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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

上方、再びの~2019年7月13日 天満天神繁昌亭 リニューアル興行~

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 私は知りたがり。全部知りたい。知らされていたい。

byカール・ラガーフェルド

 

そこにしか無いもの

どんな場所にも、どんな人にも、その場所にしか無いもの、その人にしか無いものがある。嘘だと思うなら、その場所に行ってみれば良い。会うべき人に会ってみれば良い。きっと『そこにしか無いもの』の存在に気づくであろうと思うし、気づかないとしたら、それはまだあなたが、それを発見するに足る運命には無かったということになるだろう。だが、そこにしか無いものの存在に薄々気づいているとするならば、運が良ければ、否、必ず、発見できる。

宝くじを買わねば当たらぬように、求めなければ得られないものがある。ただ餌を待つ雛鳥のままで、親鳥がやってくるとは限らない。それが一人で生きるということの一つの宿命なのだ。だから私は自分の羽を使い、餌を求めてさ迷う。ミミズしか食べることの出来ない雛鳥がいる一方で、私は虫や花の蜜や動物の肉を食べたいと望む。そして必ずそれらを私は食すだろう。何かを得ようとする望みを強く持たなければ、何かを得ようとしても何かを得ることは出来ない。

そんな考えもあって、私は興奮して眠ることが出来なかった(もともとあまり寝ないのだが)。前記事の渋谷らくごのあまりにも強烈な名演四席のおかげもあって、それほど疲れもなく(というか5時間眠ればスッキリ快調)、朝を迎えた。

起きてすぐに、身支度を整えて東京駅に向かい新幹線に飛び乗った。目的地はただ一つ、新大阪、そして南森町駅のすぐ傍にある『天満天神繁昌亭』である。改装前の5月に訪れ、7月のリニューアルオープンという話を聞き、どうしても行きたいという思いが抑えきれなかった。もともと7月に行くことは予定しており、三連休に合わせて行くことを決意した。この度の一番の目的は『桂九ノ一さんの高座を見ること』。これが私にとって一番大きな目的であった。

新幹線の車内で、リリー・クラウスモーツァルト(No13,14,19,22)を聞いていた。リリーのピアノは柔らかくて甘い感じがする。グールドのピアノを白ザラ糖とするならば、リリーのピアノは上白糖に近いような感覚がある。どちらも好みの問題であるが、シュッとしたいとき、一人で何かに没頭したい時はグールドのピアノを好む。何か他の事を考えながら、ぼんやりまどろんで景色を眺めるときや、本を読む時にはリリーのピアノを好む。

読みかけの本を閉じて、大阪駅を出る。以前は京都から南森町に来ており、結構タイトなスケジュールであった。今回は時間の余裕もあり、また、新しい靴を試したいという思いもあって、梅田界隈を歩きながら繁昌亭を目指すことにした。

 

色々なお店があります

梅田と言えば、何か名店があった筈だと脳裏を情報がよぎった。とある方のツイートで『レーズンバターにジョニ黒』の画像を見たことがあり、「うわ、最高!」と思ったことを思い出した。必死に記憶を頼りに名店の名前を思い出そうとした。カツラ、ヅラ、アヅラ、イヅラ、エヅラ、オヅラ・・・ウマヅラマヅラッ!!!

大阪が誇る名喫茶店、『マヅラ』は、大阪駅前第1ビルの地下1階にある。『地下にある』というだけで胸が高鳴るのだが、その地下に行く前の階段の壁に『色々なお店があります』という看板があった。それを目にしただけで、齢27の若造は言いようの無い興奮を覚えた。ワクワクするとは正にこのことであろう。子供の頃に『面白いお店』とか『なぞ店』とか『何が出るかはお楽しみ』に訳も分からず興奮していた時と同じ興奮が、この時蘇ってきたのである。また、地下にあるだけで興奮するのは、バーの扉を開く時に抱く、ある種の快感、ある種の背徳感があるからであろうか。

地下に降りると、そこには最高の空間が広がっていた。とても凄い空間が広がっていたのである。少年が虫取りでもするかのように、地下を一周した。もっと長い時間いたいと思ったが、繁昌亭の開演は14時からであるから、それほど長居は出来ない。出来ることならば、次は繁昌亭抜きで行きたい。

マヅラの前にはジョニー・ウォーカーの像がある。私は中学生の時に読んだ村上春樹の『海辺のカフカ』を思い出した。

何たるノスタルジー。頭の中で想像をしたことはあったが、ジョニー・ウォーカーの像を目の前で見ることは初めてだった。『海辺のカフカ』ではあまり良い人物では無いジョニー・ウォーカーの笑みを眺めながら、私は思った。

 

この空気感、堪らん!!!

