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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

ミスター・チルドレンの爆発~2019年8月13日 プーク人形劇場 新作落語お盆寄席~

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もう大人だから、怒られないよ~

  

ミスマッチ・アダルト・チルドレン

彼女だったら付き合いづらいだろう、心変わりの多い天気のなか、私はプーク人形劇場へと向かっていた。電車の車内には、子供連れの家族や異国からの旅人が多い様子である。晴れたり降ったり曇ったり止んだり、どこかでは大雨が降っていても、どこかではカラッと晴れている、天気が読めなくて傘が欠かせぬ、そんな天気の心変わりに人々も惑わされているようだ。

しばし電車に揺られていると、私のすぐ近くにいた、胸元にサングラスをひっかけた男性が、窓の向こうを眺めながら「うそ、雨降ってんの!?」と言った。その男性の子供らしき少年が、「傘、あるじゃん」と言うので、立ち聞きをしていた私は、ちらと男性を見たが傘はどこにも見当たらない。はてな、と思っていると、少年が「それ、傘にしようよ」と言って、男性のサングラスを指さした。その時に、私は「凄い発想だな」と驚いた。

傘と聞くと、「へ」の曲がり角に「し」の取っ手を突き刺した物を思い浮かべる。いつの間にやら私の中で、傘とは体が濡れないように全体を覆うものという意識があったが、少年の発想はもっと柔軟で、『雨を防ぐ』という大枠で物事を捉えているようであった。サングラスと傘を一緒にできる発想って、なかなか出来ないのではないだろうか。そもそも、雨から防げるのは目だけだ。

そんな、少しの驚きを胸に新宿駅を降りてプーク人形劇場まで歩いた。ナツノカモさんの公演以外で来たのは初めてである。会場の雰囲気に落語がどんな風にマッチするのか全く見当がつかない。むしろ、見当がつかないからこその面白さを私は感じていた。ミスマッチ感と呼ぼうか。たとえば、塩キャラメルのように甘いものと酸っぱいものの組み合わせのような、チョコ柿ピーのような甘いものと辛いものの組み合わせのような、一見するとミスマッチのように見えて、実は非常に癖があって美味しい食べ物の感じ。

プーク人形劇場のメルヘンチックな童心とも呼べる雰囲気の中で、含蓄ある大人の楽しみとも呼べる落語という伝統話芸が、新作落語という新しい伝統への挑戦となって、観客の前に披露される。すべてが渾然一体となった空間で、どんな化学反応が起こるのか。言わば大人と子供のボーダーラインを消し去るような、単語で言えば『Mr.Children』のような、不思議な空間がプーク人形劇場にあるように思えて、会場入りした私は楽しみでならなかった。

客層も、本当に不思議である。すっかり大人の年齢の人であっても、子供のような微笑みで待っている人がいる。ニコニコとして何か新しいことを待っているような、そんな、童心を顔に浮かべた人々が多いように思えた。ここには、眉間に皺を寄せて難しい顔をしている人は一人もいない。ただただ、プーク人形劇場という、狭くて椅子がお尻にやさしくない会場で、落語家の話す新作落語を待っている。この場所に集まるお客様は温かいに決まっている。ほかのどの会場にも無い、プーク人形劇場だからこそ生まれる。ミスター・チルドレンな雰囲気。お分かりいただけるだろうか。大人だけれど、否、大人だからこそ、いつでも子供に戻れるような、いつでも童心を胸に携えて、今でも童心に返って思い切り人生を楽しむことができるような、そんな素晴らしい人々が一同に会した場所が、ここには確かにあった。

思い返すのは地元の友人達である。すっかり大人になって、もうすぐ30を迎えるというのに、未だに中学校の頃の話や、好きなアニメの話や、夏の恋の思い出や、好きな漫画の話をして、お互いに笑いあっている。いつでも、私は幼いころに抱いた思い出や記憶や感情を、地元の友人たちと共有することができる。その尊さは計り知れない。仕事では大人としてマナーやルール、社会的な行動を守って生きているが、一方で、いざ、遊びとなれば子供のようにはしゃいで、あらゆることに挑戦して楽しむことができる。大人でありながら童心を持ち続けていることの喜びを、私は会場で噛み締めていた。もしかすると、プーク人形劇場に集まった観客は同じような思いを抱いているのではないか。抱いているからこそ、ここにいるのではないか。

そんな人々の、素敵な楽しみ。いよいよ、開幕。

 

三遊亭ぐんま 銭湯最前線

お江戸日本橋亭での『新作打ち上げ花火』続いて二度目のネタ。それでも、その場に合わせてアドリブを入れ込み、また、会場を一つにする巧みな話芸と雰囲気に、もはや私は完全にノックアウトで、ぐんまさんが好きである。

覚えたものを、その場その場の雰囲気に合わせて、自らも楽しんでやっている様子が如実に伝わってくる。常連の方も多い中で、果敢に挑戦し続ける姿は見ていて気持ちがいい。

一気に会場を盛り上げて、一番弟子へとバトンタッチ。

 

