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巣鴨止まりの若さの後で~2018年11月4日 スタジオフォー 四の日寄席~

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落語心中で若い人にも大変人気だそうですが、この会は巣鴨で止まってるのかな、若さが

 

ペーさんがねぇ。

 

二番を煎じておけ

 

ごぉんすけぇ、ごぉんすけぇ

 

 死んじゃったって言っちゃいなさいよ

  朝練講談会を終え、私は電車に揺られてスタジオフォーのある場所へと急いだ。途中、都電荒川線に乗ったのだが、私を含めて実に乗車している方々の年齢が高い。一両しかない車両が烏合の衆でごった返し、あちらこちらでぴーちく、ぱーちくとご高齢なご婦人方が話し合う声が聞こえてくる。電車を降りる者のマナーをしきりに責め立てたりして、見ず知らずの乗客にも「ねぇ、降りるって三文字がどうして言えないのかしらねぇ」なんて同調を求めながら、色んな意味で混沌とした車内の中で一人、私はぼーっと突っ立ちながら本を読んでいた。

 時代は変わったのだとボブ・ディランみたいなことを友人が言っていた。かつては見ず知らずの人間であっても、盛んに言葉を交わしていたし、映画館では喋っていない人間の方が珍しかった。最近ではすっかり映画館で騒ぐ子供に向かって「黙れ!小僧!」なんて吐き捨てるように言う者が圧倒的多数になった。あの頃はみんな馬鹿だったんだねぇ。でも、馬鹿は馬鹿なりに楽しんでいたものさ。と友人は笑った。

 今でも、特に私のような世代は人と会話をすることが楽しみだったのだ。今ほど娯楽に溢れてはいなかったから、情報を得るにはとにかく足を運んで色んな人に出会わなければならなかった。これほどまでに情報が発達してくると、人間の持つ理性がとても強くなって、人はそう簡単に騙されなくなったし、とにかく賢くなった。そして、その知性がマナーとなり、マナーに従わないものはアウトローとされて煙たがられた。

 誰かと会話をしなくても、ただスマートフォンを動かせばありとあらゆる物事を知ることが出来る。とても便利な世の中になったものだと思う。実際、電車を乗り継いだり、目的の場所に行くにしても、とにかくスマホ、文明の利器というものは肌身離さず持っていなければならない。

 時代の移り変わりは世の常ぞ。そんなことを思いながらスタジオフォーに辿り着く。静かな落ち着いた雰囲気のある場所で、こんなところで落語会が行われているとは思いにくい場所である。中に入ると80名ほどのキャパのスペースにずらりっと椅子が並べられており、これくらいのスペースが落語を聞いたり講談を聴くには良いスペースだなぁと思うギリギリの広さである。あるいは秘密集会みたいなものが行われていても不思議ではない。そんな素敵な場所である。

 調べるとジャズのライブをやっていたりもするのだという。周辺は実に静かで穏やかな雰囲気なのだが、スタジオフォー内は実に様々な熱が湧き起こっている。なんだか想像するとワクワクしてくるような場所なのだ。

 とても素敵な場所なので、ホームページのURLを貼っておくことにする。

スタジオフォートップ - スタジオフォー

  

 毎月、4日に行われている落語会があり、『四の日寄席』と呼ばれている。メンバーは主催者の好みなのだろうか、古今亭文菊師匠、隅田川馬石師匠、桂やまと師匠、初音家左橋師匠、古今亭駒治師匠がご出演されている。今回は代演で菊志ん師匠だった。

 この場所には去年来たことがある。トリで文菊師匠が笠碁をやっていた。その時は志ん陽さんが駒治さんの代わりにいた気がする。とにかく、久方ぶりの『四の日寄席』である。

 恒例の客層判断だが、とにかく年齢層が高い。殆どが60代~70代の男女といった様子で、なかなか若い人が溶け込みずらい雰囲気がある。何よりも、若さ特有の活気というよりかは、静かに静かに見守っていますよ、という包み込むような優しい雰囲気が漂っていて、なんだか時間がゆったりと流れているように感じられた。またこれも不思議な雰囲気を持った空間だなぁと思う。こういう場所での落語会は、渋みとか若さ云々を抜きにして、ただ穏やかで温かいのだ。ちょっと私の隣にいた80代くらいのご老人は臭ったけれども、それもご愛嬌である。

 盛大な拍手に迎えられて、開口一番はお馴染みの方である。

 

