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水のこころを誰に語らむ~2020年2月22日 古今亭文菊独演会 良助会~

 

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流れも清き多摩川

水にあらひて生れたる

伊藤長七東京都立小石川中等教育学校の校歌』

  誇り

昭和2年7月15日、玉川電気鉄道溝ノ口線二子電停として開業し、昭和10年二子新地前と改名、駅員の発音によっては「双子死んじまえ」と聞こえることから名前を変え、現在では田園都市線の単独駅として知られる二子新地駅

東口の改札を出ると、右手に珈琲館があり、正面には交番がある。左に折れるとクリーニング屋や洒落た喫茶店などがあり、車が通るには些か狭い道路を歩いて行くと、下の字に似た歪な十字路があり、頻繁に交通事故が起きるのではないかと思っていたら、歩道から飛び出した若い男性に軽自動車が衝突し、運転手の女性が大きな声をあげ、車を路肩に止めると、今しがた跳ねた若い男性に駆け寄って、何とも言えぬ申し訳なさそうな表情で男性の身を案じていた。それを見ていた年配の男性が「救急車、救急車」と言いながら、スマートフォンを取り出し、何やら電話をしているようだった。幸い、酷い事故では無かったようで、跳ねられた男性も苦笑いを浮かべながら、運転していた女性に微笑んでいた。

それが、二子新地に降りた私が見た最初の光景である。

歪な十字路をさらに奥へと進むと、一目見て岡本太郎の作品であると判別できる文学碑が建っており、『誇り』という名が付けられていた。青空に向かってムクムクと立ち上がる力強い煙のようなものと、その煙を支えるかのような鋭い甲板が目に粘り気と切れ味を伴って迫ってくる。半円を描く青い球体の上に穏やかに佇むそれは、すぐそばを流れる多摩川そのものの誇りであるかのように逞しく建っていた。

大山街道(国道246号)を越えると、二子球場なる大きな広場がある。なるほど、足を進めてみると、ホームベースとスコアボードが設置されており、いつでも野球の試合ができる状態になっているようである。すぐそばで、何やらフリスビーを投げて遊ぶ若い人達の集団が見えた。何と言うスポーツなのか分からなかった。

青々とした空と静かに流れる多摩川を眺めながら、街並みへと目を向ける。ふと、右に目を向けると、多摩川の両岸に架かる橋があり、名を二子橋。かつて江戸護衛の最前線であった多摩川は、架橋が制限されており、長く『二子の渡し』として渡し舟が往来していたという。橋がかかったのは、江戸幕府の制限が取り払われてからである。

折角であるからと、二子球場を越えて砂利道を進み多摩川に触れる。風が強く、球場のグラウンドから巻き上がった砂埃が時折襲ってきたが、構うことなく多摩川の静けさに目をやると、ガタゴトと文明の音を鳴らす列車の音が聞こえ、今や渡ることなき空想の舟に思いを馳せることも難しい。少し足が濡れることを覚悟すれば、あっさりと向こう岸へと歩くことが出来そうなほど、多摩川は浅いように思われた。対岸では何やら高いビルに向かってカメラを向ける人の姿が見え、皆思い思いに多摩川の傍で景色を楽しんでいる様子であった。

新地という地名が付くことから、かつては歓楽街として栄えていたのであろう様子が街のあちこちにある。光明寺へと行く道中、まるで時を止めたかのような古びたアパートがあり、妙な郷愁にかられた。もはや人の住んでいる気配の無い酸化し尽くしたベランダと、扉にマジックで書かれた住人の苗字。剥き出しのガスメーターは可哀想なほど傷だらけで、まさか人が住んでいる筈もあるまいと思えるほど錆びれている。それでも、どことなく人の魂の残滓があり、一つの建物に集団で人が住んでいた気配があり、生活空間の距離の近さに、妙に人間臭さを感じ、現代であって現代ではない感覚に襲われ、思わずその光景を写真に収めた。

