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自称・演芸ブロガーが語る日本演芸(落語・講談・浪曲)ブログ!

伝説の夜~深夜寄席 2018年9月22日~

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堺屋ぁ!日本一ぃ! 

  

台風によって流れた深夜寄席の会を席亭のお心遣いで、同じ演者でやる。そのニュースを目にしたとき、気を長くして待っていようと思いながら、その日がいつになるのだろうと待ちかねていた矢先に、9月22日の開催ということが決まる。

様々な物事にタイミングがあるようで、前日の9月21日には『報道ステーション』という番組に神田松之丞が出演。この男、100年に一度の講談ブームを牽引しているという肩書きなど不必要なほどに、芸に血が通っている。その迫真の炎に迫るために、私は深夜寄席に行くこと決めた。

混雑が予想された。前回の深夜寄席では359人という深夜寄席始まって以来の観客動員数であったため、今回もそうなるだろうということは大いに想像できた。足腰が弱く並ぶことに対して苦労の多い年配の私からすれば、2時間、もしくは3時間並ばなければ入ることが叶わない会に行くのは億劫だった。1000円ほどのお金を払ってでも見る芸かどうかは分からない。だが、自らの『見たい』という欲求に抗うことが出来ず、結局どうなるかも分らぬままに新宿末廣亭に着く。

再び異例が起きる。深夜寄席始まって以来の『整理券』が配布された。私も初めて見た。整理券を頂くと『21時に集合』という文字がある。しばらく時間を潰してから21時に行くと長蛇の列。新宿末廣亭界隈の店にいる店員の目が驚きに満ち、何も知らない通行人は「キングオブコントか何か?」、「歌舞伎?」などという言葉が飛び交う。人々が興味を持った時に発するお決まりの言葉を聞きながら、私はそっと時計を見る。21時10分ほどを過ぎて開場。チケットとチラシを小笑さんと松之丞さんが配ってくれる。ぼんやりと、とぼけた様子でありながらも、どこか内に秘めた熱を感じさせる男、神田松之丞。彼のチラシをもらい席に座る。会場は立ち見が桟敷の左右から後方までびっしりと埋め尽くされており、後で聞いた話では札止めになったという。

ざっと客席を見回すと、寄席の常連が多く後方に初心者が集ったというような形。二階席は解放されず、あくまでも1階で演芸を楽しむスタイル。これほどまでに人が集っているのだから二階席も開けた方が良いと思われたが、そこは事情があるのだろう。私は少し心配になった。これだけ大勢の客が押し寄せると、マナーの悪い者が一人くらい混じっていてもおかしくない。また、長時間の鑑賞によって気を失って倒れる者が出るかも知れない。以前、深夜寄席の列に並んでいたお客が倒れて演者が救急車を呼んだことがあったが、芸の最中に倒れられたら気を削がれてたまったものではない。本当に真剣に芸を楽しむとなると、隣の客の唾を飲む音さえ煩く感じられる。

そんな心配をしながらも客席の顔ぶれを見ると実に様々である。高校生らしき青年から、ずっと松之丞を追いかけていたというようなご婦人。色気と愛嬌のある美しいお姉さま方、髭をぼうぼうと生やした旅人というような風貌の男性、平凡でありながらも堅実に仕事をこなしてきた紳士。様々な客の視線を一度に浴びながら、演者は芸を披露する。そのトップバッターを務めたのが、春風亭柳若さんである。

 

春風亭柳若『番町皿屋敷

粋な選択だと思った。何よりも会場の空気に合わせて松之丞を立てる姿に、成金メンバーとして苦楽を共にしている柳若さんの優しさが垣間見える。客席の反応を見て、後に続く芸人達への美しい橋渡しとして、開口一番を務めた柳若さんの演目の選択。それは、面白可笑しくもありながら、芸人ならば誰もが一度は夢を見る『売れる』ということに対する思い。それを一心に背負って柳若さんはこの演目を選んだのだと思う。

本心は分からない。けれど、松之丞という超売れっ子芸人の周囲にいて、超売れっ子ほどの人気を得ることが叶わなくとも、自分の信じた落語家の世界に身を投じ、芸を披露する者達の姿勢には、どこか目に見えない信念があるように思えてならない。それは、決して嫉妬や恨みという陳腐なものではない。ただ同じ世界で活躍している仲間を称えるという意味で、柳若さんは演じていた。もしも自分ならと考える。やはり少し悔しいと思うだろうか。いいや、きっと松之丞の傍にいたらそんなことは思わないだろう。むしろ、大いに尊敬するとともに自らの芸を磨きたいと思うはずだ。事実、神田松之丞はメディアに多く出演し、人気・知名度ともに成金メンバーの中では断トツであるだろう。それに及ばずとも劣らない次世代の名人がいる。

独自の世界を創造し、自らの個性を爆発させている瀧川鯉八さん。流暢な江戸の風とあっさりと流れるようなリズムで古典を披露する柳亭小痴楽さん。溢れ出るエネルギーで驀進し続ける桂宮治さん。気持ち悪さと過度なデフォルメの新作で人気の春風亭昇々さん。二つ目という身分でありながらも、そんな階級制度さえ曖昧なものに思えてしまう実力を兼ね備えた者達が、まだまだ落語界には数多く存在しているのだ。