三遊亭青森 愛を詰めかえて

二つ目に昇進して以来、お初の青森さん。普段は古典しか聞いていなかったので、新作はとても新鮮だった。私が思うに『強面』な青森さんだが、語りの雰囲気が優しくて、そのギャップにドキっとする。一体どんな話をするのかな、と思っていると、これがとんでもなく面白い発想のお話だった。

ざっくり話の内容を話すと、『男と女の物語』であるのだが、単純な男と女の物語では無いところが、この話の設定である。とあるものを擬人化して、擬人化された男女の間に起こる様々な出来事が語られるのだが、これがもう、面白くって仕方がない。

この話を一度聞いてしまうと、男と女の関係にされた、擬人化された物を見るだけで、青森さんの話を思い出してしまうという呪いにかかる。一体どんな発想をしたら、こんな話を思いつくことが出来るのか。本当に素晴らしい着眼点であると思う。

同時に、新作派の落語家としての青森さんを知ることが出来て良かった。古典もかなりのレパートリーがあるようで、定期的に勉強会も開かれているようである。自らの地盤を着々と築き上げて、面白い新作落語を作り上げていく姿勢は、師匠である白鳥師匠のスピリットを受け継いでいるように思える。また、後進の新作落語家にも道を示している。一体どんな新作を生み出してくれるのか。楽しみである。

 

三遊亭天歌 甲子園の土

連雀亭で見た時から、温かい人情の流れが落語のネタに流れているような、素敵な落語をされる天歌さん。枕では苦労されているなぁと感じるような話を語られており、人の痛みや苦しみを誰よりも知っているからこそ、それを跳ね除けて力強く生きていく人間の逞しさを描けているのかもしれないし、感じるのかもしれないと私は思った。日本全国の〇〇話のくだりとか、ちょっと涙出るくらい、笑っちゃうけど悲哀を感じる一言だった。

演目のざっくりした内容は『大人の事情で動く大人と大人の事情を意に介さない青年の話』という感じである。新作落語は内容を語るだけで楽しみを奪いそうなので、ざっくりした概要しか書けないし、私はざっくりした概要を書くことで、読者の皆様に興味を持っていただきたいと思っている。

この話は二度目なのだけれど、会場の雰囲気も相まってとても面白かった。前半の一笑いが起こるまで、結構ドキドキして聞いてしまうのだけれど(ウケるかな、という杞憂)、きっちりと大人と青年がぶつかり合う部分で笑いが起こる。なんというか、自分で高く投げた球を、再びキャッチするような、そんな感覚を冒頭部分に私は感じるのである。キャッチできると大成功で、キャッチできないと辛い時間が続くのではないか、と思ってしまうのだが、そこは今までキャッチ出来なかったことは無いので、私の杞憂である。

大人の事情に振り回される大人と、それを意に介さずまっすぐに正論を放つ青年の痛快な面白さがあって、これは是非体験していただきたい。丁度、甲子園も行われているため、ベストなネタだと思っている。

色々と書きたい部分はあるのだが、ネタバレは避けたいので、匂わせておくことしかできないのがもどかしい。

天歌さんの楽しそうな表情がとても素敵だった。なかなかタイミングが合わなくて見れないのだけれど、外れの無い素晴らしい落語家さんである。

 

古今亭志ん五 トイレの死神

新作も古典もやられる志ん五師匠。私はどちらかと言えば志ん五師匠は新作の方が好きである。そんな志ん五師匠の古典と新作をハイブリッドさせた一席。

もうね、声を大にして言いたい。

 

 頭おかしい!!!!!(褒め言葉)

 

古典の死神にとある尿素、おっと、要素を足した超絶面白い一席で、心の底から「くっだらねぇ~」と思いながら、ゲラゲラ笑ってしまうお話だった。古典の死神を知っていると、より楽しめると思うし、知らなくても十分に楽しめる一席。オチとか蝋燭とか、とんでもなく面白くなっているので、是非聞いてほしい話だ。

プーク人形劇場で落語という組み合わせのように、どことなくミスマッチな組み合わせが、とても面白い化学反応を起こしていた。一体なぜ、志ん五師匠は死神に、とある要素を付けようと思ったのか、組み合わせの妙が光る抱腹絶倒の一席だった。

いやぁ、本当に、聞いたあと、何にも残らないけど、とても笑える、くっだらない話だった。最高です。

 

三遊亭天どん 熱中症対策本部

天どん師匠もとことんくっだらない一席で、それがものすごい面白さを生み出している。

この話は『ふざけ続ける二人の大人が暴れまくる』という内容で、本来はしっかりしていそうな役職の二人が、自らの役職の根底を揺るがすような事態の中で、思い切りふざけまくって、暴れまくるところが、面白くてたまらなかった。夏にぴったりのお話かどうかは分からないが、面白くて腹を抱えて笑ってしまった。

天どん師匠の登場人物は、真面目な職業に就いているのだけれど、微妙にそれが面白い方向にズレていて、そのズレがどんどんエスカレートしていく面白さがあって、普通に考えたら絶対におかしいことでも、妙に納得してしまうというか、フィクションだからこそ笑える部分がある。細かいことを気にしていたり、「アンパンマンのアンパンチは暴力を助長している!」と言うような人には、一生理解できないかもしれない面白さがある。そんなギリギリのアブノーマルな面白さがクセになる。天どん師匠らしい素晴らしい一席だった。

