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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

うさぎの声に耳をすませて~2020年3月1日 ナツノカモ低温劇団『月の裏側』~

しめこの兎

動物同士のアテレコをしたことがある。

北海道の旭川動物園に行ったときの話だ。

もちろん僕一人で、それも、ほんの気まぐれで。

まぁ、深くは尋ねないでおくれよ。

ちょうど、クジャク舎の前を通りかかったとき、そこでは美しい二羽のクジャクが互いに見つめ合って止まり木に止まっていた。あまりにも美しかったので写真に収めたのだが、今はどこにあるのか分からないので写真は無い。

思わず見とれてしまうほど、美しいハート型を思わせるような間合いで見つめ合うクジャクに、僕は心の中で言葉を当てていた。

それは、僕の願望であるとか、欲望であるとか、愛とは、愛し合うとは、愛するとは、とか、そういった類のものであったし、およそ僕が異性に対して気軽に語り掛けるような言葉ではなかった。心の奥の奥に秘めた、自分の人生で最後の最後に愛する人に出会ったときだけに言うような、秘めた思いの言葉だった。

僕は陶酔していた。自分の言葉に酔っていた。次第に、二羽のクジャクが官能さを増し、今にも接吻をするのではないかと思えてきた。あの鋭い嘴で、互いに口先を触れ合わせることに、人間の接吻以上の官能があると僕は本気で思った。

翼を広げて、自らの強さを誇示するような力強さも無ければ、官能的な容姿を持っているわけでもない。まして、互いに言葉も無く見つめ合うことなど僕にできるはずもない。だが、目の前で、言葉を交わすことなく見つめ合う二羽のクジャクの間には、確かに愛の言葉があって、それは膜のように薄く放たれていて、互いに気がつかないままに、互いに影響を及ぼすような、そんな言葉なのではないかと思った。

少なくとも、それだけの言葉を僕に想像させるだけの力があったことに間違いはない。クジャク同士の性別が雄雌きちんと分かれていたかということも関係が無い。その間合いと、視線と、目。すべてが僕に言葉を想像させたのだった。

 

そして、舞台はプーク人形劇場へと移る。

 

『月の裏側』と題された、兎達の物語。

僕が全ての公演を見終えて思い出したのは、旭川動物園で見た二羽のクジャクの姿だった。

言葉を持たない動物が、言葉を持って語り始めたときに生まれる、動物たちの言葉の秩序。それは、人間の言語、日本語という基礎に立ちながら、どこか不思議な感覚を聞く者に抱かせる。

初めはナツノカモさんが兎にアテレコしている感じなのかと思っていた。けれど、それは台本までであり、舞台になってからは、ナツノカモさんのアテレコではなくなって、それぞれの兎達が、それぞれに言葉を持って発している。暴走も始めている。

その、手離れした生き物の躍動感と言えばよいのか。ふと、想像をしてみると、

ああ、そっか。

僕がアテレコしていた二羽のクジャクが、

ふいに僕の方を向いて

「「愛し合ってるかい?」」

って言いだす感覚。

僕の想像を超えて、クジャクが喋り出す。そういう不思議な面白さがあった。

あと、もう一個。これはとある方の言葉から、

『クシャクシャになった紙のストローの袋に、水を垂らしたら、ウネウネとイモムシみたいに袋が動く様子を眺めているときに感じる気持ち』

これが近い。どっちも、僕の想像を超えて、想像相手が動き出す感じ。

わかるかな、わからないかな、わからなくてもいいや。とにかく、そういう感じ。

 

[前編]コントをすることになった

二公演前くらいから、その面白さでついに通しで公演されることになった『月の裏側』。詳細は今までのレポに頼るとして、今回も凄まじいほど面白かった。

まぁ、これも、個人的意見なんですが、

開口一番、思わず笑いそうになったことがあった。

声を大にして言いたい。

 

 やすさんの顔!!!!

