、笑いすぎたことによる体の心地の良い疲労感が最高だった。出来ることならば、同じようなキャラ設定で、おさむさんの演じるコントを見てみたい。落語でも、講談でも、浪曲でも、演劇でも、能でも、狂言でも、一切表現することの出来ない、コントだからこそ、おさむさんとしまだだーよさんだったからこそ表現できた究極のコントだったと思う。

二本目のコントを見た段階で、私は「これ、全然低温じゃないじゃん!むしろ高温じゃん!」と腹の痛みと頬骨の痛みに耐えながら、騙された心地よさに酔いしれた。ああ、最高、ああ、最高、

 

ああ!!最高だったぜ!

 

03「恩返し-バス停にて」

衝撃爆笑のコントの後で、ガンガンに温まった会場。その後さらに放たれた三つ目のコント。これも最高だった。何より、設定が面白い。内容は台本を読んで頂きたいのだが、とにかく狸役のやすさん、ナツノカモさん、小林すっとこどっこいさん、シルキーライン広田さんが最高である。恩返しされる側のサンキュータツオさんのツッコミもさることながら、微妙に知恵の回らない狸四匹の愛嬌がとても面白い。狸が化けたという説得力が存在だけで半端じゃないやすさん、なぜか田舎っぽい方言が混じるナツノカモさん、狸の中では真面目な小林すっとこどっこいさん、恩返しする立場なのにめちゃくちゃ態度がデカイ広田さん、そして恩返しを頑なに拒み続けるサンキュータツオさん。この不思議な設定が妙なリアリティがある。何よりも『狸』を選択したところに、日頃落語に親しんでいる私にとっては、完璧な選択だ!と思ったのである。

恐らく人間の心の情緒には、狸は化けるもの、狸には狸のコミュニティがあるもの、という無意識の共通認識みたいなものがあって、それがこのコントに説得力を持たせていたのではないかと思う。何よりも狸代表としてサンキューさんに近づいたやすさんの存在感が半端じゃなかった。やすさんが「私、狸なんですよ」と言うことの強烈な説得力。あれはビジュアルがそうさせるのだろうか。とにかく演者さんが適役で、ナツノカモさんの人の素質を見抜く力というか、人とコントの登場人物を結び付ける才能が凄まじい。全8本を体験して、どれもが「この役にはこの人しかいない!」という配役なのである。

色んな情報が次々に出てくるのだけど、サンキューさんのツッコミも相まって綺麗に整理されているし、狸同士の関係性や、狸達の個性がとても面白かった。何よりもシルキーライン広田さんの演じる狸を許容する狸達の懐の深さが、見ていて心地よかったし、温かかった。

最後は、温かいオチだった。色んなことが一つの運命を持っていたかのような、素敵なオチだった。恩返しの意外な着地点、是非台本で見てほしい。

 

04『娘さんをください』

ここで初めて登場のインコさんの強烈な存在感と、言語感覚がズバ抜けた小林すっとこどっこいさんの二人が激突するコント。これも凄く面白かった。何よりも小林すっとこどっこいさんが、他の誰も恐らくやらないであろう言葉攻めで、「娘さんを頂く」ために色んな言葉を定義していく。その定義に翻弄されるインコさんの姿も面白かったし、言葉を追加することによって、「ああ、確かに、そういう風に言えるな」というような、数学的な状況理解というか、記号としての理解が面白くて、知的な二人の会話がとても面白かった。

台本を見てもめちゃくちゃ面白い。娘を貰う方の男と、娘をあげる事に抵抗する父親の言語認識のズレが徐々に合わさって行く感じもさることながら、互いの認識がズレる「こっち」、「そっち」の部分がめちゃくちゃ面白くて、思い出す度に笑ってしまうのだが、日常生活においても、言葉の認識のズレというものは発生するし、それが色々な問題を起こすのだけど、ここには何か確かな温かさがあって、小林すっとこどっこいさんが演じる男が次々に言葉を付加していく気持ちが素敵だし、それを頭ごなしに否定せずに、理解しようとする父親の真面目さが気持ち良くて、言い争っているのだけど、言い争っていないというか、お互いがお互いを理解し合いながら、最終的にハッピーエンドに着地するっていう、その気持ち良さが最高だった。

恐らく男女の言い争いとかも、ふとした言葉の思い違いとかだったりするのかな、と思うのだが、ここには期待値とか暫定とか、数学の記号的な要素が入ってきて、言葉以上のもので意思疎通を図る感じが、いままで見たことが無かったというか、現実的にありうる場面でありながらも、特殊な場面が出来上がっていて、秀逸な作品だと思った。

私も言ってみたい。「君は僕の暫定彼女だよ」と。恐らく思いっきりビンタされると思うが(笑)

 

 05「婚活パーティーにやって来ました」

前回の公演でやった『コミュニケーション教室』に類似したコント。動画で『コミュニケーション教室』を見た時にも感じたのだが、『言語による他者との接触』がとことん追求された哲学的なコントだと私は思った。

