落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

僕らはみんな生きている~都内某所~

 自殺しようと思ったことが何度かある。

 はっきりと数を言うことは出来ないが、確実に覚えている1回がある。
 母の目の前で、包丁を握りしめ、自分の左腕を切り落とそうとした。
 だが、振り上げた包丁を降ろすことができなかった。
 それは、私の目の前にいた母が、包丁を振り下ろす瞬間、
 絶対に身を挺して、私の左腕を庇うだろうということが、
 幼いながらも、はっきりと脳内で『見えた』からだった。
 母の覚悟の目を、見たせいだろうか。
 物言わぬ母の、覚悟の目が、子を守ろうとする目が、今でも忘れられない。
 今思えば、なんで自殺しようと思ったのか分からない。
 だが、私は大声で泣き叫びながら、包丁を振り上げていた。
 結局、私は『見えた』ので、へなへなと包丁を降ろした。
 その後、どういう理由で私が立ち直ったのか、正直覚えていない。
 昔から、光景は覚えていても、理由を覚えていないということが殆どである。
 今になって思えば、生きていて良かったと思う。
 随分幼い頃の記憶であるが、はっきりと体験として自覚しているのは、
 それだけである。
 
 時が経って、とある場所にやってきて、私はぼんやりと墓石を眺めていた。
 いずれは同じように、私も墓石に名が刻まれる日が来るのかと思うと何とも言えない気持ちになった。残された者だけが、去っていった者のその後を知るのである。この世を去った者に、残された者の未来を見ることは可能なのだろうか。まるで映画『ゴースト』のように、死してなお愛する彼女のその後を見届けることができたら、それは果たして幸福なのだろうか。誰にも知る術はない。
 だからこそ、今を生きるのだ。
 今という時間だけは、生きているこの時間だけは、知ろうと思えば、自分以外の全てを知ることができる。気になる人の言葉も、息遣いも、考えにも触れることができる。その人がこの世から去ってしまわない限り、そして、自分自身が去ってしまわない限り、互いに互いを最後まで知ることができる。であれば、知ろうとすることに時間を尽くすことは尊いはずだ。少しばかりの『会いたい』と、少しばかりの勇気さえあれば、相手との距離は驚くほど近い。
 どれだけの悪疫がこの世を襲おうとも、手のひらを太陽にすかしてみれば、

 まっかに流れる、自らの血潮が見える。
 そうだ、僕らはみんな生きている。
 生きているから、笑うんだ。

 

 船徳

 

 その噺家が高座に上がるのを、実に私は四か月ぶりに見た。今や『生』と頭に付いて語られることとなった落語である。思えば、パスタもビールもせんべいも頭に『生』が付くが、まさか落語の頭に『生』が付くとは想像もしていなかった。それほどに、落語とは『生』の芸だった。この数か月で、落語を取り巻く環境は大きく変わった。むしろ、配信こそが落語という時代が来るかもしれない。果たして、どうなることやら。
 その噺家が生きているというだけで、私は良い。マイクを通さない生の声で、その噺家は世間の変わりようを語る。配信の良い面や足りない面を語る姿は、実に活き活きとしていた。私は、その噺家が語る言葉に触れ、考えに触れ、息遣いに触れた。その喜びは筆舌に尽くしがたい。どれほどの幸運が重なれば、今目の前に生きている噺家と同じ時代を歩むことができるのか。確実に、今を生きている噺家が存在していることの幸運に、私は恍惚とした。
 落語には季節によって名物となる噺がある。今回の演目である『船徳』もその一つだ。噺の詳細は他に任せるとして、若旦那の徳を見ていると、生きていることの無責任さを肯定したくなってくる。
 吉原通いが祟って親に勘当されながらも、船頭になると言い出す若旦那の徳。何とも無責任で、いい加減な男なのだが、不思議と船頭になってしまう。優れた船頭になるかと思いきや、初めて乗せた客を困らせ、挙げ句の果ては怒り出してしまうという始末。これだけを見れば、さぞ若旦那は酷い奴であると思われるかも知れないが、ひとたび噺家が語り始めれば、何ともいえない優しい雰囲気が、話全体を包み込んでいる。
 たとえ、責任のある船頭であっても、人には言えない隠し事がある。仕事でのミスや、理性の不純や、責任逃れなど、人間とはかくもずるく、無責任で、いい加減であるかと思えるほどである。それでも、真っ正直に仕事をこなす。誰もが完璧になど生きることはできない。そういうことが、若旦那の徳を迎える船頭たちの姿に感じられる。その雰囲気が何とも言えず人間臭くて、腹の底から笑えるのだ。
 自分の思いが先走り、船頭となって有頂天の若旦那が、乗せた客からあれこれ言われ、最後に鬱憤を爆発させる場面がある。そこで若旦那の口から放たれる強烈な言葉に、私は感動すら覚えた。船頭という仕事に嫌気がさした若旦那の言葉を、言えなかった人物がいるのではないかと思ったからだ。
 与えられた仕事は出来る限りの力でやる。それでも、時に自分にはどう考えてもやりきれない時がある。そうした時に、「助けて」とか「無理だ」と言えたら、どれだけ幸せだろうか。誰に助けを求めても逃げ出せず、誰に無理だと言っても押し付けられる。そうして自分の中に抱えるものが多くなったとき、その重さに耐えきれなくなる瞬間が来る。
 けれど、『船徳』に出てくる若旦那は、あっさりと船頭の職を放棄する。途中までは勢い勇んでいるのだが、後半で一気にやる気を失くす。その場面が笑えるか否かは人それぞれだが、私は笑う。なぜなら、自分にもそういう経験があるからだ。些細なことだが、サッカー部に入ったはいいが、友達と仲良くなれず辞めたとか、スイミングスクールに通ったが、先生が気に入らないので辞めたとか、理由はどうあれ、何かを辞めてしまうことは人間だれしもある。そういうときに、まるで人生が終わったかのように思うときもあれば、「次があるさ」と思う人がいる。どちらが良いとか悪いとか言うのではない。ただ、『船徳』の若旦那は職を放棄する。その潔さと勢いが、清々しくて良いのである。これは、是非、私の見た噺家さんで体験して頂きたい。
 暑い季節がやってきて、『船徳』で涼を感じられる。これほどに贅沢なことがあるだろうか。嫌なことからは逃げてもいいのだ。きっと、誰かが代わりを務めてくれる。自分ができなければ、他の船頭を呼んでしまえばいいのだ。逃げることは恥だというドラマが流行ったが、私はそうは思わない。逃げるは恥ではない。逃げるは逃げるだ。生きてさえいれば、また何度でもチャンスは巡ってくる。