 やすさんの顔!!!!

 やすさんの顔ぉおおおおお!!!!!

 

最初にうさぎ達が椅子に座っているのだが、今回、初めて最初に座ることになったやすさんの顔が面白すぎた。まだ一言も発していないのに、顔が面白すぎて凝視できなかった。何と言えば良いのか、後々に分かることではあるのだけれど、やすさんの演じるうさの進そのままの表情というか、よく道で宗教系の団体をアピールされている方達がいるのだが、その人達の穏やかな表情そっくりであり、かつ妙に腹立たしいというか、落ち着きっぷりに妙なストレスを感じる面白い表情だった(褒めてます)

そんなライトアップ後の妙に腹立たしくて面白いやすさんの表情がツボに入り、出だしが全然頭に入って来なかった。やすさんの顔を見ちゃいけないという思いで聞いていたのだが、どうしてもやすさんの表情に目が行った途端、「ぷふふっ」と笑いが込み上げてしまい、やすさんの顔が本当に面白くて腹立たしかった。妙に悟ったような表情がストレスの原因だと思う(褒めてます)なんていうか、パグを見てる感覚に近い。ブサイクと可愛いの中間を行くパグの感じがやすさんの顔にあって、言葉にしたいんだけど、これは実際に見てもらうしかないと思う。あの表情は本当に面白かった。

割と序盤でやすさんの表情に心奪われてしまい、他のウサギが何か発言した後、やすさんの表情を逐一確認してしまった。特にしまだだーよさんの圧強めの発言をするときのやすさんの顔が面白くて面白くてたまらなかった。やすさんを見ているだけでも僕は十分に楽しめた。

そして、もう一つ。

これも声を大にして言いたい。

 

 タツオさんが

 可愛すぎる!!!!!!

 

うさの助の謎の発言に対して挙動するうさ太郎。コントかどうか悩むうさ太郎。コントに加われないうさ太郎。うさ吉に思わず言ってしまううさ太郎。全部が可愛い。なんかよくわかんないんだけど、可愛かった。できることなら、もっとうさ太郎が可愛いところを見たい。可愛くキレるところを見てみたい。タツオさん演じるうさ太郎なら、我を忘れて可愛くキレる場面ができるんじゃなかろうかと思った。「ちがう!」だけじゃないキレ方を見たいと思った。

イカれてるけど真面目なうさの助、天然ボケのうさ吉、リーダーっぽくて可愛いうさ太郎、悟りの境地に達したような顔が憎たらしいうさの進、激情型のうさの丈、冷静に見つめるうさ子。一番ニュートラルにいるうさ子も、実はファンシーさがあって、どことなく現実社会の秩序がありそうなんだけど、実は月の裏側に住むうさぎたちだからこその秩序がある感じがあって面白い。

それまでは、『ズレ』であるとか『バグ』であったものが、月の裏側のウサギ達という形をとることで、地球とは別の秩序で動くからこそ生まれる、地球の秩序との差異と、それによって起こる様々な問題、衝突が面白かった。アフタートークでインコさんが言っていたように、「箱庭に住んでいる動物たち」を見ている感覚があった。

割とそれまでの流れを知っている僕としては、「うさ子大人しいな」とか「うさの丈、めっちゃ喋るな」とか、「相変わらずうさ吉は面白いな」と思った。それでも、今回はやっぱりやすさんのうさの進の顔と、タツオさんのうさ太郎の可愛らしさがとても良かった。

後半への流れとして、「なぜコントをやることになったのか」という部分で、急にうさ太郎が泣き出すところも、ちょっと笑った。タツオさんの泣き方が可愛いのである。あの部分はどう捉えたら良いのかわからなかったけれど、タツオさんの可愛い泣き方が面白くて、内容の深刻さとは裏腹にくすっとした。

