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【Day 1】畔倉重四郎 連続読み~2020年1月 神田松之丞~

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二人は恋人 名前を知らない

チバユウスケ『人殺し』 

人を殺す夢を見たことがある。一度や二度ではない。記憶しているだけで三度ある。いずれも完全犯罪で、親しい友人、名の知れぬ人物、気に入らぬ人物、一人を殺害する。はっきりと「俺は人を殺したのだ」という自覚があり、言いようの無い恐怖がやってくる。完全である筈の犯罪が暴かれ、露見し、警察に追われ、果ては死刑になるのではないかという恐怖に苛まれて目が覚める。そこで初めて「良かった。俺は人殺しじゃないんだ」と安堵するのだが、胸には逃げきったという達成感があるから不思議だ。

想像の世界では、人を殺しても罪には問われない。目の前で腹立たしい行為をする人間の脳天を想像の銃弾が撃ち抜いても、それは私の頭の中だけで行われて処理されるだけで、現実には何も表出しない。想像の世界では、人を殺し放題であるし、もしかしたら私は誰かに何度か殺されているかも知れない。

それほど残忍な想像を常にしているわけではないが、『自分の世界から相手を消す』ということを私は良くやる。「この人とは一生関わりたくない」とか「この人は危険そうだから会うのは止そう」とか思うと、私はその人物を『この世界に存在しないもの』として扱う。変に嫌ったり、攻撃するのは時間の無駄であるし疲れるから、サッと自分の世界から消すのである。まるで砂に書いた文字を波が消していくように、何度相手が浮かび上がってこようが、即座に消すのである。

 

さて、私は再び『あうるすぽっと』へとやってきた。去年は慶安太平記の連続読みで5日間通った場所である。連続読みの面白さにハマった去年は、結局慶安太平記とお富与三郎の連続読みくらいしか聞けなかった。

今年は、昨年よりはもっと肩の力を抜いて書くべきか、それともガチッと書くべきか悩んだのだが、昨年は『想像の風景』と称して書いたので、「今回はいいかな・・・」というテンションなので、さらりと書いて行こうと思う。以下、全て松之丞さんのネタなので、演目のみの表記とする。

 

 第一話 悪事の馴れ初め

A日程で全てを語り終えたためか、若干の余裕を見せる松之丞さん。肩の力の抜けたリラックスした語りで、畔倉重四郎を描き出す。

父を亡くした重四郎の性格を、淡々と静かなリズムで松之丞さんは語る。穏やかな語りではありながら、客席の様子を伺っている気がする。

一話目はそれほど物語に大きな起伏は無いのだが、確実に『聞かせる語り』であるように思える。

特に、重四郎が父を亡くした後、博打と女にのめり込んでいく様が、静かに、されど細かに描き出されていて、去年と比べると格段に『語りの水準』というのか、派手さは薄れ、むしろ骨太かつシンプルな語りが強調されている気がした。

また、父が正義感の強い存在であるのにも関わらず、その父を亡くした重四郎が面倒くさがりという性格の対比が面白い。若いからこその欲望の放射性というのか、四方八方へと伸びる興味が、一つのことへ集中する力を奪っていたのだろうか。その隙を突いてやってくる博徒。まんまと金に目が眩んで場所を貸す重四郎。みるみるうちに博打に魅せられ、やがては女に魅せられていく。

親を亡くした子の顛末は、現代にも通じる部分があるであろう。芸能人の誰とは言わないが、二世タレントと呼ばれた人物の落ちっぷりを見れば明らかである。完全に一致するとは言わないが、重四郎もどこか父という存在を失い、箍の外れた欲望への道と悪への道へと、踏み出すことになる。

 

 第二話 穀屋平兵衛殺害の事

どんなことでもそうだけれど、自分と相手だけの秘密にしたい事柄が他人に知られてしまうというのは、気持ちの良いものではないし、鬱陶しくて腹立たしい。

二話では、女に恋をした重四郎が散々な目に遭う。重四郎からすれば大きな理不尽であろう。理由としては単純であるが、男とはそういう生き物だ、と言われれば、そうなのかも知れない。と思ってしまうような殺害理由である。

笑いを織り交ぜながらも、核の部分にいる重四郎の存在がブレない。一話のテンションがさらに上がって、平兵衛殺害の場面には松之丞さんと言えば、これぞ!な迫真の殺害場面がある。その冷酷さと重四郎の苛立ちに目を奪われる。

そうは言っても、私自身が『講談の殺し』に慣れてしまった感があった。「あ、これは死ぬやつだよね」と思って見ていると、見事にやられる奴がやられるし、殺す奴が殺す。それでも、松之丞さんは殺しの描き方、魅せ方が素晴らしい。これは好みの問題かも知れないが、殺しの場面の語りにはダイナミック派とシンプル派の二つに分かれると思う。どこに重きを置くかは人それぞれだが、私はどちらも尊重したい。

平兵衛殺害後の重四郎の行動。どことなく陳腐であると感じるのは、昨年に由井正雪の巧みな知恵に魅せられたからであろうか。重四郎はこの殺害以降、10人を殺すのだが、そこまで人を殺してしまうほどの悪は見えない。叶わぬ恋に苛立った男の突発的な行動のように思えるのだが、果たしてこれからどう悪へと染まっていくのだろうか。

 

第三話 城富嘆訴

完全にボルテージの上がった松之丞さんもさることながら、観客が温かい。これは良い会だな、と思わせてくれるほどに観客が温かいのである。特に前列から三列目くらいまでは、物凄くアットホームな雰囲気があって、それだけでも「この会に参加して良かったな」と思うことが出来た。

そんな客席の力が影響を及ぼしたのか、二話、三話と語りに熱が籠っている気がした。特に、重四郎が平兵衛殺しの罪を着せた男の息子、城富の語りは真に迫っている。前半二話で悪の主人公、畔倉重四郎の誕生を描いた後で、今度は盲目の男、城富を登場させる。物語に登場する人物の対比が美しい。目が見えずとも、本当の正しさを求めて行動する城富。真っすぐに父の潔白を信じる城富が、名奉行である大岡越前守を信じるのだが、見事に裏切られる場面での、言葉にならない怒りが松之丞さんの声に籠る。正しさを正しさとして認めさせるために行動する城富。その嘆きの訴状は大岡に届くのか。

 

 第四話 越前の首

父の無実を信じて奉行所へとやってきた城富。とにかく城富の雰囲気が素晴らしい。松之丞さんも完全にスイッチが入ったのか、語りに熱が籠る。

この話での一番の見どころは、なんと言っても大岡越前守と城富の火花散るような、ヒリヒリする会話の応酬であろうか。大岡の下した裁きに憤る城富。そして、頓智頓才に優れた大岡が静かに城富の言葉を受け止める姿。二人の会話のリズムを聞いているだけでも、ドキドキする。そして、最後に城富が自らの正しさを示すために放った一言、そしてそれを受け入れる大岡の言葉。この二言を聞くだけで、ゾクゾクするような思いが込み上げてくる。互いに『真犯人』を追い求めていることには間違いは無い。それでも、城富の父を思う気持ちと、それを巧みに利用しようという大岡の策略が渦巻いているような気がして、「うおおー、おもしれぇー」と思いながら聞いた。

果たして、城富と大岡の見つめる先に待っているのは、重四郎であるのだろうか。善と悪、光と闇。盲目の城富が闇の中で見つめる光の先に、父は果たして存在しているのだろうか。

息もつかせぬ静かな展開。明日は一体、どうなってしまうのだろうか。