遅咲きの落語家と言われても、ただ静かに自らの信念を貫く春風亭柳若さん。その朴訥さで披露された『番町皿屋敷』は見事に会場を沸かせ、会場を一つにし、爆笑を巻き起こしていた。素晴らしい開口一番だった。

 

春風亭橋蔵『初天神

二つ目に昇進後、初の深夜寄席ということで、成金メンバーの間に挟まる形で登場した橋蔵さん。もっと挑戦しても良かったと思う。間や語尾のイントネーションが独特だったが、まだ覚えたてというか、それほど独自性がある演じ方ではなかった。顔が大きくて語尾がちょっと変わっているなという印象。会場のお客様の温かさに支えられたという形で、さらっと交代。

 

三遊亭小笑粗忽の釘

どうしても師匠がマッドマックスだけに、そのマッドマックス芸を引き継いで活躍してほしいと思うのだが、まだ笑遊師匠のエッセンスを吸収しきれていない感のある小笑さん。喋り方の癖は相変わらずで、それが独自と言えば独自で、好きな人は好きなのだろうという感じである。髪も乱れ肌も荒れ気味で、全体的に汚く見えてしまっているのが、少し芸の妨げになっているのではないかと思う。成金メンバーの中ではおそらく最弱の部類に入るとは思うのだが、温かい客席が支えている。芸は客席が作るを体現している方だと思う。世の女性はゆるキャラを見る感覚で見ているのだろうか。ちょっと小笑さんのファンの方に色々と聞いてみたいような気もするのだが、そこは敢えて私の評価だけで今は鑑賞しようと思う。いつ、ずば抜けた才能を発揮するか見ものではある。というのも、やはり成金メンバーの相乗効果は凄まじいものがあると思うのだ。塊としての戦略もさることながら、一人一人の個性が実にはっきりしている。そして、一番の広告塔として神田松之丞がいるのだから、その腰巾着にいつまでも縋っていては駄目なように思う。見据える先は既に成金解散後にどうなっているかだと私は考えている。トリを取れるのは数人だと思う。

落語には様々なグループがあった、もしくは現在進行形である。生粋の江戸情緒を纏った古今亭文菊師匠が在籍していたTENなどは、落語ファンにはお馴染みであろう。

それについてはまた書いてみたい。たとえグループで活動していたからと言って、全員が全員スターとは限らないということを、小笑さんを見て改めて思った。

 

神田松之丞『中村仲蔵

出てくるなり『待ってました!』の大歓声。追っかけらしき女性の声は松之丞の会に行くとほぼ聴ける。ぼんやりと登場しながらも、じんわりと内にある炎の火力を高めている。それほど笑いを誘うこともなく、昨日の報道ステーションの話題をする。

そして、「中村仲蔵をやる」と言った時の松之丞さんの目を私は生涯忘れることは無いだろう。そこには確かに魂の決意があるように思えたし、何よりも松之丞さんが『中村仲蔵』に対して思いを込めているのだということが、あの言葉と目から感じ取ることが出来た。

中村仲蔵』のあらすじは他に任せるとして、松之丞さんの語るこの話は、各所で絶賛の嵐だった。地方公演でも本当に良く掛けられている演目で、一期一会の芸能において、客席の思いを一心に受けて応えるという松之丞さんの姿勢には心打たれた。恐らく、この会場にいた誰もが神田松之丞がやる『中村仲蔵』を望んでいたのだということが、拍手と、そして客席の表情から見て取れた。私も松之丞の言葉を聞いて歓喜した者の一人である。

歌舞伎の世界では特に血筋が重んじられることがあるという。血筋ほど代々受け継がれてきた者は無いだろう。下手をすれば、芸能の世界は芸能の世界だけの男女の営みによって栄えてきたと考えても良いのかも知れない。男役者と女三味線引きなんて組み合わせから、現代では俳優と女優など、芸能人と芸能人の夫婦。そんな血筋が重んじられる世界で、血筋の無い中村仲蔵が名役者を目指すというお話なのだが、松之丞さんの『中村仲蔵』には一人の男としての中村仲蔵の葛藤があるように思えた。

そして、中村仲蔵の姿は神田松之丞の姿そのものでもあるのかも知れない。多くの感想を拝見すると『中村仲蔵と神田松之丞の姿が重なった』という意見が見られた。だが、私はそう思うと同時に、中村仲蔵は『夢を追う全ての人々』の姿そのものだと思うのだ。

二世には二世の葛藤があると思うのだが、そんな二世のように生まれながらに他とは違う幸福を約束された者とは違って、多くの人々は自分で道を決め、夢を見て、その夢をかなえるために人生を突き進んでいく。その一つの体現者として松之丞さんは『中村仲蔵』を演じたのだと私は思う。語りは言わずもがな、表情と目が素晴らしかった。仲蔵がもがき苦しみながらも必死に知恵を授かろうとする姿。いつか名役者になってやろうと意気込む姿。そして自らの創意工夫を披露する中で、戸惑いながらも一世一代の大勝負に出る姿。全てが『何かを生み出す者の姿』であると私は思った。

