心臓の鼓動(3)~2019年9月15日 渋谷らくご 14時回 隅田川馬石 お富与三郎通し公演~
ぼっちゃん
冗談だよ~
子連れ
ママとマンマ
腕をあげたねぇ
焦がれ死ぬような男女の恋
祭囃子が鳴り響く道玄坂をとつとつと歩きながら、つるつると心は満ちて穏やかである。朝目がさめて悲しい知らせに胸を痛めども、なにせ根が起き上がり小法師、そう簡単に臥せって泣いているわけにも行かず、あらゆる意欲をかきあつめて服を着替え家を出て、ここまでやってきた。
粋な恋路のひとつやふたつ、男と女と生まれたからには、歩みたいと望んでしまうのが人の性か。恋に感けて疎かになる些事が火元ととなって全身を焦がす大事に至るまでは、まだ些かの時を要するようである。
何を因果に惹かれ合うのか。また、何を持って関係は丈夫になるのか。添田唖蝉坊の曲のような心持ちである。
「ああわからない、わからない」
すっかり心は『あきらめ節』で、ユーロスペースに辿り着き壁に貼られた文字を眺めながら、とんと分からぬ女心に振り回されて、男とは何と情けない生き物であろうかと思う。いっそ、何もかも捨て去って与三郎のように、体も心も切られれば踏ん切りでも付くというのか。否、たとえ身も心も傷を負ったとしても、男には焦がれ死ぬような女がいて、また女には、自分にはどうすることも出来ない罪を作ってまで愛するほどの、男がいるのである。これを粋な恋とせずして、何とするというのか。
与三郎に憧れさえ抱きながら、今宵も隅田川馬石師匠の『お富与三郎』を聞く。なんと贅沢な時間であろう。だんだん歌舞伎でも見て見たくなってきた。たとえ、世間様から鼻で笑われるような恋であろうとも、その禁断の味は、当人にとっては常人の理解を越えた蜜の味なのではないだろうか。
現代にはただ一人、その狂おしいまでのお富と与三郎の関係に、憧れる一人の男がいるだけに過ぎない。
「ああわからない、わからない」
春風亭昇羊 吉原の祖
途中まで「ぼっちゃん」という単語が聞こえていたのだが、昨夜、随分と記事を書いて時間を過ごしてしまったためか、急に襲ってきた眠気にやられ、殆ど筋を覚えていない。無念。
橘家文蔵 試し酒
文蔵師匠のお酒噺は最高である。なんだかんだ言っても、洒落でも、お酒が出てくる噺を文蔵師匠で聴くことのできる喜びは大きい。酔っぱらって色々と口をついて出てくる言葉を聞いていると、その愛嬌たっぷりの可愛らしさに、何もかも許してしまうような力がある。
五升の酒を下男の久蔵が飲み干すことが出来るかどうか、久蔵を従える近江屋と尾張屋で賭けをするお話である『試し酒』の一席。
圧巻なのは、何と言っても五升の酒を飲むことに挑戦する久蔵の姿である。私の知人でも大酒飲みの人間はいるが、それでも五升飲めるほどの人間はまずいない。というか、そんな人が世の中にいるかどうかも分からない。だが、酒を飲めば多くの人間がそうなるように、段々と酔っぱらっていく久蔵の姿が面白い。
目をひん剥いて酒を飲みながら、主人の近江屋をからかったり、賭けの本質を突いたり、お酒に纏わる話を語ったりする久蔵が可愛らしい。飲み終えた後の「注いでくだせー」の異様な力強さ。一緒にお酒を飲みたくはないが、賭けはしてみたいと思うほどの粋な久蔵。でも、きっと長生きはしないだろうなと思う。
現代だと、久蔵が了解しない限り完全にパワハラになるだろうと思う。きっと気難しい人だと、「この賭けに久蔵は本当に納得しているのか!」とか、「久蔵は常日頃、こんな身体に悪い賭けの道具にされているんじゃないか?」と言い出しかねないと思うが、そこは洒落の世界。洒落と現実を混同させてはならない。というか、そういう野暮なことを言っては、落語を楽しむことはできない。洒落を楽しめなくちゃ、落語は楽しめない。
