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言を冓み言の炎とする~2018年10月21日 お江戸日本橋亭 朝練講談会 田辺いちか 一龍齋 貞橘~

釈台の奥にある炎を私は見た。

 

確かに見たのだ。 

 

天気快晴。心地の良い空気に包まれながらお江戸日本橋亭に足を運ぶ。前回の松之丞さんの時と比べて、明らかに客の入りは少なく、風通しが良い。

私は知っている。こういう会に通う人ほど、生粋の講談好きである。十人十色という言葉通り、どんな物事にも人それぞれ色があり、楽しみ方は違う。講談そのものが好きだという者がいれば、講談師そのものが好きな者がいるし、どちらも好きだという者がいる。それは世の常、人の常。私は着座してじっと辺りを見回す。客の顔つきがまるで違う。凛々しく、まるで幾つもの教養を積み重ねてきたかのような顔つきの人々。眉は太く、白髪の紳士の眼は澄んで力強く、髭を蓄えて眼鏡を掛けた紳士の佇まいには知の風格が漂っている。

そんな講談好きの猛者が集った会、最初に出てきたのは田辺いちかさんだ。

 

田辺いちか 『三方ヶ原軍記~内藤の物見から抜き読み~』

列に並んでいる時にいちかさんをお見かけした。どこかの旅館の若女将かと思う着物姿と美しい所作。丁寧にお辞儀をして楽屋入りされる姿を見ていると、「本当に講談師?」と疑ってしまったのだが、出てきてすぐに疑いが晴れる。凛々しく力強い眼、そして滲み出る講談愛。きっと、客席にいる講談好きの猛者以上に講談に惹かれ、そして講談師になったのだろうなぁという雰囲気を感じさせる言葉の数々。

釈台の前に立ち、「これを見ると講談ファンの方々は、はぁっと息を吐かれると思いますが、」という前置きから、三方ヶ原軍記の台本を釈台の前に置いた。古い和紙特有の茶色みの台本に、縦書きでつらつらと鰻がのたくったような文字が書かれてある。素人には判読が難しい読み物なのだろうなと物珍しく見ていると、ぴしりっと釈台を叩いていちかさんが語り始めた。力強く腹から声を出すとともに、三方ヶ原軍記の冒頭「頃は元亀三年~」のお決まりのフレーズを口にする。そこで、いちかさんの配慮として解説が始まる。三方ヶ原軍記とはどういうものか、前座はなぜこれを最初に読むのか、なぜこのフレーズから始まるのか。新宿の名の由来から、真田丸を引き合いに出したり、映画的と言って見たり、また、「ここからは眠くなるところ」などと挟みつつ、客を引き付けて語りを進める。特に鎧兜の説明シーンや武田の五色備えの説明はとても分かりやすく、初心者でも想像が容易い配慮がなされていて、こういう説明こそ、もっと広く講談初心者の方や講談を知らない人にも知って欲しいなぁ。と感じた。

実に丁寧な解説は、恐らくいちかさん自身も三方ヶ原軍記を自らのものとして理解するために、苦心した結果だと思う。「講談はね、最初の三か月を耐えて聞くと、ある時急に面白く感じられるんだよ」と先輩に言われたという話もあったが、今は神田松之丞さんという、講談へと誘う案内人がいるし、前座も増えているようだから、きっとこの努力は実ると私は信じている。

かつては、神田山陽という講談師がテレビに出たり、SWAで新作講談を作ったりしていた。ところが、あるときからぷっつりと姿を見なくなって、それから講談はあまり知られないようになったと私は思っている。ところが、去年の暮れごろから爆発的に神田松之丞という講談師の知名度が上がり、そこから今や講談ブームと呼ばれる現象となっった。そこに浪曲界を担う浪曲師が同時代に現れ、滅びゆく芸とまで呼ばれた講談と浪曲が、今、一つの隆盛を極めようとしている。この瞬間をリアルタイムで味わうことの出来る喜びを噛み締めることができる人がさらに増えたら良いと思う。講談も浪曲も決して廃れた訳でなければ、芸の質が落ちたわけではない。むしろ、時代の中で芸は磨かれ、何物にも劣らない輝きを放とうとしているのだ。

 

田辺いちかさんの力強い眼と、芯のある声、そして物語が進んでいくにつれ、首筋に流れ出して光る汗。その全てが講談という釈台の奥で炎のように燃えていたのだ。

 

講談という言葉を分けると、『言 冓 言 炎』となる。私なりに意味を付すとすれば、冓という字には組むという意味があるから『言を冓み言を炎とする』ということになる。丁度、キャンプファイヤーなどで丸太を互い違いに組んで正方形を作り、その真ん中に薪など燃えやすいものをくべて炎を作る様と想像して頂きたい。

そう考えてみると、講談師が座した時に目の前にある釈台は、正に言葉を組むための台、或いは、言葉の組み上がりを想起させるものかも知れないと私は思った。張り扇を叩くさまは、組まれた言葉の中心で燃える炎をさらに強くしようとするさまにも似ている。そして炎は講談師の上半身そのものではないか、などと想像が進んで、視覚的に新しい講談の見方を発見して嬉しくなった。