生前、誰にも理解されることは無くても絵を描き続けたゴッホのように、生きている間に誰の評価も得ることが出来ない残酷な現実が押し寄せてくることもあれば、小さい頃に子役として大成功し、お昼のコメンテーターでワガママし放題の駄々っ子のような人間もいる。人生は何度でも評価がひっくり変える。その中で、ただただ己の才能を信じて、勝負を続けた男の姿がそこにはあった。その勝負の中で世界で初めて血糊を使ったのは仲蔵だという話が出てくる。まだ誰も見たことのないものを想像してみせても、それが誰にも理解できるものではないとしたら、やはり不安になるのは必然だろう。

理解されない時期に仲蔵が出会う、ある観客の言葉。それは演芸に親しむ者達にとって未来永劫変わることのないもののように思えた。

芸は今なんだよ。どんなに過去の名人上手と言ったって、芸は今なんだ。

この世界の、この瞬間の、この場にある芸。それはどんなものによりも新しいものなのだ。それより先に新しいものなど何も無い。だからこそ、一瞬一瞬で新しいものが現在には生まれてくることが出来るのだ。そして、新しいものを創造し、人々の理解が得られる得られないにしても、誰か一人に届くものが創造できたら、それは成功なのだということを中村仲蔵は信じるのだ。

あの人一人だけでもいい。俺はあの人一人だけのために、この役を演じ続けてみせる

大勢に好かれるのではなく、たった一人に自らの全てを届けようとする姿勢。そして、その思いが徐々に徐々に広がって行き、やがて大きな渦のように中村仲蔵を名役者へと育て上げていく。

これは想像でしかない。きっと松之丞さんもそう思って講談の世界で修業をしたのではないか。自分の信念と、たった一人だけでも理解されればいい。今、俺が信じていることは決して間違っていないんだと信じて疑わずに、一所懸命やっていれば誰かが認めてくれるんだ。

その強い思いが重なっていき、中村仲蔵に向かって客席から観客が声を掛けるシーン。

堺屋!日本一!

聴いていた私の全身をビリビリと電撃が走った。ぶわっと鳥肌が立ったかと思うと、目からは熱い涙がじんわりと零れ落ちてきた。良かった、良かった。やっと認めてもらえたんだという喜びを、中村仲蔵と同じ気持ちになって私は喜んでいたのだ。

日の目を見ることなく、長く苦しい葛藤の末に、どうにもならず一世一代の大勝負に出て、失敗した、蹴られたと思いながらも腐ることなく、自らに与えられた役を見事にこなし、後の世代にまで語り継がれるほどの工夫を凝らした役者、中村仲蔵。彼を褒めたたえる第一声に会場中が胸を打たれたに違いない。誰もが中村仲蔵のように日々を過ごしているのだ。手探りで、確かな確証は無いけれど、これが自分の信念なのだと強く思いながら生きているのだ。そして、その一つの到達点として、誰かが認めてくれた時にかけてくれる言葉。これ以上に胸を熱くさせることは無いだろうと思う。

誰かの努力が報われる光景は、誰もが望む光景でもあるのだ。

終演後、鳴りやまない拍手と席を立つことが出来ずに放心状態の観客が大勢いた。

目から滲み出た涙を拭いて、私は思う。そうだ、私も誰か一人に届けるために物を書き続けよう。物語を生み出そう。

 

23時10分にお開きとなって、会場を後にする。観客の表情は何かに打たれたようにしんみりとして、何かの決意に満ち溢れているように思えた。

9月22日。伝説の夜に立ち会うことが出来た幸福を噛み締めながら、私は新宿末廣亭を後にした。

民謡×ラテン 熱き魂の混合~民謡クルセイダーズ×見砂和照と東京キューバンボーイズ~最速レポート!2018年9月17日

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エチオピアの音楽が、民謡にそっくりだったんですよ。

 

僕はね、こんなことを言うとあれですが、最初はラテンに興味無かったんですよ 

 

民謡クルセイダーズの地元、福生市民会館で行われた『民謡クルセイダーズ×見砂和照と東京キューバンボーイズ』のライブを見てきた。

まず驚いたのは福生市民会館の大ホールである。収容人数が1062席という一大パノラマの中心にステージがある。こんな凄いところで見るのかぁ。と思って入場すると、私と同じような年齢層の方々がちらほらと座席に座っている。

中央右には常連さんだろうか、応援団だろうか、明らかに民謡クルセイダーズを見に来たというような恰好の人々が座っていて、そういうライブ会場とは違う空気なのだが、楽しみ方は自由ということで何も言わずに見守る。

開演時刻の16時になって、女性が壇上の左から出てきて挨拶をする。その後に舞台の幕が上がって民謡クルセイダーズのライブが始まった。

 

