浪曲の灯火~2020年2月8日 浅草木馬亭 浪曲名人会~
君が2年でやることを
10年かかる僕
ワタナベマモル『時速4kmの旅』
Return
二月に入って八日も経つのかと思うと時の進みの速さに驚くのだが、しんと冷えて刺すような空気を感じると、二月の冷たい横顔を見るような心持ちになって寒い。
こわばった頬をさすりながら、かちかちの心をほぐすように温水で顔を洗う。毎度、誰に似たのか無邪気な寝癖を整え、鏡の前で自分の間抜け面を眺めながら歯を磨いていると、日に日に老いているということを知らせるかのような皺に目が行く。20代も後半に差し掛かり、人生の淵とやらを考えるともなく考える時節になって、また再び春が訪れるという期待に心を立たせながら、白くもない歯を丹念に磨く。
あまり感情の起伏が激しい人間ではないことは承知しており、ともすれば『冷酷』とか『無感情』とか言われがちではあるが、言葉にして感情を表すことは不得手ではないと自負している。どうにも、悲しい時は悲しい表情をせねばならず、楽しい時は楽しい様子で無ければならぬという風潮が苦手で、仕事なぞで「森野くんは何でも他人事だよね」と言われると、「それはあなたの主観でしょ」と反駁したくもなるのだが、言ったところで争いになるだけで、下手な戦はしない方が有益であると心得て、朝が来て目覚める度に考え込むということがしばしばである。
今日も、ぼんやり自分の「実感を伴わぬ言葉」とやらに悩まされていた。ここ数日、昔の文豪に助けを求めて本を読み漁っているうちに、尾崎士郎先生や織田作之助先生の作品の素晴らしさに心洗われ、再び書こうという気持ちが沸き起こって今に至る。
考えても考えても答えが見当たらぬ時には、読むか書くかすることが私の性には合うらしく、尾崎先生の『中村遊郭』や、織田先生の『人情噺』に感銘を受けて、なんとか多忙な二月三月を乗り切ろうという気になった。
様々に幸運が舞い込むと、途端に筆が止まって書くどころではなかったのだが、どうしても書きたい会があった。
それは、浅草木馬亭の講談夜席終わりに出会ったチラシをきっかけに知った会である。『浪曲名人会』と題され、そこには『三原佐知子、松浦四郎若、天中軒雲月』の文字と写真。
浪曲好きであれば知らぬ者はいないと断言できる、東西の大名人である。昨年は講談界で神田松鯉先生が人間国宝になられたが、浪曲界には曲師の世界に沢村豊子師匠、そして浪曲師には、このお三方と澤孝子師匠、東家浦太郎師匠を加えて人間国宝にしても異議無しと思えるほど、現役最高峰の浪曲師がいる。特に、私は三原佐知子先生の素晴らしさを声を大にして叫びたい。正に浪曲の頂に立つ最高峰の浪曲師と言って良いだろう。
まだ開演より1時間前だというのに木馬亭には列ができ、開演するころには超満員で補助席ができるほどであった。お恥ずかしながら若造一匹、浪曲の名人達による最高峰の芸を、たっぷりと堪能させて頂いた。
浪曲は今、あなたの心の間欠泉を吹き上がらせる人情の噴出であるのだ。
東家恭太郎/紅坂為右衛門 終活浪曲
開口一番を務めるのは、前座ながらご高齢の恭太郎さん。玉川太福さんのミュージック・テイトでの独演会で、浪曲師になるまでに様々な世界にいたことを知っているだけに、この数年でメキメキと浪曲の声に馴染んできた様子。
どこか朗らかで、落語の世界の住人のような優しいお姿に心が和む。芸達者で明るい素敵な浪曲だった。
私にはまだ、終活を考えるには早すぎたかも知れないのだが(笑)
