文藝秋蔵 その気兼ね無き心~2018年10月14日 鈴本演芸場 橘家文蔵~
私は頼まれて物を云うことに飽いた。
自分で、考えていることを、読者や編集者に気兼なしに、
自由な心持で云ってみたい
向いているか向いていないかは、客が決めること
今朝は不思議な夢を見た。
十畳ほどはあろうか、畳敷きの広い部屋の中央に四角い大きなテーブルがある。胡坐をかけば丁度いい高さにあるテーブルの上には何もない。私はどこからともなくやってきた髭もじゃの老人二人と語り合っていた。
「じゃあ、春日井梅鶯を生で聞いたことがあるんですね?」
「ああ、聞いたよ。良い声だった」
「広沢虎造はどうでしたか?」
「ああ、彼はラジオの方で売れたからねぇ」
それから急に場面転換。映画『人情紙風船』に出てきそうな長屋の通りを、僧の恰好をして菅笠を被った小三治師匠が、琴のような、三味線のようなものを弾きながら歌っていて、その歌声と音色に心を奪われ、もう一度聞きたい!と思ったところで目が覚めた。
夢は五臓の疲れ、そんな言葉を思い出す。日中は用事があったのでパパっと済ませる。そもそもこの用事のせいで、昨日はせっかくの伸べえさんの高座レポートを途中で切り上げて眠らなければならなかった。用事というのは、つくづく不憫なものである。
鈴本演芸場の前に行くと、それほどの行列ではなかった。それでも、私は謝楽祭での熱狂的な文蔵師匠のファンの皆様を目にしているから、きっと満員にはなるだろうと思っていた。
文蔵師匠の魅力とは、私が思うに親分気質を感じさせるところだと思っている。一見すると強面で近付きづらく、下手なことをすればぶん殴られて蹴飛ばされて、酷い目に合うのではないか、という気が最初に見た時は感じた。何度も高座を見て行くうちに、情に厚く、お茶目で、時に可愛らしく、時に豪快。道灌や夏泥などを実に面白く、おかしくやる落語家さんである。
ファンが多いのも頷ける。Twitterや謝楽祭でのお姿、対応を見ていると、温かい笑顔とお茶目な顔を見ることができる。きっと、そういう人間らしさにみんな惚れているのだと思う。私は文蔵師匠の親分気質が好きだ。決して威張ったり、恐喝したりというような、いわゆる893ではない。それを何となく感じるまで、随分と時間がかかりました(笑)
さて、そんな熱狂的なファンに支えられて始まった本日の番組。私が個人的に感じたところをピックアップしつつ、トリまでさらっと紹介。
台所おさん『狸の鯉』
前半のハイライトは何と言っても台所おさん師匠だろう。前回、『極上の闇鍋』記事
で、台所おさん師匠の魅力に気づいてしまってから、久しぶりの高座。一言で言えば『ぬくもり』なんですよ、おさん師匠の落語は。真っすぐで純粋な瞳、温かくて優しい声、貧乏だって心が幸福なら関係ないんだ、というような雰囲気。狸の鯉に出てくる狸にも、それを見守る親方にも、登場人物全員に『ぬくもり』を感じるのだ。この温かいぬくもりは、おさん師匠から滲み出る純粋で温かい心なのだと思う。一見すると派手さはなく、地味で目立たない。だがじっと耳と目を凝らして聴いていると、その一定の声の音色、温かい言葉の数々、そして真っすぐな目。色んな人で狸の話を聞いているが、滑稽さを表現する落語家さんが多い中で、おさん師匠の落語は滑稽さに温かみを足していると私は感じる。まるで包まれるような心の良さと、決して狸を奇異な目で見つめず、平等な存在として扱う親方の懐。言葉と音色が実に気持ちがいい。私はおさん師匠で『妾馬』とか『文七元結』を聞いてみたい。11月の上席では鈴本演芸場でトリが決定している。是非とも大ネタを見てみたいと思った。
