落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

人は白き山を登りて~2020年2月15日 新宿末廣亭 神田伯山真打昇進襲名披露興行~

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神の田の直ぐ傍に

小さな池があるという

その周りには松が生え

錦の鯉が泳ぐという

松から種子が落ちたとき、

そこから沸々

込み上げる

小さな熱が

ありました

幾年月が過ぎて

隆起と沈降

繰り返し

僅かな噴火が

積み重なりて

一山生まれし

その時に

山の頂 雪が降り

人はそれを

白き山と呼んだ

まこと見事に美しく

いつしか人は

こう呼んだ

神の田の 

伯山

人はその白き山を登りて

果たしてどんな

景色を見るか

 深は新なり

遠い昔から大切にしていた何かを思い出したような目覚めの後で、時刻を見れば午前3時。御膳には早く、望遠鏡を担いで行くには1時間遅い時刻に、私はぼんやりと壁を見つめながら、そうか、今日は新宿末廣亭で神田松之丞改め神田伯山の真打昇進襲名披露興行であったな、と思い出す。

なぜ思い出したかというと、2月11日の興行は存じていたのだが、心と精神がそれどころではなく、むしろ絶対に行ってたまるものかというような、我ながらあまり良くない精神状態であったためであるが、12日の文菊師匠の高座とその後の楽しみを味わってから、一気に精神に余裕ができ、健やかとして晴れ晴れな心持ちになったので、お祝いムードにも耐えられるであろうと考え、行こうと決意した。

早々に服を着替えて電車に乗ろうと思ったのだが、3時過ぎではまだ電車が動いてはおらず、仕方なく末廣亭までの道を歩くことにした。電車に乗ったところでさほど時間が変わらなかったので、折角であるから歩こうと思ったのである。

おかげで、様々なことを思い出すことができた。

ブログの読者には繰り返しになってしまうが、松之丞時代の伯山先生の最初の高座を見たのは、2017年12月10日のシブラクでの『赤垣源蔵 徳利の別れ』であった。その時はそれほど衝撃は受けなかったのだが、翌週の2017年12月17日に神田連雀亭のド真ん前の席で見た『甕割試合』に衝撃を受け、未だにあの瞬間の素晴らしさが忘れられない。と、何度も書き記してしまうくらいに、松之丞と言えば私にとって『甕割試合』なのである。

私の好みとして、松之丞時代は『殺しの噺』が唯一無二であると思っている。他の追随を許さない残忍な場面の語り。何度も振り下ろされる張り扇から、血飛沫が上がるのではないかと思えるほどの凄惨な場面の後で、目つきの悪さとドスの効いた声は天下一品であると考えている。

故に、中日の15日には『殺しの噺』をやってくれないだろうかと期待した。末廣亭への道すがら、私は松之丞時代の高座を思い出していた。貞橘先生との朝練講談会で語った『乳房榎』。慶安太平記の19席。赤穂義士伝より『安兵衛駆け付け~婿入り』、全てが白熱で、気炎を上げた高座が眼前に浮かび上がってくる。汗を流しながら、一席一席に魂を込めて語り続けた松之丞の姿には、何か自分の中にある大切なものに気づかせてくれるような勢いがあった。

『殺しの噺』もさることながら、やはり2018年~2019年にかけての勢いが凄まじかった。私の見立てでは、2017年12月ごろに放送された『ENGEIグランドスラム』から、ジブリ鈴木敏夫さんや笑福亭鶴瓶さん達の評判、そして何より類稀なる実力と独自の工夫で見せた『中村仲蔵』。この影響も実に大きかったであろう。さらには『問わず語りの松之丞』など、ラジオを通して世間一般に認知されていった。

私が思うに、これは『講談の発見』であったと思うのである。それまでは一部の方々しか存在を知らなかった『講談』が世に多く知れ渡り、今や『講談と言えば神田松之丞』であろうという状態にまで達し、そして2月11日から『講談と言えば伯山』と世間に呼ばれるようになる段階にまで来たのではないだろうか。