 古今亭文菊『道灌』

 いつもの出囃子ではなく、なんという名前か分からない出囃子で登場。出囃子と登場は雰囲気づくりに欠かせないものなのだな、と思う。私のような文菊ファンになると、出囃子の『関三奴』が鳴っただけでピリッと背筋が伸びるし、あのゆったりとした低空飛行のような高座へ上がる姿を見ただけで、息を飲む。今回はほのぼのと登壇されて、話題のドラマ『昭和元禄落語心中』の話題に触れた後、若さは巣鴨で止まっちゃったのかな、という話から、浅草演芸ホールで行われている古今亭円菊師匠の追善興行の話題から、若い人にもっともっと触れて頂きたいですねぇ。という話から『道灌』に入った。

 前座噺であっても、真打になると凄みが違う。ただの掛け合いなのに、どうしてこうも前座と真打で面白さが異なるのか、それは数値では測れない間やトーン、一つ一つのセリフがそうさせるのだろうと思う。本日も文菊師匠は少しお風邪気味の声だったが、渋くて深みのある、何年も修行をしてきたが故に出てきた味わいのある道灌が良かった。開口一番という順番もそうだが、後に続く先輩方への確かなリレーの意志を強く感じた。こういうところで大工調べをやらないところが、文菊師匠、さすがの一席。

 

 初音家左橋『長短』

 お久しぶりの左橋師匠。四段目や紙屑屋では美しい声と愛嬌のある口調が実に見事で、全く落語を知らない人でも一発で好きになる個性を持った落語家さんである。鋭いけれど温かみのある眼と、なんとも愛嬌のある笑顔。端正なお顔立ちと優しいお声。和製ジョージ・クルーニーは言い過ぎ?かも知れないけれど、左橋師匠の落語が私は大好きである。なぜかじっと見ているとカナリアをイメージしてしまう。どこか鳥のような美しい声色を持ったところが、そう感じさせるのかも知れない。

 林家ペーさんの話から、色んな気性の方がいるとふって『長短』に入った。気の長い長さんの何とも言えない愛らしさ。気の短い短七さんのせっかちぶり。どれもが左橋師匠のテイストになっていて、可愛らしい。いじらしさというよりも、お互いにお互いの関係を楽しんでいるような、そんな雰囲気を感じさせる。文菊師匠の長短と比べると、長さんと短七さんのキャラクター性はそれほど誇張されてはおらず、どちらかと言えば柳家の芸風に近いと思っている、土着的な印象を受けた。私としては美声を活かした落語が真骨頂だと思うのだが、ここもやはり二番手としての演目選びだろう。素敵な声色を堪能した可愛らしい一席。

 

 桂やまと『二番煎じ』

 仲入り前は桂やまと師匠。少し香水を付けていたのか、羽織を脱ぐと良い香りがふわっと漂ってくる。寄席ではそれほど見かけないが、住吉踊りでは抜群の踊りを披露する達者な落語家さんである。普段はPTA会長もされており、どことなく町内を纏めるリーダーのような雰囲気を漂わせている。そんな経験もあってか、見事にやまと師匠にぴったりの『二番煎じ』だった。登場人物が多く、話にそれほど多くの山場は無い物の、随所で聴かせる語り口だった。私としては『二番煎じ』は非常に難しい話だと思っている。それほど爆笑を誘うような小ネタは前半には無く、後半にほんの僅かあるかという面白い部分まで、とても小気味の良いテンポで聴かせていた。これは観客も試される演目で、最後のオチを聞くまでじっと聞いていないと、前半のフリや随所に散りばめられた小ネタが効いて来なくなる。おまけに登場人物が多いので想像力も要求されるし、結局最後まで聞いても、それほど大きなカタルシスが得られない話である。寄席では手っ取り早く笑える話も多いのだが、こういう話をじっくり聴かせられる技量というものも、落語家には試されているのだと思う。

 私の周辺の方々は思いっきり寝ていたのだが、そんな穏やかな時間の中にあってじっと聴いているお客さんも多くいた。体力と知力の要求される高度なお話。最後のオチを聞いてどっと拍手が沸き起こったところを見ると、結構多くの客が聞き入っていたのだなと思って、客席も侮れないな、と思った。

 四の日寄席に来る方は、反応はそれほど大きくはないが、じっくり聞く派が多いように思った。こういう客層は落語家はとても嬉しいものだと思うけど、眼に見えた反応が無い分、難しいと思う。どかどかと笑ってもらえば、「あ、ウケてるな」と思うものだが、黙ってじっとして感心されると、どうにも実感が湧かないのではないか、と思う。もしかすると笑う気力さえ無い方々も大勢いる中で、そんな客層はある意味、怖いけど幸福なのかも知れないと思った。

