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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

炬燵からマントル、そして氷風の大川への冒険~2019年2月8日 シブラク 20時回~

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広い野原、他には何もない。大雨が降ってきたら、お前さんはどうする?

 

吹き矢ですか? 鎖鎌だ!

 

7年越しの夢が叶いました

 

静かにしろぃっ!

 

寒波到来 前夜

寒い。とにかく寒い。冷蔵庫の中?くらい寒い。土曜日には『40年に一度の大寒波』がやってくるらしい。こちとら『100年に一度の講談ブーム』の熱で寒波なんぞ熱風に変えたるわいっ、とか思いつつ、通り慣れた道を通ってシブラクへ。

かなり大勢のお客様、そして圧倒的女性率、そして美人揃い。これだけでオジサンは満足なのであるが、今回は神田鯉栄先生が初登場ということもあって、かなり楽しみな会である。さらには『2018年 おもしろい二つ目賞』を受賞した柳亭市童さん、明るく軽やかな雷門小助六師匠、そしてトリはお馴染み文菊師匠ということで、もう「行くっきゃNight!」な会である。

受け付けで頂いた『どがちゃが』を読みながら、改めて月夜乃うさぎさんの流麗で美しい文章に「ああ、いいなぁ」と思い、落語通な方と書いてあるところに、「ひょっとして私かな」と勝手に思い込みつつ、開口一番はこの方。

 

 柳亭市童『天災』

去年の2月4日に鈴本演芸場早朝寄席で、市童さんの『天災』を聴いて以来、一年ぶりの『天災』。佇まいの貫禄、声のトーン、間、そして表情。全てが明らかに一年前より進化している。何よりも登場してから、落語の世界へと誘う雰囲気とリズムが心地が良い。

冒頭から荒々しい出来事が続くのだが、紅羅坊奈丸が登場する辺りからの会話が私は大好きである。粗野で乱暴な八五郎を順序立てて諭していく奈丸。穏やかな表情から一瞬、鋭い目つきで「おいっ!」と詰め寄る奈丸の表情の変化がとても素晴らしかった。

奈丸に諭されて改心(?)した八五郎の姿も素敵である。おっと、忘れていたが『天災』という話は簡単に言えば『乱暴な男が諭されて心を入れ替える』という話である。

私はこの話が大好きである。というのも、この話には人間の心の変化がとても気持ち良く温かく表現されている気がするからだ。同時に、それまでの自分の考えが、他人によってより良い方向へと進んでいくような、不思議に心に染みてくる話だと私は思っている。

これはどんなことにでも言えることなのだが、自分では『当たり前』だと思っている物事が人間にはたくさんある。人に会ったら挨拶するのは当たり前、人に親切にしてもらったらお礼を言うのは当たり前というように、人間にはどこかに共通した『当たり前』を持っている。

八五郎の場合は、『水をかけられたら、かけてきた小僧を殴る』ことや、『瓦が落ちてきたら、その瓦を施工した職人を怒鳴る』ことは『当たり前』のことなのである。その『当たり前』を認識させた後で、奈丸は「では、何もない広い野原で、雨が降ってきたらどうする?」と尋ねる。すると、なんだかんだあって八五郎は「うーん、仕方ねぇ、諦めるよ」と言う。ここに、八五郎の『当たり前』を転換させる見事な論が展開されていく。

奈丸の教えを受けて、改心した八五郎が微妙に上手く行かないところも面白い。何か新しい考えに感銘を受けた人は、それを考える以前の行いによって他者から評価されている。

八五郎の奥さんは「あんたが喧嘩の場にいなくて良かった」と言われ、喧嘩をしていた友人のところに行くと、「うわっ、面倒くさいのが来た」みたいなことを言われる。可哀想な八五郎だと思うが、八五郎は気にすることなく、奈丸の教えを友人に伝えようとするが失敗する。何か新しい考えに感銘を受けた人の、その最初のつまづきのようなものが表現されていて、なんだか憎めない。

現実社会で言えば、ZOZOTOWNの前澤社長も、以前はツイッターで一般の人に暴言を吐いた時期もあったが、100万を配った辺りで賛否両論が巻き起こった。どうしても、それまで人が試みたことの無いことを行う人というのは、様々な方面から意見を言われてしまうものである様子。行為の善悪は別として、『天災』という演目には、今までの考えを改めた人の成長と失敗があるような気がするのだ。

 

雷門小助六井戸の茶碗

続いて登場は小助六師匠。優しいお顔立ちと軽やかな語り口で語られる朗らかなマクラ。真っすぐで正直だと言いつつ、浮世を楽しんでいるようなさらりとした雰囲気から演目へ。