というのも、電車に乗っていると、ごく稀に大声で駅名を叫んだり、何か突拍子もない言葉を発する人に出会うことがある。私はあの人たちは『別次元の言語世界に生きている人』という思いがあって、普通だとされている言語感覚とは異なる感覚を持った一部の天才だという認識がある。

誰の何の話だか忘れてしまったのだが、とある女性の父親がある物語の七話目だかなんだかに登場する人物の言葉が気になるのだ、と、しきりに発する状態になった。女性は父親がボケたと思っていた。女性の父親は時々思い出したように「あの話の七話目で、〇〇が言うセリフはなんじゃったっけかなぁ」みたいなことを言う。父が亡くなった後で、女性は父の言葉を思い出し、気になってその話を調べると、そこには「もう死にたい。生きていたくない」という言葉が書かれていて、その時初めて女性は「あれはボケていたんじゃないんだ。私の理解を超えていたんだ」みたいなことに、気づいた、という話を目にしたことがある。

今回のコントも、そういう普通だと思われている言語感覚が見事に段階を経て崩されていく。一人目は、ある特定の果物の話に異常に興味のある女性が登場し、それがちょっと怖いし、二人目は日常の中に突然、異物が混入してくるような恐ろしさがあって怖いし、最後の三人目は全く理解できない言語世界に生きていて怖い。それでも、面白いと思うのは、客席で見ている私と同じ言語感覚を持った主人公が、「無理だ!」とか「理解できない!」と吐露する。そこに「あ、仲間がいた」というような安堵感を覚えて笑ってしまうのかも知れない。

考えてみれば、女性との会話は、まるで行先の分からない船に乗せられて引きずられるような感覚がある。「え?その話必要?」とか「え?なんでそういうことを突然話すの?」とか、「ん?まったく私の話を理解してなくない?」とか「ん?そういう意味でとらえるの?」みたいな、疑問だらけの引っかかりみたいなものを感じるというか、脈絡の無さに困惑するというか、鈍行列車に乗っていたら新幹線に突然乗せられたというような感覚があって、もちろん、そういう女性にしか会っていない私も悪いのかも知れないが、このコントには、そういう他者とのコミュニケーションにおける戸惑いが多く含まれていて、かなり興味深かった。

最後のおさむさんのからっとしたセリフが面白くて、最高だった。ちなみに実際の婚活で「全く異次元の言語感覚を持つ人」に私は出会ったことがない。日常生活では多々ありますが。考えてみれば、お互いに何となく理解しあえているのって、奇跡なのかもしれない。

 

06「夢風船」

ああ、これが低温劇団なんだな、と思うようなコントだった。大きな笑いも無ければ、殊更に笑わせに行こうという欲も無い。ただぼんやりと不思議な空間が立ち上がって、その中に包まれてほんわか笑える感じ。私はこれが一番「低温ネタ」っぽいと思った。

最初は「あれ、これは登場人物が全員死んでいるのかな」と思ったのだが、登場する人物の言葉から「夢」であることが分かる。内容は台本を見て欲しいのだが、何とも言えない不思議な設定である。特別な意味が込められているようにも思えないし、なぜ風船なのか、なぜ夢なのかも分からないのだが、風船という物体が想起させる浮遊感、他者との微妙な隔たり、そして色。様々なものに夢という設定が説得力を与え、何だか分からないが面白いのである。

誰が言ったか忘れてしまったのだけど『人生は虫が見ている夢に過ぎない』みたいな名言があって、その言葉が何となくしっくり来るコントだった。何というか、人と人とが触れ合う曖昧さ、意志疎通の曖昧さがぼんやり滲み出てくるコントで、自分は相手と触れ合っていると思っているのだけど、実際は小さな小さな膜があって、現実的には触れていないみたいな、どこかで聞いた話を思い出すコントだった。

ムンクの『接吻』では、男女の境界線の消滅が、あの絵の素晴らしさを表現していると思うのだけど、現実は絵のように境界線が無くなることはなくて、一生混じり合うことのない儚さみたいなものがある。言語も体も、触れ合うことしか出来ない寂しさというか、悲しさみたいなものがあって、私はこのコントの『風船』からそれを感じた。

風船を介して、互いに触れ合うことなく会話しあう老夫婦が登場するのだけど、その距離感と浮遊感が、何だか寂しくもあるけれど、人間同士の意思疎通の儚さみたいなものを表現しているように思った。凄く哲学的な部分があるような、素敵なコントだった。

 

07「書きながら、一度も読み返すことなく、登場人物や結末も一切決めず、始めから終わりまで一気に書き上げたコント」(別題:混沌家族)