お次は一太郎さんと美さんご夫婦による浪曲。満面の笑みと透き通って張りのある声と、優しさが溢れて突き抜けて行くかのようなお姿の一太郎さん。
お三味線の美さんの美しい音色もさることながら、ピタリと息の合った一太郎さんの節と語りが、物語の後半に向けて徐々に盛り上がっていく様子が実に見事だった。
また、会場の雰囲気が物凄く良かった。私のような若造が言うのも恐縮であるが、真に浪曲を愛し、浪曲に痺れ、浪曲に浸ってきた熟練の浪曲愛を育んできた人が多いように思えた。演者が姿を見せれば「待ってました!」とか「日本一!」とか、さらには「大統領!」とか「大当たり!」なんて言葉も飛び出す。
今では、感情を表に出す人が少なくなったと言われているが、私の周りはそうではないようである。私自身はさておき、木馬亭に集ったご高齢な人々が思わず漏らしてしまう言葉は、浪曲師と曲師に掛かる感情の橋のようにも思えたのである。
落語や講談では、滅多に演目中に客席から声が飛ぶことはない。むしろ、今のご時世で落語や講談のネタ中に声を掛けることなぞ言語道断であろうし、時代がそういう流れになってきたことも十分に分かる。誰もがじっと耳を傾けることができ、携帯の音などによって妨げられることの無い演芸鑑賞が求められる中で、浪曲だけは落語や講談と趣を異にするように思う。
良い節があれば「いいぞ!」と叫ぶし、三味線の音色が良ければ「いい音だ!」と声を掛ける。それを受けて演者も勢いを付けて唸る。殆ど音楽を演奏するバンドを見るような心持ちに近い。バンドの演奏中は客席でダイブする者もいれば、一緒に歌う者や体をくねらせて踊る者もいる。浪曲は、じっくりと聞く落語や講談と、体を思い切り動かして聴く音楽のライブの中間を行く姿勢が、客席には求められているのかも知れない。
話を一太郎さんに戻そう。これが実に素晴らしかった。演目は雷電とされながらも、冒頭は雷電の師匠である谷風が出てくる。谷風に敵討ちを嘆願する母子の思いが、一太郎さんの澄み切った声と、情熱的に感情を掻き立てる美さんの三味線の音色によって、ブクブクと音を立て、一気に感情が放出していく。
胸の奥底を突き上がっていく熱いものを感じると、自然、目からは温かい雫が溢れ出して止まらない。卑怯な技によって命を落とした力士の夫を持つ妻。自殺まで考えながらもギリギリのところで引き留められ、夫を殺した力士の敵討ちを頼む妻。そして、その経緯を聞いて涙する谷風、そして雷電。言葉にすれば短い内容でありながらも、そこに凝縮された人の心の美しさ、人情の波に感情が揺れる。
汗を流しながら、顔をくしゃくしゃにしながらも、ぐいぐいと体を揺らして唸る一太郎さん。いよいよ、土俵に立った雷電と敵討ちの相手である力士との一戦は、ちょっと笑ってしまう内容ではあるのだけれど、その時代に流れる空気感を見事に描いており、心震えて涙とともに笑みが零れた。
美しく力強い節と三味線の音に、感情の間欠泉が噴き上がった素晴らしい一席だった。
瑞姫/紅坂為右衛門 北斎と文晁
三番手は力強い眼力と眉毛、そして芯の通った力強い声を持つ瑞姫さん。風貌を見ると、こちらがシャキッとせねばならぬという妙な緊張感もありながら、唸るのは天才絵師と画家の友情の物語。
北斎の癖のありそうな声色と、文晁の真面目な様子。そして役者の尾上菊五郎が顔を出すという想像も豪華なお話で、最後に北斎と文晁が互いに合作で絵を描く場面には、その時代を生きた二人の天才の美しくも輝かしい光があるように思えた。
黙祷
仲入りでアイスモナカを頂く。浪曲で火照った体に名物、アイスモナカ。
