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情けないけど、まっつぐだ~5月11日 渋谷らくご 14時回~

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な、な、な、何を抜かしやがるんでぇい!あべこべだい!

 

喋るのが下手なオイラでも、上手に話せるようになりますか

物覚えが悪くても、オイラは上手に話せるようになりますか

今は自分を信じて、喋り続けていたい。

 

全ての思いを、文菊師匠はたった一席で纏めてしまうんです。

  I Hear A Rhapsody

  渋谷の雑踏の中で孤独を抱えているのは僕だけなのかも知れなかった。人々はまるで息と息を混じり合わせて、一つの香水でも作るように肩を寄せ、手と手を絡ませながら街を歩いている。建設中のビルのすぐ横では、目もあやな服を身に纏い、最先端の音楽でも聴いて、アリアナ・グランデになりたいと願っているかのような女性達が、ジャンクフードを口にしながら楽しそうに会話している。

 道玄坂を登り切るまでの間に、僕は何度も異国を旅する。ある時は中国に、ある時はイタリアに、ある時はアメリカに。

 日本にいる筈なのに、日本にいないように思うのは、そこが日本では無いからではなく、そこに日本人が多くいないから。

 情けないな。

 散乱するゴミと散弾銃のように四方八方へ飛び散る人々の声。きっと僕の体はもう穴だらけかも知れないと思いながら、セブンイレブンのある路地を曲がる。とても暑い日だ。こんな暑い日には、とびきり頭を冷やしてくれる話が聞きたい。幽霊の話なんか最高だ。シンプルで、怖くて、ちょっと背筋が凍るような、そんな幽霊でもいい。

 ラブホテルの乱立する路地を歩く。年齢差がヒマラヤの頂上と琵琶湖の底くらいはありそうな男女が手を繋ぐことなくホテルに消えて行く。女の折れ曲がった楊枝のような腕の、丁度折れた部分に引っかかった黒いバッグが、落武者の首だったら良いのに、と思う。きっと今日は、年季の入った老紳士の首でも落として、バッグにするんだろう。否、紳士が落とすのは首ではなく金か。

 情けないな。

 とぼとぼと歩みを進める度に、騒音は増していく。

 ガヤガヤと、ザワザワと、ドカドカと、ウジャウジャと。

 いつから、そんな集団に溶け込めなくなったんだろう。

 いつから、そんな集団を遠ざけてしまったんだろう。

 体力の衰え?精神的なもの?僕の何が、騒ぐ集団から遠ざかろうと思わせるのか。

 情けない。情けないけど、まっつぐだ。

 ただただまっつぐ、僕は歩いてきたのだ。

 文菊師匠に、会うために。

 

 台所おさん 鮑のし

 おさん師匠の醸し出す雰囲気は、不思議で温かい。どこかぶきっちょだけど、まっつぐで、飾り気がない。自分の気持ちも素直に話す。1,000人の会場にいても、100,000,000人の会場にいても、その場に馴染めない時は馴染めないし、孤独を感じる人は孤独を感じるのだ。たとえ他の999人、99,999,999人がどれだけその場で熱狂していても、孤独なときは孤独なのだ。その、たった一人の、小さくて強い存在を、おさん師匠は誰よりも愛しているし、認めている。そんな風に僕は感じる。誰にも見向きされることのない幸せを、おさん師匠はたくさん知っているし、たくさん持っている人のように思える。だから、一言一言が、ぐっと握られた拳のように力強い。誰もいない路地でひっそりと暮らす野良猫を見つけて、自分が食べようと思っていた鯖缶をそっと差し出し、「さぁ、お食べ」と言って猫に近づき、そっと猫の頭を撫でながら、鯖缶を食べる姿を見つめる眼差し。そんな、まっつぐで、ピュアで、どうにもとっちらかった瞳が、妙に物語に哀しさを滲ませているように僕には思えた。