さて、ライブ解説の前にざっと、民謡クルセイダーズとの出会いについて書いてみたいと思う。

私が民謡クルセイダーズに出会ったのは、たまたまタワーレコードでオススメされていた彼らのアルバム『Echos Of Japan』を視聴した時のことだった。一曲目の『串本節』に度肝を抜かれ、全身を駆け抜けていく電撃、通称『超カックイイドラゴン』が天に向かって飛翔したとき、私は迷わずにCDをレジに持っていった。

兼ねてより落語、講談、浪曲好きを公言している私が、民謡を見逃すはずがない。しかもラテンとの融合というのだから、これはカッコ良くならない筈がない。これをきっかけに未曾有のラテン地獄、民謡地獄へと足を踏み入れてしまった私は、原点回帰的に三橋美智也美空ひばり、もっと古くは藤山一郎まで遡ってCDやレコードを買い漁った。とにかく痺れまくり、その扉を開いてくれた民謡クルセイダーズというバンドにとにかく感謝の気持ちしかなかったのである。

CDを購入と同時に差し込まれたチラシにはリリースパーティーが行われるということで、東京CAYだったかの場所で彼らのライブを見た。のっけから素晴らしく、お酒も相まってとにかく感動したことを覚えている。

そんな民謡クルセイダーズを久しぶりに見ることが出来て、とにかく嬉しかったし、彼らの演奏はかなりパワーアップしていた。

一曲ずつ解説するととんでもない文量になりそうなので、ざっとセットリストを記す。

 

1.真室川音頭

2.串本節

3.おてもやん

4.ホーハイ節

5.牛深ハイヤ節(新曲)

6.会津磐梯山

 

第一部は物足りないくらいの熱気。フルライブを見てしまったものからすると、もっと民謡クルセイダーズの曲が聞きたい!というところで一旦一区切り。それでも、新曲の牛深ハイヤ節がとにかく最高にクールだった。串本節はいわずもがなの名曲だし、会津磐梯山もとにかく痺れる。民謡とラテンの融合を見事に昇華させたバンドの素晴らしい現在地点を見ることが出来た。会場も大盛り上がりで、舞台右では大勢のファンが立って踊っている姿があった。あまり大ホールで見かけない光景だったので、少し笑ってしまったのだが、やはり音楽が好きな者の中には体を動かさずにはいられない人達がいるのである。そして、それは特に若い人ほど顕著で、私のような老人ともなると、じっと椅子に座って鑑賞するのを好む質なので、素直に立って踊ることが出来るのが羨ましい。ただ一つ苦言を呈するとすれば、写真撮影・動画撮影は禁止されているので、いくら盛り上がっているからといって、動画で撮ったりして保存してはいけない。営利目的ではないにしても、演者にはプライバシーというものがあるのだから、その辺は正しくなければいけないだろう。久しぶりに落語以外の観客と場を共有する空間にいたので、余計にマナーの悪さが目立ってしまった。録音・撮影、ダメ、ゼッタイ。

 

日本の民謡の素晴らしさは、各地に様々な民謡が伝わっており、そのどれもが生活の中から沸き起こってきたものだということだ。

今よりも娯楽が圧倒的に少なかった時代に、どうやって気持ちを沸き起こして奮い立たせ、日々の生活に潤いを足して行こうかと考えた時に、人々は声と節と太鼓を頼りに民謡を作った。その想像力のすばらしさ、現実をどうやって打破してきたか、その力強さに私は惹かれている。奇抜な音もなく、作為的な詩もなく、ただ人々が集まって声を出し合って踊り合って日々を暮らす。そんな生活の匂いが民謡にはあるように思えるのだ。

そして、その魂がラテンと共鳴した。遠く日本の裏側にある国と不思議な共通点があったというだけでも、この地球上で類を見ない奇跡と呼んでも良いだろう。そんな、ラテンの魂を継いで現代に鳴らしているビッグバンドがいる。

 

その名を、東京キューバンボーイズ

 

指揮者の見砂和照さんは二代目で、父の見砂直照さんが戦後のラテン音楽を日本で演奏してきた指揮者である。この和照さん、見た目は映画ゴッド・ファーザーのアル・パチーノ橋本龍太郎を雑に混ぜて作られた感じの人である。けれど、いざ指揮をするととびっきりの笑顔で指揮をしていた。

東京キューバンボーイズの詳細は他に任せるとして、ボンゴの老齢のおじ様が飛び抜けて異才を放っていた。人間国宝と呼ばれているらしく、その腕前は天下一品。他の演者もそれなりに素晴らしく、トランペットの石井アキラさんと言ったか、ソロの演奏などは痺れるくらいにかっこよかった。

全体を赤のジャケットと黒のスラックスで決める東京キューバンボーイズ。残念ながら曲順は覚えられなかったのだが、全体のまとまりと迫力のある演奏はとにかく闘牛のような勢いで、拍手喝采。思わず叫びだしたくなるほど熱かった。

何よりも、演奏中の演奏者達の笑顔が素敵だった。誰もが互いに笑いあって演奏する姿には、こちらも思わず嬉しくなってしまったくらいだ。客席も静かに盛り上がっていたし、ラテンを愛してきた人々の思いを一心に受け止めて東京キューバンボーイズは演奏をしていたと思う。

