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死ぬこたぁねぇやな~2019年11月11日 新宿末廣亭 夜の部~

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余談ですけど

 

今日はちゃんとやります

 

江戸会話教室

 

生きろ! 

 

One Too Many

会いたいか、会いたくないか、それが距離を決めるのよ』と書いたのは森博嗣先生で、私はずっとこの言葉に従って生きている。

今日はあの人に会いたい。今日はあの人の噺が聴きたい。気づけば走り出している。気づけば私は、私の足で、私の意志で、会いたい人に会いに行っている。それの何が悪いの?会いたい人に会って、ああ、素敵だなって思って、その気持ちを言葉にすることの何がいけないっていうの?全然、いけないことなんかじゃない。私には会いたい人の素敵な部分しか見えないから、素敵な部分を書きたいだけ。

誰かは言う。「あいつは良いことしか言わない。それはどうかと思う。面白く無い」って。で?って私は思う。だから何?って。私は私が会った人が、全員、素敵じゃなきゃ気が済まない。素敵じゃない人に会っている自分を許せる自分がいない。だから、会いたいときに会う人は、いつだって100%以上に素敵で、最高で、輝いている。

一つだけ忠告しておくよ。私と出会った人は全員、素晴らしいと私は思っている。どこの誰だか知らないけれど、「いやいや、君の褒めたその人には、こんなに駄目な点があるよ」なんて言葉に、耳を傾ける気はさらさらない。その人にしか無い輝きがあると思っているから。少なくとも私は、私と出会った人の良い点ならすぐにでも言える。すぐにでも書ける。それが良いとか悪いとかなんて、私には関係ない。私は私が出会った人全員を、地球上最も優れた才能を持つ存在だって言いたいの。その人自身も気が付かない良い点を、それこそ掘削機よりも、惑星探査機よりも、AIよりもGoogleよりも先に発見して、私なりに表現したいの。

私が会いたい人には、生きててほしいの。呼吸しててほしいの。心臓バクバクさせていてほしいの。私が会ったときに、「ああ、やっぱりあなたは最高ね」って、「あなた、誰よりも最高よ」って言いたいの。それをどこの誰とも知らないやつに「ふん、褒めてばっかでつまんない」なんてさ。私の何が悪いんじゃい、私のどこに悪いところがあるんじゃい。「お前は盲目だ」なんて言葉、私には知ったこっちゃ無いの。

私が言いたいのは、たった一つ。

 

 あなたは

 

 輝いているの!!!!!

 

そんなことを思った。菊之丞師匠の『文七元結』に。

 

古今亭菊之丞 文七元結

黒紋付きに、びしっと整えられた髪。艶やかで品のある姿。少数精鋭の客席に向かって、静かに語り始めたのは、一人の左官の博打打ち、長兵衛の姿。

しっかりとした腕があるのに、生まれ持っての欲のせいか、博打にのめり込む長兵衛。家に帰ってくれば娘が吉原に身を売ったと聞き、女房の服を無理やり剥がして吉原へ。

なんて乱暴な男なんだろう。強欲で我儘で、自己中で無責任。菊之丞師匠の簡素な語りの中で、長兵衛は自分の欲を隠して体裁を取り繕うとする。事の重大さに気づかずに、その場しのぎに見栄を張って、嘘をついて、自分さえも誤魔化そうとする男。でもね、私にも覚えがあるよ。そういう思いを抱いたことがあるよ。傷つくのが怖くて、嘘をついて誤魔化して、他人も自分も誤魔化して逃げたことが何度もあるよ。その度に自分の小ささを知って立ち上がってきた。だから、博打に溺れても「おれは博打はしてねぇ」と言い張る長兵衛に、自分が重なって見える。

長兵衛は、吉原の女将に叱責される。菊之丞師匠の描き出す女将さんの、優しくもありながら厳しくもある姿に、涙が零れそうになる。「あたしは鬼になりますよ」みたいなことを言う女将さんの、目、声、表情。菊之丞師匠の姿がふっと消えて、そこには佐野槌の女将としての誇りと責任を背負ってきた女の姿が立ち上がった。

自ら身を売った娘『おはな』の姿と声が、キリキリと胸を締上げるほどに辛い。博打にのめり込んだ長兵衛が改心する様子が、痛いほど胸に迫ってくる。自分の子供という、一番大切な存在に気がつき、50両という金を手にして去っていく長兵衛。静かに、簡素に、物語の雰囲気を寄席の静かな雰囲気に合わせていく菊之丞師匠。本当に驚愕だったのは、菊之丞師匠の姿が消えて、登場人物の姿だけが見えてくることだった。

浅ましい長兵衛の表情。長兵衛に呆れる女房の表情、夫妻のところにやってくる佐野槌の使いの表情、佐野槌の女将の表情、長兵衛夫妻の娘おはなの表情。全てが菊之丞師匠の語りによって、鮮明に浮き上がってきた。語りを耳にしているだけで、高座に座している菊之丞師匠とは別の、どこか言葉に出来ない空間で、映像が映し出されている感覚。凄まじいまでの情景描写力。これが、菊之丞師匠のトリの凄味なのかと、客席で震えた。

やがて、吾妻橋で身投げする若い男に出会う長兵衛。身投げをしようとした若い男は文七だった。文七のなよなよっとした弱さと、若さゆえの身勝手さを描き出す菊之丞師匠の表情と声が凄かった。本物の文七を見た。弱くて、真面目で、自分の命を簡単に捨ててしまうような不安定さ。自暴自棄になって、全てのことに絶望した様子の文七が、菊之丞師匠の語りの中で生きて鼓動をしていた。50両を手にし、娘のために一所懸命に働こうと決意した長兵衛が出会い、50両を投げつける場面は、可笑しくもありながら、目からは涙が零れた。50両の金を受け取った文七の表情が忘れられない。はっとするほど真に迫ったというか、もはや文七としか言いようの無い姿に、ただただ脳内に移る映像に鳥肌が立った。

長兵衛が文七に語り掛ける言葉のどれもが、温かくて、おかしいけれど、涙が止まらなかった。本当はやりたくねぇ!と言う長兵衛が、それでも目の前の文七に死なれたくないと思って投げつけた50両。人の命に値段は無い。長兵衛の心意気が、何よりも温かかった。思えば、私も色んな人に「生きろ!死ぬことはねぇぞ!」と言われて、生きてきたような気がする。

今は思うよ。

 

死ななくてよかった。

 

それから、文七が再び長兵衛の元に訪れる場面。そして、おはなと再会する場面。いよいよ年末が来るんだなぁと思って、目から零れる涙を拭いて、寄席を出た。

 

わからないことも、辛いことも

なんだかよくないことも、

なんだかよいことも、

いろんなことがごちゃ混ぜになって、悔しい思いとか、馬鹿だな私って思う日も、

そりゃ、生きているから、

いっぱいあるんだけどさ。

菊之丞師匠が『文七元結』で言ったみたいに、

死ぬこたぁねぇやな。

生きようよ。

生きよう。

この世界は、

死ぬには幸福に満ち溢れていて、

生きるには幸福に満ち溢れている。

どっちにしたって、

幸福な世界だ。

冒頭にも書いたけど、この記事を読んでいるあなた。きっと、私に会ったことのある人も無い人もいるだろうけど。

少なくとも、この記事を読んでくれたあなたに、

私は言いたい。

 

 生きろ!!!

 

 死ぬこたぁねぇやな!!!

 

あなたに素敵な出会いがありますように。

あなたが毎日を笑って過ごせますように。

そんなことを祈って、

この記事を終わる。

では、また。いずれどこかで。