 

恐らくネットを調べればマヅラの店内とその周辺の画像も出てくるであろう。だが、実際に目で見ると100倍、1000倍は最高の空気感である。これは読者にも是非、行って堪能して欲しいと思う。

店内に入ると、陽気なご婦人に「いらっしゃいませー」と言われて席に案内される。私は店内のキラキラとした光、何とも言えない照明とほのかに香るシガーの匂い、そして甘く気だるい大人のティータイムが、ゆっくりと艶やかに流れている。まるで1960年代のジャズ喫茶に訪れたかのような昭和の雰囲気が場内に満ち満ちて、そのまま保存されているかのようである。「変わり続けるために、変わらずにいる」、そんなコブクロのANSWERのようなお店だと思った。

店内では、ダンディな紳士四人が「よぉ、待ちくたびれたよぉ」などと言いながら笑顔で話し合っている光景を見ると、心の中で「お、大人だぁ。大人だぁ~~」と胸が高鳴る。タランティーノの『レザボア・ドッグス』で、粋なスーツ姿の男達がテーブルを囲んで食事をしている光景を見たときと同じ格好良さがそこにはあった。子供の頃に憧れた粋でクールな大人の休息、それがマヅラにはゆったりと満ちているように思えた。

早速、私も大人の仲間入りをするためにブラックティーのホットを頼んだ。プチ断食を行っている身としては、コーヒーよりティーであろうと思ったからである。敢えてコーヒーを外すところも、大人だろうと思った(どんな大人像やねん)

ご婦人の持ってきたホットティーを飲む。断食で味覚が鋭敏になっていたせいか、物凄く美味い。思わず「ティー!!」と心の中で叫んでしまった。そのままゆったりと飲み干し、調子に乗って一度外したブラックコーヒーのホットを注文。胃が水風船だったら破裂していたかも知れない。

ブラックコーヒーとミルクが運ばれてきた。大人だからミルクなんぞ入れるものか、と思いながらも一口飲む。程よい酸味とほのかな甘みが舌の上で転がる。16畳の部屋の隅から隅までだああっと転がるかのように転がる。思わず「ティー!!」と叫んでしまった(コーヒーだけどね)そして結局、ミルクも全部飲んだ。

パンパンに膨れ上がった水風船、もとい、胃袋を押さえつつ、しばし店内の光景を目に焼き付けていた。ああ、今、私は松田聖子の曲が聴きたい。早見優の曲が聴きたい。小川範子の曲、河合奈保子の曲が聴きたい。好きな女性を巡って誰かと喧嘩したい。と思いながら、名残惜しい気持ちを抑えて、椅子から立ち上がった。

この場所に来る人物を想像する。余暇を楽しみ酒飲む者、超売れっ子アイドルと敏腕マネージャ、恋愛に疲れたOL、酷くメンタルが傷ついたサラリーマン。色んな人々のために、マヅラはここまで長く、この場所にあったのだろうということが、何となく肌感覚で分かる。東京にも、そんなお店がたくさんある。また、惜しまれつつも閉店してしまった喫茶店がある。きっとマヅラのように、昔からずっと多くの人の憩いの場になっていたのだろうと思った。

店を出る時、会計にはマスターが立っていた。ネットでは98歳になるという。本当かどうか疑わしいほど元気である。私はマスターに礼を言って地下の、『色々なお店がある』場所から、階段を上がって外に出た。一度下に降りて、また上に上がる。何だか人生のようだ、と思う。良い時もあれば悪い時もある。悪い時もあれば良い時もある。地下にある『色々なお店』には、再び地上で生き抜くための、強い力があった。

 

桂九ノ一さんとの再会

腹も心も満ちた私は、2か月ぶりに天満天神の通りを歩いた。もうすっかりお馴染みの提灯、だるま食堂、そして、天満天神繁昌亭である。いつ見ても、だるま食堂の角を曲がった時に見える繁昌亭の光景には、清らかな凛とした雰囲気がある。近くの大阪天満宮にお参りをして、繁昌亭に戻ると呼び出しの太鼓の音が聞こえた。