深刻そうな内容も、その後の面白さで包み隠される。どこまで本気で、どこまで冗談なのかは分からないけれど、それぞれのウサギが、思い思いに様々な方向へと進みながらも、その底には「コントをやる理由」に対する真剣な思いがあって、それがなんだか温かくて面白かった。

一体これからウサギ達がどんな風に「コントをやる理由」について考えていくのか。それが後編では語られていく。

 

[後編]うさ吉の場合 コンビニ

後編最初のコントはおさむさん演じるうさ吉と、しまだだーよさん演じるうさの丈の二人(二匹?)によるコント。

このコントにおけるうさ吉はとにかくカッコイイ。天然ボケかと思いきや、うさの丈の圧強めの反応にも一切怯むことが無い。ピュアな心と真っ直ぐな行動が、おさむさんの不思議な言葉のリズムとともに胸に迫ってきて笑える。

誰よりも真正直に「コントをやる理由」に向き合っているうさ吉。その向き合い方が面白いし、うさの丈に対しても真っ直ぐで、ぶっきらぼうなうさの丈が子供に思えてしまうくらいに、うさ吉の大人なカッコ良さが静かに光っていた。

特別笑いを欲しがっているわけでもないのに、行動が面白さに繋がって行くのは、一つ一つの行動に対するうさの丈のツッコミも勿論のこと、ブレない信念をうさ吉が感じさせるからであろう。台本を読んでも、うさ吉の発言は「言わなくていいことまで、正直に話す」感じがって、その誠実さが面白いのだ。言ってしまえば、うさ吉らしいということであり、それはそのままおさむさんらしい雰囲気と言える。

おさむさん自身が持っている真正直さ、ピュアさが見事にうさ吉という存在に魅力を持たせている。いつになくおさむさんが大人しいなぁと思っていたけれど、改めて台本を読み返すと、おさむさんの魅力が遺憾なく発揮される台詞であるように思う。他の人でうさ吉の台詞を言っても、おさむさんほどのピュアさを込めて言うことは難しいだろうと思うし、面白さに繋げるのは難しいだろうと思う。しまだだーよさんの得体の知れない圧強めの、シャイニングのジャック・ニコルソンばりの狂気に目が行きがちだが、僕はおさむさんだからこそできる素晴らしいうさ吉に、このコントの面白さがあるように思った。カッコイイぜ、おさむさん。

 

うさの進の場合 信心

このコントも最高だった。今回、僕の中ではやすさんのうさの進がMVPなほどの活躍。良いキャラしてるわ~と思いながらコントを見た。

うさの進は信心深いキャラなのだが、やすさんが醸し出す憎たらしい感じが絶妙に面白いのである。そこにきて、真面目なのだけど完全にイカれた常識で動くこば小林さんのうさの助が組み合わさるのが面白かった。

言葉で上手く説明することは出来ないのだが、喩えるならば、漫画『愛しのアニマリア』に登場する主人公で、オランウータンの女の子、オラミの雰囲気がうさの進にはある。語弊があると申し訳ないのだが、物凄くピュアな気持ちを持っているんだけど、それが絶妙にしっくりいかない感じと言えば良いのか。これはちょっと言葉に困る。

なんというか、ソフトな野性爆弾のコント感がある。ロッシーという天然ボケだけど物凄いピュアな存在に対して、くっきーという異次元の狂気が混ざり合う感じに似ている感じがした。うさの進のピュアなんだけど憎たらしい感じと、うさの助の真面目なんだけど他人への接し方が狂ってる二人の感じがたまらなく好きである。

特に最後の、うさの助が持ってくるもの。あれはめちゃくちゃ面白かった。野性爆弾のくっきーさんが、フリスクを食べているときに、後輩から「くっきーさん、何食べてるんですか?」と尋ねられて、「ああ、これな、母の遺骨。母の遺骨食ってんねん」と言うくらいの、突拍子も無い飛躍と同じようなものを感じて、それがとてつもなく面白かった。あの面白さって、本当、自分でもよくわからないけど笑ってしまう。