仲入りの終わりに幕が開き、昨年の12月に亡くなられた木馬亭の女将、根岸京子さんへの黙祷が捧げられた。
超満員のお客様が立ち上がり、浅草の木馬亭で浪曲を愛し、浪曲という演芸を支え続けてきた席亭さんへの愛が、静かに演者の方々の目に宿っているように思えた。
この場所できっと、席亭さんも笑顔で浪曲を聴いているに違いない。
仲入り後は、関西と関東を股にかけた大名人、雲月師匠。そして曲師は浪曲界最高峰の沢村豊子師匠。この二人の共演は正に浪曲界が産んだ奇跡の組み合わせ。
演目は講談でもお馴染みの天野屋利兵衛。白洲の場で拷問に合い、自らの息子が酷い目にあわされても、決して討ち入りの計画を漏らさなかった男の物語である。
これまた実に素晴らしい節で、豊子師匠の絶品の音色と相まって凄まじい一席だった。物語としては、それほどダイナミックな展開は無いのだが、息子を思う利兵衛の気持ちと、苦しくも言葉を吐く利兵衛の姿が胸を打つ。
それよりなにより、後半、とても素晴らしい光景を見た。
それは、雲月師匠が喉の渇きを潤すために茶碗に手をかけたとき、物凄く嬉しそうににっこりと笑いながら、思わず「いい音だね~」と言葉を漏らして、豊子師匠の方を向いたのだ。
なんて、なんて美しい光景なのだろう。
雲月師匠の満面の笑みと言葉を受けて、豊子師匠がそれに応えるようににっこりと微笑む姿を見たとき、何とも言えない感情に胸が締め付けられた。
美しいという言葉だけでは多分に漏らすものが多いほどに、その光景は美しかった。ただただ美しかった。
浪曲の世界に身を投じ、かたや唯一無二の唸りで芸を磨き、優れた弟子たちを育て、自らも浪曲界の最高峰に君臨する雲月師匠と、多くの浪曲師の唸りを支え、数えきれないほどの物語に三味の音で彩りを加えるとともに、見る者の感情を揺さぶり続けてきた豊子師匠が、浅草木馬亭という浪曲の聖地であり、根岸京子さんという席亭に支えられた場所で、互いに言葉を交わし、目と目を合わせて、微笑んでいる。
もはや、これ以上何を語っても、その美しさを言い表すことは不可能であろう。
私の記憶に焼き付くのは、浪曲師と曲師の美しき共演。その素晴らしい高座姿である。
松浦四郎若/虹友美 首護送
一昨年の年末に聞いた『武士気質』以来の四郎若師匠と友美さん。もはや一献傾けたくなる素晴らしい節と声は相変わらずで、お茶目なエピソードもありながら、笑いと人情に包まれた素晴らしい一席。
演目は、桜田門外の変を下敷きにしながら、それに巻き込まれることとなった一人の船頭を中心に進むお噺である。
とにかく節が素晴らしく、また物語の前半は面白さに溢れ、後半は急にキリリとしてグロテスクでありながらも、想像の世界は雪に包まれていて、不思議な清らかさに満ちていた。
もっともっと色んな演目を聞いてみたいと思うほどに絶品の節と、繊細かつ力強い友美さんの三味線の音が光る素晴らしい一席だった。
三原佐知子/虹友美 母恋あいや節 テケレッツノパ
まさか、三原佐知子師匠についてブログで書ける日が来るとは夢にも思わなかった。今、この文章を書くにあたって、「うわ、俺、いよいよ三原佐知子師匠を語るのか・・・」と思い、胸の高鳴りを抑えることができなかった。
マクラも無しで、第一声の節。夢にまで見た、三原佐知子師匠のお姿、声、節、語り。そして、それを支える虹友美さんの三味線の音。
徹頭徹尾、打たれ続けた鐘のように痺れた。とにかく、痺れた。
幾日も、幾日も、見たいと望み続けた浪曲の名人が、確かに私の目の前にいて、幾度も幾度も聞いた『三味線やくざ』や『は組小町』を唸った浪曲師が唸っている。