太鼓を叩く人物を見て驚いた。桂九ノ一さんである。大きな背、大きな顔、眼鏡、太い眉、そして全身から放たれる覇気。そうだ、きっとそうだ。私が魅せられた人を、見間違う筈がない。お江戸日本橋亭でド迫力の、気迫の、高座を披露し、私の落語鑑賞において新しく『気迫と熱量』の概念を見出した落語家、私の心を掴んで離さない男、それが桂九ノ一さんである。

これはサインを貰っておかねばと思った。途端、胸が早鐘を打つように高鳴った。向こうは私のことなど、一ミリも知らない。一方的に私が魅せられているだけなのだ。

一番太鼓が終わり、お客様との会話が終わったタイミングで、私は九ノ一さんに声をかけた。

「あ、あの・・・く、九ノ一さんですよね!?」

私の声に、九ノ一さんは私を見ると、

はい!!!そうです!!!

と大きくて溌溂とした声で返事をした。私の体がビリビリと震えるような力強さに、「これだ、これだよ」と嬉しく思いながら、おずおずと声を出す。

「あの、僕、東京から来まして、サインもらってもいいですか?」

そう尋ねると、九ノ一さんは驚いたように、

僕でええんですか!?

と言って戸惑っている様子である。私はペンを渡して「だ、大丈夫です。ここにでっかくお願いします」と言ってサインを書いてもらった。九ノ一さんが書いている最中、勇気を振り絞って、

「あの、前に東京で三十石を見まして・・・」と言うと、九ノ一さんが

三十石ですか?

と僅かに不思議に思う表情をしたので、緊張しながらも、

「あの、九雀師匠と坊枝師匠の時の、日本橋の・・・」

と言うと、

ああっ!兵庫船ですね!

と言われ、私の心は大きなショックを受けた。まさかまさか、痛恨のミスである。

バレー部の女の子に恋をして、告白の時に「君が〇〇中との試合でジャンプサーブを打って点を決めた姿は恰好良かった」と言ったら、その女の子から「私、フローターサーブしか打ってませんけど?」と言われるくらいのショックである。思わず心の中で「終わった・・・」と思いながらも、めげる訳にはいかない。一度決めたら、粉々になっても前に進むのが男だ。

す、すいません。兵庫船でしたね。僕、あれを見てあなたのファンになりました。間違いなく未来の名人になると思います。いや、僕が言うのもアレですけど、とても迫力があって・・・」とか細く小さい声で言うと、九ノ一さんは嬉しそうに、

ほんまですか!?大阪でもそない言われたことないです。嬉しいです。ありがとうございます

と、満面の笑みである。

「あの15日に出ますよね。僕、見に行きます」

えっ!?ホンマですか。見に来てくれはるんですね!

「はい、あ、どうも。ありがとうございます」

九ノ一さんからサインを貰って会釈をした。私の心臓はまだバクバク言っていたし、まともに目を合わせることが出来なかった。それでも、ずっと前から思っていた、言いたかったことは言うことが出来た。緊張しすぎてやった演目を間違えて、実に怪しい奴になってしまったかも知れないけれど、言いたいことが言えて、私はとても満足だった。

まさか、会えるとも思っていなかったから、これはきっと落語の神様が出会わせてくれたのだろうと思った。あの時の感動を、上方遠征の初日に、まさか伝えることが出来るなんて思ってもいなかった。私はただ、あの時、お江戸日本橋亭で九ノ一さんの高座を見て感動したことを伝えることが出来た喜びに打ち震えていた。チケットを切って繁昌亭の中に入り、指定の席に座ってもなお、私の胸はドキドキしていた。

それでも、私は間違いなく最高に幸福だった。伝えたかったことを伝えることが出来た嬉しさに満たされていた。ああ、私は『そこにしか無いもの』を今、この場所で見つけたのだと思った。

 

リニューアルの繁昌亭

繁昌亭の会場内を見て回った。扉の右には広いスペースがあり、売店上方落語家の似顔絵が飾られている。扉の左にはトイレと、壁に繁昌亭建設に出資した方達の名前のプレートがあった。私は売店でリニューアル記念の手拭いとクリアファイルを購入した。高座のある広いスペースには、天井にあった提灯が新しくなっていた。5月と比べ格段に綺麗になっている。

心機一転、リニューアルした天満天神繁昌亭が始まっていた。

 