世間が講談を発見したことによって、今や講談は一つの大きな時代の流れの中で、広く世に認知されることとなった。その全ての起点となった男、大きな講談の山を「あれは名山である。なぜ諸君らは登らずにいるのか。一度は登ってみよ」と示し、囃し立て、自らもその山に登り続ける男。それが神田伯山では無いだろうか。

無論、私の考えに賛否両論あるであろう。私のような落語好きにとっては講談の世界の厳しさであるとか、厳格さというものはとんと検討が付かない。なまじ適当なことを言えばお叱りを受けたり、指摘されることもあるだろうが、私はその姿勢を否定せず受け入れる。長く講談を愛しているお客様の中には、「講談とは・・・」のお客様もいるかも知れないが、私は浅学ながら、講談について語らせて頂こうと思った次第である。

ぼんやりと考えながら末廣亭に到着。既に列は出来ており、みな防寒対策はバッチリである。また、長時間の待機ということもあって、持参の椅子に腰かけたり、温かい飲み物を入れた水筒を飲んだり、音楽を聴く者や談笑する者、本を読んだりしている者もいる。滅多に列に並ばない私であるが、たまにこうやって列に並び、並んでいる人を観察するのも面白く、列に並んで整理券の配布を待つのは、これもこれで一興である。

列の中には、『神田伯山ティービィー』を見る者もいて、人気の高さが伺える。また、今宵は爆笑問題さんも出るとあって、物凄い数の人が集まっていた。

面白かったのは、末廣亭を一周して、整理券待ちの列が二週目に突入したことだ。みるみる内に伸びて行く列を見ると、ふらっと入れる普段の寄席が恋しくなり、大勢が密集する場所に対する嫌悪感も沸き起ってくるのだが、もう心は固く決意しているから一切気にはならなかった。twitterを見ると、恐らく500人近い方が並んでいたと思う。

結局、予告通りの10時に整理券を頂く。開場まで時間があったので、仮眠しながら開場の時刻を待った。すぐ傍にスタバがあり、そこで15日から発売だという『サクラマグカップ』を買ってしまった。買うつもりなど毛頭無かったのだが、つい限定と言われると買ってしまう。恐らくはそういうものに弱い精神なのであろう。

開場時刻となって、まさに黒山の人だかりが末廣亭前に出来た。伯山先生にゆかりのある方々から贈られた花が末廣亭の前にあり、知らない人が見たら「開店祝いか!?」と勘違いするであろうか。趣のある佇まいであるため、さすがにそれは無いか。

整理券と入場券を渡して入場。何とか座席に座ることができ、開演を待った。恐らくは寄席初心者であろう方々多い印象である。何より、若い人が圧倒的に多い。他の興行で見るようなご高齢の方々が殆どいない。特に若い女性と男性が大勢おり、いかに若い人達の支持を得て盛り上がってきたかが分かるような気がした。若い人というのは私と違って体力も気力も集中力もあるから、演芸を聞くなら若い方が良いと思う。もちろん、重要なのは体力と集中力であって、これは歳を重ねるごとにどうしても衰えていくものであるらしい。私なぞは近頃めっきり集中力が落ち、新聞なぞも5分と読めない。だから新聞も取っていないし、そもそもあまり読んだことがない。じゃあ一体何の話をしているのかと問われれば、「さあ?何の話でしょうね」と答えるくらいの集中力である。

冗談はさておき、開演のブザーが鳴って幕が上がった。

いよいよ、神田伯山の真打昇進襲名披露興行、開演である。

 

神田松麻呂 寛永宮本武蔵伝より山本源藤次

晴れの舞台で開口一番を務めるのは、『問わず語りの松之丞』ではお馴染みの松麻呂さん。万雷の拍手に迎えられて、驚いた様子で高座にあがった。客席から「待ってました!」の声がかかり、私は思わず「むむっ!?松之丞と勘違いしてないかっ!?」と思いつつも、会場が笑いに包まれてとてつもなく温かいムード。

お祝いの雰囲気というのある種、狂喜乱舞な部分があって、特に初見の人が多いとどんなことになるか想像が付かないというスリルがある。そんな中で、松麻呂さんの一席は実にビシッとしていて、笑いどころがあって面白かった。