テレビやコマーシャルの至る所で、ラテン音楽は流れている。ふっと聞き流してしまえば、それほど耳に止めないかもしれないが、じっと耳を澄ませていると、まるで日本の演歌に通ずるような、魂のメロディがそこにはある。

どんなに国が違えど、肌の色が違えど、そんなことは音楽にとって何も関係ないのだと思う。

すべてが受け継がれて、現代へと紡がれていく。種々様々な音楽が生まれては去っていく中で、変わらずにありつづけるもの。それが民謡であり、ラテンの魂なのだ。

そして、最後に再び民謡クルセイダーズがやってきて、東京キューバンボーイズとの合同演奏。一曲目はご存知、『炭坑節』だった。

 

人々の耳に馴染み、誰の心にもすっと溶け込むように、日本人の魂の根底に存在する民謡。炭坑節を力強く歌い上げるフレディ塚本さんのお姿はいつ見ても凛々しい。脇を固める演奏陣もいつも以上に豪華だ。途中、小節を回して演奏していく場面で若干のハプニングがあった様子だが、それも安定の演奏で乗り越える東京キューバンボーイズ。ビッグバンドは何よりも息を合わせるというか、一つの音をかっちりと揃えてこそであるから、そこは民謡クルセイダーズとの経験の差が出た部分だったかも知れない。それでも、民謡クルセイダーズの面々は楽しく演奏していたし、懐の深い東京キューバンボーイズのメンバーも一所懸命に演奏していた。

二曲目は南京豆売り。このコンサートはとにかく東京キューバンボーイズのすばらしさを知る会だったのだなと改めて思う。敬老の日に、とびきりアクティブで熱いおじ様方を見ることが出来て満足である。あんなクールなジジイに私もなりたいものである。

 

総括すると、東京キューバンボーイズが戦後から続けてきたラテン音楽を中心に、民謡クルセイダーズが花を添えたライブだったと思う。民謡クルセイダーズをメインで見に来ていた人達にとってはちょっと物足りなかったかも知れない。それでも、東京キューバンボーイズ、何より見砂直照、見砂和照と受け継がれた現代の姿を見ることが出来ただけでも、十分に価値があっただろうと思う。

帰りには雨が降っていた。この興奮を冷ますには少し量が足りない。私は急いで家路へと向かった。

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最強コスパな怒涛の人間劇場~新宿末廣亭 2018年9月16日 昼夜通し~

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名前が一朝ですから、一朝懸命頑張ります!

 

寄席で自爆テロなんか起こるわけないでしょ?

まぁ、芸人は時々自爆してますがねぇ。

 

JALがどうしてJALになったか知ってかぁ?ちげぇ!!!」

新宿末廣亭の9月中席の番組を見る。今どきの言葉で言えば『俺得』という言葉がぴったりなほど、好みの演者がバンバン出てくる。これはいてもたってもいられない、という訳では新宿末廣亭に直行する。

朝の早い時間にも関わず物凄い行列である。こういう根気のある連中は昼夜をぶっ通しで聞く連中に決まっているので嬉しくなる。貧乏人風情が3000円ばかりの金で一日の3分の1を潰そうというのだから、嬉しくならない筈がない。嘘です。そんなこと一ミリも思ってもいません。

だが、3000円でこれだけの顔ぶれをみっちり、8時間近く見れるというのはなかなか無い。他に類を見ない最強のコストパフォーマンスに興奮しながら、私は席に着いた。

最初から終わりまで話すと長くなるのでかいつまんで話すことにする。

 

序盤1 春風亭一花 黄金の大黒

 

声のトーン、間が上手い。絶妙に笑いたくなるリズム。やっぱり一朝門下はこれだよなぁ。という十八番の口調。前に見た時よりも抜群に上手くなっている。すっとぼけた感じの声色と間がとにかく面白い。さすがは精鋭揃いである。

 

序盤2・天どん師匠、菊之丞師匠 『通信簿』、『鍋草履』

客入りが多い時の演者はとにかくノッているのが常である。この日もいつも以上にノリノリで最高の二人を見ることが出来た。

 

昼席、仲入り前 柳家小満師匠 『あちたりこちたり』

もうね、小満ん師匠だけで3000円払っても価値があるくらいのすばらしさ。もうね、随所に粋な知識をこれでもか、これでもかとぶっこんでくる小満ん師匠に痺れる。これはもはや真骨頂なのではないかと思えるほどの演目。小満ん師匠の自作ということで、ユーモアに溢れているし、明日から女を口説くために使いたいワードが連発。粋で乙でクールな男に痺れっぱなし。また一つダンディになった気分で仲入りに入った。

 

昼席トリ 春風亭一朝 『妾馬』

さらりとやりながらも、滲み出る愛嬌と人情。紙切りの時に孫が生まれたお客さんの話に感化されたのか、会場中がしんみりとした空気に包まれる。身分の違い、新たな命の誕生、そして八五郎の粋な振る舞い。全てが温かくて、そうだよな、人間ってこうでなくっちゃいけないよな、というような熱いものが胸をとんっとつく。