光明寺へ着くと、大きな水甕の中を数十匹の金魚が泳いでおり、深緑色の水の中で輝きを放っていた。光るのではなく、輝いているという方が適切であった。何を楽しみに金魚は群れて泳いでいるのかと考えたが、景色は答えを教えてはくれない。ただ景色だけが脳裏に焼き付き、言葉が後からやってくるのみである。

 

 新地と料亭やよい

再び大山街道沿いの道を東に向かって歩く。街道沿いという言葉を聞くだけで、宿場が想起されるのは、落語『宿屋の仇討ち』の聞き過ぎであろうか。華やかな芸者屋や茶屋、料理屋などが軒を連ねる。それらをまとめて『三業』と称し、『三業地』と呼ばれる。二子新地はまさしく、『三業地』として栄えた場所である。

大阪には飛田新地があり、全国津々浦々、ほうぼうに新地があるらしい。決してニュータウンと同じ意味ではない。近頃は誰もが横文字を励行しており、都の知事であっても横文字を推しているから、新地などという言葉もやがては廃れてしまうのかも知れない。それでもまだ、多摩川を望む『誇り』を宿した二子新地には、風情ある建物が時代に流されることなく至る所に建っている。

『料亭やよい』と掲げられた看板を見つけ、私はそこで落語会が開かれるのだということを思い出す。京都の街並みを彩る建物に似た、趣のある外観。物言わぬ風情が心に言葉を吹かせる。美しき木造の建築のそれは、昭和初期の創業以来の風情を保ったまま、現代に静かに佇んでいる。まるで、横山大観が住んでいた建物を彷彿とさせる建物で、時代の様々な文化人達が訪れ、興に身を任せた匂いを感じる。

美しき日本家屋の風情を言葉にすれば、それは長い年月を掛けて、人の楽しみを染み込ませてきたかのようであった。畳の匂いも、天井の木目も、置物も、廊下を歩む音も、ガラス越しに見える庭の草花の姿も、どれもが静謐という言葉には収まりきらない美しさを放ち、それは季節の移ろいによって形を変えながらも、決して揺らぐことのない人の楽しみというものを含んでいるように思えた。決して派手さを誇張したわけでも無ければ、鮮やかで煌びやかという言葉も似合わない。素朴で、簡素で、蝋燭の灯火のようなささやかな喜びが流れ、掌のぬくもりでそれを温めるかのような、品のある雰囲気に満ちている。厳かで誇り高く、実直で清廉。どれも的を得ているかは分からぬのだが、昭和、平成、令和という節目を越える強靭な太さを、料亭やよいという建物は、柳のようなしなやかさで抱えながら佇んでいるのだった。

そして今宵、そこに一人の噺家が登場する。彼もまた、現代に生きながら、古典の世界の匂いと、空気を身に纏った稀有な噺家である。一声発すれば途端、聞く者は江戸の世界へと誘われる。昭和の時代を一つとして欠けることなく有する建物の中で、江戸の空気を身に纏った噺家が、古くより形を変えることなく受け継がれてきた古典の物語を語る。

主催は良助会。果たして、聞く者はどんな世界へと誘われるのだろうか。その時、人はどんな景色を見るのであろうか。

 

 古今亭文菊 野ざらし

多摩川の清流を通る風の涼やかさを身に纏ったような着物姿で、抜けるような白き肌と緩やかで甘く柔らかな雰囲気を併せ持ち、静かに高座へと上がる噺家、名を古今亭文菊古典落語の名手にして、落語界随一の語り。張りのある声と、一語一語に宿る江戸弁の美しさ。眼差しには色気、所作には品、真っすぐに整えられた皺の無い着物には、聞く者の想像を邪魔することのない、清潔さ。

全てが落語の世界を作り上げるために整えられており、文菊師匠の言葉が静かに開いていくのは、江戸の世界へと続く扉であることを、料亭やよいに集まった誰もが知っている。

『野ざらし』の一席には、サイサイ節が出てくる。今やサイサイ節を知っているものがどれだけいるかは分からず、また、若い人には演歌と勘違いされるかのような旋律。とうの昔に忘れ去られた歌のように思われるかも知れないが、文菊師匠が唄えば、それは鮮烈な輝きを放って聞く者の胸へと飛び込んでくる。