そうそう、文蔵師匠が冒頭でお話されていた酒飲みの医者の小噺。あれは、酒好きの本質を突いている気がする。酒好きにとどまらず、煙草好きにも通ずるのだが、体に悪いとされているものを得て、結果的に体が悪くなったとしても、悪いのは酒であり、煙草であって、自分ではないとする考え。そういう考えの人は私の周りにもいる。どれだけ煙草を吸おうが、「みんな吸ってるけど、長生きしてる。煙草をどれだけ吸おうが、関係ない」と言われると、もはや気遣っても何をしても、その人が良ければ良いかな、と思って、それ以上は何も言わない。
私もお酒はほどほどに楽しむ方だが、今朝、悲しいことがあったので、久しぶりに飲もうかなと思った。心が傷ついたら酒を飲む。なんと単純な思考であろうか。いかんいかんと思いつつ、ハイネケンを飲もうと決意した一席だった。
企業で主催される落語会があったとしたら、引っ張りだこなのではないか、と思えるほど現代社会の未解決な問題を新作落語としてやっている粋歌さん。『影の人事課』という超名作を作っていたりするなど、実際に会社勤めをされた経験が存分に活かされた落語がとても魅力的で、面白くて考えさせられる唯一無二の噺家さんである。
まず『働き方改革』の一席は、出産後の子連れ出勤を拡張して、様々なものを連れてきたら、一体職場がどのように変化していくのかという噺である。実際にあらゆるものを連れて出勤することが可能な世の中になったら、この落語のように様々な問題が起こるだろう。世の中には、職場に連れていきたいと思うほど大事なことが人それぞれある。私は特に職場に連れていくものは無いけれど、たとえば保育園が受け入れてくれなかったり、病院が受け入れてくれなくなったら、子供や両親を連れて職場に出勤せざるを得ない状況になってしまうかも知れない。
職場で働くための、正しい働き方改革とは何か。とても面白くて、真面目に考えたいお話である。
二席目の『わんわーん』も、女性ならではの生き辛さがひしひしと感じられる一席である。避けては通れない嫌な人との関わり合いにおいて、なんとか相手を傷つけずに奮闘するも、心がめげてしまう主人公の姿が可哀想であると同時に共感する。
私は直接出会ったことは無いが、世の中のご婦人の中には、自分の夫の地位を誇ったり、自分の優雅な生活を周囲に誇示したいご婦人がいるようである。私は特に何とも思わないが、そういったご婦人と付き合わざるを得ない女性達たちは、日々ストレスに苛まれているらしい。一体自分の立場をどう考えているのか分からないご婦人は、やたらと攻撃的な言葉で周囲の女性たちを圧迫したり、傷つけたり、嫌な思いをさせているようである。悲しいかな、そういうご婦人に限って、自分自身に対しては甘く、自分こそ絶対だと思っている節もある。と、書いているが、出会ったことが無いので、殆どドラマなどで見たりする時に抱いた印象だけで書いているので、参考にはしないでほしい。
男は割と、そういう嫌な人間に対する対処は意外なほど冷静にできる。と、一括りに言っても私の場合であるが、嫌な人間とはそもそも一切会話をしない。自分の世界に入れない。だが、女性はなかなかそうもいかないようである。下手に行動したり発言をすれば、女性たちの輪から外されたり、嫌な仕事を押し付けられたりと、様々あるようである。おそらく、この辺りの捉え方の違いによって、男と女は喧嘩になる。「そんなこと、ほうっておけばいいじゃないか」なんて男が言おうものなら、女は「放っておけないのよ!無理なのよ!」と激高するだろう。男はどうにも、女性の言葉や理論理屈には敵わない生き物であるということを、私も含めて理解した方が良い。
