落語・講談・浪曲 日本演芸なんでもござれ

自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

テレビを捨てて寄席に行こう 2018年7月24日

かれこれ数年になるだろうか。とんとテレビを見る機会が無くなった。そもそも家にテレビが無い。テレビなぞあっても邪魔だし、観たところでありきたりな番組しかやっておらず、面白いと思う番組は殆ど無い。つまらないとはっきり言ってしまって良いと思うくらいに、かつてテレビに熱中していた頃と比べると、今の番組は面白さが減っている。これには明確な理由がある。人々が過敏になり過ぎているためだ。どこの誰だか知らないが、とにかく物事に過敏に反応する人々が増えたし、そういった人々の声が届きやすくなった。ネットを介してメッセージを送れば、あっという間にテレビ制作者の下へと届く。あの発言は問題だとか、あの行動は子供に悪影響があるだとか、犯罪のきっかけ、犯罪の助長、殺人者製造番組、卑猥な番組、などなど、ありとあらゆる苦情が簡単に届くし、そもそも苦情を言う人は正義感でやっているから始末におけない。

一度、そういう人々だけの番組をやってみれば良いと思う。仮にタイトルを『規制社会』として、昔のドラマで『あばれはっちゃく』でも検証するとか、どれだけの苦情が届き、内容がどんなものであるか一つ一つ検証するとか、そういう『苦情の実態』を明確にするべきだと私は思っている。結局のところ、多くの番組は苦情に怯えながら番組内容を当たり障りの無いものにするだけで、ちっとも面白く無い。

唯一、その苦情に対抗しているのがダウンタウンの番組だと思っている。水曜日のダウンタンやダウンタウンなうは、上記で述べた規制に対する対抗番組というか、まだ面白いと思って観ることの出来る番組である。一つ残念なのは共演者に対する皮肉というか、悪口とまでは言わないが些細なチャチャを言う坂上忍のキャラである。決して悪い人ではないと思うのだけれど、愛嬌が無い。どこか坊ちゃんっぽい我儘さと意固地な感じを持っていて、育ちが良すぎて発言が駄々をこねているように聞こえてしまうのである。これは仕方のないことだと言える。現代にはいかりや長介や、三波伸介や、前田武彦はいないのである。どこか悪口を言ったり皮肉を言っても、愛嬌があったし許せるキャラがかつてはいた。今はたとえ愛嬌があったとしてもクレームはやってくる。もしかすると笑点にもクレームは言っていたかもしれない。

笑点の罵倒合戦でお馴染みの故・桂歌丸師匠と六代目三遊亭円楽師匠の掛け合いはとても面白かった。まだ楽太郎時代の時なども、五代目の円楽師匠の愛のある毒舌に大いに笑わされたものだ。そう、笑点は愛のある罵倒を学ぶにはうってつけの番組だった。

ところが、とある寄席に行ったときに仲入りの休憩時間におば様方の話声が聞こえてきた。

「あたしね、楽太郎が大っ嫌い。あの人、悪口しか言わないのよ」

「あたしも嫌い。腹黒いでしょー。歌丸さんを馬鹿にしてばっかりだものね」

この会話を聞いたとき、私は驚いてしまった。そうか、あれが本気だと思っているんだ。と感じたのである。私は歌丸師匠と楽太郎師匠の罵倒には愛があると思ったし、お互いにお互いを受け入れているからこその罵倒だと思っていたし、観る方もそう思っているに違いないという固定観念があった。ところが、この会話を聞いて初めて私は「あの罵倒合戦を本気で受け入れる人もいるんだ」ということに気が付いたのである。私は歌丸師匠も楽太郎師匠も好きだった。まあ一番好きだったのは五代目の円楽師匠だけれど、とにかく全員が輝いて見えたし、大喜利なんだから楽しいことをしようよという空気感がテレビを見ていて感じられた。

これは推測でしかないが、多くの人々が昔以上に様々な物事を『真に受ける』ようになったのではないかと思う。ちょっとした発言にさえ過剰反応し「そんな言葉を言うなんて信じられない!」と騒ぎ立てるようになったのだと思う。現に私の周りにもそういう人はたくさんいる。そういう人が増えた以上、気を付けなければならないと思うが、どうにも息苦しいものである。

その息苦しさがテレビ番組にも表れているのではないか。揚げ足をとられ、あっという間に悪い印象を植え付けられ、さくっと番組が終了する。そんな悲劇の連続の結果、今やもう、テレビにはほんのわずかな面白さしか残っていない。少なくとも、私はそう思ってテレビを見ることをすっぱりと止め、自分が面白いと思うものだけに金を払ってみるようにしている。私は今の行動が一番理に適っていると思うし、とても効率的出し、何よりも安定して100%面白いものを見られるから好きである。

テレビは無料である。見たくなければ見なければ良いのだし、そもそも無料で垂れ流されているものに文句を言うのはおかしいと思っている。視聴者は金を払っているわけではないのだから、何も損をしていない。それにも関わらず文句を言う人がいるというのは、私からすれば論理的ではないし、お門違いであると思う。道端に落ちている本を読んで、「なんてひどい内容だ!文句をいってやらなければ!」と思っているのとほとんど同じだと私は思っている。落ちている本は読まなければ良いし、たまたま読んでしまっても身の不運だと考えて、何も言わずに立ち去れば良いだけの話である。

と、こういう風に思っていても世間には本当に多くの人々がいる。私なぞの言葉にも過敏に反応する人もいるのだろうか。それはそれで怖い気もする。

何はともあれ、テレビを捨てて寄席に行こう。そこに規制なんてない。罵詈雑言もない。あるのはただ一つ。そうした事柄から抜け出した人々で埋め尽くされた演芸の場があるだけである。