白さと軽さと心地よさと~2019年2月11日 立川左談次を偲ぶ会~
今日のためにね、一所懸命に稽古してきたんだから
白猫一匹 座布団の上
ある夜。万雷の拍手に迎えられ、舞台袖から大きな白猫が一匹、まるで座布団の上に寝転がるかのようにして現れた。真っ白な顔には居心地が良さそうな笑みが浮かび、嬉しくて堪らない時に多くの猫がそうするように、喉を鳴らして白猫は言葉を発した。
「若きカテーテルの悩み」
不思議に揺れた白猫の声が、霧のように会場へと染み渡っていく。どうやら何か病気を患っていることが分かった。私は初めて見たから、最初はなんだかわからなかった。でも、椅子に座して舞台にいる愛らしい白猫の姿を見ていた私は、笑い声をあげて白猫に拍手を送った。
「今日のためにね、一所懸命に稽古してきたんだから」
そんなことを言って、白猫は様々に表情を変えたり、声を変えながら『厩火事』という落語の演目をやった。白猫は、とても美人な女性に化けたかと思えば、博識な老人に化けたり、遊び人の男に化けたりもした。その表情はとても嬉しそうで、気持ち良く縁側に寝転んで微睡むかのように、座布団の上で話をしていた。
「白いなぁ」
私は心の中でそう呟いた。まるで舞台の後ろにある黒い背景にスッと消えて行ってしまうのではないかと思えるほどに、白猫は白かった。痩せ細っていながらも、その笑顔には不思議な柔らかさと、透明さがあるように私には思えた。
雲のような軽さと、壺の中で僅かに震える透明な氷のような声を持つ愛らしい猫は、おどけたように最後のオチを言って、舞台袖へと戻っていった。
あとで、気になって白猫の名前を調べてみた。それは、人間の姿をした白猫ではなく、れっきとした噺家で、立川談志の弟子で、唯一無二のフラと軽さを併せ持ち、芸歴五十年にもなる真打だった。
私の中で、大きな白猫の姿がゆっくりと形を変えた。
立川左談次、その人との最初の出会いの夜だった。
白猫が去った後で、古今亭文菊師匠は『死神』を演った。何も言わずに、ただ神様には色んな種類がいるのだというようなことを言ってから、『死神』は始まった。何か言いようのない、強い思いを私は文菊師匠から感じた。
間抜けな呪文を聴いていると、なんだか不思議な感覚に陥ったのだ。
今になって思えば、死神を吹き飛ばすための呪文は、立川左談次師匠へ向けての言葉だったのではないか、と思った。『死神』の主人公は、欲に目が眩んで人の命を助ける。助けたことによって、自らの命を失うのだ。
言外に『命の蝋燭の長さを伸ばしたい』というような思いが感じられて、野暮だとは思いながら文菊師匠の見えない言葉を見たような気がした一夜だった。
『軽さ』の大切さ
「森野くんは言葉が軽いね」
先輩の呆れたような声に、私は戸惑った。
「もっと良く考えて発言をしなよ。返事ばっかり良いけどさ」
私は頭を下げて「すいません」とだけ言って謝った。
物の弾みで言ってしまった言葉が、先輩を苛立たせてしまった。
私は反射的に言葉を返してしまう癖があって、それが人にはあまり物事を深く考えていない、表面的な、上辺だけの人間であるというように捉えられていた。
言葉に関して言えば、『軽い』ということはあまり良い意味で用いられていない。
軽口、尻軽、軽薄、軽佻、軽率、軽々しいなど、『軽い』ということは、浅はかで、薄くて、地に根を張っていない印象がある。
じっくり物を考えていると、速度が求められる場所では相手の時間を奪ってしまうことになる。ゆっくりと食事をしていると、相手が早く食べ終わったときに、待っていてもらわなければならなくなる。せっかちな人々が多い中で、私は自分でも無意識の内に、軽率で軽はずみな言動をする人間になっていた。
もっと重くなりたかった。厳重で、重厚感のある、言葉に重みのある人間になりたいと思った。けれど、そう思えば思うほど、他人の時間を奪ってしまうことが心苦しくなっていた。
要求された書類をすぐに作ると、粗が目立ったり、意味がちぐはぐになったりする。
他人から何か言葉を聞かれると、すぐに答えるけれど、答えが間違っていたりする。
そんな時に、相手の冷ややかな視線が胸に突き刺さってくる。
