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思えば心地が良いだろう~2019年7月11日 はなし亭~


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人の心の向き不向き、思えば心地が良いだろう

 

さすらう雨にひたひたと

雨だ。雨が降っている。行き交う人々は傘を差して、雨から逃れるようにして足早に走り去っていく。時折、私の傘がすれ違う人の傘にぶつかる。「すみません」と言って前に進む。謝りながら進んでいる。濡れまいと傘を差しているのに、頭の中にはずぶ濡れの自分がいる。濡れたいのか、濡れたくないのかも分からないまま、私はただ傘を差すことが当たり前だと思って前に進んでいる。

雨は群れになって落ちてきて、地面にぶつかると水溜りになる。雨の日には雨の日の楽しさがあって、それは何日も続くと憂鬱ではあるのだけれど、それでも、雨の日は景色が濃くなっている気がするから好きだ。地面から立ち上がってくるコンクリートの、独特の濡れた酸っぱさと甘さが鼻を舐めるのも、何とも言えない不思議な感覚。しっとりとした自分の頬の弾力を確かめるときの、あの小さな罪悪感は何だろう。言葉にならないまま消えて行く事柄を、言葉にして確かめたい。そんな思いが雨となって落ちて、やがては地面に消えて行く。太神楽みたいに傘を回せば雨の雫がコロコロと回ったりして、益々繁昌、なんてことになればいいけれど、それって結構難しいんじゃないだろうか。と、考えながら、目的の場所に着いた。

 

古今亭文菊 ちりとてちん

文菊師匠の語る円菊師匠との思い出は、いつも温かい温度を保って聞こえる。私は円菊師匠の高座を見たことは無いけれど、色々な本で見たり、誰かが語っていることを聞いたりして、円菊師匠のことを知ったりする。文菊師匠の語りには、円菊師匠の最後の弟子としての喜びを感じる。本当に、本当に、周りが想像を絶するほどの辛い経験をしていても、それが文菊師匠の中で一つの核になっている気がする。だから、文菊師匠が円菊師匠の言葉を放つ時、そこには文菊師匠の核になった円菊師匠がちらりと見える気がして、何だか心地が良いのだ。

私は人に語るとどうしても泣いてしまう話が幾つかあって、その内の一つに、のび太が亡くなったおばあちゃんと対面するという話がある。詳細を書くと泣くので書かないけれど、文菊師匠の今の姿を、円菊師匠が見ていたらどんなことを思ったんだろうと思う。きっと甘い言葉を円菊師匠は言わないだろうと思う。でも、どんな風に文菊師匠を語るんだろう。どんな風に今の文菊師匠をお客さんに伝えるんだろう。どんな形で、円菊師匠の胸には文菊師匠が留まるんだろう。聞いてみたいけど聞けないことが山積みになるばかり。きっと、それは文菊師匠も同じだ。

ちりとてちん』という話は、簡単に言えば『知ったかぶりの男が腐った豆腐を食べる』という内容なのだけれど、冒頭の旦那とお世辞の上手い男との会話には、何だか不思議な温かさがある。これは想像でしか無いけれど、文菊師匠の演じる旦那には円菊師匠、お世辞の上手い男と知ったかぶりをする男には文菊師匠の姿があるように見える。

知ったかぶりをする男が登場すると、途端に旦那のイジワルな態度が現れて、それがとても面白かった。まだネタ卸しだから、これからどんどん細部が極められていくと思う。

文菊師匠と円菊師匠の関係に思いを馳せてしまう、そんな素敵なネタ卸しの一席だった。

 

 古今亭菊之丞 厩火事

すっかりほくほくとした会場。温かい雰囲気に包まれて登場の菊之丞師匠。時代はどんどん変わって行くという話から、お馴染み縁の小噺では時事ネタも挟んで会場は大盛り上がり。とても上品な語り口で演目へ。

厩火事』という話は、簡単に言えば『夫と喧嘩した妻が、仲人から良い話を聞き、それを夫に試す』という内容である。女形の色っぽさもさることながら、仲人の雰囲気も素敵だった。

途中で、エンターテイメントなハプニング(?)もあって、この会だからこその素敵な光景を見ることが出来た。ネタを覚えることの難しさを改めて実感するような高座だった。

どんどん磨きがかかって、どんな風に菊之丞師匠のモノになるのか。

とても楽しみな奮闘が見れたネタ卸しの一席。

 

柳亭こみち 大山詣り

見る度に「好き」が増していくこみち師匠。寄席を含めどの会に出ても、満面の笑みで嬉しそうに落語をする姿を見ていると、こちらまでウキウキしてくる。落語の世界に入って、本当に楽しくて楽しくて仕方がないのだなぁという雰囲気が感じられて、それが羨ましかったりする。きっと客席で見ているお客様の百倍、千倍は落語が好きだと思う。そう感じさせるほどに、こみち師匠は高座に上がるとウキウキしているように見える。

あらすじしか覚えていないと言いつつ、丁寧な大山詣りの様子から、これぞこみち師匠と呼べるような、可愛らしい人物が多々登場する。登場人物に愛嬌があって、どこかディズニー感というか、カートゥーンな面白さがあって、私は勝手に七人の小人が山に行くような想像をしてしまった。

大山詣り』は、その名の通りのお話なのだけれど、道中で喧嘩した男が企むお話だ。喧嘩した男はどうなるのか、男の企みに騙された人々がどうなるのかという部分も注目である。

とても愛嬌があって可愛らしいこみち師匠。柳亭燕路師匠の持つ可愛らしい愛嬌を見事に受け継いでいる感じがする。特ににっこりと微笑んだ表情が素敵だ。是非、燕路師匠の笑顔とお声も見て聞いて頂きたいと思う。

落語が大好きで、とっても溌剌としたこみち師匠の、「好き」がまた増したネタ卸しの一席。

 

総括 心地よさで満たされて

会を終えて外に出ると、雨は止んでいた。束の間、濡れた路面を歩きながら帰る。

ネタ卸しを続けることの大変さ、同時に楽しさを知ることが出来て、とても幸福だった。

どんな風になっていくんだろうと、未来に思いを馳せるのは素敵な気分だ。もちろん、今に全力投球も大事だけれど、定期的にこうやってネタ卸しの会に行って、全世界で初公開のネタを卸す瞬間に立ち会うのも良いだろう。もしかしたら、二度と高座で聞くことが出来ないかも知れないのだから。

素敵な心地よさに満たされて私は家路に着いた