このお話は、山本源藤次と宮本武蔵の出会いをコミカルに描いたお話で、一つの嘘を隠すために、二人がどぎまぎしたり、おどおどする様子がとても面白かった。

松之丞さん時代に、松鯉先生に弟子入りし、講談の世界に踏み入れた松麻呂さん。松之丞もまた、前座時代を過ごし、二ツ目時代を過ごしたのだ。どうやらそのころから、松之丞は宮本武蔵伝のような前座噺、武芸物に定評があるようである。

若さの勢い底知れず、松麻呂さんは一体どんな講談師になるのであろうか。

 

桂鷹治 寿限無

お次は伯山ティービィーでYoutube番頭を務める鷹治さん。客席も伯山ティービィーはお馴染みのようで、鷹治さんのマクラもどっかんと受ける。

伯山ティービイーにも様子が映し出されているが、マクラの最中に次に登場する小泉ポロンさんの音楽が流れ、突然のハプニングに会場が大いに盛り上がった。予期せぬハプニングがあるからこそ寄席は面白い。それまでのマクラの流れを取り戻すかのように語りを紡ぎ、演目の寿限無へ。

基本に忠実で軽やかな語り口。寄席初心者の方にも耳馴染みの良い軽快なリズム。客席に大勢いると、中にはマナーのよろしくない方もいらっしゃるが、それら全てを包括するのが寄席である。大観衆の前でもいつもと変わらず、淡々と語って行く鷹治さんのそつの無い姿がとても素敵だった。

 

 小泉ポロン 奇術

お次は奇術のポロンさん。こちらも冒頭は伯山ティービィーにて、ポロンさん用の音楽が流れてしまったことを弁明している。

不思議で怪しい雰囲気に客席が疑いの眼差しを向けつつも、いつも通りに淡々とこなしていくポロンさん。久しぶりに見たが相変わらずお美しい。

 

笑福亭羽光 俳優

成金メンバーの中では唯一の上方落語家で、元はお笑い芸人をやっていたという経歴を持つ羽光さん。客席の集中力を試すかのように、メタフィクションな物語の『俳優』というお噺を語り始めた。

有名な『ペラペラ王国』と同じような構造にはなっているが、最後のオチが実に見事で、階層的な想像力が働くとても面白い話である。

三遊亭天どん師匠がよく「頭の体操に~」と言って語り始める『手足』と同様に、自らの想像力がとても試されるお噺であり、ついていけない人はとことんついていけないかも知れないが、羽光さんの丁寧な語りは実に面白く、また蜘蛛駕籠寿限無のような、繰り返させる言葉と場面も面白く、非常に凝ったお噺になっている。

会場も若い人が多いというわけではないかも知れないが、想像力と集中力をフルに使って、とても面白い一席になった。

 

 柳亭小痴楽 真田小僧

愛のある伯山disの後で、こちらも随所に伯山先生への愛を感じるくすぐりも入れながら、可愛らしい金坊と、それに惑わされる父親の姿が描かれる一席。

一度言葉を発すれば、持ち前の江戸弁で快活な落語をする小痴楽さん。ちょっとやそっと言葉が抜けようとも、勢いで捲し立てる姿は実に面白い。リズムで聞いて楽しむ素敵な噺家さんである。

さすがに伯山ティービィーでは愛のあるdisは使われなかったが、小痴楽さんの放つ軽い雰囲気と、立て板に水の調子の良い語りが絶品の一席だった。

 

 コント青年団 コント

お次は先生役を青木イサムさん、学生役を服部健治さんが担当するコント青年団。寄席ではお馴染み、ぶっこみまくりのネタに、若い客層の一部が大ウケ。若い女性も多くいたせいか、青木さんのぶっこみに若干引いているような雰囲気もありながら、寄席常連にとっては平常運転な面白いコントを繰り広げている。

専門用語が出てくる場面はなかなか理解が難しかったけれど、落語続きに彩りを添える色物さんのコントはとても面白かった。

 