桂文五郎 普請ほめ

トップバッターを務めたのは文五郎さん、お初。桂文珍師匠の4番弟子で、漫才コンビ、カミナリのツッコミ(石田たくみ)に少し風貌が似ているように見えた。前座にしてはめちゃくちゃ上手いと思って調べると6年目とのこと。上方は階級制度がはっきりしていないから、前座だろうと思い込みで見てしまう部分があるので、この辺りがまだ上手く切り替えが出来ていない。

ドスの効いた声色と、喋りのリズムの緩急で会場は大盛り上がり。大阪のお客様はノリが良い感じがする。どんな話でものめり込んで聴くというか、自分の実感として聞く力が強いような気がする。また、笑い方も、東京では「あはははは」だが、大阪では「あっはっはっはっは」というような感じで、とにかく陽気に笑う。その勢いに呑まれて私も笑う。

文五郎さんの勢いのある、くっきりとした人物の演じ分けが気持ち良い。こういう迫力を持った人、熱い人が出てくる感じが良いなぁと思う。どちらかと言えば、東京の落語家にはクールな感じを私は抱いているからだ。それもまたそれで良いけれど、大阪に来たらガツンッと熱い高座が見たいと思ってしまうのも私の性であろうか。

大盛り上がりの一席目で、気持ち良く笑った。

 

桂ちきん 狸の賽

お次は若干トリッキー感のある、奈良から来たというちきんさん、お初。マクラがめちゃくちゃ面白くて、特に動物園に行く前にたくさんの珍しい人を見るという、大阪ならではのマクラが最高に面白かった。事実、私はこのマクラが結構ウケた。5月に動楽亭の近くにある動物園前という駅を降りた時、その周辺の異様なディープさに圧倒された経験があったからだ。やたらと連なる『カラオケスナック』、すれ違う大阪のおっちゃん達の『異様な歩き方』と『焦点の合わない目』、どれもが心に僅かな恐怖心を抱かせつつも、人間の別の一面、だらしなさと呼ぶべきか、そんな愛くるしさを垣間見た身としては、ちきんさんのマクラがめちゃくちゃ面白かったのである。

この演目は簡単に言えば『狸が恩返しにサイコロに化ける』というお話である。狸の可愛らしさと、ちきんさんの持つトリッキーなフラがマッチした素敵な一席であると思った。どことなく、以前連雀亭で見た桂三幸さんと同じような匂いを感じた。

一席しか見ていないので、何とも判断が難しい部分であるが、とても可愛らしく、トントン拍子の語り口が心地よい一席だった。

 

桂吉坊 七段目

方々で良い噂を耳にしていた吉坊さん、お初。座布団に座るまでのお茶汲み人形のような所作、そして満面の笑顔。そして物凄く幼く見える風貌。見る人が見たら中学生か高校生と思うのではないかと思えるほどに若い。どうやら本人もそれはご存知のようで、マクラでは自らの容姿を活かして会場が大爆笑に包まれた。

見た目とは裏腹に、端正で丁寧かつ細部にまで緻密に気を配った所作と語り。思わず唸ってしまうほどに見事で、艶やかな風貌。見た目から発せられる雰囲気に他とは違う何かがある。浄瑠璃に出てくる人形に、人間らしさを与え、人の情の温かみを付与したような、何とも言えない品に溢れた佇まい。語りの淀みの無さと、芯の通った声と語り。誇張し過ぎない声色と抑揚。面白いだけではなく、芯があって太い感じ。

一席しか見ていないのが実に惜しい。結構東京でも活動されているようなので、機会があれば見てみたいと思う。七段目は鳴り物が入っていて、滅多に東京では鳴り物入りの話を見る事が出来ないぶん、鳴り物が良く入る上方落語を聞くことが出来たのは貴重な体験だった。何と言えば良いか、吉坊さんには得体の知れない輝きがある。高座の照明が少し強くなったかと思うほどの輝きがあるのだ。なるほど、数々の大物が心惹かれる気がするのも分かる気がする。輝きの奥底にある知性を感じた圧巻の芝居噺、もっと見てみたい。

 

桂朝太郎 マジカル落語

荷物を持って登場の朝太郎さん。三幸さんの高座で慣れているおかげで、落語家が物を持って入って来ても違和感が無い。ネタ(?)に入ると、アサダ二世とマギー隆司を足して2で割ったような芸。大阪にもこういう落語家さんがいるのだなぁ、と思うと謎の安心感がある。ちょっと胡散臭いくらいの人が出ないと、あまり端正な落語を立て続けに聴くのは疲れてしまう。

