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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

愛が金色~2019年10月22日 新宿レフカダ 文菊の時間~

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あの、もりのさんですか?

 

「野ざらし?」

「いや、えっと、あの・・・」

 

よく書いてくださいね 

  

行こうよ

最初に言っておく。噺家さんの懇親会には絶対に参加するべきであると。特に、自分の好きな噺家さんとなれば、尚更であると。

たとえ、緊張でガチガチになり、何を言うべきか焦ったとしても。

たとえ、緊張で言葉が出なくなり、過去の記憶をすぐに思い出せなかったとしても。

たとえ、言いたいことの10分の1も伝えられなかったとしても。

行こうよ、懇親会。行けるなら、行こうよ。

今はそんな心持ちである。

というわけで、文菊師匠の懇親会に行って、最高だった思い出のお話。

 

お休みの一日

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偶然にも『即位礼正殿の儀』によって祝日となった10月22日。私は朝から出光美術館で開催中の『名勝八景』という展示で、山水図を見てきた。墨だけで表現された『景勝地』とされる西湖や山や滝の図を見ていると、不思議と心が清廉になっていく。

あたくし、『山水図』心得てます。

特に、円山応挙の弟子でもある長沢芦雪の作品がとんでもなくて、見た瞬間に震え上がった。これは是非見て欲しいのだが、白い屏風の上に墨だけで表現された波、岩々、そして船に乗る人々。見た瞬間に音が聞こえてくるほどの筆致。息を飲むような芦雪の哲学というか、思考が垣間見えて、芦雪という人が一体どんな人物であったのか、会って話を聞いてみたいと思ったほどである。

あたくし、『長沢芦雪』心得てます。

墨は五彩を兼ねるという横山大観の言葉にもあるように、出光美術館に展示された作品は、どれも墨だけであるのに様々な色が見えるのである。そして、細かな筆遣いもさることながら、図と鑑賞者の距離も重要であると思った。初めは近くで絵を見ると、案外、乱雑というか、あっさり書かれているように見えるのだが、少し離れて図を俯瞰してみると、驚くような空間演出というか、奥行きが表現されていることに気づく。山水図との適切な距離感を図るのも、山水図の楽しみかも知れない。

そして何より、『月』を探すのが楽しいのだ。山水図の楽しみ方として、私なりに面白さを発見したのだが、山水図に描かれる月の位置と大きさを発見した後で、図を俯瞰して見ると、絵の拡がりや壮大さがはっきり、くっきりと分かるのである。思わず「この絵の月はどこかな~」と探すのが楽しい。「おっ、こんなところに月が!」と発見した瞬間に、がらりっと図の奥行きが変化して感じられる。是非、山水図を見て頂きたいと思う。

あたくし、『月』心得てます。

 

 〇〇心得てます

心の中で「わたし、〇〇心得てます」がブームである。駅を降りて改札を出る時も「わたし、Suica心得てます」とか、日本酒飲んでいるときに「わたし、日本酒心得てます」とか、色んなことに対して、ついつい「〇〇心得てます」と言ってしまいたくなる。それは、文菊師匠がマクラで「あたくし、ラグビー心得てます」みたいな発言をしていたのを聞いて、自分でも使ってみたくなったからである。

『知る』とか『分かってる』とか、『理解してる』とか言うよりも、『心得ている』と言った方が、粋ではないだろうか。そう思わないだろうか。ラグビー知ってますというより、ラグビー心得てますと言った方が、思わず「おっ、こいつ、できるなっ!」とならないだろうか。私は思う方だ。だから、ちょっとした時に、「ああー、それなら、心得てます」と言うようにしている。22日からだが。

 

 新宿レフカダへ

初めての新宿レフカダ。17時ちょっと過ぎに場所を確認。近場のドトールでホットティーを飲んで時間潰し、開場15分前に行くと予想以上の列。おっと、しまった出遅れたと思いながらも、地下にあるライブハウスのような会場に入っていく。まさかこんな感じだとは想像していなかったので驚く。

金色の屏風と、緋毛氈の高座。紫の座布団。めくりには『文菊の時間』。極小のカウンターでコロナビールを貰う。ライムの入ったコロナビールを飲みながら、開演時刻になった。

初めての場所は、いつも雰囲気を確認する。おそらく、物凄い常連さんの数。そして、誰もが顔見知り感満載。自民党の党決起集会に、一人だけ雑民党所属なのに参加してしまった感じと言えば良いだろうか。今、雑民党を知ってる人がどれほどいるか知らないが、とにかく、強烈なアウェイ感であったことは間違いない。

早く会が始まることを祈っているうちに、開口一番の登場。

 

