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記録用とあとがき(解説?)~辛抱する木に花が咲く 渋谷らくご 2019年10月13日 14時回~

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きっと「なんとかなるさ」とあなたが

言ってくれたら 今日は素敵な

時間が過ごせるような気がする

だから笑って進もう

  

短歌百倍式

何が一番伝えなくちゃいけないことなのか。あの会で四人が伝えたかったことって何か?って考えた時に、『辛抱する木に花が咲く』という言葉が浮かび、そこに向かって書き始めて、記事になりました。正直、色々紆余曲折あったので、興味のある方は、お読みいただければ、幸いです。

今回は、短歌の形式を制約にして記事を書きました。

http://eurolive.jp/shibuya-rakugo/preview-review/20191013-1/

自らの文字数の増大を防ぐために、短歌の調べ、『五・七・五・七・七』の形にしています。コピーしてワードに張り付けると、それぞれの演者名を抜いて、単純な文章だけですと、

 

冒頭文 500文字

竹千代さん 700文字

桃太郎師匠 500文字

笑二さん 700文字

鯉栄先生 700文字

 

でピッタリとなっており、単純に短歌の文字数を100倍しただけなのですが、この文字数にした狙いはもう一つあり、それは日本人の情緒にも訴えられるのでは?と思ったことがきっかけです。

今月号の『どがちゃが』を見て、自分のレビューが載っていなくて愕然とした瞬間に、「あ、これ、文字数削らないと、一生載らないわ・・・」ということに気づきまして、じゃあ、平均して『どがちゃが』に載っている人はどれくらいの文字数なのか、と調べました。おおよそ4000文字以内のレビューが掲載されていたので、「なるほど、ここか・・・」と思って、じゃあいっそ、3100文字の『短歌百倍式』で書いてみるかと思いました。

これが、予想外に苦痛でした。なぜなら、言いたいことがわんさか、出てくるのです。冒頭のマクラだって、幾つか記載ネタはあったんですが、泣く泣く削りました。

そもそも、私の心の中には、ずっと一つの問いがありました。それは、

 

台風の後に、お前何やってんの?

 

という問いだったわけです。もう、それこそ最初、冒頭では「台風の後に演芸鑑賞なんて、自分でもどうかしている」みたいなことを書いていました。渋谷に人が少なすぎて、道玄坂を割とあっさり上れてしまい、思わずファミマでチーズ肉まんを買った話とか、台風の後の閑散とした状況で、ユーロスペースに来てる自分は、果たして真っ当なのか?っていう問いで、出だしはかなり苦労しました。

いわゆる『不謹慎狩り』だとか、『自粛ムード』って、目には見えないけど、あるじゃないですか。で、そこに対して『自虐』で逃げるのは簡単だな、と思ったんですよ。「台風の後に見に来て申し訳ない。だが、見たい物は見たいのだ。我慢などできようがない」みたいなことを書いたときに、「お前、開き直ってんじゃねぇよ」というツッコミが入りまして、「あ、こりゃ駄目だ・・・」と思って、しばらく筆が止まったのが、13日のことでした。

ラグビーを見ていた時は、『令和元年のラグビーボール』とか、思いついたんですよ。大江健三郎村上春樹ときて、私がパロってやろうじゃないか!っていう。

全部の出演者、ラグビー選手で喩えられるな、と思って、竹千代さんは沢木敬介さん、桃太郎師匠は稲垣啓太選手、笑二さんは書いたけど具智元選手、鯉栄先生は田中史朗選手とか、一応書いたし、なかなかの出来だと思ったし、『落語はラグビーボールと一緒だ。どこへ飛ぶのか分からない』っていうオチも見えたんですけど、前回と同じ手法(数学だけの比喩)だし、文字数も、最終的に記事にした文字数の倍になったので、自分では「超ええやん・・・」と思いながらも、バッサリカット。僅かに残したのは笑二さんだけになりました。

桃太郎師匠のところは、500文字の制限をかけていたので、割とあっさりは書けたんですよ。殆どマクラだったから、内容もかいつまんでしか記憶してなかったので。やたら、出囃子をたっぷり流すなーとか、出てきた瞬間の『森のクマさん感』が凄くて、「あー、こりゃパンダだわ」とは思いながら、稲垣の仏頂面を消して、パンダを採用しました。落語の初心者に、いきなりラグビーで喩えるって、今になって考えてみれば、結構危険だよな、と思いながらも、最終的にパンダで良かったと思います。

 

で、全体を通して、『辛抱する木に花が咲く』っていう思いが、一日空けた14日くらいの夜にやってきて、「うーん、こりゃ、自虐だとかラグビーだとか言ってる場合じゃねぇや」となりまして、全面的に言葉を削って、書き直しました。

台風後に自分に何ができるのか、ということを意識し始めました。あの会で、演者の皆さん、そして、何よりも鯉栄先生が伝えたかったことって何だったのか。と考えた時に、それはやっぱり『めげずに立ち上がる』ことなんじゃないかな、と思ったんです。おふざけで小ネタとか入れない方がいいや、って思ったんですよ。だって、台風の後なのに「ウェーイ!無事だったぜー!!!やふうう!!!」とか言ってるやついたら、無言で立ち去りません?私だったら「なんだ、あいつ・・・」って言いながら、自分もそういうやつなのだけど、そういうのは一旦置いとく。