いっぱい小道具を出して披露する。客席は怪しみながらもグイグイと引き込まれて大盛り上がり。中には呆れながら笑う人もいたけれど、めちゃくちゃ面白かった。

こういう人がふっと出てくるところが、寄席の醍醐味だと思った。

そもそもマジカル落語というかほぼマジックなのだけれど、その曖昧な感じが最高の一席(?)だった。

 

笑福亭仁福 いらちの愛宕詣り

仲入り前はちょっと怪しいヘアスタイルと、上方落語と言えばこの声の感じを聞かなくちゃ!と思うダミ声を持つ仁福師匠、お初。

仁福師匠が登場するまでの会場がドッカンドッカン笑いの渦に包まれていたためか、軽い小噺で様子を見る仁福師匠。お馴染みの小噺でも物凄い勢いでウケるので、「そんなに笑うと疲れまっせ」と心配する仁福師匠。それでも会場は物凄く温まっている。

勢いそのままに演目へ。東京では『堀之内』のような一席で、簡単に言えば『粗忽な男が大暴れする話』である。粗忽な男の粗忽っぷりが痛快で、酔っぱらって訳の分からなくなった男が、愛宕山まで行くまでの道中がハチャメチャで面白い。実生活では絶対に絡みたくないけれど、その粗忽っぷりに爽快感を覚えるほどに荒唐無稽な男が大暴れする。特に仁福師匠の声が最高である。ダミ声ってなぜあんなに魅力的に聞こえるのであろうか。未だに良く分からないけれど、はっきり心地が良いということだけは分かる。この辺り、田中角栄の声の研究で誰か論文を出していないのだろうか。

畳み掛けるように爆笑の波が沸き起こり、最期はさらっとまさかの下ネタで仲入り。こりゃぁ、まだまだ上方には私の知らない面白い人がたくさんいるのだなぁ、と思った一席だった。

 

 口上 桂三歩 露の都 笑福亭仁福

口上では、めちゃくちゃ緊張しているのか、ろれつの回らない三歩師匠が強烈だった。あまり口上に慣れていないのか、どもり気味で喋る姿に独特のフラがあって面白い。そんな三歩師匠を助けるように仁福師匠がツッコミを入れて挨拶。

なんと7月13日が誕生日だという仁福師匠。会場もお祝いムードに包まれて拍手喝采。繁昌亭と絡めて素敵な口上だった。

お次は露の都師匠。気品ある大阪の女性という佇まい。声の素敵なトーンで、面白おかしく口上を言っていたのだが、内容は殆ど覚えていない。三歩師匠の印象が強すぎて、あまり話の内容が頭に入って来なかった。

最後は大阪締めというお初の手締めで一度幕が下りた。そんな手締めがあるなんて知らなかった。『そこにしか無いもの』はやはり、その場所に行って知った方が印象に残る。

 

桂三歩 青い瞳をした会長さん

口上の時も思ったが、独特のフラと歯が無いスタイルを推していく三歩師匠の独特のフラが面白い。お初だったけれど、見ただけですぐ好きになってしまうような風貌。赤べことシーサーと獅子舞をごちゃ混ぜにしたような顔で、魔除けに効きそうである。

マクラではバナナババロアと女房の早口言葉を披露。このワードの言い方がめちゃくちゃ面白い。まさかバナナババロアの言い方だけで、あんなに会場を爆笑させる人がいるとは思いもしなかった。話し方のとろっとした感じが絶妙に面白く、フラだけでも十分に笑いを取れる落語家さんであると思った。東京で言えば桂南なん師匠や三遊亭笑遊師匠に通じるような、唯一無二のフラがある落語家さんだと思った。

ネタは三枝師匠の作で、以前どこかで聞いた記憶があるのだが忘れてしまった。Youtubeにあるようなので、機会があったら聞いて欲しいが、一つ一つの発言に会場が割れんばかりに盛り上がっているのが印象的だった。

 

 露の都 星野屋

トリは都師匠、お初。気持ちの良い語りのリズム、張りのある声、そして品のある佇まい。まるで高座に白く美しい文鳥がいるかのような佇まい。演目は以前、菊之丞師匠のネタ卸しで聴いて以来の『星野屋』。この話は簡単に言えば『心中することになった女が、母の力を借りて騙し合い合戦を繰り広げる』という内容である。