 

林家きく麿 ニコ上の先輩

シブラクに続いてのきく麿師匠、二回目のネタ。この話はざっくり言えば『怪談(?)話』である。

会場の温かさがMAXに達していて、きく麿師匠もめちゃくちゃ楽しそうに語っている様子が伝わってくる。シブラクの時も凄かったが、プークに集まったお客様は精鋭が多いのか、めちゃくちゃ笑ってウケていた。何度聞いてもトカゲのくだりと、こんにゃくのくだりが面白すぎる。登場人物の語りのボルテージが上がっていくところの、怒ってるんだけど笑っちゃう面白さがあって、それがドッカンドッカンとウケるので、きく麿師匠はとても嬉しかったに違いない。最後も畳みかけるように物凄い爆笑の連続で、何度聞いても面白いお話である。twitterを見ると、徐々に仕上がっている様子で、どんな完成形になるのか楽しみである。今や、売れに売れている、令和の爆笑王。これからも快進撃は続く。

 

三遊亭白鳥 砂漠のバー止まり木

トリは白鳥師匠。絶対にありえない設定を、丁寧に語ることによって成立させる話芸、長尺のネタであってもダレさせない面白い話のオンパレード、そして観客の想像力に極限まで頼り、疑問の余地を与えない巧みな構成。全てが物凄いレベルで成立している素晴らしい落語家さんで、新作落語の父を三遊亭円丈師匠とするならば、三遊亭白鳥師匠は、落語界の神童と呼んでも過言ではないと思う(もう結構良いお歳だけれども)

この話はざっくり言えば『会社員二人が砂漠のバーに行く』話である。なんじゃそりゃ、という話なのだが、これが聞いてみると一大スペクタクルというか、想像すると結構スケールが大きく感じられる話である。

二人の会社員が語ることのくだらなさと、砂漠のスケールの大きさ、そして砂漠の中にあるミスマッチな空間、そしてバー。まるで一遍のシュールな映画を見ているような、刺激的でくだらない、面白い世界を体験することができる。

なによりも白鳥師匠が話の世界に浸りながら、観客と一体となって楽しんでいる様子が素晴らしい。できることならば、白鳥師匠の魅力をファンの方々に伺ってみたい。コアなファンが多数存在するという白鳥師匠。その創作能力の素晴らしさは落語好きであれば、誰もが認めるであろう。

ご常連さんも数多く、毎回、爆笑の渦で会場を包むで白鳥師匠。

素晴らしい大団円の一席だった。

 

総括 いつでも大人で子供でいよう

本当に不思議な空間だと思った。『イッツ・ア・スモール・ワールド』のような、なんとも言えない雰囲気の中で、着物を着た人が、座布団に座って語り始める。新宿末廣亭鈴本演芸場には無い、不思議な伝統を感じさせる空間が、見る者に与える不思議な感覚。ふと、周りを見れば、お尻を痛そうにさすったり、立ち上がって屈伸運動をする人までいる。体はどんどん大人になって、ある時を境に衰えていく。それでも、心は老いない。心だけは、いつまでも子供のままなんじゃないか。大人になるって何なんだろうか。そんなことを考えてしまうような、素敵な時間がそこにはあった。

常識だとか、ルールだとか、いろんな規制を取っ払って、空っぽになって、まだ何も世界について、社会について知らなかった、純粋な子供に戻って、落語家の話に耳を傾けて、笑って、笑って、頬骨とお腹が痛くなるまで笑う。ミスター・チルドレンの爆発があって、その幸福な爆発の輝きが、プーク人形劇場を照らしていた。あの時、あの空間で、全員で味わった一席は、特別な意味を持って私の記憶に残った。お尻の痛みも、今は全く気にならないけれど、いずれ私のお尻筋が衰えてきたら、耐えられなくなってしまうのだろうか。

「いつまでも若く」、そう歌ったのはボブ・ディランだ。心の底からそう思う。たとえどんなに時間が過ぎようとも、ヨボヨボのじいさんになろうとも、心はいつまでも、若く、潤っていたい。「昔はよかった・・・」なんて思い出に浸るようなジジイにだけはなりたくない。

プーク人形劇場に集まったお客様の表情は、そんな私が理想とする、素敵な笑顔で満ち満ちていた。素敵な空間で、素敵な人達に囲まれて、素敵な落語を聞くことが出来て良かった。

風に吹かれて、私は新宿の街へと消えていく。まるで子供から大人になっていくみたいに、さっきまで子供のように笑っていたことを思い出しながら。いつまでも大人であり、子供でもある、そんな存在でいよう。そんなこと言ったら、怒られちゃうかな。

でも、本当に子どもって凄いんだぜ。子供は大人になれないけど、大人は子供になれる。だって、大人は子供を経験しているからね。忘れない限り、私はいつでも子供になるだろう。

さすがに、バブーとは言わないけどね。