 お腹をペコペコにして帰ってきても、食事にはありつけず、色々と奥さんから指示されて、それに素直に従う甚兵衛さん。情けないけど、まっつぐな甚兵衛さんの姿に心をくすぐられながら、大工の棟梁に出会う場面で、なぜか物覚えの良くなる甚兵衛さん。最後に畳み掛ける場面は、なぜだかうるっと来てしまった。色んな人に支えられて、お腹を空かせているのに、楽屋話を全部話してしまう愚かさもあるのに、人から言われたことを素直に守って、言い間違いをしながらも、一所懸命に言葉を発する甚兵衛さん。

 ああ、なんて素敵な人なんだろう。

 そんな甚兵衛さんは、猿股を忘れてしまう。その情けなさに、悲哀という一言では言い表すことの出来ない、色んな思いが詰まっているように思えた。

 僕は台所おさん師匠が大好きだ。そう強く思った素敵な一席だった。

 

 玉川奈々福/沢村豊子 慶安太平記 牧野弥右衛門の駒攻め

 豊子師匠の手を引きながら、舞台へと上がる奈々福さん。

 開場前、三味線の音色が聞こえるので「おや?」と思っていると、奈々福さんの声が聞こえた。最高の浪曲を届けるために、入念なリハーサルを行う奈々福さんの、プロとしての魂。そして、その魂に応え、その魂を導くかのように鳴り響く豊子師匠の三味線。木馬亭やアマチュアの方との共演であっても、決して手を抜くことなく、浪曲師を導く豊子師匠の三味線は、上手く言葉では言えないけれど、張り詰めた思いを一瞬一瞬で弾けさせながら、物語に緩急と彩りを、そして節に宿る魂とともに、躍動している音色がある。あまり浸透していないけれど、『浪情』というものの、風?と呼ぶべきか、正に波であり浪である三味線の音が、とてつもなくカッコイイ。

 人は一人では生きていけないし、浪曲は一人では出来ない。その場、その場で即興の音色と、節と間が生まれ、人々は浪曲に浸る。浪曲の浪に一度飲まれてしまったら、ぐわんぐわんと心を揺らされるだけでいいのだ。三味線の音と、浪曲師の声に身を任せてしまえばいいのだ。

 奈々福さんと豊子師匠には、固く結ばれた強い絆を感じる。豊子師匠の手を取る奈々福さんの手、眼差し。「ありがとね」と満面の笑みで声をかける豊子師匠の姿。観客の僕が見ている以上に、二人の間には特別な絆が生まれているように思える。

 豊子師匠の素晴らしさを書き始めたらキリが無いのだけれど、色々と書いてきた記事の中で、いかに裏方として働いているか、とか、若い浪曲師のためにご尽力されているかとか、僕の浪曲関連の記事を見て頂けたら、ほんの少しはお分かりいただけるだろうと思う。

 浪曲の未来を担い、浪曲を支え続けてきた二人の最高の一席で、インターバル。

 

 瀧川鯉八 やぶのなか

 歌丸師匠に触れた巧みな構成力のマクラから演目へ。一人の新婚女性を起点に、女性の旦那様と、女性の弟と、弟の彼女、四人それぞれの心境が語られる落語。落語とは会話の妙であるという一つのキーワードが、ごっそりと削がれている。芥川龍之介の『藪の中』に基礎があると思われるそれぞれの独白方式が、物語に起こる様々なことを、様々な視点と角度から見ることが出来て、いわば神様になって人の心の全てを覗いているような、そんな奇妙な空間が生まれているように思えた。

 たった一つの出来事であっても、そこに関わる人々は、それぞれに色んな思いを持っている。それは、互いに顔を合わせていたり、全員が同じ場所にいる場合、お互いに気を使って封じ込まれてしまうような思いである。それを、登場人物が誰かに語り掛けるという方式を採用し、それぞれを独立させて語らせることによって、それぞれがそれぞれに感じたことを、誰にも邪魔されることなく観客は聞くことが出来る。その独白を聞く観客は、それぞれの微妙な思いの食い違いや差を聞いて、それぞれに頭の中で話をくみ上げ、「私だったらこの意見に賛成だなぁ」という思いを抱かせる。