田辺いちかさんの力強い炎の後で、飄々と出てきたのは、以前、神田松之丞さんの後で『太閤記 矢矧橋』をやった一龍齋 貞橘先生だ。

 

一龍齋 貞橘 『赤穂義士銘々伝 安兵衛 高田馬場駆け付け』

 

風体と佇まいは6月に見た頃と変わりはなく、オールバックに飄々とした目つき、落ち着いた語り口。マクラの話は大変に面白かったのだが、ブログに書くなと言われたので書かない(笑)

赤穂義士の話題から『安兵衛駆けつけ』に入ったとき、その鮮やかなる語り口に心を打たれる。先々週に見た松之丞さんの『安兵衛駆けつけ』とは異なる演出であることは間違いないのだが、何とも心地の良い語り口に胸が高鳴る。何せマクラでの語り方と物語に入った途端の語り口ではまるで違うのだから、つくづく真打というものは凄い芸を持っているのだなぁ、と驚嘆させられた。

ここで一つ、Twitterで目にしたえっぐたるとさんのお話に触れてみたいと思う。

松之丞さんの『安兵衛駆け付け』を見た後で、一龍齋 貞橘先生の『安兵衛駆け付け』を見ると、一龍齋 貞橘の語り口は『抑制的』と感じられた、という言葉を目にした時に、私は「そうか、そんな見方もあったのか」と発見があった。というのは、私は松之丞さんの『安兵衛駆け付け』を見ていたのだが、そう思わなかったからだ。ただ抑制的という感じられた理由は私なりに想像できる。

 

例えば、あるお寺のお坊さん。抑揚のある声と感情が籠った様子でお経を唱えていた。初めてお経というものを聴いた村人は、そのお坊さんの抑揚があり、感情が爆発したお経を好んで聴くようになった。

ところが、別の村のお寺に行くと、抑揚を付けない一定のトーンで、感情の無いお経を読むお坊さんのお経を村人は聴いた。村人はこう思った。

「おらの村では抑揚があって、感情が籠った凄いお経を読むお坊さんがいるけんども、こっちの村のお坊さんは随分と声の調子や感情を抑えてお経を読むんだなぁ」

ところが、村人は各地のお寺を渡り歩いてみると、どうやら「抑揚を付けない一定のトーンで、感情の無いお経を読むお坊さんが圧倒的に多いことに気づいた。

そして村人は何を思ったのだろう。それは誰にも分からない。

 

一龍齋 貞橘先生の落語を聞いている時、私は春風亭朝七さんの口調を思い出していた。登場人物の声の調子がフラットで、強弱が無く一定の音である口調。私はそれを『江戸標準』と以前書いた。朝七さんの口調を聞いた時に、「文菊師匠の語り口より抑えているなぁ」とか「春風亭一之輔師匠より、キャラの感情が薄いなぁ」とは思わなかった。むしろその口調、言葉の調べが心地よかったのである。それが、朝七さんにとっての語りそのものであって、意図的に抑制されたものではないと私は思ったのだった。

同じように貞橘先生の語りは、『講談標準の語り』だと私は思っている。寄席などで他の講談師の語りを聞いていても、登場人物の個性が滲み出るような語り方はむしろ少数、というか、今のところ私は松之丞さんくらいしか見たことが無い。

そこで、私は改めて落語と講談の違いを認識した。落語の登場人物は、正に人間味が溢れていて、人間力が試されると同時に、八五郎熊五郎、長屋の隠居や与太郎、さらには狸や狐まで、柳家小さん師匠の言葉を借りるとすれば、「狸なら狸の了見でやるんだ」という言葉のように、落語家は演じる者の了見を得て話をする。

そう考えると、講談は語り部である。事実にしろ虚実にしろ、全てを見てきたようにありありと聴衆の脳内に浮かべさせることが、講談だと私は思った。講談という文字の通り、言葉を櫓の如く幾重にも積み重ねて組み、そして一つの大きな炎として聴衆に差し出す。或いは聴衆もろとも炎としてしまう。その様を私は見ているのではないかと感じた。

貞橘先生の講談は、演出、言葉の選択からしてまるきり松之丞さんの物とは異なっている。貞橘先生の講談を見ると、逆に松之丞さんのスタイルが浮き彫りになり、反対に松之丞さんの講談を見ると、貞橘先生のスタイルが浮き彫りになるから面白い。

今回の『安兵衛駆け付け』を例に取れば、冒頭の流れるような講談の調べに乗せて、両国橋で喧嘩をする町人に割って入る中山安兵衛のシーン。少ない言葉でありながら、とくとくと酒を注がれ、あれよあれよと知らぬ間に酔っているような、気持ちの良い語り口の貞橘先生。かたや、どんな語り口だったか私は忘れてしまった松之丞さんの冒頭のシーン。どういう入り方だったのかもあまり覚えていない。