一朝師匠は決してオーラ全開で落語をやる人ではない。あくまでもさらりと、流れるように言葉を紡ぐ。でも、その一つ一つに江戸の風を吹かせている。決して嘘くさくないし、あくまでも基礎に沿っていて変に誇張したりしない。一朝師匠が一朝師匠らしく落語をやっているというだけで、誰にも真似のできない唯一無二の落語が完成されているように思えた。

一朝師匠は一朝師匠自身も凄いのだが、その弟子たちも凄い。全てが凄いわけではないけれど、弟子の誰もが自分の個性を自覚している感じがする。久しぶりに素敵な妾馬を見ることができて満足。

 

夜の部 中盤 ホームラン

 

久しぶりのホームラン。出てくるまでホンキートンクの二人が出てくると謎の勘違い。大勢のお客のせいなのか、とにかくノリまくっている二人。いいねぇ、あんな爺になっても勢いを失わずに楽しく漫才をやっているのだから、その姿を見ているだけでもう満足

 

仲入り前 柳家小里ん 『親子酒』

歌舞伎役者ばりの人相で十八番、親子酒。猫みたいな口元と目元が実に可愛らしい。酔った親と子の演じ方も面白くて、不思議と滲み出る粋な雰囲気。円熟の芸。

 

終盤 橘家文蔵 『夏泥』

文蔵師匠は『道灌』が抜群に上手い。その次くらいに『夏泥』が上手い。三三師匠のリアル感とは違って、文蔵師匠の場合は盗人側が可愛らしく、逆に盗みに入った家の主が悪知恵者と言った感じ。それでいてどこか憎めない。盗人でありながらも盗人に徹しきれない盗人のおかしみ。身ぐるみ剥がされた博徒でありながら、巧妙に金をせしめる家の主。どちらも文蔵師匠らしくて面白い。会場には文蔵師匠のファンであろう人のお姿も見られて、愛されているんだなぁ。という印象。

 

夜の部トリ 柳家喬太郎 『極道のつる』

あー、今日は時そばかなぁ。と、マクラの長さで若干の不安を覚えているところで、突然の「ヒデェ!ちょっとこっちこい!」で、「おっ!聞いたことの無い奴だ!」と興奮を覚える。そこからはもはや、『笑いの爆破テロ』ばりの爆笑に次ぐ爆笑が起こる。とにかく頬骨と腹筋が痛くなるほど笑ってしまった。とにかく笑える個所が多いし、登場人物がぶっ飛んでいるし、古典落語『つる』をベースとしていながら、そこに極道テイストを加えて、古典落語『つる』を強烈にオマージュしている落語だった。

そのぶっ飛び具合と、言われてみればそうだよな、という不思議な説得力で進んでいく『極道のつる』は、新しい現代に適応した落語と言えるだろうと思うし、さらには、古典に真っ向勝負を挑んで新作として完成させた喬太郎師匠の才能っぷりに驚く。新作に入ったかと思いきや方向転換して古典テイストを含みつつ、そこからブーストして新作に持っていくという手法。他にも『残酷な饅頭こわい』や『歌う井戸の茶碗』など、古典を新作にガラリっと変えて行くその手法、着想、実現力にはただただ笑うしかない。一体いつからこれを考えていたんだろうというくらいに、随所に古典へのツッコミが見られるし、その古典に沿って振り切れた人間たちが繰り広げる出来事は、とにかく笑える。もう会場が笑い死にするのではないかというくらいに笑いに包まれていたし、それはもはや物凄い時間を共有していたと思えるくらいに凄かった。

古典落語もそれなりにやっている喬太郎師匠だが、改めて古典と新作のハイブリッドでとてつもない爆発を起こす落語家だと思った。本気になったら笑い殺されるのではないかというくらいにパワーがあった。

 

総括。

3000円は安すぎる。東京かわら版割引を使ったとしても、とにかく安すぎる。それでいてとんでもなく笑えたり、涙したり、驚いたり出来るのだから、寄席は本当に凄い。9月中席もあとわずかだが、是非とも昼夜通しで新宿末廣亭の番組を味わって頂きたいと思う。

人の心は市松模様~渋谷らくご 2018年9月14日 20時回~

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忠臣蔵は、『別れ』がテーマになっているんです 

 

渋谷らくごには何度か足を運んだことがある。毎回、あの卑猥なホテル街道を抜け、若者達の奇抜過ぎる渋谷O-WESTだかなんだか知らないが、逆マクドナルドみたいなロゴの建物を横目に見て、目的地であるユーロライブをちょっと過ぎると、いかがわしい薬でも売っていそうな甘ったるい匂いのする店があったりと、かなり辟易している。

若者の街、渋谷。と言われているが、駅前の喫煙スペースには煙草の吸殻が目立つし、なんだか小便臭いし、様々な恰好をした人々を中心に、様々な欲望が渦巻いている街であることには変わりないだろうと思う。

私はあまり渋谷という街が好きではない。人が多すぎるし、色んな匂いがし過ぎるし、品が無くて煩い。どこぞのアイドルの曲を垂れ流すトラックが走ったかと思えば、『バニラッ♪バニラッ♪高収入~♪』というような車が平気で道玄坂を下っていく。行き交う人々は暑いせいか露出度が高いし、一体何に対して色気を振りまいているんだというほど胸元の開いた服を着た女性が、ラブホテルに消えて行く。