で、冒頭を書き始めたときに、今の形に落ち着きました。渋谷らくごは開かれるんだし、行くんだし、書かなきゃっていう思いが沸き起こってきまして、「鏡の前で自己暗示をかけた」とか「行かざるを得ない状況だから行くんだし、モニターだし行かないわけにはいかないよね」っていう文章もざっくり削ってます。甘えるな、と思って。

書き直して正解だったな、と今は思います。

 

何よりも、今回は『植物』の喩えが自分でも良かったな、と思う点です。自画自賛かよって話ですが、竹千代さんのところは『松葉菊』だし、司馬遼太郎の喩えは、いずれ『紀州』とか『読書の時間』に出会った時に、同じように落語初心者の方が思ってくれたら嬉しいな、というちょっとした小ネタで入れました。

竹千代さんの話術って本当に凄くて、師匠の竹丸師匠も凄いだけど、弟子の笹丸さんとか、他の新作派の落語家さんには無い、竹丸イズムとも言うべき語りのリズムがある気がして、そこも語りたかったんだけど、無駄な情報になるな、と思って、バッサリ。『源平盛衰記』とか『紀州』とか、『本筋+余談』系の落語があるよーっていうのも書きたかったし、『源平盛衰記』と言えば談志師匠と初代三平師匠でしょーとか、思いながらも、これは竹千代さんの説明に邪魔になると思い削りました。

もうお気づきかも知れませんが、今回、色んなものを削ってるんですよ。桃太郎師匠のところは、春風亭昇太師匠や瀧川鯉昇師匠と同じ一門なんだよっていう情報も、『ぜんざい公社』という社会風刺の落語とか、ビートルズ好きなんだよっていうマニアックな情報も全部「いらないか・・・いや、どうかな・・・いや、いらないか・・・」みたいな行ったり来たりを繰り返した結果、ボツに。

やっぱりどう考えても基準は『落語初心者にも伝わる』っていう部分で、ここが大きな軸になっています。どんな分野においても、たとえどんなにそれに詳しくても全く知らないという心持ちで望まないといけない。そういう思いがあって、再び筆が動き出したのが15日でした。

15日には、本当に素晴らしい出会いがあって、何より、ビートたけしさんに死ぬほど笑いまして、意気揚々と家に帰って記事に向かったんです。

それまで、鯉栄先生のところだけ、どうしても納得が行かなくて、冒頭から笑二さんまで500→700→500→700で来てたんですけど、鯉栄先生の時に2000くらいになっちゃって、慌てて削って、それでもどうにも納得することができずにいました。

『雲居禅師』のストーリーを書き過ぎて無いか、とか。松之丞とのエピソードは書くべきか?不要か?とか、考えあぐねていたんですけど、ビートたけしさん見た後に、書き始めたら、もう、みるみるうちに削れていきました。

核が見える瞬間があって、それはタイトルにもある『辛抱する木に花が咲く』っていう言葉。今回、ことわざも多少入れているんですが、これは全部、私が社会人になって、恩を受けた大先輩からのお言葉でもありました。

「森野。今は辛いかも知れへんけど、辛抱する木に花が咲くんや」

と、言われた時に、私は辛抱する木は辛抱する気でもあるな、と思いました。その思いがずっとあって、鯉栄先生の話を思い返したときに、「これで、行こう」と思いまして、今の記事になった次第です。

個人的には、小栴檀草の文章は良かったなと思いまして、自画自賛です。『百年目』に出てくる大旦那の気持ちで書きました。小栴檀草は別名『ひっつき虫』とも呼ばれておりまして、良く、草むらに入るとズボンとか靴下にくっつく草です。

絶対大人になると、見逃すというか、気にしなくなる草なんですが、台風の後とかに、道端にいるのを発見すると、「すげぇな~」と思った記憶がありまして、丁度、高校生の頃だったか、「草花は傷を記憶している」みたいな話を本だったか、テレビで読んだ記憶があって、調べてみたら、ダニエル・チャモヴィッツさんの著書『植物はそこまで知っている 感覚に満ちた世界に生きる植物たち』という一冊があり、それを読んで、「ああ、そうそう!これこれ」と思い出して、書きました。

台風の自然災害に、一番強いのって、植物なんじゃないか、と思うんです。種を撒いて子孫を繁栄させ、絶滅せずに今日まで生き残ってる。考えれば、「絶滅しないことの、何が尊いの?」って話ですが、きっと、植物とかも絶滅せずに生き永らえている品種がいるのだから、絶滅しない可能性を残した方が良い、すなわち子孫繁栄させた方がいいって、思いません?良くわかんないけど。

そういう植物の強さに、鯉栄先生の凄さが重なったときに、バチッと書くことができまして、冒頭から鯉栄先生の文章まで、全てめちゃくちゃ気に入る内容になりました。本当に、最初は、禿げるかと思った・・・

 

結局、自粛している時間は私には無かったのかな、と思うんです。祈っても、実際に何かできるわけではない。でも、文字にして、あの時の回の記憶と記録を留めておけば、きっと、また台風がやってきても、台風に負けずに開かれた会があるんだということを、誰かがきっとわかってくれる。

そう、そこなんだ。

誰かがきっとわかってくれる。

そういう思いで、書いている。

幸いにも、私には素敵な読者が多い。

また一人増えて、読者が14人になりました。

日頃から、読者の皆様に支えられて、今があります。

どうか、台風に負けないで。

『不謹慎狩り』だとか『自粛ムード』に流されないで、

あなただけの大切な時間を、有意義に使ってほしい。

そんなことを記しながら、レビューよりも長い、

余談、終わり。