この話は簡単に言えば『究極の物々交換』というような話で、前回の文菊師匠の記事でも書いたかも知れないので、あまり詳細は書かない。

助六師匠らしい淡々としつつも、随所に笑いどころが挟み込まれ、さらりとして軽やかな一席である。

市童さんと小助六師匠には、炬燵に入っているような温かさを感じた。蜜柑でも食べながらゆっくりと聞いて、「ああ、いいなぁ」と思う演目が続いて、インターバル。

 

神田鯉栄『三遊亭白鳥作 鉄砲のお熊』

渋谷らくご初登場にして、燃え上がる炎のような高座が超カッコイイ鯉栄先生。『一人スカッとジャパン』とか『爆炎を上げるインパラ』などなど、様々に例えているが、燃えていることには変わりない熱い講談師。

小さな体からは想像も付かない勇ましさと、巻き舌で畳み掛けるような口跡が実に素晴らしい。張り扇の勢いとともに、気迫の佇まいで登場。

そんな燃え上がる炎の講談の前に、マクラでは失恋話。私が鯉栄先生の話の中の男性だったら、逆にギャップにやられて感動するんだけどなーと思いつつ、恥ずかしそうに語る姿にドキがムネムネでした。

淡い恋のマクラから、相撲の話ということで演目へ。白鳥師匠作の『鉄砲のお熊』へ。

シブラクに出ることが出来た嬉しさを感じる激アツの一席。特に主人公の女力士おみつ(お熊)や、女形では天下一品の役者時次郎(千之丞)の恋がとても面白く展開されていく。まるで一本のドラマを見ているかのような、怒涛の恋模様が繰り広げられていた。

もしも次回シブラクに出るとしたら、清水次郎長伝や流れの豚次伝も聞いてみたい。とにかく流れるような江戸弁と、しゃがれた声、そして巻き舌。これらを思う存分堪能したい。そう感じさせる渾身の一席だった。

炬燵でぬくぬくしていたかと思いきや、いきなり地球の核『マントル』まで連れて行かれ、その熱で心がボウボウと燃え上がるような灼熱の一席だった。

 

 古今亭文菊『夢金』

完全にネクストレベルの文菊師匠。お着物から声のトーン、リズムまで、もはや老齢な達人の領域に達しようとしている気持ちがガンガンに溢れ出しているかのような、強烈な雰囲気を醸し出しながら演目へ。

この話は『強欲な男の話』というくらいに留めておく内容。出てくる登場人物も欲の皮の突っ張った人たちが登場する。

もはや文菊師匠の真骨頂とも言うべき淀みの無い流麗な言葉の数々、そして登場人物の表情の機微、所作。強欲な熊の金に対する態度、謎の侍と美女。サスペンスチックな物語の中で、熊の強欲さに何とも言えない味わいがある。

なぜそれほどまでに大金に熊はこだわるのか。語られることは無いが、博打やら女遊びやらで、かなり金遣いの荒そうな人物である感じが伝わってくる。侍と女を船に乗せて船頭をやっても、やたらと文句ばかりで真面目に仕事をしない。とことん金に目が無い性格が描写される。寒い大川を渡る場面の錦絵のような風景が目に浮かんできて、先ほどまでのマントル級の熱さから、突然、氷風の大川へと場面が展開したことによって、演芸で風邪を引きそうなくらいの温度差である。僅か数分でこれだけ寒暖の差があると、もれなく演芸熱に悩まされそうだ。

じっくりと丁寧な語り口、そして侍を騙して逃げる熊の姿。不思議な恰好良さがある。強欲な人間が大金を手にするのか、、、と思ったところで、最後は静かな幕切れである。

聞き終えた後の何とも言えない胸のザワザワ感。熊や侍や女について、それまでのことがあまり深く描写されていないからこそ、謎が多く残る一席である。サゲは演者によって異なるようで、文菊師匠の型は三三師匠から受け継いでいるのだろうか。

Youtubeで違法に上がっている動画が霞むほどの名演。やはり完全にネクストレベル、ネクストステージへと昇りつつある文菊師匠。ますます凄まじくなっていく文菊師匠は、見逃し厳禁です。

 

総括 温度差が凄い大冒険

炬燵から地球の核、そして最後は氷風に身を引き締められる。私がブリだったら氷水で締められて美味しいだろうな、と思うほどに温度差が物凄い会だった。

市童さんの大進化と、小助六師匠の軽やかでさらりとした温かさから、喜び爆発で灼熱の鯉栄先生、そして強烈な氷風とともに笑いを起こして去っていく白銀の文菊師匠まで、とんでもない会だったなと改めて思った。

これからも鯉栄先生にはたくさんご出演されて欲しいし、文菊師匠は物凄い勢いで名人に達しようとしているし、もうね、凄まじすぎて言葉が追い付かない。

まだまだシブラク。凄まじい。