アンドレ・ブルトンサルバドール・ダリが表現した『シュルレアリスム』のようなコントでありながら、ジャクソン・ポロックのような『アクション・ペインティング感』もあるコントだった。どちらかと言えばデヴィッド・リンチのショートコントを見ているような、超現実の面白さがあって、特にシルキーラインのお二人の表現力と、その表現力に翻弄されるナツノカモさんが面白かったし、後半に出てくる異常オジサンのサンキュータツオさんの話も面白かった。

もしもシュルレアリスムが何か知りたい人には巖谷 國士先生の著書『シュルレアリスムとは何か』をオススメしたい。巷ではシュールリアリズムとか、シュールと混同されがちであるが、私は巖谷 國士先生の著作に基づいてシュルレアリスムと表記している。これが一番正しい用法だと思うので、是非オススメしたい。

勢いと混沌がところどころで爆発しながら、「あれ?これもまた夢の空間?」みたいな超現実感があるし、サンキューさんの発する言葉も、意味は分からないのだけど面白くて、その意味の分からなさを楽しむような、物凄い作品である。

これも台本を見て頂きたい。もしも台本がお手元に無い方は、貸します。というか、どこかで絶対手に入れて欲しい。そうすれば、恐らく私の記事も何となく理解できるはずである。

シュルレアリスム好きにはたまらないコント。味わってほしいねぇ。

 

 08『親子酒』

最後のネタにふさわしい題材のコント。インコさんの存在感と言葉のトーンもさることながら、そのインコさんと会話をする小林すっとこどっこいさんも素晴らしい。前記した『娘さんをください』でも共通しているのだが、『インコさん&小林すっとこどっこいさん』を合わせてナツノカモさんが作・演出となると、もはや無敵?と思えるような素晴らしい会話が繰り広げられていく。

これも台本を是非読んで頂きたいし、インコさんと小林すっとこどっこいさんが作り出す間と空間が素晴らしくて、これは是非生で見て頂きたいと思った。

最初は、ちょっといじけた父親と、やさぐれた息子の話だと思っていたのだけれど、後半のワードから、がらっと空間が変わるというか、それまでの認識が変わって、思い出したのは柳家喬太郎師匠の『孫、帰る』だった。その衝撃さもさることながら、そこから泣きそうになるギリギリのラインを攻めながら、笑いを巻き起こしていく感じが、凄く感情の揺れが気持ち良くて、「ああ、良いなぁ。良いなぁ」と思った。この「良いなぁ」は殆ど情緒である。

インコさんの所作とか声も凄く良かった。何とも言えないのだけれど、あの感じの役にピッタリだったし、不思議な緊張と緩和があって、ただただ最高だった。

凄く素敵な言葉に笑いが付加されて面白かった。温かくて、最後はほっこりする素敵なコントだった。

 

総括 手と手を合わせるような温度で

一つのツイートをきっかけに行動するのも悪くないと思った。今回、たまたまナツノカモ低温劇団を知り、その公演に参加することが出来て良かった。願わくば、この劇団を見るきっかけになったとある方に喜んで頂けたら幸いである。

ナツノカモ低温劇団。今回、初めて見たのだけれど、この才能は放っておいちゃ駄目だ。きっと落語・講談・浪曲が大好きな人にも、そして、ちょっと人とは違う自分に戸惑っている人とか、中心から外れてしまって寂しさを感じているような人にも、きっと温かく寄り添ってくれるような、そんな素敵な温度を持ったコントが、プーク人形劇場にはあった。

笑いというのは、どこまでも温かくて、人間味があって、素敵に美しいものだと思う。笑顔の女性がこの世界で何よりも素敵であることと同じように、笑いのある世界、笑いのある劇場があることは素敵だ。

思うに、私は中心から外れたコントだとしても、それはまた別の誰かの中心になるんじゃないだろうかと思う。そもそも中心にあるコントってどんなものなのだろう。どんな規則があったって、どんなルールがあったって、それが絶対の中心だと言えるものは無いんじゃないだろうか。例えば、神田松之丞さんは講談の中心だろうか?私は「そうでもあり、そうでもない」と答える。聴く人それぞれに、中心は存在するのだ。ある人にとっては宝井琴柳先生が講談の中心かも知れないし、ある人にとっては神田蘭先生が講談の中心かも知れない。何が正しくて正しくないなんてことは無い。確かな温度と情熱があれば、それはきっと誰かの中心で燃えるようなものなのである。

手と手を合わせるような温度で、相手の体温をじっと感じるみたいに、温かい気持ちが私の心の中に残った。とてもとても心地の良い空間だった。

演者の皆さん、作・演出のナツノカモさん。そして、この公演があることを教えてくれて、心の片隅で私を思い浮かべてくれたとある方。全てに感謝したい。

次も行きたい。だって美人がいっぱいいるんだもの(ジョーク)

文章を書くことが好きで、美人が好きなMORINOでした。

台本読んで想像して笑うのが楽しくて楽しくて仕方がないぞー!