神田阿久鯉 天野屋利兵衛 雪江茶入れ

いつ見てもお綺麗な佇まいの阿久鯉先生。伯山ティービィーにもマクラが出ているが、赤穂義士に対する松鯉先生の愛の強さを感じる名前だが、歴史を見ると悲運な最期を遂げている。

そんな阿久鯉先生、今、とてつもない勢いがあり、脂の乗った極上の語りは唯一無二。芯が太くて揺るぎなく、また力強い語りには圧倒的なまでのカッコ良さがある。私は河内山宗俊の松江候玄関先を聞いたことがあるのだが、その時もド迫力の語りで、まるで巨大なハンマーでぶっ叩かれたのかと思うほど、骨太で厚い語りが魅力的であった。

そして、今回の高座も、そんな阿久鯉先生の素晴らしさが十二分に発揮された素晴らしい高座だった。随所にコミカルな部分を挟みながらも、天野屋利兵衛の清らかで、男らしい姿が行動に表れている。多くを語らずとも、いかに天野屋利兵衛という人物が実直で、忠義に溢れた男であるかが分かる。思わず「痺れた!」と声をあげたくなってしまうほど、極上の語りだった。

 

 桂文治 善光寺の由来

お次は二番手に出演された桂鷹治さんの師匠、十一代目桂文治師匠。地声が大きくて背が高く、豪快で力強い。怒ったら絶対怖いだろうなぁと思うような風貌でありながら、ニコニコとして明るく男気に溢れた噺家さんであるように思う。お弟子さんに対してもとても目を掛けているというか、成長を望んでいる姿勢があって素敵である。

独自のくすぐりを差し挟みながら、善行寺の由来を語る文治師匠のリズムが心地よい。底抜けに明るくてからっとしている。客席にいる満員のお客様も程よく肩がほぐれてきたのか、講談と落語、それぞれの特色を味わいながら、けらけらっとした笑い声が会場に響いた。若い人も多い中で、ベテランの文治師匠の語りが馴染み、笑いに包まれた光景がとても美しかった。

 

 宮田陽・昇 漫才

寄席ではお馴染みの日本地図ネタから、奥さんが生保レディになったという話まで、怒涛の勢いで笑いに包まれる会場。なにも世の中には爆笑問題ダウンタウンだけが漫才ではなく、寄席の世界にもテレビには出ずとも面白い漫才師や落語家はたくさんいるのである。伯山先生だけでなく、こうして様々な芸人さんに出会えるのも、寄席の魅力である。

 

 春風亭柳橋 骨皮

落語芸術協会の副会長にして、優しい語り口が魅力的な柳橋師匠。物腰柔らかで落ち着いた雰囲気で、小さな餅を拵えるかのような包み込まれる一席だった。

 

 三遊亭小遊三 蜘蛛駕籠

笑点の青い着物。泥棒とスケベに定評のある小遊三師匠。江戸前の語り口で流れるような一席。簡単に見えて物凄く難しいお噺であるように思う。というのも、酔っ払いが出てきて同じ話を何度もする場面。一言一句間違えずに覚えているのも凄いと思うのだが、リズムと声色も合わせて寸分の狂いなく同じ話を語り、さらには笑いまで巻き起こしていくというのだから、見事なものであると思う。笑点メンバーの中では割と古典に傾倒しており、小遊三師匠で大工調べを聴いてみたいとも思う。新作派の昇太師匠と対になって、とても素晴らしい落語芸術協会の参事である。

熱狂の寄席が開幕し、小遊三師匠で仲入り。時間調整も抜群で、おトイレ休憩もたっぷりだった。

 

 口上

左から文治師匠・松鯉先生・柳橋師匠・伯山先生・爆笑問題の田中さん・太田さん・小遊三師匠の並び。詳細は伯山ティービィーにもある通り、太田さんが大暴れ。その前に口上を述べた松鯉先生の有難いお言葉、そして柳橋師匠の温かいお言葉の後で、『らしさ』全開の爆笑問題の口上。初めて生で爆笑問題を見たのだが、太田さんの暴れっぷりを支える田中さんが素晴らしい。息の合ったお二人の掛け合いによる口上が見事だったのは、Youtubeを見ればお分かりいただけるだろうと思う。その後の小遊三師匠のさらりとしたお話も、実に素敵だった。動画の通り、まさかの真打が喋りだすという珍しい光景を見ることができ、とても素晴らしい口上だった。