 入船亭扇ぽう 子ほめ

入船亭扇遊師匠の三番弟子で、扇遊師匠の前座名を受け継いだ扇ぽうさん。気風の良い江戸前のリズムと、言葉を紡ぐ時に見せる破顔した笑顔が素敵な扇遊師匠のお弟子さんということもあって、随所に扇遊師匠の影響が見える一席だった。

2017年の入門から早二年が経ち、朴訥として生真面目な雰囲気が素敵な扇ぽうさん。扇遊師匠は前座噺も一級品で、寄席で見る『道灌』や『一目上がり』、酒飲みが出てくる『親子酒』など、寄席に江戸の風を吹かせる気持ちの良い一席が多い。いつか扇ぽうさんも、そんな扇遊師匠の気風を受け継いだ一席を披露する日が来るのだろうか。

二番弟子の遊京さんは独特の粘り気のある語りの間があるし、黒門亭でも良くご活躍されている一番弟子の扇蔵さんなど、独自の個性を持つお弟子さんが多い中で、真面目で何ものにも染まっていない雰囲気を持った扇ぽうさんが、どんなふうに落語の世界を表現していくのか。とても楽しみだ。

 

古今亭文菊 岸柳島

中野の『藪入り』の衝撃冷めぬままの文菊師匠。常日頃見ている私からすると、物凄いリラックスされた様子の高座だった。

朝の中野の澄み切るような高座の空気感とは対照的に、「早く飲もうぜ、文菊師匠~」みたいな、ご常連さん方の雰囲気が漂っていて、気迫の熱演をぶつけるというよりも、楽しい勉強の場で和気藹々というような雰囲気があって、他の場には無い温かい空気が流れていた。なるほど、会によってこんなにも雰囲気が違うのかと驚くほど違う。文菊師匠の新しい一面を見るような、そんな雰囲気で始まった。

マクラではラグビーの話。これも中野とは違って、より人間臭いというか、家族の話を聞いているような温かい笑いが起こる。文菊師匠も安心している様子でマクラを語る。

演目の『岸柳島』は久しぶりに文菊師匠で聞く話だった。簡単に言えば『落とし物をした若侍が、喧嘩になって老人と対決するが、騙される』という話である。

寄席でやっていてもおかしくないが、それほど掛けない話なのではないだろうか。老練な武士や、怒る若侍、取り巻き連中のてんやわんやが面白い。登場人物を見事に描きながら、特筆すべきは屑屋の表現であろうか。ちょっと間抜けな雰囲気もありながら、しっかりと自分の懐を温めようと画策していた様子の屑屋の雰囲気が良かった。

『たがや』でも同じような場面があるが、舟で若侍に向かって野次を飛ばす町人連中の掌返しも面白い。ころりと自分の意見を変えてしまうズルさが、マクラのラグビーの『にわか』な感じに重なって面白かった。

何ごともそうだが、始まりは誰も『にわか』である。村雨だって『にわかに』降り始める。それまで、全く見向きもしなかったことであっても、急にドハマりしてズブズブと沼にハマってしまうことが人生にはある。小田和正だって歌っている。『ラブストーリーは突然に』である。『岸柳島』の一席も『争いごとは突然に』なのだ。

 

 古今亭文菊 お直し

普段、滅多に見られない『超リラックス・文菊』が見られる場であるのだな、と確信した一席。マクラも印象深く、懇親会では恐ろしくて聴けなかったが、連絡先を知りたかった。どうしよ、選ぶ権利を行使されて、教えてもらえなかったら・・・という恐怖に負けました。嘘、緊張し過ぎて忘れてた。

私も大きな失敗をしたが、文菊師匠に上手く拾って頂き、演目は『お直し』

ネタ卸し以来の『お直し』。内容は前回の記事『ノブレスオブ・リージュの肖像』をご参照頂きたい。

二度目だが、やはり、奥さんが化粧をする場面がゾッとするほど美しい。以前にも書いたが、そこに女の『覚悟』を見るのである。

『お直し』という演目は、殆ど花魁の『覚悟』の連続であると思う。老いていく自らを受け入れられないでいるところに、客引きの若い男の言葉に心動かされ、花魁は仕事を辞めて夫婦になる。だが貧困故に蹴転(けころ)の商売に身を落とす。花魁は鏡の前で化粧をしたり、男に助言をしたり、男の諦めに腹を立てたりする。覚悟の連続以外の何ものでもないと思う。

女性の覚悟の連続を見ているだけで、なんて男はだらしがない生き物なのだろうと思う。男はいつも優柔不断で、無計画。女性の方がよっぽど現在と未来を照らし合わせて生きているのだと思ってしまうほど、『お直し』という演目には女性の力強さが表現されているように思うのだ。