ああ、軽くちゃ駄目なんだ。軽いってことは、良くないことなんだ。
そう思い始めていた時に、私は立川左談次師匠と出会った。
あっ、と思った。その『あっ』には、立川左談次師匠の持つ『軽さ』が、私とは違う『軽さ』であることの驚きが込められている。
左談次師匠の『厩火事』は、とても軽かった。塩味で、薄くて、さらりとしていた。軽いことは良く無いと思っていた私にとって、それはとても不思議なことだった。
その不思議に答えが出ないまま、私は立川左談次師匠の『五十周年記念』の渋谷らくごに行った。そこで、『妾馬』を聞いたとき、私は自分の中に沸き起こった言葉をはっきりと掴んだ。
左談次師匠の軽さには、得体の知れないもの、すなわち、言葉以外の何かが滲み出ていた。それは、良い軽さだった。最高の軽さだった。落語という世界の中で、唯一無二の軽さだった。
軽妙
数多ある否定的な意味を持つ『軽さ』の中にあって、『軽妙』という言葉には、それら全てを覆す強烈な力があった。左談次師匠の発する言葉は、軽くて快かった。軽快だった。軽やかな言葉の運び、気軽にどこまでも歩んでいけるような、身軽さのある笑み、そして言葉。
「愛嬌がありゃ、軽くてもいい。むしろ、軽い方が楽だぜ」
もちろん、左談次師匠の言葉の『軽さ』は、稽古によって培われた洗練ゆえの軽さである。
『妾馬』を聞いたとき、私は、自分の軽さを肯定的に捉えるようになった。今は軽いと言われる言葉も、磨きに磨いて洗練を目指そうと思った。
「森野くんは相変わらず軽いけど、なんだか憎めないね」
先輩は諦めたのか、にやっと笑って私に言った。私は照れながらも「いやぁ、どうもすみません」と言葉を返すと、先輩は「まぁ、俺にもそんな時代があったよ」と言って笑って背を押してくれた。
人に支えられて、言葉は洗練されていくのだと私は思った。
少しだけ世界が生きやすくなって、これからもまだまだ左談次師匠の高座を見たいと思っていた矢先、2018年3月19日に立川左談次師匠が亡くなったというニュースを見た。
お礼を言うことが出来なかった。
その軽さに触れ続けていたいという思いも叶わなくなった。
あとで、ポッドキャストで『はじめてのさよなら』を聞いたとき、その声にならない声が胸に響いて辛かった。同時に、最後まで高座に上がり続けた左談次師匠の思いに、私は泣いてしまった。
高座での笑顔の左談次師匠の姿が何度も浮かんできて、その度に私の胸は締め付けられた。ラジオで聞いた『阿武松』の、微かに震えた声を聴きながら、おどけた様子で、にっこりと笑う左談次師匠の姿が浮かんだ。
もう会えないのだ、という途方もない悲しみに、私はぽっかりと胸に開いた喪失感を埋めるために、色んな噺家を聞いた。それでも、左談次師匠の落語は左談次師匠にしかできない。
今は『厩火事』と『妾馬』、この二席を生で見ることが出来て本当に良かったと思う。私に『軽さ』の大切さを教えてくれたのは、左談次師匠だった。
偲ぶ会 ふいに
たまたまツイッターを眺めていたとき、立川左談次師匠を偲ぶ会が開かれていることを知った。これは行かなければならないと思い、すぐにメールを送った。
当日のお江戸日本橋亭には大勢の観客が押し寄せていた。こんなにも立川左談次師匠を思っていた人がいたのかと驚いた。
会場は大入り満員である。それほど、左談次師匠は愛されていたのだ。
同時に、かなり大勢の客が押し寄せたことによって、主催の鈴々舎馬桜師匠が急遽謝罪するほどだった。これも立川左談次師匠のイタズラかも知れないと思って、私は嬉しくなった。もちろん、会場に集まった大勢の誰一人として、馬桜師匠を責める人はいなかった。むしろ、「サダヤンのいたずらだね」と笑っている人が多かった。
そんな、嬉しいいたずらの後で、いよいよ偲ぶ会が始まった。
鈴々舎美馬『穴子でからぬけ』
鈴々舎馬風門下の見習いで、背が低く、円らな瞳で老齢な紳士を一撃で魅了した美馬さん。「私も昔はあんな感じだったわよ」と婦人の嫉妬を買いかねない美貌。この話は『兄に弟が賭けをして騙す』という内容なのだが、実に可愛らしくて、愚かにも私は「この子になら騙されたい」と思うほどに可愛らしかった。愛嬌は罪を消し去る。そんな素敵な一席だった。左談次師匠に『軽さ』があるとすれば、美馬さんには『可愛らしさ』がある。そんな風に思った。
