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渡辺美里な人達の速度~2019年2月16日 深夜寄席~

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羽を光らせ羽ばたいて

 

鯉は舟乗り 滝昇り

 

ぐんぐんぐんぐん 伸びるべえ

 

小痴を楽しみ  笑う人

 

この胸に深々と突き刺さる矢を抜け

新宿の街を歩いていると、擦れ違う男女の笑顔が眩しすぎて自分がくすんでいる気がしてくる。

服装一つとっても、グッチやバーバリーなどのお洒落な高級ブランドを身に纏ったハイセンスな準モデル級カップルが街を闊歩するのに対して、山袴に手拭いにタンクトップこそが永遠のスタイルというような田舎者くらいの、圧倒的なくすみ具合を自分に対して感じ、山下清VS志茂田景樹くらいのファッションセンスの差を感じてしまって泣きたくなってくる。

食べ物だって、こちとらどこの誰が握ったかも分からない塩っ気たっぷりのおにぎりを食すのに対して、フォークとナイフと蟹甲殻類大腿部歩脚身取出器具を使ってコース料理を楽しむ人を見て指を咥えるくらいの差がある。

要するに、新宿という街は私にとって、圧倒的なセンスと輝きの差を見せつけられる危険な場所なのである。

だから私は、ついつい誰からも答えの返ってこない問いを頭の中で繰り返し、自分のセンス、自分のくすみ具合を少しでも磨き輝かせようとする。その問いは私の胸に突き刺さって離れない。その矢を引き抜くことが、自分のセンスと輝きを知るための唯一の方法だった。

では、その矢とはどんな問いかというと、以下の三つになる。

 

・自分の才能が分かり始めたマイレボリューションの後で、明日を乱せないまま大人になって、誰にも伝えられずに涙を零し、夢を諦めた人がどれだけいるんだろう。

 

・現在進行形で夢を追いかけ、たやすく泣くことも無く、夢に対する恐怖を抱きながらも走り出している人が、この街にはどれだけいるんだろう。

 

・革命を求めることが出来ず、自分の生き方さえも分からず、誰とも見つめ合うことの出来ない人、非渡辺美里な人達が、この街にはどれだけいるんだろう。(非渡辺美里は、渡辺美里に非ずの人だから、渡辺美里以外の人は全員非渡辺美里な訳だけども)

答えは返ってこない。では、この三つの矢を抜くためにはどうしたら良いか。

それは、新宿末廣亭 深夜寄席に行って二ツ目の落語を見れば良いのだった。

 

笑福亭羽光私小説落語 悲しみの歌』

冒頭から突拍子も無いことを言うが、羽光さんは顔がエロい。

絶妙に童貞を拗らせて生きてきた気がするから好きだ。

会場を見渡し、客層を眺めながら、淡々と静かな語り口で、急に爆弾のようなエロさを放り込んでくるところが最高に気持ちが悪くて心地よい。

この話は、簡単に言えば『中村君が仮死状態で女子の人工呼吸を求める』という話で、短いのだけれど、男のあらゆる願望が詰まった一席である。

身体能力は低いのに、性欲は強かったり、むさくるしい男の接吻は体が拒否し硬直するのに、女子が接吻するとなると体の緊張が解けて赤ん坊のようになる主人公、中村好夫、すなわち笑福亭羽光さんの青春時代の姿が描かれる。

脇を固める友人の松尾と松田の性格もさることながら、泳げない好夫が碁石を拾うだけなのに溺れて意識を失ったり、なぜかプールを飛び出しグラウンドへと転がって行ったり、女子がひたすらに好夫との人工呼吸を拒んだりと、笑える小ネタとリアリティが詰まっていて、初めて私小説落語を聞く人にもわかりやすい設定だった。

晴れて女子の人工呼吸を受け、蘇生した後の中村君の罪の無い「あれ?僕はどうしていたんだっけ?」みたいな言葉が面白かった。

非モテ男子の切ないリビドーが迸った短くも濃い一席だった。もしかしたら、新宿を闊歩するハイセンスな男女には一生分からない落語かも知れないとも思った。

笑福亭羽光さんは、自分の才能が分かり始めたマイレボリューションの後で、もがき苦しみながら明日を必死に乱そうとした。数少ない友人に支えられ、自分の才能に気づき始めた青春時代を、私小説落語にするという形で昇華した素晴らしい落語家さんだ。