女性が中心に登場し、また語りのリズムの心地よさも相まって、十八番なのではないかと思うほどに素晴らしい語りだった。特に登場する女性のリアリティが尋常ではない。心中という重いテーマでありながらも、物凄くあっさりとコミカルに聞こえるのは、都師匠の絶妙な語りとトーンにあるのではないかと思う。まるで山の天気のようにコロコロと変わる女性の心の速度が面白い。今思っていたことが5秒後にはまるで正反対の考えになっているかのような、切り替えの早さ。そして、巧みに相手を騙す知恵。男はどこまで行っても女性の知性には敵わない生き物なのかも知れないと思ってしまう。

よく女性は感情の生き物だと言われているが、果たしてそうなのだろうか。むしろ、女性は言葉に実感を強く持って生きているのではないか、と思う。男が言葉を単なる記号として捉えているとしたら、女性はむしろ言葉一つ一つを生き物のように扱っているのではないか。だからこそ、何気ない言葉の一つをとっても、自分にとって強い実感を伴って伝わってくる。言葉が感情と強く結びついて心に伝わっているからこそ、感情の生き物だと言われているのではないだろうか。男は言葉を聞いて額面通りに受け取る。だが女性はその言葉の裏の裏の裏の裏まで考えたりする。個人差はあれど、男女間では言葉に対する感じ方の違いがあるのではないか、と思うのである。

と、そんなことを書いたところで何という訳ではないのだが、長く落語界に身を投じ、女性落語家のパイオニアとして活躍してきた露の都師匠の高座には、女性ならではのからっとした、可愛らしい雰囲気を感じたのである。

特に、心中を回避しようとする女と、その母の会話に説得力があった。私は落語家に男女があろうと、特に何を思うという訳ではないのだが、このネタに限って言えば圧倒的に女性の方が良いだろうと思った。メインで女性が登場し、その説得力が強いと思うからだ。

何人もの弟子を育て上げている都師匠。その理由も何となく感じられるような素晴らしい一席で終演。

 

総括 上方一日目

最高の三連休初日であると思った。改めて上方落語の凄まじいパワーを感じた一日になった。繁昌亭の昼席では、お初の落語家さんを見ることが出来てとても嬉しかった。朝からずっと様々なことを考え、まとまったり、まとまらなかったりした考えが、ぼんやりと中空に乱雑に浮かんでいる感じが、なんだか心地が良い。

寄席の後、断食(と言ってもゆるく)のため、軽く運動をした。散歩で難波橋を渡り、道頓堀へ向かった。雨はしずしずと降っていたが、人通りは多かった。丁度、提灯祭りをやっていて、船に乗った男達が船を漕ぎながら、道頓堀川を進む姿を見た。初めて生でグリコサインの看板を見た。異国からの家族連れも多い様子で、道頓堀のガヤガヤとした雰囲気も、なんだか日本であって日本では無いような、不思議な雰囲気に包まれていた。

途中、『古書 象々』という古書店を見つけた。本当に偶然、看板が目に留まったのである。これは何か運命であろうと思い、エレベータで目的の場所に行き、扉を開いた。詩集やデザイン、日本の古めかしい玩具などが置かれていた。中で、辻征夫という詩人の詩集があって、幾つかサイン本もあった。最初に手に取った詩集を開いてみると、『吾妻橋』の文字。そこに書かれた一文に心惹かれて購入を決めた。

遠く大阪の地に来ても、運命というものはどこにでも転がっているようである。大事なことは、それを感じることの出来る心があるかどうかであろうか。

冒頭に記したように、『何かを得ようとする望みを強く持たなければ、何かを得ようとしても何かを得ることは出来ない』と私は思う。まずは思うこと、そして行動することが大事だと私は思うのだ。現に、私は上方落語を見たいと望み、大阪に行き、そして出会うべき人に出会った。行くべき場所に行ったのである。すると、必然、行きたかった場所以外にも行きたい場所が見つかる。会いたかった人以外にも会うべき人に出会う。そんな偶然が人生には付き物で、そんな偶然の出会いに私は感謝と同時に、嬉しさと運命を感じるのである。

あなたにも、そんな出会いがいずれ来るだろう。ひょっとすると、私とあなたは出会うかも知れない。もしかしたら、既に出会っているのかも知れない。

どんな時でも、望み、そしてその望みに向かって行動をしていれば、まるで「導かれた!」と思うような出来事に出会うだろう。私は別に神仏の話をしているのではない。人生にはそういうことが、少なくない頻度で起こりうるのだ。

見逃すか見逃さないかはあなた次第。大丈夫、きっとあなたなら見つけられる。

それではまずは、上方の1日目の記録を閉じるとしよう。