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落語界のマッドマックス 三遊亭笑遊師匠の爆音のラフ・ロード

久しぶりにね、親父の墓参りに行ったんだ。

遺品を整理していたら、親父の写真が 出てきたんだ。

俺にそっくりだったんだよね。

だから、思わず俺はその遺影に向かってピースして言ったんだ

イエイ

  誰もが脚光を浴びる世の中では無いことくらい、私はとうに知っていたのだが、これほどまでに脚光を浴びない爆笑王はいないのではないだろうか。三遊亭笑遊、齢68にして気合いと大音量の声で爆笑をさらっていく落語家である。

 笑いに貪欲で、とにかく大声を出す。寄席でしか出会えないような面白い人なのである。

 自分がトリでは無い寄席では、ぼそぼそと小さな声で喋り、ほとんどやる気が感じられない人だが、トリになると冒頭から勢いが凄まじく、『とにかくお前らを笑わせてやる!』という気概を強く感じるのである。もちろん、トリで無くてもお客さんが多い時はトリの人を食うほどの爆笑をさらっていく人でもある。

 笑った顔も素敵なおじさんである。笑遊師匠の芸は大げさだし、決して品があるわけでもない。ましてや、格別に上手いとか、唸るような芸という訳でもない。ただ一言『腹を抱えて笑える芸』だと私は思っている。客席でいじられるとますます好きになるだろうと思う。観客が少なくても、とにかく笑わせようという熱意がある。トリの場合に限るが、私は笑遊師匠との忘れられない一席がある。確か、その時は『祇園絵』という演目だった。笑遊師匠の啖呵は是非とも聴いてもらいたい。活力が湧くというか、江戸っ子だ!というような気分にさせてくれる。

 新作落語が流行する中で、古典を面白くやれる人間は中々いない。同じ話であっても笑遊師匠だからこそ笑える話がたくさんある。上方には桂枝雀という笑いにとことんまで論理的に取り組んだ落語家がいたが、笑遊師匠はそういう知性みたいなものを感じさせない。とにかく自然体で落語の中で弾ける。なんというか、その潔さというか、俺は落語に生きて、落語に死ぬんだ!という迫力みたいなものが伝わってくるのだ。

 それは正にマッドマックスである。座布団なんぞに座っていられるか!とばかりに舞台をどたん、ばたんと足で叩く。もう床が抜けるんじゃないかというくらいに足の甲で舞台を叩く。そして、全身で「行くぞ!行くぞ!」と大声で叫ぶ。『片棒』などの演目では、そんな爆音状態の笑遊師匠の姿を見ることが出来る。いつ火が噴いてくるのだろうかとドキドキするような、最高の体験を与えてくれる。

 これから、どんな笑遊師匠になっていくのだろうか。まだまだ爆音で落語をやり続けていくのではないかと思うと、早く見ておかないと損だ。あんな爆笑王はそこそこいるもんじゃない。小難しさとか小手先の技術だとか、そんなことよりも味わうべき熱意・情熱・気合・根性。そこには一つの悲しみも無い。そんなものを全て吹き飛ばして笑いに変換してしまう男。それが三遊亭笑遊師匠なのだ。

 とにかく笑いたければ笑遊師匠を見ることをオススメする。

 最後に、これはちょっとした苦言だが、三遊亭小笑という笑遊師匠の弟子がいる。ダミ声というか、なんというか汚い落語家である。ちょっと高座から匂ってくる体臭が臭い。笑遊師匠のような激しさは無いし、なんだか微妙な落語家である。

 これから小笑さんがどんな落語家になるのか、正直殆ど興味は無いのだが、笑遊師匠らしさを感じさせてくれる何かを得るのかどうか。少し心配である。

 と、二つ目の落語家を気にしても仕方が無いので、とにかく笑遊師匠を見て、聴いて、体験してください!