羽光さんの落語を見て、最初の問いに答えが出た。

羽光さんのように、自分の青春時代を落語に昇華させることの出来なかった人は、数多くいるのだろう。だからこそ、羽光さんの落語は、そんな夢を諦めてしまった人達のために、必要な落語なのだと思った。

行き場の無い性欲に満ち溢れ、女子との恋にときめきながらも、実ることの無い恋の想像を抱えたまま大人になった人達のために、私小説落語は輝いているのだ。このセンスは、エロくて、モテなかったからこそ、誕生したのだと思う。私はそう勝手に思っている。

 

瀧川鯉舟『壺算』

登場して第一声が「みなたん、今日は」みたいに聞こえて、思わず笑いそうになってしまうくらい雰囲気のやわらかい鯉舟さん。本当は「みなさん」と言いたかったのだと思うのだが、私にはそう聞こえた。

以前、笑福亭たまさんの独演会で、コッテコテの落語ファンの厳しいアウェイな視線を浴びながらも『幇間腹』を披露した鯉舟さん。今回は深夜寄席初登場ということもあって、若干緊張されていた様子だったが、見事な表情と滑舌で乗り切った素敵な壺算だった。内容は簡単に言えば『瀬戸物屋を騙して甕を買う』という話だ。

恐ろしいほど会場が静かだったたまさんの独演会での『幇間腹』に比べると、客席も温かくてかなりウケていた。

その時、二つ目の問いに答えが出た。

鯉舟さんは、現在進行形で夢を追いかけている落語家さんだ。たとえウケない会場があったとしても、泣くことなく、諦めることもなく、むしろ逞しく明るく高座に立って演目をやり続けている。きっと、この先どうなってしまうか、という恐怖を抱いているかも知れない。それでも、高座に立ち、楽しそうに客席の反応に乗せられながら、淀みなく独特の滑舌で進んでいく壺算はとても面白かった。

自分で決めた名を立派にするために、今も邁進し続けている鯉舟さんの爆笑の高座。とても心地が良くて、やわらかくて、穏やかな気持ちになった。

 

桂伸べえ『熊の皮』

ずっと凄い伸べえさん。今日は羽織をいつの間にか脱いでいたし、お馴染みのマクラも風格と自信が漲っていて、「うおお、今日は超本気モードだ!」と思って心の中でゾクゾクしていた。

特に大学のマクラで拍手喝采が起きた時の、マイクに触れ、俯きがちでにやりと笑いながら、位置を直す伸べえさんがめちゃくちゃカッコ良かった。

前に寄席で見た時は「いやいや、ここは拍手もらうところじゃありませんから」というような謙遜の感じだったのだが、今日はさりげなく「ああ、ウケたな」と確かめるような表情がめちゃくちゃカッコ良くて、私はかなり震えてしまった。

今までで一番自信が漲っているマクラだった。失敗しても大丈夫。その失敗は必ず糧になると私は信じている。凄く凄く進化し続けている伸べえさんを、私はこれからも応援し続けます。

そして、普段よりも随所にアレンジが挟み込まれ、輝き続けた『熊の皮』。内容は簡単に言えば『正直な甚兵衛さんが赤飯のお礼を言いに行く』という話。

今まで聞いたことも無かったフレーズとエピソードが挟み込まれていて、それが抜群に面白かった。自分の中で物語を落とし込み、さらに笑いを追加する姿勢も素晴らしいのだが、声の間とテンポ、そしてトーン。唯一無二のフラと相まって爆笑必死の最高の一席だった。会場もドッカンドッカンウケていた。

伸べえさんは名前の通り、どんどん伸び続けている。去年の深夜寄席からずっと見ているけれど、凄まじい成長である。これこそ、二ツ目の落語家さんを追う醍醐味だと改めて思った。

同時に、少し遠い存在になってしまったのかも知れないとも思った。色んな人が伸べえさんの高座に出会い、その凄まじさに気づいていく。私の役目は微々たるものかも知れないと思った。

それでも、三つ目の問いに答えが出た。伸べえさんは革命を求めることも無ければ、自分の生き方を決めることも無ければ、誰とも見つめ合うこともない。ただ自分自身の落語、高座、自分自身と戦い続けている。伸べえさんは非渡辺美里であって、伸べえさんなのだ。

