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ノブレス・オブリージュの肖像~4月17日 はなし亭~

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女性というのは覚悟と本気の生き物かも知れませんよ、苦沙弥先生

 

これェ、要らないんだけど―――どうする?

  浮く足 泳ぐ足

 今日はずっと3cmくらい地上から足が浮いていたのではないかと思う。それくらいに私はフワフワしていたから、見る人が見たらクラゲと見間違えたであろう。ランチの時なぞはあらんかぎりの富を使って食べたり接吻をしながら札束で汗を拭いていた。医学用語ではこれを『食うチュウ富裕』と呼ぶ。「かぁちゃん、やってっか?」でお馴染みケーシー高峰先生に愛をこめて。

 さて、誘われてきたのはノアの箱舟ならぬ、落語家の箱舟、本所BIG SHIP。毎度お馴染みの1Fロビー受付の紳士に「らくごは、よんかいですー」と案内され、いざ4階へ。

 ずらっとご常連の方々が列を成し、文菊師匠とこみち師匠の受付でご挨拶を済ませて入場。やはり地域密着型なのであろうか、ご年配の方々が多い。私のようなワコウド(?)は少ない様子。美人が多いので心地よく、また、1000円という破格のお値段なので、行ける人は絶対に行った方が良い。

 

 ネタ卸し、その一生の思い出について

 渋谷らくごにおける『しゃべっちゃいなよ』や、独演会などで『ネタ卸し』と銘打って演じられる落語のネタは、演者のみならず観客にとっても一生の思い出になる。それは、積み重ねられた稽古の結果が、世界で初めて大勢のお客様の前に披露されるからである。言わば赤子の誕生と言っても過言ではない。赤子の成長を事あるごとに他の会などで見ることが出来る体験は筆舌に尽くしがたい。以前にも書いたかも知れないが、私にとっては『しゃべっちゃいなよ』で彦いち師匠が掛けた『つばさ』がとても印象深い。その後、多くの寄席で『つばさ』を見た時の嬉しさが、私をネタ卸しの虜にさせてしまった。

 大好きな落語家の、ネタ卸しの瞬間に立ち会う。それは初恋にも似ている。初めて恋をすると、相手のことを知りたいという思いが心を埋め尽くす。読者にもそんな経験が無いだろうか。相手の一挙一動を見逃すまいと、必死になって見てしまう気持ち。どうにか喜んでほしくて、優しい言葉ばかりかけてしまう気持ち。相手の事を考えれば考えるほど、何も手に付かなくなってしまった経験が読者にも無いだろうか。無いか。そうか、それならば良い。うむ、分からなくとも良い。私には、大好きな落語家がネタ卸しをするということは、初恋そのものなのである。言わば、無条件に、あの人はどんな風に語るのだろうと気になってしまうのである。

 だから、毎回、私はネタ卸しの会が楽しみでならないのだ。

 

 古今亭菊之丞 鮑のし

 マクラで会場が湧く。そこからは素敵な女将さんと甚兵衛さんの会話が続く演目へ。ちょっと抜けている人を語っても見事な菊之丞師匠。女将さんの気立ての良さ、しっかりしてる様子がお見事で、甚兵衛さんの人は良さそうなのに抜けてる感じが面白い。そんな甚兵衛さんに助言する大工の棟梁のカッコ良さたるや!毎回ネタ卸しとは思えない完成度かつ、テンポ良く物語が進んでいく気持ち良さ。

 志ん生師匠や馬生師匠が主に演じてきた演目を、とても和やかな雰囲気で演じた菊之丞師匠。会場の空気が非常に温かく、前回よりも人が増えた様子だった。

 

 柳亭こみち 酢豆腐

 聞けることが嬉しい日常のマクラから演目へ。落語が好きで好きで堪らないこみち師匠が話しているのを聞いていると、なんだかこっちまで心がウキウキしてしまう。似た演目で『ちりとてちん』というものがあるけれど、酢豆腐は簡単に言えば『江戸っ子たちが酒の肴を話し合っているところに、若旦那がやってきたので、腐った豆腐を食わせる』という話である。こみち師匠の溌溂とした声と、表情と個性が豊かな登場人物達、中でも後半の若旦那の個性が際立っていて面白い。また、若旦那のキテレツっぷりも冴えわたっていて、生来の優しさが滲み出ているせいか、若旦那が腐った豆腐を食べる場面にはついつい「あ、なんかちょっと若旦那が可哀想だな・・・」と思ってしまうくらいに愛らしい若旦那だった。この辺りは好みの分かれるところかも知れない。知ったかぶりが過ぎて鼻に付く高慢な若旦那が登場したり、『ちりとてちん』ではお世辞が言えないイヤーな男が出てきたりするのだが、こみち師匠の若旦那は呆けに呆けている感じがどうにも憎めない。それがこみち師匠の性格と相まっているかは分からないが、とても素敵な一席だった。

