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もう駄目だ。独裁は止まらない~4月14日 シブラク 17時回~

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BIG CHANGE is GOOD(?)

  どうした、森野

 人々が殺し合いに注いできた情熱を洋服とセックスに注ぎ込むような街、

 渋谷で、

 私、先祖が殺し合いに注いできた情熱を落語に注いでいる。

 何の生産性も無いし、敵はむしろ自分なんだけど、

 ただ笑うためにユーロライブに行って、ユーロビートを一切聞かずに、

 着物来た四人の話を聞いてる。

 これって、江戸城無血開城並みの平和な空気がある。

 慶喜もびっくりのやつね。

 ま、近くのホテルじゃ血が流れてるのかも知れないけど、

 私はただ口から息を出して、篠原ともえみたいな笑い声を発しながら、

 血を流すどころか涙流して笑ってるわけ。

 ラーメン屋じゃ汗流してる人がいるわけ。

 どこか異国のアルバイトさんがドラクエのレベルアップした時の音階で、

 「高菜ラーメン一丁~」とか言ってるわけ。

 ま、私から言わせれば『いっちょう』と言えば

 『いっちょうけんめい』なんだけどね。

 何回ユーロライブに来ても、ああ、いいなって思うのは、やっぱり雰囲気。

 大人の上質な空間っていう感じがね。

 私も大人になったなーっつって、

 森繁久彌じゃないけど「1回どう?」みたいなことを

 さらっと言えそうな空間っていうかね。

 アダルトな雰囲気があるのよ。

 カンパニー松尾とかがカメラ持って待機してる感じのね。

 シミケンとはぁちゅうが一緒に座席に座りながら、

 今晩のオカズはうどんかな?みたいなことを考えてる空間がね、あるわけですよ。

 でも時々、そりゃ先祖には申し訳ないなーっとは思いますよ。

 だって、欲望の多い街で落語聞いてるんだから。

 お前の行き場の無い性欲を落語で消化するなよって思われても仕方ないわけですよ。俺たちが殺し合いに注いできた情熱を落語に注いでんじゃねーぞっていう、先祖からのお叱りを受けても、反論すら沸き起こってこないわけ。

 でも、そんなことは微塵も頭を過らない。

 乗っちゃったメリーゴーランドは回るしか無いわけで

 一度乗ったらどれだけ速度が速まっても振り落とされないようにしなきゃならない。

 カメラ回したら、カメラは止められないわけ。

 文菊師匠が何かやるって言ったらさ。

 それはもうブンギク感激~って感じで、亡き西城秀樹にYMCAのサインを送るみたいに、

 私は文菊師匠に心の中でピースサインを送ってしまうわけ。

 シド&ナンシー、ボニーとクライドも敵わないくらいのピースをね。

 でもね、文菊師匠に出会う度に、

 人生ゲームで言えば「フリダシに戻る」みたいな感覚になる。

 文菊師匠に会う度にダンジョンで強烈な敵に一撃食らわされるトルネコみたいに。

 渋谷らくごで何回フリダシに戻り、レベルゼロスタートしてるか分からない。

 会いたくないと思うんだけど、会わないと禁断症状が起こる。

 私にとってコカインや麻薬よりも凄い中毒性のある文菊師匠。

 きっと渋谷という街のどこかでは、非合法な麻薬が売買されてるのかも知れないけど

 ユーロライブという場所に集まった落語好きな人々は

 合法的に、体全身に

 落語家という名の麻薬をぶち込んでいるのだということが

 今日、改めて分かってしまった。

 

 春風亭昇市 お見立て

 DNAの2割に佐藤浩市が入っている昇市さん。

 ということは、三國連太郎と石原とし子のDNAが一割入っていても

 おかしくないのだけど、

 喋ってみると全然浩市入ってなくて、どこいった浩市って感じで、

 生霊でもいいから降りてきてナイフベロベロしてくれ、とか思いつつ、

 顔と声のギャップが凄まじくて、

 最初に抱いた佐藤浩市のイメージは千里くらい離れて亡国のイージスなんだけど、

 さらっと青春とか妖怪と言うくだりは『新選組!』って感じで

 どことなくニヒルな浩市が浮かんでは消える雲みたいだった。

 ずっと見ていたら、これ浩市じゃなくて寛一郎の方じゃね?