鈴々舎八ゑ馬『つる』
上方落語家と思いきや、鈴々舎馬風門下の八ゑ馬さん。心地よい関西弁とリズム。確かな技術と、見事な言葉展開で、左談次師匠を偲ぶ会に花を添えた。恐らく玄人の落語通が揃った中で、見事にその役目を果たしていた。
鼎談~立川左談次師匠を偲んで~鈴々舎馬桜 五街道雲助 春風亭一朝
鼎談の内容については、記さない。これはあの場だけのものにしたい。
私の手帳の中にはあるので、知りたい人は口外しないことをお約束として
メッセージを送らせて頂きます。
左談次師匠の人柄、エピソードもさることながら、私は雲助師匠の言葉が
一番感動しました。
仲入りの後で、今回の主催者が登場。
鈴々舎馬桜『大安売り』
左談次師匠が上方から移入した噺だそうで、三遊亭歌奴師匠や三遊亭兼好師匠にも受け継がれている話だ。今の型は馬桜師匠の型であるらしい。
この話は簡単に言えば『力士が自分の取り組みの内容を言う』という内容である。左談次師匠がやっているのを聞いたことは無いが、不思議と惹き付けられる話である。
力士の軽さに対してヒートアップしていく尋ね人の姿が心地よいし、結構酷い負け方をしているのに、がっかりする様子もなく、微動だにせず自らの取り組みを語る力士の姿が妙に心地が良い。
馬桜師匠が醸し出す絶妙のふんわり感の奥に、左談次師匠の軽やかな姿と笑みを浮かべて胸が締め付けられた。
ああ、もっと色んな話を左談次師匠で聴きたかったなぁ。
その名残りを馬桜師匠に感じながら、最後は見事なオチで、一つの話に籠る左談次師匠の心意気を感じる素晴らしい一席だった。
春風亭一朝『宿屋の富』
左談次師匠のことを「さだやん」と呼びながら、思い出話を語る一朝師匠。その嬉しそうな笑顔で始まった『宿屋の富』。
一朝師匠には『可愛らしさ』があると思う。完全にベテランの域に達しているのに、何とも言えない可愛らしさがあって、厳格さのようなものはあまり感じられない。むしろ、自分の道は自分で決めるというような、線が細くもしっかりとした強い意志が感じられる。
この話は簡単に言えば『富くじに関連した騒動が起こる』という内容で、本当はお金が無いのだけれど、大金持ちで、金が無くても暮らしていけるほどの金持ちだと嘘を付く男と、その嘘を信用する宿屋の店主との会話が面白い。
金が入ることを毛嫌いする素振りを見せながら、結局富くじを買ってしまう男が店主の去った後で、「はぁ、これでとうとう一文無しになっちゃった」というような独り言を呟く様子に、可愛らしさとともに寂しさというか、哀れさが滲んでいて、不思議な悲しみに笑ってしまう。
会場は全体的に温かいお客様、良く笑うお客様がいて、終始ドッカンドッカンとウケていた。中盤で『富が当たったら、どうする?』みたいな会話をする人々の姿も、リアリティと同時に妄想が全開で、「現実にもいるよね、こういう人」という感じがとても面白かった。何よりも一朝師匠の可愛らしさが見ていてとても楽しい。さっぱりとした落語の世界でわちゃわちゃと楽しんでいる感じが何とも言えないのだ。
終盤で、富くじが一等であると一文無しの男が気づく場面がある。一等に気づくまでの場面が物凄く面白い。下手をすれば嘘くさくなりがちなのに、全く嘘くささが無い。それどころか「どうなっちゃうんだろう。どうなっちゃうんだろう」と見ているこっちが惹き付けられてしまうほどに、可愛らしくて魅力的な主人公。そして一朝師匠の目がかっと見開いて「当たったー!!!!」と叫ぶシーンには、言いようのない興奮が押し寄せてきて、まるで自分も一等に当たったかのような錯覚を覚えた。
一等の富くじに当たってからの人間の心模様も見事で、抱腹絶倒の素晴らしい一席だった。こんなに笑った『宿屋の富』は初めてだった。
実はCDが配られていて、そこには立川左談次師匠の『宿屋の富』と『付き馬』が収録されている。これが実に素晴らしいので、聞いていない方には是非聞いて頂きたい。借りたい人は私にメッセージを頂ければ、お貸し致します。都内限定です。