 考えてみると、客席の反応が全く無いと不安になる。でも、本物、真剣な芸であればあるほど、観客は聞き入って黙ってしまうものなのだと思う。演劇なんかを見ていてもそうだ。そこには大きな反応はなく、ただただ舞台で感情を爆発させた役者が躍動するだけである。突き詰めて行くと、真の芸とは観客の無反応を呼び起こすものなのかも知れない。と思ったり。じっと考えつつ、仲入り。

 

 古今亭菊志ん『権助提灯』

 古今亭駒治さんの代演で登場の菊志ん師匠。寄席で見る時よりも語り口がゆっくりで、ほんの少しばかり本気状態なのかな、と思いつつマクラはお馴染み。客席の聞き入る様子を言いつつ、『権助提灯』に入った。やまと師匠の『二番煎じ』を華麗に引用して笑いを誘う。とにかく爆笑の一席だった。畳み掛けるように女将さんとお妾さんの演じ分けが押し寄せてくるし、旦那の戸惑う様子と、それを笑う権助の姿が、怒涛の勢いで繰り出され、穏やかにじっくり聞く会場とは裏腹に、爆笑の反応が何度も沸き起こる凄い高座だった。特に女性の演じ方はトーンが素晴らしく、そんなところで言葉に力を入れるのか!という絶妙に面白い力の入れ具合。女将とお妾さんにはモデルでもいるのかと思うほどくっきりと性格が表現されていた。

 爆笑の一席はあまり冷静に分析できないのだが、寄席で感じていたような急速なスピードよりもむしろ、少し速度を落としながら聴かせるスタイルの語り口は実に見事だった。表情は私が思うに、いや、やめておこう。これは親しい人だけの秘密にしておく。

 爆笑を巻き起こした渾身の一席の後、大トリはご存知。

 

 隅田川馬石『お見立て』

 馬石師匠は不思議な間を持った落語家だと私は思っている。五街道雲助師匠も不思議な間と口調を持っているし、蜃気楼龍玉師匠はヤクザ風な間と口調、桃月庵白酒師匠はキレッキレな鋭い間と口調を持っている。この一門は名前も含めて実に個性的な集団だと思っている。柳家や古今亭のお家芸というような、ある種の伝統的イメージから離れ、個人の持つ個性の間と口調を持っているように思うのだ。すなわち、柳家や古今亭が持つ、どこか似通った基礎を感じさせる落語家とは異なる、それぞれがオンリーワンの基礎を持っているように思うのだ。

 そんな中で、けっして爆笑というスタイルではないが、耳馴染みが良くて聞きやすく、派手な特徴は無いけれど少し不思議な語り口を持っているのが、隅田川馬石師匠だと思う。良い意味で個が無いのだけれど、個が無いことが個性になっているような、なんとも形容しがたく表現することが難しい落語家さんである。

 何に似ているかと言えば、落ち着いた『さかなくん』と言えば良いのだろうか。落語を愛し落語の世界に身を浸し、体の芯まで落語を知り尽くしているが故の、その染み具合がもたらす雰囲気というのか、他の誰とも似通った部分の無い、それでいて真っすぐで正統派な落語をやる人である。どの演目を聞いても、江戸標準から僅かに別の位置で輝きを放っている感じといえば良いのだろうか。ここまで色々と試行錯誤したのだが、どう表現すれば良いか、難しいのである。

 『お見立て』を聞いていても、登場人物の個性がさほど際立っているわけでもない。どちらかと言えば杢兵衛も喜瀬川花魁も、喜助も、登場人物の心情というものが色濃く表現されていないように私は感じた。それでも、演目本来のおかしみをしっかりと表現するし、とても面白く感じるのは一体なぜなのだろうか。実にくっきりと登場人物の個性を表現する文菊師匠の『お見立て』と比べれば、あっさりとしているのだが、妙に面白くておかしい。でも、どうにも今、しっくりくる表現を思いつけない。おそらく、それこそが馬石師匠の魅力なのだと思う。どこまで聞いても馬石師匠の本来の人間性というものが見えてこないのだ。その見えてこないことによる、落語のテキスト的な面白さ。そんなものを感じた一席だった。

 

 総括すると、最強のコスパである。是非とも落語に親しんだ方には足を運んで頂きたい会だった。またお休みの日が4の日にぶつかったら、今度は歩いて通おうと思う。

 少し霧雨程度ではあったが、私は次の会に向けて電車に乗った。

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