お偉いマダムの飼っている犬が、人語を話すことを発端に、その人語の聴き分けに苦しむ主人公の姿が可哀想でならない。私だったら何とかしてあげたいと思うが、内容が内容だけに、どうすることも出来ない。「まぁ、さらっと流しておけばいいじゃない」なんて言ってしまいかねないが、女性というのは『さらっと流す』ということが出来ないのかも知れない。目の前のことに常に一所懸命で、真っすぐに向き合うからこそ、女性は苦労が多いのかも知れない。私などは、目の前に嫌なことがあると、避けて通るか、無理して嫌なことの上を通るようにしている。ま、殆ど想像だけれども。
主人公の女性が旦那に弱音を吐きながらも、マダムの犬の鳴き声の聴き分けを、録音してまで熱心に勉強するというのが素晴らしい。旦那の出世のためにも努力する主人公。こんな女性に出会ったら男だったらとても嬉しいと思う。
いつの時代も、女性には苦労が絶えない。そう考えると、男とは何と呑気な生き物であろうか。と、こう書いていると「誰が金を稼いでいると思ってるんだ!」という男性には反感を食らってしまいかねない。
「ああわからない、わからない」
隅田川馬石 お富与三郎 その三 〜稲荷堀の殺し〜
長い長いお富与三郎の話を簡潔に纏め、年々変化していると語る馬石師匠。聞けば、なんと十五~六年前、二ツ目の時に雲助師匠から教わったとのことで、随分と歴史のある噺である。全9席をみっちり聞く日が訪れるかは分からないが、馬石師匠の簡潔にまとめられたお富与三郎を聞くだけでも、十分にその全容が分かるからありがたい。
さて、ふとした出会いから良い仲になったお富と与三郎。源左衛門に見つかり体に三十四個所の傷を受け、木更津の地で人目をはばかり生きることとなった『切られ与三』は、三年の月日の後、数奇な運命によって再びお富と出会うこととなる。というのが、前回までのざっくりとしたお話であった。
お富と再び出会った与三郎。お富は多左衛門という男の妾になっていたが、お富と与三郎の事情を知った多左衛門は二人の邪魔になってはいけないからと、金をやってどこかへ行ってしまう。ようやく玄治店に二人きりで暮らすこととなったお富と与三郎。ところが喜びも束の間、二人で食べて暮らしていけなくなったお富と与三郎。そこへ蝙蝠安と目玉のトミがやってきて、玄治店の一部を賭場にして博打で食ったらどうだと提案する。その案に乗った二人。その賭場にやってきたのが奥州屋の藤八。藤八はお富に惚れ込み、隙あらば自分の女にしようと企む。藤八は、お富を誘って食事に行ったり、金を渡すようになる。そうなると、お富は藤八との関係を与三郎に黙っている訳にはいかず、相談をする。金持ちの一人や二人に嫉妬するような俺じゃない、とばかりに与三郎は藤八とお富の関係を認める。
ある日、お湯屋に出かけたお富を見送った与三郎。その後でやってきたのは奥州屋藤八。ばったり出くわすのはきまりが悪いと、戸棚へ隠れる与三郎。藤八はお富の姿が見えず、仕方なく家に上がってお富を待つことにした。そこへやってきたのは目玉のトミ。トミは藤八の考えを知っていて、お富を嫁にするなんて考えない方が良いと言う。疑問に思った藤八はトミの言い分を聞き、三両の金をトミに渡す。トミはお富と与三郎の関係を、嘘が七割、真が三割と、存分に尾ひれを付けて藤八に話す。それを聞いて怒りに悶える藤八。トミが帰った後、やってきたお富に我慢ならない様子で、二度と来ないと告げて家を飛び出していく。
全てを聞いていた与三郎は戸棚から現れ、出刃包丁を持って家を出て行く。稲荷掘(とうかぼり)で目玉のトミを突き、家へと帰ってくる与三郎。心配したお富に事の顛末を話すと、お富は「トドメはさしたのかい?」と聞いて、トドメをささず、出刃も刺しっぱなしだと答える与三郎。