 

うさの助の場合 遊戯

三つ目のコントは、妄想少女(?)うさ子と、狂った常識を持つうさの助によるコント。ファンシー炸裂なうさ子の、「例の件予想」からの、うさの助による「狂った一人遊びシリーズ」の披露。

この二人の組み合わせが、一番低温感がある。というのも、このコントには演出的な派手さは無い。あくまでも言葉の面白さ、想像の面白さがあって、一番落語的だと思った。次へと繋がるコントのためか、オチは無いのだが、随所にナツノカモさんのセンスが光るワードが幾つもあって、これは台本を読んだ人だけのお楽しみとしておこう。

割とこば小林さんとナツノカモさんのコンビは、これまでの公演を通して見た感じでは、温度が近い感じがした。似ている部分もあるというか、なんというか、しまだだーよさんとこば小林さんを足して二で割ったのがナツノカモさんという印象である。合ってる合ってないという話ではなく、僕の感覚ではそんな感じがしている。

そして、ここから『うさの丈の恋』までは繋がりを感じさせるコントだった。

 

 外科医 うさ・J

続いて登場したのは、インコさん演じる外科医うさ・J。そしてうさ子とうさの助が登場し、三人の会話が始まる。

うさ・Jのカリスマ感と、妙な説得力。そして「第一スピアー」という謎の専門用語。どこかで聞いたことがあるような気がしないでもないワードに籠る妙なリアリティ。『セピア』と『第三セクター』なら聞いたことがあるが、『スピアー』はポケモンの名前でしか聞いたことがない。それなのに、病気の進行度合いを現わす言葉として『第四スピアー』とまで言われてしまうと、よほど深刻な病気であろうと想像してしまうから不思議である。

コントに限らず演劇を鑑賞するうえで、「すぐに検索できない」状態はとても良いと思う。「え、なんだよスピアーって、そんなの聞いたことないぞ」と思って、すぐに検索してしまうと、「あ、うそかー」となって、コントそのものが楽しめない。落語だって「ちはやふる」を聞いている最中に「ちはやふる」を検索してしまっては、何も面白くない。と、余計なことを書いておく。

第一スピアーから第四スピアーまでの過程が、徐々にエスカレートしていく様子と相まってとても面白い。インコさんの言葉のインパクトもさることながら、訳の分からないワードと訳のわからない症状があって、その訳の分からなさが面白いのである。どんなに調べても、この分からなさを分かることはできない。わからないことを、わからないまま受け入れることの面白さ。これもまだ上手く説明できないのだけど、わからないんだけど、微妙に分かりかける感じがあって、N極とN極の磁石がくっつかないことは分かるんだけど、くっつけようとして、くいっと曲がっちゃう面白さと言えばいいんだろうか(これも分かってもらえるかはわからない)

とにかく面白さが発散していくコントだった。

 

うさの丈の恋

今回の公演の中で、このコントが一番面白かった。特にしまだだーよさん演じるうさの丈。こいつがもう、面白くて面白くて、

ここも声を大にして言いたい。

 

うさの丈!!!!!

 最高!!!!!

 

もうね、なんていうかさ。分かるのよ。凄く。凄い純粋な気持ちがこのコントにはある。それってもう、「好き」って気持ちなんですわ(急に文体が変わる)

「好き」って気持ちが引き起こす、ありえないほどの感情の爆発。そして自分でも制御しきれない謎の行動。うさの丈が「好き」という気持ちに染めつくされたときの、爆発的な面白さ。僕の体感では、会場の笑いが最高点に達したのはこのコントだったように思う。

うさの丈の抑えきれない「好き」という気持ちに翻弄されるうさの進とうさ吉。もはや「好き」という気持ちに支配されたうさの丈は誰にも止められない。

台本も面白いのだが、しまだだーよさん演じるうさの丈の激情型の性格が熱くて、振り切れていて、まるで初めて恋に目覚めた男子のような危うさと情熱があって、それがたまらなく面白かった。