 心が叫びたがってるやつじゃね?と思い始めたんだけど、

 田舎侍の感じが、ナイフベロベロの浩市っぽいんだけど、

 佐藤浩市いしいそうたろうの絶妙な中間、

 雲の絶え間を貫く光みたいな表情が素晴らしかった。

 出来れば次は、ナイフを持ってきてほしい。一回やってほしい。

 どうした、森野。

 

 古今亭志ん五 お菊の皿

 妖怪ウォッチに出てきそうな、年老いたジバニャン風の志ん五師匠。

 なんか野良猫を見てる感覚になる。よしよーしって頭撫でたい感じ。

 絶対にちゃおちゅーるとか与えたら食いついてくる愛らしさの志ん五師匠。

 志ん橋師匠ってそんなに声低かったっけ?と思いつつ、

 志ん五師匠の演じる志ん橋師匠の無邪気な発言が超かわいい。

 実際、志ん橋師匠って高座で見るとぬらりひょんっていうか、

 大きな使い古されたしゃもじみたいな人で、

 一龍斎貞水先生と宝井琴柳先生を足して二で割って落語家にしたのが

 志ん橋師匠だと思っているのだけど、

 志ん五師匠は滲み出る野良猫感、それもでっぷりと肥えて気だるそうに

 街を歩いて、たまに歩行者をちらっと見たかと思うと

 ぷいっとどこかに消えて行ってしまうような、

 そんな愛らしさがある。

 ネタに入ってからも、どこか和やかな雰囲気があって

 どことなくマッコリ飲んでる感じに近い心持ちになる。

 あの朗らかさって、やっぱり人柄なのかな。

 とても朗らかだったので、次は焼いたサンマとかを上げたい。

 きっとかぶりつくと思う。

 どうした、森野。

 

 瀧川鯉八 にきび

 この一席をやるときの鯉八さんって、変態催眠術師だな、と思う。

 独演会の時にネタ卸ししてた一席で、

 それはそれは、催眠音声!?ばりの快感を呼び覚ましてたし、

 聞いてる女子も「ゾクゾクゾク~」みたいな感覚を間違いなく抱いてるだろうし、

 年配の、それこそ年を重ねた婦人であればあるほど、

 「あら~もう~いやだわぁ~」みたいな色っぽい笑い声が起こって、

 鯉八さん、マジ、ありがとやーす。

 と心の中で仏壇に手を合わせるくらいの感謝をしてるんだけど、

 実際、噺に出てくるバアちゃん、絶対エロいよね。

 自分の快感のために、息子の顔面を犠牲にするって、相当、ヤバいよね。

 というか、ニキビの快感を滔々と説明するバアちゃん、マジでヤバイ。

 私のバアちゃんがそうだったら、正直引くし。

 あ、こいつもしかして、何人かの男性経験の後に、今のジジイとくっついたんだな、

 とか、ジジイ、魂抜かれたんだな、このバアさんに。とか

 いろいろ思ってしまうわけなんだけど、結局、女性って年を重ねて行くごとに

 エロくやらしくなっていくよねっ☆

 若い女子小学生には絶対聴かせちゃダメだと思うけど、

 問答無用でグレーゾーンに突っ込んでいく鯉八さん、カッコいいっす。

 正直、にきびという演目は、物凄いエロいし、ネタとして高座に掛けるのは

 物凄い勇気がいると思うの。高座に出ていきなり「パンティー」とか

 言うくらいの勇気があると思うの。

 鯉八さんはその辺りの空気を生み出すのが上手くて、マクラからマジックが

 始まってるわけですよ。許されるならやっちゃうでしょ?みたいな

 毎回聴く度に、私は鯉八さんに思う。

 もう駄目だ。独裁は止まらない。

 どうした、森野。

 

