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Is This BL?~2019年1月25日 歌舞伎座ギャラリー 古今亭文菊~

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人気には敵わないね

 

私(そんなことない、そんなことない、そんなことない、そんなことない)

 

ズキュウウウウン 

男が男に惚れる瞬間

どこからが恋で、どこからが愛になるのか、私はその境界線が分からない。どちらかと言えば、愛の方が恋よりも深くて濃そうだ、という感覚がある。私は恋と愛には濃度の違いみたいなものがある、というぼんやりとした感覚で、人に対して恋をしたり、愛してしまう人間のようだ、ということが、最近になって良く分かった。

美しい人を見て、「あ、綺麗だな」と思うのは、恋であると思う。それは、淡いピンク、まだ紅のような深みと濃さの無い、薄い桜色のようなものである。そこにはまだ、私と美人との間に繋がりがなく、一方的なもの。それが、恋。

美しい人と話をして、一緒にお酒を飲んだり、どこかに買い物にいったり、自分の駄目なところや素敵な部分を褒められたりすると、「あ、この人に理解されているんだ。私もこの人を理解してあげたいな」と思うのは、愛であると思う。そこには、私と美人との意思の疎通があるし、お互いがお互いの素性を何となく理解している。両者の間に確かな繋がりがあるもの。それが愛。

そんな、ぼんやりした境界線を、ずっと心の滑走路に引いていた。今までは。

Twitterを眺めていた時、たまたま東京かわら版2月号の表紙の画像が飛び込んできた。これがいけなかった。実にいけなかった。表紙には文菊師匠。文菊師匠、ぶんぎくししょう。

 

ぶぶぶ、ぶんぎくししょー!!!???

 

思わず二度見、三度見。調べると、文菊師匠が『愛』についてインタビューを受けているという。画像の美しさと内容のチラ聞きだけで、私の心が締め付けられた。

苦しい。息が出来ない。ずっと胸の奥がきゅっと締め付けられたようにくすぐったくて、悶える。人と話をしたり、パソコンに向かって文字を書いていても、ずっと胸の奥に温かい何かがある。頭の中では文菊師匠のお姿、愛、お姿、愛が交互にチラついて全く集中できない。常に上の空で、海の中を泳ぐクラゲのようにフワフワしている。

無力だ。私は文菊師匠の前では戦闘力ゼロだ。モンスターハンターで言えば、裸でミラボレアスを退治しにいくようなものだと思いながら、心を落ち着けるために、文菊師匠に頂いたサインを眺め、ちゃお缶を眺め、喬太郎師匠の手拭いを眺めた。

木馬亭での忘年会で、佐藤貴美江師匠のボヘミアン姿を見た時は、殆ど過呼吸になったのではないかと思うほど、胸を撃ち抜かれてしまい、友人から「美人と言えば?」と聴かれた時には間髪入れずに「佐藤貴美江」と答え、「誰?」という表情にさせていたのだが、友人から「好きな人いる?」と問われたら、「男なら古今亭文菊、女なら佐藤貴美江」と答えて、「男なら?」と怪訝な顔をされてしまいそうである。

そうか、これが惚れるということか、と気づく。心が忽になってしまう。何をしても文菊師匠の姿が浮かぶ。文字を打っていても、飯を食べていても、向かいのホームを見ても、路地裏の窓を見ても、そんなところにいるはずもないのに。

ずっと女性に対してだけ抱く感情だと思っていた恋と愛を、まさか男である文菊師匠に抱くとは思わなかった。これは、恋だ。濃くなりたいと強烈に願ってしまうほどの恋だ。そうだ、恋には濃くなろうとする強い欲求があるのだ。愛が色を深める速度と、恋が色を深める速度には差があって、恋の方がその速度は速いのだと思う。これはあくまでも私の体感として、である。

とにかく、いてもたってもいられずに、私は歌舞伎座ギャラリーを目指していた。

 

歌舞伎座ギャラリーへ

東京かわら版2月号が販売されるということと、文菊師匠が『淀五郎』をやるというので、駆け足シューマッハで到着。

チケットを切って入場し、着座。物凄く女性率が高い。おまけに美人揃いで、前から後ろまでずらりと美人、佳人、麗人が勢ぞろいである。体感的に、初めて落語に触れるという方も多い様子。美人が多い落語会は良い落語会です(勝手に言い切る)

そうか、私は男も女もどっちもいけるのか、と思ったが、男に関しては古今亭文菊師匠とチバユウスケさん限定である。この二人には惚れている。間違いなく惚れている。

開場時刻になって、前座さんが登場。

 

林家彦星『道具屋』

林家正雀師匠門下の彦星さん。とても真面目できっちりとした落語をやる落語家さんだ。私が言うのもおこがましいが、確実に成長されていて、口調も滑らか。もっともっと話に磨きがかかってくると、どんな落語家さんになるのか楽しみ。