 

 爆笑問題 漫才

テレビではいつも見ているのだが、実際に生で見るのは初。これが実に素晴らしくて、太田さんの暴れるような、振り切れたボケに対して、決してリズムを崩すことなく、語りの基礎に田中さんがあるように思えた。テレビではなかなか分からなかったが、田中さんが見事なのである。田中さんのベーシックな語りがあるからこそ、太田さんの突拍子も無いワードが光り輝き、その言葉に対して絶妙な間で田中さんがツッコミ、さらに途切れることなく次から次へと面白い話題が繰り広げられていく。

暴走列車である太田さんを上手く軌道に乗せ、脱線と複線を繰り返す二人の漫才が実に気持ちが良かった。昨今話題の不倫問題から覚醒剤などなど、伯山襲名はどこへやらという感じではあるが、スタイリッシュな太田さんの風貌と、ちょっと後ろの横断幕の狸に風貌が似ている田中さんとのやり取りが最高に面白かった。

 

神田松鯉 天野屋利兵衛は男でござる

神田松之丞改め神田伯山の師匠であり、連続物の素晴らしさを後世に語り継ぐため、弟子たちに継承すると同時に、自らも人間国宝となり、ますます芸に磨きのかかる松鯉先生。年末の赤穂義士伝の語りは恒例で、まさに赤穂義士伝と言えば神田松鯉と言っても過言ではないほど、並々ならぬ情熱で義士を語る松鯉先生。

講談好きにはお馴染みの天野屋利兵衛。このネタを高座にかけるに至るまでの経緯は伯山ティービィーにあり、その動画も実に素敵である。先に義士伝をかけた阿久鯉先生に対して、伯山先生が見事に松鯉先生に依頼する場面は、いかにトリで掛けるネタに魂を込めているかということが分かる。また、そんなネタに掛ける思いを受けて、即座に伯山先生の言葉を受け入れる松鯉先生の懐の深さ、器の大きさに痺れる。

松鯉先生の天野屋利兵衛は絶品である。客席にいるときは「あれ、さっき阿久鯉先生がやってたけど、これは大丈夫なのかな」と思ったが、桂枝太郎師匠の『チュウ臣蔵』の後に松鯉先生が赤穂義士のネタをやるくらいであるから、全く問題は無いであろう。

白洲の場まで丁寧に語られた松鯉師匠。物語に大きな起伏が無いのは浪曲での演目でも同じだが、講談の折り目正しい語りの中にあって、最後まで口を割らなかった利兵衛の姿が実に見事である。何度聞いても染み入る語りだった。

 

 ボンボンブラザーズ 

伯山ティービィーでは、鏡味 勇二郎先生のお言葉と声を聞くことができ、大変に貴重な動画であった。寄席好きな方ならお分かりいただけると思うが、ヒザ前、すなわちトリの人が上がる前のボンボンブラザーズ先生は最強である。トリに向けて最高潮に盛り上がっていくし、客席参加型のスタイルも熱気が凄まじい。とにかく会場が人の熱気に包まれて、熱いこと熱いこと。

客席の参加は、、、と書きたいところであるが、止しておこう。

いよいよ、伯山先生の登場である。

 

 神田伯山 安兵衛高田馬場駆け付け~安兵衛婿入り

会場が揺れるかと思うほどの拍手と、「六代目!」とか「待ってました!」の声も僅かに聞こえるほど、会場全体がうねりを生じたかのように熱気に包まれた。非常に暑かったのだが、それほどの会場の誰もが盛り上がっていたことは間違いないだろう。

