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【Day 2】畔倉重四郎 連続読み~2020年1月 神田松之丞~

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明け方始発で この街を出て行くって

チバユウスケ『人殺し』

 サイコパス

自分の中に自分とは別の存在を作り上げる人間がいる。それはマトリョーシカのように、開けて行けば同じような形をした存在が現れ、どんどんと小さくなっていくというものではなく、むしろ、開けたらまるきり異なる存在が、どんどんと大きくなっていく感覚に近い。気がつけば、どちらが本物であるかという概念は消え失せ、全てが本物であるという結論に辿り着く。全てがマトリョーシカであることと同じように。

サイコパス、それは人の理解を越えた存在であるのか。

かつて、『ビリー・ミリガン』という 男は24の人格をその身に有していた。当時の精神医学者をして、24の人格全てが『演技ではない』と判断された人物である。読者の中にもご存知の方は多いと思うが、ビリー・ミリガンは三人の女性に対する強盗強姦事件で逮捕されている。

では、畔倉重四郎はどうであろうか。初日、重四郎は自らの恋路を嘲笑われ、阻まれた腹いせに殺害に及んだ。それは、重四郎そのものであったと私は思う。

ところが、今宵は重四郎の残忍な殺人の幅が拡がる。あまり気持ちの良い幅の拡がりではない。幅が拡がって嬉しいのは顔と家の庭くらいではなかろうか。

冗談はさておき、今宵の畔倉はさらなる悪の道へと突き進む。そして、ふとした偶然によって、一度、その悪がひっくり返り善となる。だが、その善では覆い隠せないほどの悪が、重四郎の心から沸き起こってくる。

私は考える。重四郎が悪に染まったのか、それとも悪が重四郎に魅せられ、染めたのか。

答えは、神田松之丞が物語っている。

 

 第五話 金兵衛殺し

三話、四話で、真犯人探しを決意した城富の語りは中断。再び五話目で博打に明け暮れる重四郎が姿を表す。仲間と共に博打に興じるのだが、運に見放されて一文無し。金を得るために、金兵衛なる人物を殺して大金を奪い取る。

ここまで、重四郎の殺人動機はあまりにも短絡的である。『恋が上手くいかなかった』という腹いせに恋心を抱いた女の父親を殺害。『金が無いから欲しい』という理由で、金兵衛を殺害。カミュの異邦人では無いが『太陽が眩しかったから』という理由で人を殺してしまうような、殺人への動機付けがあまりにも軽いのである。むしろ、『簡単に人を殺してしまおうと考える人間』が畔倉重四郎という人物なのかも知れない。

およそ普通の考えでは理解できないし、理解しようとも思わないのだが、不思議に魅せられるのは、現実社会にも、畔倉の殺しの動機のような、『動機としてはあまりにも軽い動機』によって人を殺す殺人犯が確かに存在しているからであろうか。

『軽い』というのは私の主観である。読者の中にはいないと思うが、中には『恋が上手くいかなかった』ということを、非常に『重い』ものとして捉える人間がいることも事実である。もしも読者の中に『重い』と感じる人物がいるとしたら、申し訳ないが私は『軽い』と思うので、『軽い』と記していくとお伝えしておく。

事実、好きな女性と付き合えないことがわかった男が、その女性を殺して自分も死のうとした事件もあった。当時は「なぜそんなことで人を殺してしまえるんだろう」と思ったのだが、松之丞さんの語りによって想像される畔倉重四郎とは、まさにそんな存在なのであろう。自分の理解の範疇を越えているからこそ、私は面白いと興味を抱く。この男が一体どんな方向へ進むのかと考えてしまうのだ。

さて、金兵衛を殺害し大金を奪った重四郎。ところが、金兵衛の子分にバレて逃げる事態になる。道の途中で発見した寺に入り、そこにいた和尚に頼んで身を隠す。

この後、和尚は死ぬことになるのだが、その場面もあまりに惨い。残忍で、理不尽で、冷酷で、暗い。およそ『人として』という言葉が通用しない。そんな言葉は単なる爪楊枝で、完璧な悪の万里の長城を崩そうとしても崩すことはできない。

完全に後戻りのできない段階へと足を踏み入れた重四郎。驚くほどに、殺しに対する罪悪の意識を感じさせない。むしろ、楽しんでいるようにさえ思えるのだ。一度人を殺してしまったが故に踏み入れた世界で、自らの欲を満たすために人を殺す重四郎。自らを助けてくれた善意ある和尚を殺害したとき、重四郎の目に宿る、否、松之丞を通して想像された重四郎の目に映る、深い漆黒の闇。その深淵を覗き込んだ私の胸が、ゾクリ、ゾクリと、まるで筒状の棒の中を氷水が勢いよく流れていくかのような寒気に襲われ、悪漢の常人離れした姿に息を飲んだ。

さて、この後、重四郎はさらなる悪へと歩みを進める。

 

第六話 栗橋の焼き場殺し

一話目・二話・五話・六話は悪漢・畔倉重四郎の誕生に費やされたと言って良いかも知れない。それほどに、重四郎という人間の悪に染まる行為を見事に描き切っている。また、枕も少なめに笑いどころも無く、淡々と静かに人を殺害する場面を語る松之丞さんの姿も良い。語りの緩急とも呼ぶべきか、一定のリズムとトーンを保ちながらも、徐々に人殺しの場面までに盛り上がって行く語りの調子。まるで普通の人間が、一瞬カッとして人殺しに及んでしまうような、そういう危うさを感じさせるトーンがある。集中力を欠けば、それは冗長な語りと思われてしまうかも知れないが、じっくりと語りに耳を澄ませていると、驚くほどに凄惨な場面に効果的な語りであることが分かる。