 

古今亭文菊『紙入れ』

結構高めの舞台に上られる。歌舞伎座ギャラリーの舞台は写真で何度か見たことがあって、かなり背景が派手である。普段の落語会に慣れている方からすれば、派手過ぎて想像の邪魔になってしまいかねないほど極彩色だ。そこに座った文菊師匠も、やはり普段とは違ってカラフルな印象を受ける。

マクラについては全容を避けるが、だんだんとお人柄が感じられるような内容をお話になられるようになった気がする。美しい声と間で発せられる言葉には、思わず「そうよね、文菊師匠の言う通りよね」と思ってしまう、盲目な男が一人。恋は盲目である。相手の全てを許してしまう。私が文菊師匠の女将さんだったら、文菊師匠をとことん駄目にしちゃうな。。。と思いつつ、そんなことあるはずもないのに、夫婦生活を想像しつつ、演目へ。

この話は簡単に言えば「不倫をするけどバレない」という内容である。女将さんの色気たっぷりな表情と声、新吉のウブで真面目な心、何も知らない強面の旦那、と三者三様の表情と声が素敵な演目である。この話を聞く度に私は、「ああ、新吉になりたいなぁ」と、禁断の蜜の味に手を出してしまいそうな自分を認める。

絶品の紙入れを堪能して、仲入り。

 

古今亭文菊『淀五郎』

ネタ出し、お待ちかねの演目。講談ファンの方には馴染みのお話で、簡単に言えば「沢村淀五郎という役者の挫折と再起」の物語である。

これが、ものすごく丁寧だった。冒頭からありありと絵が浮かんでくる。さらに、とても文菊師匠らしい言葉運びと、演出が随所で光っている。ここは詳しくは書かないが、是非一度見て体感して欲しい部分だ。

恐らくは、雲助師匠か馬石師匠から習ったのではないかと思う。淀五郎に皮肉を言う團蔵の姿に円菊師匠の姿を重ねてしまってうるっとくる。「お前は駄目なんだよ、虫けら以下だ」と言われ続け、厳しい修行を耐えてきた文菊師匠。この辺りは東京かわら版2月号に文菊師匠の言葉で語られている。涙無しでは読めない。文菊ファンのみならず、女性を愛する男性諸氏には是非とも読んで頂きたい。

中村仲蔵が出てきて、淀五郎に教え諭す場面も感動的だ。ここは講談も落語も感動できる部分だった。特に淀五郎の真面目さが気持ちいい。『甲府ぃ』や『二番煎じ』を聴いていても思うのだが、文菊師匠は人物描写がズバ抜けて上手いと思う。才能があるけど皮肉家の市川團蔵、苦労しながらも工夫で名を上げた中村仲蔵、与えられた役に浮足立つ淀五郎。一つ一つの人物描写がくっきりと浮かびあがってくる。

後半も見事なリズムで、涙と笑いが押し寄せてくる。見終わった後で、恐らく初めてのお客様であろう「若いのに、とてもお上手ね」という声が聞こえてきた。それほどに、見事な『淀五郎』だった。

 

 総括 古今亭文菊師匠への恋心

昨日から文菊師匠には随分と心を搔き乱されてきた(勝手に私が乱されただけだけど)のだけど、思いっきり搔き乱されてぐちゃぐちゃのまま、会場を後にした。東京かわら版も購入した。写真も最高であるし、内容も最高である。文菊師匠のファンならばマストバイの一冊である。

胸の苦しみもようやく落ち着いたようである。相も変わらず、文菊師匠は文菊師匠で生きているし、私は私で生きている。

話は変わるのだが、Twitterで言葉遣いについて色々と言われ、モヤモヤを書き出している方のツイートを見た。花まるさんという方で、『たらちね』について触れていた。

私は思う。【土壌から咲いた花の美しさに目を奪われることと同じように、人生経験で培われた言葉遣いという土壌から咲く花、すなわち言葉にもまた、私は目を奪われる。紫陽花は土壌が変わると色を変えるが、その美しさは損なわれない。紫陽花は紫陽花として咲く。大丈夫、清女は美しい。あなたはあなたで美しい】のだ、と。

その人が、その人であるからこそ、美しさは輝くと思う。岡潔ではないが、すみれはすみれで咲く。だから、何も心配することは無いと思う。あなたはあなたで咲けば良いのだ。

そんなわけで、今日もさらりと書く。長文とは一体どこから長文になるのか分からないが、大体400字詰め原稿を10枚以内で納めたら、短編ということでお読みいただいても引かれないのではないか。短く書くことによって、削ぎ落し過ぎてしまうかも知れないが、それもまた修練である。

それでは、あなたの素敵な演芸との出会いを願いつつ、また、次回。