 

 古今亭文菊 お直し

 袖から現れて数秒後に大きな拍手が起こる。拍手が起こった瞬間に、中腰で登場した文菊師匠は、さらに膝を落とし、「はいっ」と口を動かして優しい眼差しをする。一瞬膝を落として拍手に応える文菊師匠の姿に、私は水面に浮かぶ釣り道具のポリカンウキを思い出す。水面に浮かんでいるポリカンウキがくいっと沈んでいく様に近いものを、文菊師匠が袖から登場し、観客の拍手への返答として膝を落とす所作に感じるのである。だからあれはきっと大間のマグロが引っかかったに違いなく、観客はあの膝落しで無意識の内に「あ!餌に魚が食いついたぞ!」という興奮を抱いているに違いない。そうだ、きっとそうだ、そうに違いない。

 大間のマグロが釣れた後、まな板の上に乗せられたマグロを食すが如く、ふわりと着座し、箸ならぬ、扇子をゆっくりと置いて結界を作ったあと、深くお辞儀をする文菊師匠。さあ、食べるぞっ、とばかりに扇子を右手に持って脇に置く。結界を解いて、顔を上げて観客の顔を見渡した時、文菊師匠の心中にはどんな思いがあるのだろうか。嬉しさ、と一言では言い表すことの出来ない様々な思いが、まるで四方八方から吹く凪のように、混じり合って一つになっているのではないだろうか。

 世間的なマクラを振ることなく、本筋に沿ったマクラに入った文菊師匠。亡き圓菊師匠の所作も披露しながら、物語にスッと観客を引き込む。グッと張り詰めた空気感の中で、淡々と話し始めた文菊師匠の言葉に、迷いはなく、淀みも無い。本当にこの人は、一体どれだけの稽古を積み重ねて来たのだろうと毎回思う。

 お直し、と語り始めたいのだが、この演目を語るとき、私はどうにも言葉に窮する。そこには、言葉では言い表すことの出来ない様々な感情があるからである。当然、他の話ももちろんそうなのだが、こと『お直し』という演目は、私自身もどう言葉を費やせば伝わるか、ということを考えるのが難しい。一番簡単なのは、文菊師匠の『お直し』を見ることなのだが、それだけではどうにも不親切であるから、ここはひとつ、全体の詳細は語らず、物語中の一つの所作に焦点を絞って書きたいと思う。

 

 女の覚悟

 文菊師匠の『お直し』を見て、鳥肌が立った場面がある。それは、盛りを過ぎた花魁が、かつて客引きだった亭主の提案で『ケコロ』をやることになり、化粧をする場面である。言うまでもなく、文菊師匠の演じる女性は天下一品の色気があるが、この時の所作には鳥肌が立ち、ゾクッと全身に電流が走った。年配の女性はふふっと笑っていたが、それはきっと「あら、化粧の仕草が上手ね」という笑いだと思うのだが、私は笑うことが出来なかった。

 一つ説明を省いた。『ケコロ』とは『最下級の私娼』を意味する言葉である。かつては全盛を誇った花魁が、客引きの亭主にケコロになることを提案され、最初は嫌々ながらも覚悟を決める。この覚悟に、私は花魁の気持ちを痛いほど感じてしまったのだ。

 周りから羨望の眼差しで見られ、お呼びがかかれば殿方を魅了し、大金を稼いで暮らしていた頃に、温かい言葉をかけてくれた男。やがて盛りを過ぎ、誰からも見向きされることなく、取り持ち役のやり手になる。やがて男と夫婦になるが、男は博打で金を使い果たし、どうにも生きていくことが出来なくなる。そんなときに、最後の手段として、娼婦となり、愛する亭主とは別の亭主に抱かれて金を稼がなければならなくなる。この境遇を、素直に受け入れることが果たして出来るだろうか。私が女だったら絶対に出来ない。ケコロになれ!という亭主など捨ててどこかへ行く。だが、『お直し』の花魁はそういう行動には出ない。そこには、花魁が亭主に対して抱く愛があるからでは無いだろうか。

 愛する亭主の言葉に覚悟を決め、花魁は鏡の前で化粧をする。その所作の奥にある、女の覚悟。何百、何千もの夜に、自らを彩り、着飾り、男を魅了し続けてきた女の覚悟。女は化粧をする度に、一体何を思っているのだろう。大勢の花魁の中で頂点に立つために、女が磨き続けてきた、自分を美しく魅せるための術。文菊師匠の、化粧の所作を見た時、私の胸を襲ってきたのは、そんな女性の一世一代の覚悟だった。つくづく、女性には敵わないという気持ちで私の心は一杯である。

 男というのは、本当に愚かなもので、女性の覚悟にとんと気が付かない。『お直し』の亭主のように、花魁が化粧をした後の様子を見ても「はぁ~、綺麗になったなぁ。お前がいると掃き溜めに鶴だ!」なんてことを言うだけで、花魁の覚悟には全く気が付かない。私は無性に亭主に対して腹立たしさを覚えた。

 なんで花魁の覚悟に気づかないんだ!?