 古今亭文菊 三方一両損

 私、ここだけはふざけられないと思うので、真面目に書きます。

 いつもの中腰で登場の文菊師匠。座布団に座るまでの所作で完璧に空間の雰囲気を変えてしまう魔法。まるで天界から降りてきた天女の如く、先ほどまでの現代的な悦楽の世界を見事に断ち切り、一瞬にして江戸の色気で空間を塗り替える。左官屋であれば久住有生さんのような、百年後にも感動させるであろう完璧な所作。それは、五郎丸で言うルーティンであり、リズムを整えるための準備でもある。島田紳助氏が語る『語りのリズムは歩行の速度』という言葉にもあるように、文菊師匠は自らの身体から語りのリズムを作り出している。

 一声を発すればたちまち場は江戸へと移り変わり、唇が焦げ付くような怒涛の啖呵まで抑揚とともに淡々と言葉が語られる。言葉の緩急、高低は自由自在で、首元の鳥籠に棲むカナリアは今日も七色の声を発し、聞く者の耳と心を捉え、鮮やかに財布を届ける男の場面を描き出す。錦絵のような人と人との有様、そして見えないがガチガチと火打石のようにぶつかり合う人情。表情の変化と声色の変化をまざまざと見せつけられながら、笑うのではなく、思わず笑ってしまう芸の神髄を見る。

 今日の文菊師匠の声の張り具合は、寄席で見た時よりも一段と強く感じられた。これでもか!これでもか!と奮起するような、焼印の如き古典落語をバシーン、バシーンと心に押され、私の心は鐘の如くジーン、ジーンと響いてなる。何度、否、何億回見ても進化の止まらない文菊師匠。やや声の張りは控えめであったような気もするが、それでもどこかしなやかに、強靭な声と所作で見るものの心を爽快な気持ちにさせてくれた。

 出来ることならば、日曜日の夜の定番として、文菊師匠の啖呵を聞きたい。啖呵部分だけ繰り返し聞きたい。いずれ、大工調べを聞くことが出来るかも知れないと思うと、その日が待ち遠しくて仕方がない。三方一両損だと割かし短い啖呵であるため、わが心の啖呵欲は満たされず、大体家に帰って志ん朝師匠の大工調べを聞いて心を落ち着かせる次第である。

 常連さんにも初心者にも、完璧な落語を見せた文菊師匠。もう駄目だ。私の心は文菊師匠に独裁されてしまっている。もう独裁は止まらないのだ。それでもいい。文菊師匠であればどんな裁きでも受ける。

 

 総括 大きな変化を恐れずに(?)

 さて、冒頭はいつもと違う趣向で書いてみた。

 公開したが後悔はしていない。半生を反省しない。

 出来ることならば、いつも通りの文章を書きたいとも望むが、それだけではどうにも、マンネリ化して読まれないのではないか、という危惧がある。

 だから、つい下手を打って新しいことに挑戦してみるのだが、

 それもいかがなものだろうか、と書いてみてわかる。

 文菊師匠が古典にひたすら打ち込んでいるように、私は私の性格に即して

 自分の思う文章を書き続ければよいのではないか、と思ったりもする。

 時々、こうやって趣向の違う文章を書いて幅を広げようとはするのだが、

 それは自分の体操として用いるだけにしようかな、と思った。

 面白い文章が書きたいと望む反面、突拍子も無い文体はどうにも

 心が反発してしまい、書いていてあまり面白く無い。

 心に即して文章を書く。

 それが課題であったりする。

 いずれにせよ、物事はいきなり大きく変わることはない。

 文菊師匠が突然『にきび』をやって、鯉八さんが『紙入れ』を

 やることはない。遠い将来を考えても、想像できない。

 それでも、大きな変化を恐れずに書きたいものだ。

 って、自分語りになってるけれど、

 今日のシブラクも、最高でしたね。

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