お馴染み左龍師匠の宮戸川。私としては『顔芸の左龍』という名で通っております。ぐりぐりに開かれた目と、眉と、大きな顔が巧みに動くさま。表情そのまんまに発してくる声。なんでも飲み込んだ!の一言で片づける叔父さんにも磨きがかかっている。確か『シンデレラ伝説』などの新作も寄席でやっていたりする。人情噺というよりは滑稽噺が似合っている印象。声色と表情で見せる芸、素敵です。
宝井琴柳『笹野権三郎 海賊退治』
前半、良い人ばっかりなんですよ(笑)宝井琴調先生の代演で登場の琴柳先生。独特の高い声と、息を吸うときの間、少し登場人物がか細く見えながらも、笹野権三郎が斬っていく様は気持ちがいい。もっと低い声と張りのある声で聴きたいと欲張りにも思いつつ、琴柳先生の声の調べで聞く。良いですね、修羅場のある講談は聴いた後の気分が爽快です。
一之輔師匠はいつ聞いても安定。現代的な感覚を随所に挟み込んだ浮世床はお見事。古典にアレンジを加えて笑いを生み出すスタイルは数多の落語家が挑んでいるが、一之輔師匠ほど現代的なワードを挟むセンス、そして古典の口調を持った人はいないと思う。毎回、改めて思うのだけど、春風亭一朝師匠の門下生は、みんな口調が良いんですよ。声のトーンが一定というか、音階的に高低差が少ない。お経のようとは言わないけれど、そういうものを聞いている心地よさがあるんです。それで、あのフラと間。もはや笑わずにはいられない強烈なワード。一之輔ワールド全開の一席で仲入り。
春風亭百栄『露出さん』
仲入り後は日本一汚いモモエを自称する百栄師匠。柳家わさびさんで一度聞き、百栄師匠でも数回聞いたことのある露出さん。今回は悲しいテイストを押さえて笑いを増やした演出。このアウトなんだけど、アウトじゃない感を出した演目で、割と女性率の高めな会場を盛り上げていく。あと、台所おさん師匠から裏テーマで「少し下ネタ」が続いていたように思う。普通に考えたら絶対卑猥なんだけど、百栄師匠が落語としてやるとオッケーになる世界。素敵に緩い一席。
橘家文蔵『ねずみ穴』
素敵な音色を披露してくれた小菊さんの後で、待ってましたの文蔵師匠。大喝采と「待ってました!」、「たっぷり!」の声に迎えられて、堪らないような表情で深々とお辞儀をした文蔵師匠。ネタ出しの『ねずみ穴』を「自分には合わないと思っている」と言いつつも、「ある人に、合う合わないはやってみなきゃ分からないでしょ。合う合わないは客が決めること」と言われたという。
私の『ねずみ穴』体験は動画で談志師匠、圓生師匠、生で林家たこ蔵師匠。深夜寄席のトリでたこ蔵(当時:たこ平)師匠がやっていて、たこ蔵師匠の底の見えない感じと、若干の狂気みたいなものが見えて印象に残っていた。
文蔵師匠の『ねずみ穴』を通しで聞いた感想としては、太くて、鈍くて、ずっしりと重い感じがした。たこ蔵師匠の『ねずみ穴』に感じた胸を切り裂くような迫真の高座と比べると、私としては物足りなかった。それでも、文蔵師匠の真剣さと、時々挟まれるお茶目な話がねずみ穴に緩急をもたらしていた。『ねずみ穴』という演目は改めて難しいのだなと思った。というのは、捉え方が難しいし、大ネタだからある程度客の集中力を持続させなければならない話だと思う。文蔵師匠の場合は、古典の空気を壊さずに少しずつ笑えるネタを挟み込んでいくスタイルだった。談志師匠やたこ蔵師匠の場合は、割とシリアス寄りに演じられていると私は思っている。圓生師匠はその点、中間を突いているし、人物描写の描き分けが熟練の音色で表現されていて、やはり名人の芸だと驚嘆してしまう。
『ねずみ穴』の内容は他に任せるとして、文蔵師匠テイストの『ねずみ穴』は、語り口と相まって、重たく、気が付くとずっしりと来ている感じだった。合っている合っていないで言えば、私は合っていないと思うけれども。
日曜日の夜だというのに大勢の客で埋め尽くされていた。ご常連の皆様は最前列にびっしりと固まっている。良い寄席でございました。
さて、来週はどこへ行こうかしら。