 お前のために体を張っているんだぞ!

 と、頭の中で声がする。だが、花魁は亭主に「そうかい?」みたいなことを言いながら、お金を持っていそうな客まで選別する。とことん、女性には敵わない。綺麗な化粧をしても、それが他の男を魅了し、抱かれるというのであれば、男ならば黙っていてはいけないのだ。それなのに、物語の亭主は意気揚々と客を捕まえてくる。その底抜けの間抜けさが、もしかすると花魁を魅了したのかも知れないと思う。思うし、羨ましいし、嫉妬する。もしもそんな男性が好きだという女性がいるのならば、声を大にして言いたい。あなたは騙されているんだぁ~~~~~(抑えきれない嫉妬心を溢れさせて)

 さて、そんな女性の覚悟に関して、こんなお話を一つ。

 

 尾崎一雄の『暢気眼鏡』に見る女性像

 尾崎一雄先生の著書『暢気眼鏡』には、困窮した貧乏暮らしの中で、自らの金歯を抜き、目の前に差し出して、ドラ焼きを買いに行こう!と亭主に相談する女性が出てくる。亭主は女房の気持ちを察しつつも、馬鹿な真似をして、もう片方は勝手に取るなよ!と言いつつ、女房が抜いた金歯を質に入れ米を買うのだが、いざ、二人で飯を食う段になって、女房の歯が抜けていたので飯が上手く食えなかった。という話がある。

 是非読んで欲しいので、敢えて詳細は語らないが、ここにも、亭主へのまっすぐな女房の思いがあると私は思う。金が無くて、貧乏で生活に困って、自らの金歯を抜く女房。歯を抜く場面は語られない。語られないからこそ、金歯を抜いた女房の気持ちが痛いほど想像できて、「ドラ焼き買いに行こう」という言葉以上の感情が沸き起こってくる。なんて愛らしい女房なのかと思う気持ちもあるし、さぞ痛かったろうにと抱きしめてあげたい気持ちも沸き起こる。女性は、私が思っている以上に、覚悟と本気で生きているのかも知れない。

 『お直し』の女房もまた、自分の誇りをかけて、愛する亭主のために化粧をし、男を魅了する。やがて、亭主は女房にやきもちを焼き、「こんな商売は止めだ!」というようなことを言う。ここで、女房の気持ちが爆発する。

 これも、語りたいのだが、敢えて、ここは敢えて、語ることは止めておこう。

 全てはまず、一度、あなたに見てほしい。話はその時にしようではないか。

 お直し。これにて了。

 

 総括 高貴さの宿命

 人はそれぞれの環境によって、成すべき事柄が異なってくるようである。高貴な者は、高貴な者であるが故に、果たさなければならない義務というものが発生する。開高健氏いわく『位高ければ、務め多し』である。

 文菊師匠は、その品格故に、その品に伴うあらゆる義務を強制されているのかも知れない。それは、観客が無意識の内に求める、『凄いものを見せてくれる』という期待に、応えなければならない、という義務である。否、義務という言葉は不適切であろう。だが、文菊師匠は文菊師匠であるがゆえに、文菊師匠としての任を与えられていると思うのだ。

 そして、文菊師匠は常に、観客の想像を超えて進化し続けている。もはや他の追随を許さない宿命を背負っていると言っても過言ではないと思う。

 そんなことを伺うことは出来ないけれど、私はただただ文菊師匠には敬服する。あんなに素晴らしいネタを、毎回、3か月のペースで卸しているし、そこに一つの言葉の淀みも無いのだから、これは殆ど神業に近い。

 正に、ノブレス・オブリージュの肖像を落語として見ているような、文菊師匠だけが有する高貴さに目を奪われ、心が震え、鳥肌が立った一夜であった。

 そして再び、『お直し』を見た時に、後半に抱いた気持ちを改めて書くことにしよう。そう、これもまた一つ、ネタ卸しの楽しみとして取っておこうではないか。

 さて、この『お直し』がどんな風に形を変え、進化していくのか。前回の『百年目』同様、先が楽しみで楽しみで仕方がない。

 そうそう、これは5代目古今亭志ん生師匠の十八番のネタでもある。古今亭のお家芸にふさわしい。物凄い思いが籠った一席だった。

 次回は7月11日木曜日である。休んででも行って欲しい。そんな素敵な会だ。

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