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滑稽と真剣の緩急、或いは鉄壁の拍子とわちゃわちゃ~11月4日 朝練講談会 神田紅純 一龍齋貞橘~

ぺぇ~っと

 

私は良く喋るんですよ

 

合点でい! 

 

朝、寒い。これは少し着込まなければと思って着込む。寒くなってきた朝は起きたくない。布団から出るのが億劫である。外へ出れば風は冷たく、体は寒く、吐く息は白く、かき氷にはシロップ。

お江戸日本橋亭に入場して着座。まずまずの入りである。開演時刻までにはぞろぞろっと入ってお客さんも20人ほど。年内で終わってしまうというのだから、今がチャンスとばかりに通い詰めなければならないだろう。恐らく松之丞さんの会はとんでもなく人が入ることが予想されるが、私としては超満員ではないが確かな芸を見せる一龍齋貞橘先生の会を、静かにじっくり味わいたいと思っている。

さて、まずは開口一番である。

 

神田紅純 『寛永宮本武蔵伝より吉岡治太夫

何度かお見かけしているのだが、私の印象は一言『浮足立ってコミカル』である。深夜寄席で見た時にも感じたのが、なんだかぴゃーぴゃーしているというか、地に根を張っていない感じというのだろうか、それがどうにも浮足立っているように感じられてしまって、どちらかというと落語にニュアンスが近いように思える芸をするのが、紅純さんだと思っている。神田松鯉先生や阿久里先生、鯉栄先生や貞寿先生を見ていても、あまりぴゃーぴゃーしているというか、上半身が盛んに動く芸というのは、あまり見たことがない。そういう点で言えば、紅純さんの芸はオンリーワンだと思うのだが、私にはどうにも受け付け難い語りのリズムと間、そして頻繁に用いられるぺぇっなどの擬音が、うううーん。という印象である。

吉岡治太夫の話は言ってしまえば敵討ちなのだが、そこに人間の微妙な心の動きが感じられず、ただただコミカルな話になってしまっている気がするのだ。テンポが早いというか、もっと聴かせる場面は随所にあったりして、もどかしい気持ちになってしまった。おまけに扇子を飛ばしてしまうし、私としては、もっと落ち着いて!という印象である。わちゃわちゃ感をどうしても私は感じてしまう。

それでも、講談愛はひしひしと感じた。講談の世界に身を投じて、物語の登場人物に成り切って表現をする。まだ随所に未熟さは感じられるけれども、地に根を張ったような語りを体得すれば、また一つ違う魅力を手に入れるだろうと思う。

飛ばした扇子を手渡されて、お後と交代。

 

一龍齋貞橘 『寛永馬術 愛宕山梅花の誉れ』

この人ほどマクラの声の口調と、講談の語りに緩急のある人はいないのではないか、と思うくらいに、マクラでの語り口調、トーンと、講談に入った語り口調、トーンが違う。そこが地に根を張った語りを持つ講談師、一龍齋貞橘先生の一番の魅力だと思っている。この口調の使い分けが実に見事で、少しおふざけを入れる時は語りが上辺調子に、講談の語りはぐっと下辺を漂うという、それが何とも心地が良い。

何度か聞いた話だったが、寄席で聞いた時は「間垣平九郎が石段を登り切ったその秘策とは!」で「ここからが盛り上がるのですが、」と言って終わってしまった経験があって、今回は初めて通しで聴くことが出来た。

平九郎が細身の馬と会話するシーンや、梅花を取って愛宕山を駆け降りるシーンの語りなどは実に見事。聴いていて実に気持ちが良くなるし、胸が熱くなる。一生聴き続けられるのではないかというほどの鉄壁のリズムとトーン、これぞ貞橘節ではないだろうか。

貞橘先生の語りを聞いていると、私は黄金色をイメージするのだ。さらさらと宮本輝の『錦繍』の表紙絵のような、どこか紅葉めいた黄金色の語り口調。それがなぜそういうイメージを持って想起されるのかは分からない。太閤記を聞いた時も、なぜか黄金が流れるようなイメージを常に抱きながら話を聞いていた。それは、古の講談標準の語りのせいなのか、貞橘先生の持つ素質なのかは分からない。とにかく、黄金色で彩られた物語の輝きに魅せられて、私は貞橘先生のCDが欲しくて堪らないのである。是非、誰かCDにして頂きたいと思う。

お茶目なマクラは相変わらずで、物語の端々にもお茶目なエピソードを挟み込むのだが、それでもすっと語りを講談標準に戻して物語を進めることが出来るし、その切り替えがあまりにお見事で笑いが起こらないのである。たまに、普通の会話から急に落語の話に入って客席から笑いが起こることがあるが、そういうことが起こらないほどに見事であるし、そういう笑いを起こさない点も、やはり鉄壁のリズムとトーンがあるからだと思う。

さらには先に紅純さんがやったことで、それが如実に感じられた。釈台はありつつも縦横無尽にわちゃわちゃと動く紅純さんに対して、美しい所作の貞橘先生。特に馬が顔を上げるシーンや、七合目でぴたっと馬が足を止める時の所作は美しいし、そこに一つの強い意志を感じるのだ。貞橘先生の場合は、その所作と語り、全てが美しくて品がある。喋り過ぎて品を損ねる時もあるけれど、それもまた一つの魅力である。

 

総括すると、こんな素敵な講談会が年内で終わってしまうのが実に惜しい。貞橘先生を週一くらいで見たいという私のようなファンの要望に、誰か応えてくれないだろうか。出来ることなら、伸べさん、文菊師匠、松之丞さん、太福さん、貞橘さんは、週一くらいで見たい。

良き講談との出会いに恵まれながら、お江戸日本橋を後にした。

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