安兵衛の人物描写も、淡々として一定のフラットな声色で語る貞橘先生の描写が心地良い。傍若無人でありながらも情に厚く、感情表現が豊かな松之丞さんの安兵衛も好みである。特に手紙を読む場面も、松之丞さんの演じ方は一大事だ!という感じがたっぷりあったが、貞橘先生の演出はむしろしまった!という感じがあったと私は思っている。

修羅場の表現にしても違う。言葉で持って淡々と気持ちの良いリズムで語る貞橘先生と、ド派手に「いやぁ!うわぁ!」と語る松之丞さんのどちらも良い。これはもはや好みの問題である。

また言葉の選択にしても違う。安兵衛に向かって堀部家の女から衱を受け取って襷と成す場面、貞橘先生はポッと下から上に投げるように渡す仕草をしたが、松之丞さんはシュッと、バスケットボールを投げるような仕草だった。

また、後ろから薙刀を持って迫る卑怯な男の演じ方も、松之丞さんは「ジリッ、ジリッ」という効果音を付けての表現だったが、貞橘先生は「冥途へ行け!」という一言で済ませる。この辺りの言葉の選択の違い、特に貞橘先生の「冥途へ行け!」の言葉には小さく震えた。さらりさらりと貞橘先生の語り口で進み、婿入りからの堀部安兵衛となる様をさらりと語って終わった一席。松之丞さんのじっくりと語った婿入りの話。実に良い対比が出来て、今日はそれだけで非常に得に思った。

一言で言えば、講談を愛する者のための一席だったように思う。先々週の松之丞さんの初心者にも面白いと思ってもらえる一席とは、また一つ違った一席を体験することが出来て、とても良かった。

私としては、物語全体を通して心地が良く、随所に光るワードと強弱を付けない貞橘先生の『安兵衛駆け付け』の方が、どちらかと言えば好みである。コミカルで登場人物に個性を感じさせ、それぞれの性格が何となく浮き彫りになった松之丞さんの『安兵衛駆け付け』も面白いのだが、貞橘先生の語り口に魅せられている自分がいる。恐らく、松之丞さんも同じように出来ると思うのだが、今は多分、そのようにはやらないだろうと思う。想像でしかないけれど、客層から判断して、講談好きな者達が多いなと感じたら、きっと語り部にシフトしていくのではないかと思ったりする。これは例えるならボブ・ディランがフォークからロックに移るくらいの革命的な出来事になるやも知れない。わかんないけど(笑)

貞橘先生を含め、多くの講談師の方々は、登場人物の個性をあまり色濃く付けないことと、あくまでも語り部に徹する姿勢であることで、聴く者の想像する余地を広げているように思う。松鯉先生と松之丞さんの『乳房榎』などを聞き比べてみても、全然演出が違うのである。これはもはや好みであり、講談師の特性次第というところであると思う。

そう考えてみると、松之丞さんは特異というか、危うい位置にいたりするのかも知れない。生粋の講談ファンからは「あんなもん講談じゃねぇ」と思われているかも知れない。かと言って、そちらに寄ると、講談初心者からは「なんでそんな講談のやり方になっちゃったの?」なんて言われかねない。これは実に難しい位置なのではないかと想像してしまうのだが、それは本人がどう思うかというところだと思う。

ようやくぼんやりと見えてきたのは、松之丞さんの演出があくまでも初心者を取り込むためのものなのではないか、という推測である。もしかすると、本当は教わった通り、忠実にやりたいという欲求もあるのかも知れない。それでも、敢えて講談の未来のために、講談を知らない人たちを巻き込み、講談を今一度世に知らしめようとして、敢えてそういう演出にしているのか。これは分からない。

けれど、私の中ではっきりしたのは、松之丞さんのおかげで、より講談というものがどう受け継がれてきて、今、どうなっているのかということが、ぼんやり分かってきたことである。松之丞さんを聞いた後で、他の講談師で同じ話を聞くと、恐らく多くの人が「あれ?つまんないな。松之丞さんの方が面白いぞ?」と私は思うのではないかと思っている。それは演出がまるきり異なることと同時に、連綿と受け継がれてきた講談そのものの語りとの差異があるからではないか、と私は思ったのである。

だからこそ、私は貞橘先生の『安兵衛駆け付け』を聞いた時、松之丞さんと比べて『抑制的』と感じなかったのは、その語りそのものが講談本来の語りであると思ったからである。貞橘先生は意図して抑えているというよりも、むしろ講談の調べに沿って物語を語っていた。そんな風に私は感じたのである。

長々と書いてしまったし、今日は後二本、レポートを書く予定なのだが、えっぐたるとさんのお言葉から、新しい発見があり、私が感じたことをより、詳細に書くことが出来ました。この場を借りてお礼申し上げます。

ご無礼がございましたら、私がないアマチュアの戯言だと思って水に流していただけますと幸いでございます。

 

秋の日は過ごし安くて気分が良い。この後、島根のモンスターが大爆発するのだが、それはまた、次の記事で。

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