そして、最後の最後で、うさの進の手刀からのオチまで、怒涛の勢いで面白い。上手く説明することはできないのだが、とにかく面白い。台本もそうだが、今一度、コントを見て、その面白さを体感してほしい面白さである。

後編のラストを飾るにふさわしい、最高に面白いコントだった。

 

エピローグ みんなで考えたい

うさぎたちがそれぞれに考えて、再び元の位置に戻ってきたとき、最初の風景から何一つ変わっていない(うさ・Jさんが増えたくらい)のだが、確実に物事が前に進んでいて、それでも相変わらずうさぎたちはうさぎたちで、それぞれ思い思いに意見を出し合っている感じがあって面白かった。この公演の前日に文菊師匠の『長屋の花見』を見ていたせいもあってか、どことなく『長屋の花見』感があって、『月の裏側』では、正にうさぎたちがワイワイと、何かを考えながら生活しているように思えた。

地球の生活とは違うのだけれど、月の裏側にはうさぎ達の生活があって、時間が流れている。それはひょっとすると、江戸時代の人達の生活に現代に生きる人が憧れる気持ちと似ているのだろうか。少なくとも、私は江戸時代の人達の生活に憧れているのだが。

色んな生活の悩みであったりとか、諸所の問題を、昔はインターネットが無いから、近所の人達と意見を出し合って解決しあったのだろうと思う。いまや、インターネットがあるから、近所の人と会話をしなくても、ネットに大体の問題の答えは記されている。と、書いてしまうのは早計で、実は世の中にはまだまだ、ネットには載っていない、様々な問題があって、答えの出ないものがたくさんある。

ググれば一発解決。そんな時代が目の前にあるようで、実は目の前には無い。あるような気になっているだけで、ひょっとすると何も無いのかもしれない。と、なぜか書いておきたくなったので書いた。

今回の公演も『月の裏側』と題して、一応「コントをする理由」は明確にされ、コントをしたらどうなったか、ということも明示された。でも、まだまだ解決しないことばかり。一生かかっても解決しない問題に向き合って、物語はフェードアウトしていく。なんだか、最後に照明が消えていくとき、ゆっくりと月が回転していくような風景が浮かんだ。またいつか、月の裏側を見ることができる日が楽しみである。

改めて、今回、ウサギ達の物語に絞ってコントを作られたナツノカモさんの決断は素晴らしいと思った。一つの物語の奥行きが拡がっていくとともに、またさらに様々なことを考えるきっかけになって、コントの奥深さと、これほどまでに色んな可能性に溢れているのかと驚いた。コントって、本当に凄い。

あとがきを読んで、僕は芸人ということには意識が及ばなかった。それよりも、演者それぞれの人間としての魅力。どうしても滲み出てきてしまう人間性が面白くて、それはきっと理屈では説明できない部分であり、かつ答えもなくて、聞き手がそれぞれに感じる印象みたいなものだと思うから、何とも言えないのだけれど、少なくとも、僕は演者とウサギのマッチ感が凄く良かった。

今後、うさ子を含め、うさ太郎やうさ吉、僕の中では大活躍のうさの進、そして後編のトリで圧巻の突き抜けを見せたうさの丈。誰もが魅力に溢れていて、凄まじかった。ずっとゲラゲラ笑っているというわけではないのだけれど、確実に貫いてくるような面白さがあって、それがとても心地よかった。

さてさて、長々と書いてしまったが、一言で言えば「面白い」という言葉に尽きる。だが、そんな一言で僕は語りを終えることはできなかった。奇しくも、旭川動物園での一人アテレコを思い出すくらいに、素晴らしい公演だったのである(その思い出を思い出すことが、どれだけ重要なのかは知らないが)

それでは、またどこかでお会いしましょう。(この文章面白いな~、と書くのは、『一人ブログ』であろうか)