さて、重四郎は前話で殺した金兵衛の子分を仲間の三五郎と助け合って殺害する。ここからの流れが、見どころであり、松之丞さんの語りも凄まじいものがあった。

特に、子分の三人を焼く場面の後の重四郎の言葉。そして、その後に焼き場の主人を殺す場面で吐かれる言葉。もはや痺れるほどの悪がここにある。

まさに、悪の結晶化。それが第六話であろう。もはや殺人に動機が存在しなくなった。自己保身とか、バレるのが怖いという感情の問題ではなくなり、それは言葉では発せられるが本質的な動機にはなってはいない。重四郎はこの第六話で、『殺しにハマった』と言っても良いのではないだろうか。

それは、まるで何か習い事に熱中するかのような軽さである。泳いでみたいからスイミングスクールへ。泳いでみたら楽しいから水泳選手になりたい。と、子供が純粋に夢を追いかけるみたいに、あまりにも単純明快なのだ。人に腹が立ったから殺害、殺して見たら楽しい。楽しいからもっと殺そう。純粋無垢な悪の結晶を染めるのは、斬殺した相手から飛ぶ鮮血。その生温かい血の温度に快感を抱いたかのように、ぼそり、ぼそりと呟く姿が印象に残った。『人殺しの快感』に陶酔し、恍惚としているかのような重四郎の姿が印象的であった。

動機ある殺人から、「誰でもいいから殺したい」という快楽殺人への移行。完全なる悪と化した重四郎は、仲間の三五郎と分かれて旅に出ることになる。

一体、この悪はどこへ行くのか。仲入りでぼんやりと、重四郎の血に染まった生々しい姿を思い浮かべていた。

 

 第七話 大黒屋婿入り

五話、六話の流れから一転、第七話での重四郎はあまりにも幸運である。悪の結晶と化した重四郎が、さらなる殺人を犯すかと思いきや、旅先で偶然出会った女と良い仲になり、その女が旅館の後家であることを知り、言葉巧みに誘惑して女と夫婦になる。とんとん拍子で重四郎は旅館の主人となり、名前を改め、大黒屋重兵衛となる。

物語の簡単なあらすじについては、神田松之丞さんが纏められた『講談入門』を参照頂くとして、立派な堅気の人間になった重四郎を悪が逃す筈も無い。一度悪へ踏み入れてしまうと、否が応でも悪が追ってくる。全身を悪に染めた重四郎のもとへ、手負いの侍が現れ、大金を盗んだ強盗犯であることを知る。重四郎は侍に逃がすと嘘を付いて殺害。大金を手に入れ、自宅で返り血を洗い流そうとするのだが、女中に血を洗い流している場面を発見される。上手く誤魔化すのだが、女中の胸にはしこりとなって残る。

第七話は、サイコパスとしての重四郎の姿が垣間見える。美男として生まれついた重四郎の生まれながらの才知が発揮されたのであろうか。父から譲り受けた剣術の道場では真剣に取り組まなかった重四郎が、旅館の主となった途端に才能を開花させる。働きぶりの詳細については語られないが、周りからの信頼を集める好人物であるというところが、重四郎の力量を表現している気がする。

また、松之丞さんの表情が素晴らしい。表向きは堅気の人間として働く者達や愛する妻の信頼に笑顔を向けながら、かたや殺人に至り、その証拠を隠滅する際に見せる形相は、一人の人間とは思えないほど異なっている。一つの身体にこれほどの善と悪を抱えながら生きることが可能である人間という存在そのものの恐ろしさが伝わってくる。

悪に染まった重四郎が意外な展開を見せる第七話。だが、これは八話、そして九話への大きな伏線であろう。

 

 第八話 三五郎の再会

悪は重四郎から離れない。平凡で安定した堅気の暮らしが、唐突な再会によって一気に崩れ去る。語られる物語の時間は短いが、重四郎は殺人の仲間である三五郎と出会い、腹違いの兄弟と偽って旅館で暮らすことになる。こういう場合は大体、匿われた人間が、匿った人間を困らせると相場が決まっているし、困らせたやつは大体死ぬというのが、時代劇、もしくはその他のお決まりである。

偶然の出会いにしがみつく三五郎。重四郎が着物の血を洗っている場面に出くわしていた女中と夫婦になり、重四郎の忠告を無視して重四郎を強請る三五郎。気持ちは分かるのだが、そんなことしたら殺されるにきまってるじゃん。という気持ちはあるのだが、そこは物語。次話できっちり殺されるらしいのだが、それはまた次回ということでお開き。

連続読み二日目にして、大勢の人間を殺害した畔倉重四郎。まさに物語にのめり込むかのめり込まないか、リトマス試験紙のような第五話、第六話を終えて、おそらく会場の答えは一つ。言わずもがなであろう。

さて、三日目は一体どうなっていくのだろうか。悪の結晶はどう化学反応を起こし、どんな物体になっていくのか。楽しみでならない。