そんな渋谷にユーロライブという小さな映画館はある。そこで、渋谷らくごは行われている。様々な欲望から隔離された、大人の秘密基地とも言うべきムーディな雰囲気と、そこに集う粋な落語家たち。入る前に見たラブホテルが一瞬で記憶の彼方へと飛んでいくほどに、渋谷らくごの会場は落ち着いていた。

ようやく渋谷にも落ち着いた場所があったのだなと思うのも束の間、かなりの大行列が会の始まりを待っていた。100人以上はいるかというほどの人が、渋谷らくご20時の会にいた。

開場して席に着くと、とにかく人の数に驚く。そして、圧倒的に女性が多い。常連とみられる方々も前の方の席に陣取り、落語家の登場を待っている。

キュレーターのサンキュータツオさんが出てきて、簡単な説明をする。私はさらっと聞き流す。携帯の電源を切って、演者に集中する。やることはそれだけだ。

渋谷らくごには、毎回、モニターの方の感想文が載せられている。でも、どれも良いことしか書いていなくて、あまり読みごたえはないというのが私の感想である。

以下は全て私の個人的感想なので、読者は参考にしてもしなくても良い。

 

三笑亭夢丸 『のめる』

この人は寄席で見るたびに思うのだが、マクラだけは面白いと思える落語家である。声は良いのだが、間とリズムが絶妙に笑えなさを演出してしまっていると感じる。とにかく、せかせかしているのだ。余韻が無いと言ったら良いのだろうか。せっかく耳馴染みの良い声を持っているのだから、もっと落ち着いて話した方が良いと思う。ちなみに今回の会はイケボがテーマとなっている。確かに声は良い。愛嬌もあるし、モンチッチを想起させるのだが、演目の『のめる』に入った途端にマクラで起こっていた笑いよりも少ない笑いしか起こらなくなる。じっと観察していたのだが、発言の一つ一つに心の籠っていなさ、が感じられるのである。当人は一所懸命にやっているのだろうが、非常にあっさりというか、聞いていて眠くなる落語家である。いつ、この人の本気が見れるのか少し楽しみではあるが、今のところ5席ほど聞いた印象では、間が良くないという感想である。

 

桂春蝶 『ちりとてちん

冒頭のマクラから徹頭徹尾上手い。笑える。そして知的。知性が溢れ出し、その流麗な美しい声で話を聞いていると、まるで「え?宝塚?」くらいの品を感じさせる春蝶師匠。夢丸師匠の間の良くない感じから、一気に絶妙な間で話を進めてくる。また、表情も声色も緩急自在。場数を踏んで鍛え上げてきたんだろうなぁ。という素晴らしい話芸だった。特に、ちりとてちんの名の由来をさらりと説明したり、何でも褒める竹さんと、何でも貶して知ったかぶりする虎さんの対比が良かった。ちりとてちんを虎さんに食べさせようとする旦那の心の機微を表情と動作で表現するところは圧巻だった。

話が前後するが、マクラも絶品。三代目桂春団治師匠とのお風呂のエピソードから、四代目桂春団治師匠の話まで、フリとオチが見事に完成された実話だった。特に笑福亭仁鶴師匠から桂ざこば師匠に行く話は実に華麗だった。

登場から品のある佇まいと、客席にいる観客と身近に会話をしているような距離感。おまけにチャゲアスの曲までアカペラで披露するというアドリブっぷり。本当にアドリブなのかはさておき、素敵だった。

 

柳亭市童 『湯屋番』

イケボ枠なの?という疑問があり、年齢は?という疑問があったが、そういう疑問をさらりと受け流して渋く演目に入った市童さん。うーん、正直微妙である。特に女形に違和感があるし、湯屋番で妄想に走る若旦那の感じも微妙である。聴いていて真に迫っていないと私は感じた。気の利いたセリフもあったし、渋いトーンでたんたんと流れるように話をするのだが、そこにはまだ十分に気持ちが入っていない。間やトーンなら他にたくさん好みの落語家がいるので、特に光るものを感じなければ凄いとは思わない。市童さんや小もんさんを渋谷らくごに出すのならば、我等が桂伸べえさんを出してほしいと思うし、彼にしかない独特の間は渋谷らくごで絶妙な力を発揮すると思うのだが、全てはサンキューさん次第なので何とも言えない。少なくとも、私はまだ市童さんには未来の大成を感じなかった。

 

神田松之丞『神崎与五郎の詫び証文』

登場と同時に会場から割れんばかりの拍手、「待ってました!」の掛け声。やはり渋谷らくごの客層はこの人を待っていたのだな、ということが分かる。

話し始めてすぐに私は違和感を感じた。あれ、調子悪いな。と思った。上の階からは若干うるさい音が定期的に鳴っていたし、咳払いが本当にうざかったから、そのせいなのかも知れないと思った。