初日は中村仲蔵をやり、千秋楽は淀五郎であろうと思ったから、中日でいよいよ人殺しの話をやるのではないかと思い、私は期待していた。

私の個人的な意見だが、松之丞時代はとにかく『殺しの噺』が素晴らしいのである。この記事の冒頭にも書いたが、誰かを斬り捨てる場面は何度見てもゾクゾクする。他の講談師で聞いても、松之丞ほど凄惨な場面をダイナミックに語る講談師を見たことがない。それほどに、唯一無二であり圧倒的な魅力を秘めているのが『殺しの噺』なのである。怪談噺をやっても、巧みな声色で見事に恐怖を掻き立てる。また、慶安太平記の『鉄誠道人』のような、人の心の邪悪さをあぶり出すかのような場面も、松之丞の独自のセンスが随所に光っており、他ではなかなか聞くことができないのである。

そういう意味で言えば、講談は落語に比べて層が薄いと言える。もちろん、名人と呼ばれても異論の無い講談師はたくさんいるが、いかんせん世間に周知されているかというと疑問で、まだまだ局所的であることは否めない。

落語が圓生志ん生志ん朝文楽、小さんなど、名人たちが群雄割拠する時代を越えて、今やどの噺家さんで聞いても名人級というか、名人と言っても過言ではない人が大勢増えたのに対して、講談は愛山先生や貞山先生、貞水先生や琴柳先生など素晴らしい講談師はいるのだが、世間が圓生志ん生ほどの認知をしていないように思う。また、現存する音源を調べて見ても、落語は簡単に手に入るが、講談はなかなか手に入らない。ともすると浪曲の方が僅かに手にしやすいくらいである。

故に、伯山先生が担うのは、これから講談がさらに発展することももちろんのこと、『講談の層』を厚くすることではないだろうか。果たしてそのような日が来るかは別として、講談もまた落語同様に、層が厚くなり、幅広い人々に訴求するような、そんな講談師が次々と現れてくることを願うばかりである。落語には文菊師匠や兼好師匠や白酒師匠や一之輔師匠のような若手人気落語家から、喬太郎師匠や扇辰師匠や彦いち師匠や昇太師匠など、中堅の人気落語家から、権太楼師匠やさん喬師匠や小三治師匠などなど、大ベテランの落語家さんまで、ありとあらゆるニーズに対応しているように思う。

もちろん、講談好きであれば勝手に自分の好きな講談師を探して見つけている。私は好きなものは勝手に探してしまう性分であるから、貞橘先生や鶴遊先生など自分好みの講談師の高座を楽しんでいる。

さて、話を伯山先生に戻そう。だいぶ脱線してしまった。

今や他の追随を許さないド迫力の殺陣は痺れるほどの凄まじさがあった。思わずぐぐっと体を抑え込みながら、内心、

 

 これよ!!!

 これが

 見たかったのよ!!!

 

奇しくも、早朝から待ち望んでいた『殺しの噺』にめぐり合うことができ、感無量だった。私が勝手に伯山先生の異名を付けるとすれば、

 

 殺しの伯山

 ここに見参!!!

 

と思うような、素晴らしい一席である。今後はしばらく『殺しの伯山』を勝手に推して行こうと思います。

安兵衛が高田馬場へ駆け付け、バッタバッタと人を斬っていく場面がとてつもなく圧巻なのである。以前に朝練講談会で宝井梅湯さんの時にも見せた安兵衛駆け付けであったが、寄席サイズにコンパクトにまとめられており、かつ殺陣の場面は鮮やかに語るという見事な構成。何と言っても安兵衛が斬り終えた後に水を求める場面から一幕降りるところまで、伯山先生独自の演出だと思うのだが、実に見事である。私は安兵衛を三船敏郎で想像している。

たっぷりの時間で、安兵衛婿入りを語り始める。安兵衛に襷を与えたのだと話すお花の色っぽさとコミカルさ。そこに講談師だからこそのクスグリもあって、満員の客席は大爆笑。凄惨な斬り合いから一転、コミカルな場面が続く。安兵衛の人間臭さと、糊屋の婆さんのナイスな行動が面白く、会場がにドッカンドッカンと笑いが起こる。爽快な斬り合いの『高田馬場駆け付け』から、大爆笑の『安兵衛婿入り』まで、また講談好きとしては『荒川十太夫』まで聞きたい!!!と思いつつも、深夜寄席の時間が来て終演。

思わず、

 

名人!!!!!