五街道雲助『付き馬』
雲助師匠は私にとってはウイスキーな人です。
樽の中で熟成されたウイスキーを飲んでいる感じと言えば良いと思う。
渋くて粋なチョイ悪(死語?)な姿もさることながら、耳に心地よい低音ボイス。にかっと笑った時の表情が夕陽のような明るさ。
そんな雲助師匠の『付き馬』ときたら、とにかく面白くて、会場は爆笑の嵐に包まれた。
この話は簡単に言えば『集金に来た男を煙に巻く』という内容である。
畳み掛けるように言葉を発しながら、様々な風景を描写したり蘊蓄を挟みながら闊歩する借金を抱えた男、その金を何とかして頂こうとする男の不安な様子との対比がとても面白かった。
出来ることなら私は「雲助師匠に連れまわされたい」と思うし、『五街道雲助 付き馬ゆかりの浅草ツアー』があったら絶対申し込むし、「どうだ、今日は仕事を切り上げて飲みに行くか!」と言われれば、何軒でも梯子して、梯子を外されて帰れなくなるくらいに酔いたいとも思う。
それほどの魅力と語り口が『付き馬』の主人公で、金を払わないようにする男にあった。物凄く音源が欲しいと思うほど、最高の『付き馬』である。
後半に、集金係の男が騙される場面があるのだが、これが怒涛の勢いで会場に爆笑を巻き起こした。一言発するごとにドッカンと笑いが起こる。集金係の男にとっては可哀想な結末なのだが、なぜだか爽快感がある。あの爽快感が不思議である。
また、最後のオチのトーンが最高である。うわぁっ、痺れるっ!と思うほど、カッコイイオチである。お金を誤魔化してかなり悪いことをしているのだが、不思議な爽快感があるのは、お金を払うことなく逃げた男に対する憧れの気持ちだろうか。
白酒師匠じゃないが、私の心は「くもすけっ!くもすけっ!」とときめく気持ちでいっぱいになった。
これもCDで立川左談次師匠の音源を聞いた。最高である。とにかく喋りまくる。そして最後にはオチ。くうう、カッコイイ。となぜか思う。そんな爽快な一席だった。
最後は三本締めで終了。雲助師匠の言葉が粋で「さだやんの冥途の弥栄(いやさか)を祈って」みたいなことを言った時には痺れた。今、間違いなく粋な言葉を知っている雲助師匠。3月上席の夜の部が楽しみでならない。
総括 いつも心にある人と
笑い過ぎて頬骨が痛くなった帰り道。私は左談次師匠に思いを馳せた。いつも思い浮かぶのは、笑顔の左談次師匠の姿だ。
本当に最後の僅かな期間だけしか、その高座を見ることは叶わなかったけれど、色んな人に愛されて、そして魅力的な人物であることが分かった。
数々のエピソードを聞き、またCDで左談次師匠の落語を聞き、私は左談次師匠が心の中で生きて行くのだと思った。それが今はとても嬉しい。
CDの音源に息づく左談次師匠は、相変わらず白猫のように愛くるしくも飄々とした姿で、座布団の上で心地よさそうに喉を鳴らして言葉を発している。
いつも心にある人と、いつも生まれる笑顔とともに、私はこれからも生きて行こうと思うのだ。
そして、渋谷らくごの3月興行では、立川左談次師匠の追善興行が行われる。私にとって思い出深い『妾馬』も映像で流れるとのことだ。
多くの人に立川左談次師匠に触れてもらいたい。映像でも十分に伝わるほどの軽さを持った人だ。
もしも、あなたが軽さに悩んでいるのだとしたら、きっとその軽さを肯定してくれる筈である。笑える冗談とともに、満面の笑みを浮かべながら、あなたを肯定してくれるだろう。
もちろん、私も行く。
そうだ、立川左談次師匠は生きているのだ。
私の胸の中で。
そして、映像や音源、どんなことでもいい。左談次師匠に纏わる話を聞いたとき、あなたの中で立川左談次師匠は何度でも生まれるのだ。その笑顔と、軽やかな姿で、白く、清く、心地よく。
3月は忙しいけれど、楽しみが多い。
待ってますよ。立川左談次師匠。あなたの素敵な高座を。
あなたの生きた、この世界に溢れる笑顔を思いつつ、
そして、素敵な演芸との出会いを祈りつつ、
立川左談次師匠の冥途での弥栄を願いつつ、
この記事を終わります。