雨の降りしきるなか、二人は相合傘で稲荷掘に向かい、そこで苦しんでいる目玉のトミを、お富は刺し殺す。トミが持っていた三両を奪って二人は逃げようとするのだが、それを見ていた何者かに止められる。そいつは・・・
というところまでが、今回のお話であった。
今回も見どころが幾つもある。藤八に尾ひれを付けて語る目玉のトミ。怒り狂った与三郎がトミを刺す場面。事の顛末を語る与三郎に対して言葉を放つお富。そして、クライマックスでお富がトミにトドメをさす場面。
痺れに痺れる怒涛の人間模様に、唸る、唸る、唸る。特にトミに出刃を刺した与三郎が「お前があんまり人を馬鹿にするからっ!」みたいな言葉や、トミを刺したと話す与三郎に向かってお富が「腕を上げたねぇ」という場面や、お富がトミにトドメをさす時に吐く名調子とお囃子。初日とも二日目とも違い、遂に人殺しという越えてはいけない一線をお富と与三郎が越えた場面であった。
もしも、トミを刺した与三郎にお富が「お前さん、なんて馬鹿なことを!」と言っていたら、この噺はお終いである。ここでお富は「腕をあげたねぇ」とか、「トドメは刺したんだろうね」というようなことを言うからこそ、お富の人間の深みというか、お富という女の魔性の力に、見る者は痺れるのだと思う。それほどの事を一瞬のうちに、与三郎に言えるお富。
どんだけ与三郎に惚れてんねん!!!
と、思わず叫びたくなるほどである。心底与三郎が羨ましくてならない。
私はもう、お富の表情と言葉に身震いするほど痺れた。いいなぁ、言われてぇ。そんな風に思われてぇ。と思ったが、洒落の世界である。殺人もご法度であることは重々承知である。
与三郎も与三郎で、目玉のトミを刺した後の動揺っぷりが良い。また、その言い訳に「お前があんまり人を馬鹿にするからっ!!!」である。この一言を私は聞き逃さなかった。この言い訳の言葉が、与三郎という人間の本質を現わしていると思う。人殺しの理由が「馬鹿にされたから」という。この感じが何とも言えない素晴らしさである。なんといえば良いのか、「えっ、そんなことなの?」という感じではない。人間の尊厳が傷つけられるということの、一つの答えとして「馬鹿にされたから殺す」というのは、なんだか、良いなぁ。と私は思う。
相合傘で殺しのトドメをさしに行くという風景も素晴らしいし、トドメをさすお富の台詞も良い。物凄く良い。初めての夫婦の共同作業が、自分たちを馬鹿にした男を殺めるということの、何とも言えない素晴らしさ。常人では理解できない二人の、愛とも恋とも呼べない関係性。お互いのどす黒い血を混ぜ合わせ、お互いの肉体で巨大な薔薇を描こうとしているような感じと言えば良いのか。どこからが境目かも分からぬほど溶け合い、互いが互いの一部であり、一つの液体であるかのようなお富と与三郎の関係性。ついに禁断の殺しに手を染めた二人の未来には、一体何が待っていると言うのか。
総括 魅せられっぱなし
いよいよ、明日は四日目である。こうなったら、無理してでも最終日は行く。こんな話を聞かされたら、行かないのは一生の後悔である。
それにしても、馬石師匠の語りの素晴らしさ。それまで落語の滑稽話しか聞いて来なかったが、こんなにも痺れる話を五日間通しでやるというのは、尋常ではない精神と技術だと思う。今回の通し公演で、すっかり馬石師匠の魅力にハマってしまった。それまではちょっと不思議な人くらいにしか思っていなかったのだが(失礼)、今回でその印象を改めた。凄い。凄すぎる。っていうか、馬石師匠も含めて、雲助一門、精鋭揃いというか、後の名人が揃っていると思う。
なんちゅー企画を渋谷らくごは打ち立てたんだろう。こんなに凄い企画、次もあるか分からない。出来れば毎年恒例にして欲しいし、他の人でもお富与三郎を聞いてみたいと思う。
狂おしいまでのお富と与三郎の関係性。興奮して眠れない。