時代の気配は、時が経てば経つほど失われゆくものであるという事実に、疑問を投げかけたくなるほど、文菊師匠の声にはかつての時代、それこそ小津安二郎が映像に収めたような時代の気配が確かにあって、それが何とも言えず聞く者の心を揺らす。それは歳を重ねた者にとっては、かつての時代の匂いであり、郷愁であり、思い出であるかも知れず、歳の浅い者にとっては、憧れであり、得難き宝物でもある。

人の目に荒らされることなく、連綿と受け継がれてきた古典の匂いと景色というものが、料亭やよいという空間の中にあって、数式では決して導き出すことのできない、極上の世界を形作っている。人から放たれる言いようのない時代の空気感、流れる時間の緩やかさ、寸分の狂いも淀みもない言葉、それら全てを総合して、浮かび上がってくる江戸の風情に、ただただ身を委ね、想像を委ねることの心地よさに恍惚とする。

笑みが零れ、頬が上気し、じーんと来るほどの節の付いた旋律。底抜けの明るさと、間抜けさを持つ男が、一人で妄想の世界に突っ走っていくことのおかしみ。全てが、ゆるやかに流れる時代の色と匂いを伴って迫ってくる。美しさの輝きに身も心も痺れながら、古今亭文菊師匠の野ざらしが終わる。心が野にさらされたのだ。すぐそばを流れる清き多摩川の水に洗われたのだ。そう思いながら、噛み締めるように仲入りを過ごした。

 

 古今亭文菊 明烏

主催のリクエストにより実現した一席。吉原ほどの耽美で淫靡で、色気のある風情は鳴りを潜めながらも、三業地として栄えた二子新地の、人の色気に思いを馳せながら聞く『明烏』は、特別な体験であった。

吉原の賑わいは、私がどうあがいても得ることの出来ない賑わいである。着物を着た花魁も今はいずこの夢物語。見渡せば渡来の化粧品や技術によって飾られた人々ばかりで、かつての日本が持っていた風情を探す方が困難になった。無論、それが決して悪いというのではない。進化によって失われたものと、そうでないものがあることを言いたい。そして私は、進化によって失われたものに強い興味を抱く人間である。

学問ばかりに励み、色を知らぬ時次郎が、やがては色を知って一人前の男になるであろうことを予感させるのも、それは時代が興奮と色を求めて絶えず努力してきたからに他ならない。どんな人間も必ず一度は、色というものを知るのだ。その色が心に広がってゆくときの快感を覚えたら、その快感に身を委ねて堕落していくのか、その快感を胸にしまいこみ、再び味わう瞬間まで堪え忍ぶかは人それぞれである。どんな人間も、学問に励む己と、色に励む己の両名を有していることは間違いないであろう。永井荷風とて、晩年はストリップ劇場の楽屋に出入りしていたというのだから、新芽は発芽とともに勢い成長に励み、老いては色に精を出す。まるで花のようだと言えぬこともない。

一度で良いから、行けるのならば吉原に行ってみたい。高い金銭を払ってつまらぬ会話に勤しむような、渡来のキャバレークラブという場所には飽き飽きしている。かつては女性であれば一通りの芸を仕込まれたというが、今は芸が無くとも美しければ良いという風潮があって、私のような古風な男は一つも魅力を感じない。むしろ、こちらが金銭を頂きたいと思うほどであるから、案外、私なぞが吉原に行っても、花魁を白けさせて場が白けるだけかも知れぬ。ひょっとすると、毎度起こし番をさせられることになって、ついぞ吉原の興を味わうことなく終わるのかも知れない。