しばし、茫然と目を見開いて聞いていた。
ぼろぼろと涙が零れて止まらなかった。
生きてて良かった。と自分に対して思ったと同時に、
お元気なお姿で舞台に立たれておられて、本当に良かった。と思った。
母を亡くし、酒に溺れた父親に粗末に扱われながらも、一所懸命に生きる小さな少年の姿。母との思い出にぼんやりとしながら、母の墓前で母を思う少年の気持ち。
何もかもが、私の心を揺らし続けていた。
しんと静まり返った客席。全員が三原佐知子師匠のお姿と、節と、友美さんの音色に耳を傾けている。
私にとって、三原佐知子師匠の高座を見ることは、枝雀師匠の高座を見ることが出来たくらいの喜びに近い。それほどに、私は待ち望んでいたのだ。
だから、あいや節を聞いている最中、とめどなく涙が溢れてきた。自分でもどう言って良いか分からない。嬉しいとか、感動するとか、そういう言葉を尽くしても尽くしても表しきれないほどの、何か一生涯をかけても辿り着けるか着けないか分からぬものに出会ったような強烈な感覚があって、それがただ私の心を震わせていた。
『母恋あいや節』の後、本当にすぐ目の前で佐知子師匠が『テケレッツノパ』を歌っているとき、恐れ多すぎ体が硬直した。自分にとっての神様が目の前にいるとき、人は硬直するらしい。初めて文菊師匠とお話しする時も同じだったが、本当に素晴らしい人を目の前にすると、私は身動きできない。冷凍保存されたアシカみたいになる。
歌が終わって、佐知子師匠が木馬亭のお席亭さんとの思い出を語ったときも、私は泣いてしまった。ええ話やぁ~と思いながら、佐知子師匠も涙ぐんでおられるようで、なんだか言葉には上手く言えないのだけれど、浪曲っていいなぁと思った(語彙力)
何もかもが温かかった。終演後、恐れ多くも三原佐知子師匠にサインを頂いた。また一つ大きな宝物ができ、感動のままに浅草木馬亭を後にした。
根岸京子さんという、浪曲の灯を守り続けてきたお席亭さんの魂が息づく木馬亭は、今年50周年を迎える。多くの浪曲師と曲師が、浅草木馬亭の舞台に立ち続け、今もなお、浪曲の灯火を、そして、浪曲を愛する人々の思いを一心に支え震わせている。
数多の名人が、綺羅星の如く隆盛を極めたかつての時代に比べれば、落語や講談、漫才に押されて翳りを見せた浪曲。それでもなお、決して絶えることなく今日まで浪曲が存在し、また再び陽の目を浴びることになるのは、そこに浪曲を支え続けた人々の魂があるからである。こんなにも素晴らしい芸が、絶えて良い筈が無いのだ。
落語の世界で古今亭志ん朝師匠の死が一つの節目であるとするならば、浪曲の世界では国本武春先生の死が一つの節目であったことは薄々感じられる。講談の世界では、いいよいよ神田松之丞さんの伯山襲名によって大きな節目を迎えようとしている。
落語・講談・浪曲。この三つの演芸が2020年も大きく盛り上がっていくことは間違いないだろう。くしくも、今年はオリンピックの年ということもあり、今一度、日本の伝統芸能、大衆芸能に目が向けられる年になるのではないだろうか。
いつまでも、漫才やコントに押されているわけにもいかない。と、争いの様相を呈しても意味が無いことは承知であるのだが、もっともっと、多くの世代に、落語・講談・浪曲の灯火が伝わり、大きな炎となることを願うばかりである。
あまりにも、あまりにも、あまりにも見事な伝説の浪曲名人会。
次は一体、どんな浪曲に出会えるやら。
今後が楽しみで仕方がない。