 

と声をあげたくなってしまうほど、実に見事な一席だった。同時に、これから伯山先生はどのような方向に進んでいくのだろうかと、期待が膨らむ素晴らしい一席であった。出世譚の『中村仲蔵』は、独自の場面を入れ込みながらも実に見事な物語であるし、『詫び証文』は丑五郎が見事に描かれているし、『安兵衛駆け付け~婿入り』はまさに十八番の殺陣の語りであるし、恐らくは千秋楽で掛ける『淀五郎』もまた、未来の伯山が弟子たちに向けて語るとき、どんな演出になるのか、とても興味深い一席である。

そう、神田伯山先生の前途はまだまだ長いのである。

ようやく、真打となって、長い長い芸能人生の一歩を歩み出したに過ぎないのだ。

故に、ここからが勝負であるとも言える。

今までは二ツ目という身分であり、言ってみれば真打よりも格下ではあった。無論、芸に関しては真打と比べても劣ったところが無いというのが、世間の評価であろうと思う。

だが、真打となったからには、これから先、先を歩み続ける数多くの真打と同じということになる。果たしてそのとき、伯山先生はどのような立ち位置で講談界にいるのであろうか。

私は想像する。今の私は『殺しの伯山』だと思っているが、今後、伯山先生がどのように飛躍していくのか。私は想像する。恐らくは、『連続物』をベースに自らの芸を磨いて行くのではなかろうか。『慶安太平記』、『畔倉重四郎』、『寛永宮本武蔵伝』そして、『徳川天一坊』。毎年必ず恒例として連続物を読むという伯山先生。今後、どのように連続物の素晴らしさを語り継いでいくのか。どのように芸を磨いていくのか、注目していきたいと思う。

想像を超える長蛇の列。連日超満員の披露興行。テレビ、ラジオなどメディアでの活躍。根強いファン層、そしてダイナミックな講談の語り。全てが今や一つの頂点にあるように思える。

晩年の伯山が楽しみでならない。私も長生きせねばと思う。

 

 総括 人は白き山を登りて

人は白き山を登りて、その頂からの眺めを知る。時に美しい芸の魂を垣間見、時に見えぬ人の心の美しさを感じ、時に悪を打ち砕く正義を知る。山の山頂はあまりにも清らかで、爽快で、空気が澄んでおり、一点の曇りもなく心地よい。

一席を終えて、白き山を降りて行く人々が口々に漏らす言葉はどれも、伯山という名を襲名した男に向けられた絶賛の言葉であった。今はまだ『凄いものを見た』とか『歴史の重要な転換点に立ち会った』という、ある種、見る側の見栄のためという部分も無きにしもあらずだと思うが、それより何より、今後はますます芸を磨き、唯一無二の語りを確立していることは間違いないだろう。幸いにして大勢のファンがいることは間違いないであろうし、Youtubeを通じて、ファンは加速度的に増えていくことが予想される。私のようなつむじ曲がりは、大勢の人々がいるところは辟易してしまうのだが、連続物の会や、寄席などの興行にはなるべく参加したいと思っている。あまり大きなホールとなると、様々に支障のある場合もあるため、なるべくそういう会は避けて聞いて行こうというのが、今の私の方針である。

とにもかくにも、大勢のお客様に囲まれ、空前絶後の450人近い人々が集まった素晴らしい熱気に包まれた会場だった。

最後にもう一言だけ、

 

 天晴れ!!!

 神田伯山!!!!

 

きっと読者の中にも、まだまだ伯山を追うぞ!という方もいらっしゃると思うし、早く伯山を見たい!!!という方もいらっしゃるだろうと思う。少しでも活字で様子をお伝えさせていただくとともに、出来ることなら寄席に来て演芸に触れて欲しいと思う。

それでは、あなたが素敵な演芸に出会えることを願って。

また、どこかでお会いしましょう。