それはさておき、文菊師匠の純粋な時次郎と、札付きの悪である源兵衛と太助は、実に緻密に人物が描写されており、一人一人の個性が際立って鮮やかである。吉原の賑わいも、見返り柳も、大門も眼にも彩に浮かび上がってくる。景色が見えるのである。どこぞで顔を赤らめた男が、したたかな花魁に魅了されながら、頬を崩して微笑んでいる様子が目に浮かんでくる。男と女、色と気。他に楽しみも少ない時代に、束の間の遊びに興じることのできた人々の心に、私は何とも言えぬ憧れを抱く。

粋な言葉の一つや二つ、吐いて見たとてわかりゃせぬ。ぽっかり空いた口の奥、消えていく粋の悲しさよ。と書いてみたところで、気持ちは晴れず、心は曇り。

今や甘納豆という言葉すら、若い人には通じぬという話を聞いて驚いた。今はあまり食されることも無くなったのであろうか。私なぞは祖父母と一緒になって時代劇を見ながら甘納豆を食していたことがあるから身近であるが、そうした風景というものも、徐々に失われていってしまうのであろうか。そう考えると、私はつくづく時代に取り残されたような気持ちになって悲しい。生まれてくる時代を間違えたと言ってしまえばそれまでであるが、言葉すらも風化していくのだとすれば、一体意志の疎通をどうはかって行けば良いと言うのか、皆目見当が付かない。

遊郭の気配を色濃く残した尾崎士郎の短編『中村遊郭』が絶品で、あの短編を読んで以来、遊郭というものに強烈な憧れがある。それをどう言葉で表現して良いか分からないので困っている。文菊師匠の『明烏』には、遊郭に遊ぶ人々の、何とも言えない卑猥さがあって、人間臭さがあって好きである。まだ上手く言葉に言い表せぬのも、私が色を知らぬからであろうか。

 

 語らい

二席が終わった後、懇親会が開かれた。実に楽しかった。ネットで知り合った方々ともご挨拶させていただき、また文菊師匠ともお話をさせていただき、恐悦至極というか、幸福に押し潰されそうなほど幸せであった。私のような若造に、目を輝かせて語り掛けてくれる人もいて、何とも言えない申し訳なさでいっぱいであった。

私は稀な人間であるのだろうか。私自身は、今まで同世代とは一切話が合うことなく今日まで生きてきた。それは決して悲しいことではないが、およそ同世代が興じる世界というものに触れたことが無いのは、自分でもどうかと思うのだが、それらに全くと言って良いほど興味が持てなかったのだから仕方がない。TikTokとやらも、ヒップホップとやらも知らぬ私は、ただひたすらに人とは違う芸術に触れてきただけで、他にも私のような若い人は、数多く存在していると期待してはいるのだが、どうにも身の回りにそういう人がおらず、最近になってようやく、稀な存在なのであろうか、と疑問を持ち始めた次第である。だが、事実、私は同世代と話すよりも、大先輩の方々と話している方が興奮するし、大先輩の話こそ興味深く拝聴できる。もはや心境は老齢に至り、余生を過ごしているような心持ちであるから、どうにも仕方がない。

それでも、まだ若さゆえの体力があって、翌日の5時近くまで語らい、家に帰って惰眠を貪ることはできた。心が老いている気はさらさら無く、いつまでも若くありたいと望む気持ちは失われてはいない。最近、ようやく若い人(自分も十分若いのだが)が、今の流行とやらを教えてくれるようになったので、その教えを受けて若返って行きたいと思う。だが、下手に若返ると自分でも驚くほど変な文章を書いたりするから、どうにももどかしい。結局、こうしてぼんやりと書いているときの文章が一番自分にとってしっくりくるから、私はやはり老けているのだろう。肉体というよりも精神が。

素晴らしい至福の時間を終えて眠りにつく幸福。今までの人生で、これ以上の幸福を味わったことは無かった。本当に、文菊師匠並びに良助会の皆様、そして、こんな素人のブログを毎度、飽きることなく読んでくださる読者に感謝申し上げたい。私の水のこころは、あなたに語りたい。

それでは、また。

どこかでお会いしましょう。