ありのままに、自分という存在に忠実に生きている桂伸べえさん。段々と自分という存在を肯定し、風格を漂わせる伸べえさん。今日は素晴らしい高座だった。本人はきっと「まだまだです」と言うかも知れないけれど、常にその「まだまだ」の気持ちを更新し続けて、面白くなり続けている。本当に凄いよ、伸べえさん。

私にとって伸べえさんは、落語の可能性を拡げ続ける凄い落語家なのだと、高座を見る度に思う。どんどんどんどん新しい言葉が追加されたり、声や間、トーンが変わったり、その変化を見ることも楽しい。

何度同じ話を聞いても面白い。最高の落語家の一席だった。

 

 柳亭小痴楽『あくび指南』

自分の行いをひたすらに積み重ねることが、マイレボリューションなのだ、と小痴楽さんの高座を見ていると思う。渋谷らくごで「俺は今日はあくび指南がやりてぇんだ」と、演目にあまり関係の無いマクラから、急に演目に入ったのが約一年前くらい。正確には去年の3月9日。そのちょっと前に確かネタ卸ししたのが『あくび指南』だったと思う。

そこから磨きに磨き続けて進化した『あくび指南』。改めて柳亭小痴楽という落語家の、落語に対する真摯さというか、真剣さを感じた地味に凄い意志を感じる一席。

たった一つの演目でも、手を抜くことは無く、むしろ試行錯誤しながら高座にかけ続ける姿に、小痴楽さんの凄まじい意気込みを感じた。同時に、模索しているのかも知れないとも思った。

確か三遊亭白鳥師匠だったと思うのだが、自分の高座を録音し、ウケた部分とウケなかった部分を聴き直して、がらりとネタの構成を変えるということをしている落語家さんがいる。

同じように、小痴楽さんも『あくび指南』をやり続けることによって、自分の中で最もしっくりくる部分を探しているのかも知れない。そして、何よりも『あくび指南』という演目そのものを楽しもうとしている。そんな嬉しそうな姿を見たように私は思った。

革命は一夜にしてならず。様々なことを積み重ねて、積み重ねて、いつの間にか起こっているものなのかも知れない。真打に向けて、色んな話を覚えることも大事かも知れないが、軽い噺で魅せることに挑戦しているのかも知れない。

言動やファッションが取り上げられがちだけど、誰よりも真摯に落語と向き合い、自らの芸を磨き続けている小痴楽さんの凄まじい意気込みに万感の拍手を送って一席が幕を閉じた。

必ず、真打披露興行には行く。どんな演目をやるのか、今からとても楽しみだ。

 

 総括 想像も付かない速度で

末廣亭を出ると、再び活気のある飲み屋が目に入った。その中で、人々は酒を酌み交わし、顔を赤らめながら笑いあっている。目を輝かせて酒を飲んでいる。

そうだ、自分がくすんでいるんじゃないんだ。自分も輝いているんだ、と私は思った。一人一人が、光り方は違うけれど、誰もが輝いているんだ、と思った。

それは、深夜寄席で四人の高座姿を見て感じるものがあったからだ。自分の青春を昇華させた羽光さん、緊張しながらもめげない鯉舟さん、ありのままの自分で勝負する伸べえさん、堅実に芸を磨き続ける小痴楽さん。

想像も付かない速度で、芸に磨きをかけている四人。芸歴は違うけれども、自分の芸を磨き、高座に上がり、お客様の前で一席を披露することは同じだ。そして全員が、楽しい空間を共有したいと思っているのだ。

ぐんぐんと芸は伸びて行く。どんどん凄くなっていく。

私も四人の姿に感化されて、成長することが出来ているのだろうか。私は私のマイレボリューションを分かり始めているのだろうか。

もしも分かり始めているならば、たやすく泣いたりしない。自分の本当の悲しみを、自分で癒しながら前に進んでいく。

明日を乱すために、誰かにこの思いを伝えるために、私は頑張ろう。

渡辺美里な人なんていない。みんな、渡辺美里なんだ。マイレボリューションなんだ。

そんなことを思いながら、私は家路へと急いだ(なんか着地点違う気がするけど・・・)