 幾代餅
 

 一世一代の恋をして、見事にその恋を成就させる男の物語。それが、幾代餅である。幾代太夫という絶世の美女である花魁が登場する。名前もそのまま、幾代も変わらぬ男女の色恋が語られる。
 こんなことを言うのはこっぱずかしいのだが、男が女に恋をするのも、女が男に恋をするのも、はたまた性別の分け隔てなく、誰かが誰かに恋をすることは、生きる原動力になる。そう簡単には、生きることを諦められないと思う。
 現に私がそうだ。幾代餅に出てくる清兵衛さんほど、一人の女性に依存してしまう恋はとうの昔に辞めたが(こういうことを書くから女性ファンが減る)、それでも、素敵な人がいれば、好意は表明する。最近は悪疫の影響もあって、オノ・ヨーコよろしく『人生で後悔していることは、「愛してる」っていつも十分には言わなかったこと』という気持ちで、出来る限り、思いは伝えるようにしている(危なくないか?)
 それはさておき、噺家の語る清兵衛の生真面目さと、花魁の色気は素敵である。花魁の芝居気のある語り口が、妖艶な世界に生きる女の業を感じさせる。
 どんな世界でも、その世界に生きる人には、その世界に生きる人の言語感覚やリズムがあると私は考えてる。特に、音楽やゲーム業界など、趣味・娯楽の世界に没頭している人の言語感覚やリズムは面白い。はっきりとこうだ、と明記することは出来ないが、ざっくり言うと、語彙が圧倒的に少なく、言い回しが特殊なのである。それは、誰もがそうであると考えているし、一般的なものなど無いに等しいとは思うのだが、あくまでも主観的に、そう感じる部分がある。だから、幾代太夫の語りもまた、それに近い、太夫職に就く者独自の、語り口があるように思えた。

 元気溌剌の『船徳』とは打って変わって、しんみりとした『幾代餅』である。風の噂で聞けば、まだネタ卸し直後とのこと。『お直し』の時も思ったが、まだまだ伸びしろを感じさせる一席だった。
 それにしても、船徳と幾代餅が聞けるとは、贅沢な会であったことは間違いない。

 総括 生きているから
 
 もう何度も、これまでの記事で書いてきたことの繰り返しになるが、生きているから、私は演芸に触れることができ、楽しむことができる。アクビをする者もいれば、菓子をバリバリ貪る者もいる。親しい人と談笑する者もいれば、ぐっすりと眠りにつく者もいる。落語の自由な楽しみ方に、私は異議を唱えるつもりはさらさらない。誰もが生きているから、他人を喜ばせることもできるし、悲しませることもできるし、迷惑をかけることもできるし、楽しませることができる。私は、落語会のマナーにとやかく言うつもりは、悪疫前と後でも無い。それぞれが、それぞれに、自由に楽しめばよいと思う。(録音とヤジはさすがによろしくないと思うが)
 生きていることの尊さを、私がどれだけ語ろうとも、おそらくは、読者はもう既に知っている筈である。感じている筈である。私のブログを見てきた人なら、きっとそれは周知の事実である。永遠に不滅のものである。私は、悪疫の前に、「すべては自分次第だ」というようなことを書いた。今もその気持ちは変わらない。
 どれだけ世間がとやかく言おうと、どれだけ顔の知れぬ誰かがとやかく言ってこようと、私には関係ない。私は、私を愛してくれる人だけを愛す。生きているから、それくらい傲慢でも良いじゃないか。生きているから、我儘だって言えるのだ。もっともっと、我儘に生きたっていいのだ。死なない限りは、生き続けていられるのだから。
 と、そんなことを書いても、伝わる人にしか伝わらないだろう。何せ、今回の記事では誰が演目をやったのか明記していない。そもそも、そんな演目をやる噺家が会を開いたかも分からない。ひょっとすると、この記事は私の妄想かも知れない。
 全ては自由でいい加減。あなたに届けば幸いである。
 さて、久しぶりに記事を書いたが、少々鈍った気もする。
 だが、最後はこの言葉で締めくくろう。

 あなたが、素敵な演芸に出会えますように。
 それではまた、いずれどこかで。