また、演目名の『お直し』は、「直してもらいなよ」と声をかける場面がある。これは、キャバクラで言えば「お時間ですので、ご延長されます?」と同じような合図である。私の場合は大体、先輩と行くことが多いので、「どうされますか。閣下」みたいに聞くことが多い(いらない情報)

この「直してもらいなよ」という言葉が、なんというか、ふと、どん底に落ちた花魁と客引きだった男の人生にも掛かっているのではないかと思ったのである。洋服などの『お直し』と、どん底から這い上がろうという、今の人生の『お直し』が、「直してもらいなよ」と言ってお金を頂く言葉と三重になっているのではないか、と思った。

最後のオチだって、なんだか二重の意味に思えるのだ。人生のお直し、男女のお直しが、ここにはあると思う。

と、書いても、まだまだ文菊師匠は磨き上げて行く気持ちで満々だと思う。100%ホームだからこそ、研鑽の意味を含めて『お直し』を選んだような気がする。本当のところは分からないけれど、現代では受け入れられづらくなってきた、ちょっと過酷な男女の関係の表現に、私は文菊師匠の並々ならぬ凄味を感じる。滅多に聞けないけれど、私は文菊師匠の『子別れ』が大好きなのである。噺自体は、顰蹙を買いかねない内容だけれど、堪らなく好きなのは、そういう世間の風潮を一切抜きにして存在する男女の思いを、『子別れ』や『お直し』に見るからかもしれない。

文菊師匠の果てしない野心を垣間見た一席だった。

 

懇親会

お待ちかねの懇親会。最初に話しかけて頂いたフォロワーさんから、続々と大勢のフォロワーさんとご挨拶させて頂いた。

基本的に、10月22日まで、殆ど他者と関わることは無かった。まして、噺家さんの懇親会に出るなんて、初めてのことである。

とても緊張していたが、良く見かける方や、私のブログを読んでくれたり、渋谷らくごのレビューを見てくれた方々もいらっしゃって、とても楽しかった。

何より、文菊師匠への愛に溢れていた。共感の嵐が巻き起こることに興奮し、自分でも軽いトランス状態に入っていた気がするほど喋ってしまった。3年ぶりに喋りまくった気がする。

とにかく嬉しいのは、文菊師匠のファンの皆様が温かく迎えてくださったこと。気さくに話しかけて頂いたり、応援してくださったこと。そして、文菊師匠にご挨拶できたこと。

とにかく、何もかもが楽しすぎて、2日経った今も、思い出す度に興奮してしまうような、熱狂の一夜だった。

文菊師匠とお話させて頂いたときも、自分がレビューを書いた会の演目をド忘れするという大失態。ファンの方がフォローしてくれたが、なんとも申し訳ない。次回は挽回したい。

もう本当に文菊師匠も、ファンの皆さんも素敵過ぎて、「あれ、これ、全員、俺かな?」と思うくらい、自分と好きなところとか、好きな噺が似ていて、もうなんか、自分の分身がいっぱいいるような思いでした。共通して文菊師匠が好きっていう感じがたまらなく良かった。なんて幸福な空間なんだ、終わるな!永遠に続け!と心の中で願ってしまったほどである。全員、二十代で時が止まっているのかと思うほど、心も見た目もお若くて、文菊師匠の落語を聞くと若返る作用があるのかと思った。

なぜこれまで他者との関わりを断っていたのか、後悔はしないが、もうちょっとアクティブになっていても良かったかな、と思い直した。心を『お直し』した瞬間だった。

もう顔も割れてしまったので、ご常連の方々にはご挨拶させて頂いたり、色々とお話させていただく機会も増えると思う。もしかしたら、顔を忘れてしまっているパターンもあるので、その時は「あれ、こいつ、忘れやがったな?」と思って、なんとなく、教えてくれたら嬉しい。基本的に、一度見た人の顔は忘れないタイプなので、多分、気づいていないだけだと思うが。

まだまだ文菊師匠への愛は語り足りない部分もあったし、文菊師匠にお伝えできないことも広辞苑20冊分くらいはあったので、小出しにお伝えしていきたいな、と思った。

本当に、改めて言うが、懇親会には絶対に参加した方がいい。自分と同じ感性を持った人に出会う機会はそうそう無いと思うので、もしも出会ってしまったら、それこそ滝のようにとめどなく語ることになるのだが、その幸福は筆舌に尽くしがたい。

まるで高座の屏風のように、愛が金色に輝いていた。

黄金は錆びない。愛も錆びない。

また、懇親会に参加する予定である。

また再び、文菊愛の金山を掘削して、黄金に目を輝かせよう。

そんなことを思った、金色の一夜だった。