 と、色々と分析したけれども、鯉八さんは僕にとっては『哲学派』の人だと思っている。哲学のようなことを、日常の些細なことから浮き彫りにして投げかけようとしているような、そんな思いを高座を聞く度に思う。

 

 古今亭文菊 質屋蔵

 もう何度も出会っている人なのに、出会う度に新鮮な心持ちで出会うことが出来るのは、僕がここに座っているからではなく、文菊師匠が座布団に座っているからではなく、ただこの空間と、この時間が、この瞬間にしか流れていないから。

 全て見通されているのかも知れない、と思える僕は幸せかも知れない。僕は九州を一週した。旅を終えて文菊師匠の独演会に行き、そこで『大山詣り』を聞いた。再び、渋谷らくごで、文菊師匠は『九州』に纏わる話を始めた。その時、私は思った。

 もしかしたら、この人と出会うことは運命の一つだったのかも知れない。

 長い長い人の歴史において、僕が文菊師匠に出会って心惹かれる。天文学だって、どんな数学だって、完璧に答えを出せない『出会いの偶然』。それって、信じてもらえないかもしれないけれど、確実に、ある。少なくとも僕は、思うのだ。これは、運命だ、と。はっきりと、しっかりと。

  もう一つ、きっと文菊師匠は鯉八さんの歌丸師匠の話に呼応するように、質屋蔵をやろうと決めたのかも知れない。質屋蔵と言えば、歌丸師匠の録音が残っている。恐らく、歌丸師匠への敬意も含めて文菊師匠はネタを選んだのではないか。歌丸師匠の録音はとても良い一席なので、是非聞いて欲しい。

 文菊師匠の『質屋蔵』は、ネタ卸し後の2度目の時に独演会で聴いて以来だった。2018年の7月22日に聴いて以来だから、ほぼ1年ぶりに聞いた。

 幽霊に対してビビる番頭さんと熊さんの姿が可愛らしい。独演会の時はたっぷりだった定吉と熊さんとの掛け合いも、30分の枠に収めた短縮バージョンのような気がする。(私の気のせいかも)

 幽霊にビビっている感じは情けないけれど、一所懸命に幽霊を見張っている二人の姿が可愛らしい。突然叫び出す番頭さんにびくっと驚きながらも、「驚かすなよぉ」と、優しい笑みが零れる。幽霊の正体とか、それに至るまでの過程が面白い。そして、前半に仕込まれた伏線を見事に回収する巧みな技。

 幽霊を聞きたいと思っていた僕の気持ちと、九州を旅した僕の気持ちを、一つに纏めてしまった文菊師匠。ここまで奇妙な一致が続くと、本当に不思議だなぁと思う。嬉しいけれど、ちょっと怖い。

 

 総括 まっつぐに、行こう

 誰と出会っても、たとえ孤独を感じたとしても、おさん師匠のように自分の感性を信じて、自分の好きなものに優しい眼差しを送る人もいる。奈々福さんのように、豊子師匠との間で魂と魂で結ばれた関係を持つ人もいる。鯉八さんのように、現代の誰もが、それぞれの独白を吐露することだってある。そして、文菊師匠のように、全てを引き受けて一つに纏め上げて、圧巻の落語を披露する人もいる。

 みんな、まっつぐに歩いている。

 情けないな、と思っても、カッコ悪いな、と思っても、それでも、僕はまっつぐに、ただまっつぐに進むしかないのだ。

 情けないけど、みんな、まっつぐに進んでいるんだ。

 きっと、情けないという気持ちすらも忘れてしまうくらいに。

 だから、まっつぐに、行こう。

 誰か素敵な人に出会える。その日まで。