この演目は前回見ていた。2017年11月11日にやった時に感じた印象とは、少し異なっていた。特にウシが神崎に詫びを入れさせるシーン。もっと惨い印象だったのだが、割とあっさりにやっていて、ん?という違和感を感じた。そこから、講談師が出てくるシーンも、前は自分が登場するというようなシーンを挟んでいたと思うのだが、今回はそれも無かった。もしかしたら、私自身のコンディションが微妙だったのかも知れない。だが、乳房榎で感じたような迫真さが薄まっていて、私は「どうしたんだろう、松之丞さん?」という気になった。

本当は渋谷らくごを見終えた後で記事を書こうと思っていたのだが、どうにもあまり印象に残らなくて、結局書くのはやめようかと思っていた。ところが、神田松之丞さんがパーソナリティを務める『問わず語りの松之丞』を聞いて、なるほど、と思い、書くことを決めた次第である。

 

演芸は一期一会。そして、人の心は市松模様。芸にはいろんなものが滲み出るのだなぁと思った。色々あるからこそ、演芸は面白い。今後の演者さん方の成長に期待である。

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男気に零れる涙で咲く花よ~19回赤坂で浪曲 「玉川太福『天保水滸伝』連続読み」第二回~2018年9月10日

政、お前が笹川へ行ったら掃き溜めに鶴が降りたようなもんだろう。

 

上杉謙信は敵将、武田信玄に塩を送ってやったというが、

 

この謙信に劣らない、立派な心がけ

 

許してください、十一屋

それは夏も終わりに近づく、暑い日の午後だった。謝楽祭を終えて、溜池山王駅の12番出口を出てから、ローソンで飲み物を買い、坂道を上がってカルチャー・スペース嶋に辿り着くまでの間、私はきっと今日の日を忘れないだろうと思った。そういう不思議な空気が流れる中、私は椅子に座り、主役の登場を待った。

いつ見ても綺麗な玉川みね子師匠が登場し、椅子に座って三味線を鳴らす。続いて出てきたのは、今、浪曲界を担う若手として注目されている玉川太福。大きな黒縁の眼鏡と、浪曲で鍛えた声を持ち、一席目は新作『地べたの二人~配線ほどき~』、恐らく会場のお客様には耳馴染みだったのか、それほど大きな爆笑が起こったわけではない。どこか空気に、この後の侠客物を待ちわびている空気があって、それは決して笑いを求めているものではなかった。

客席の空気がじっと太福さんに伝わったのだろうか、いつもよりもくすぐりは少なく、変に茶化すことなく、淡々と物語が進んでいく。にじりよってくるように、客席から男と男の仁義を望んでいるような空気が流れ込んできた。全然涼しくならないエアコンのおかげもあってか、徐々に会場が見えない熱気に包まれていく。

残念ながら鹿島の棒祭りはあまり真剣に聴くことが出来なかった。謝楽祭の疲れがピークに達していたのであろう。太福さんには大変申し訳ないことをしてしまった。

 

私は天保水滸伝の中では断トツで笹川の花会が好きだ。若い政吉が飯岡の代わりに笹川の元へ行くのだが、行く前の政吉の気持ち、そしてある事実が起こってからの政吉の気持ち。その変化にも心を打たれる。さらには男として道理に恥じない国定忠治も良い。とにかく、出てくる登場人物が男気にあふれているのだ。

そして、今まで以上に素晴らしい熱演だった玉川太福さん。冒頭からありありと景色が浮かび、政吉にどっぷり感情移入してしまって、最後は涙がこぼれてくるほどだった。ああ、いいものを見ている。今、物凄いものを見ているんだという気持ちが沸き起こってきて、とても感動した。

玉川太福さんの目、そして節、そして啖呵。全てが義理と人情に生きるヤクザの姿を描き出していたように思う。この日はとにかく節が良かったし、声が出ていた。5月ごろに見た時は、だいぶ喉がお疲れの様子だったのだが、今は絶好調と言って良いほどの声の出である。節回しと迫力が今まで見た中で一番良かった。終演後のツイートでも太福さんがその旨を書いており、ああ、やっぱりそうだったんだ。と思って嬉しく思った。

どんな演芸でもそうだが、全ては一期一会である。演者は人間なのだから、その日のコンディションは当然ある。日々、追いかけることによって、様々な演者のコンディションを知ることが出来るし、その瞬間にこそ存在する芸に立ち会うことができる。これも一つ、演芸を楽しむ者の醍醐味だと思う。

そして、何よりも観客。この日の観客は浪曲をこよなく愛し、そして玉川太福さんを愛している人たちだった。そして、玉川太福さんに期待している人たちでもあったと私は思う。

人生で何度出会えるかは分からない。ただ終演後に、はっきりと『あれは自分にとって名演だった』と思える演芸はあるのだ。この日、それがまた一つ私の中に増えたことが、この上無く嬉しい。

そして、ますます玉川太福さんは凄くなっていくだろうと思う。玉川みね子師匠もいつも以上に気合が入っているように感じたし、何かノッているようにも見えた。

もしも、任侠物に興味がある人や、男気って何?六本木じゃなくて?と思っているかたがいたら、是非、浪曲天保水滸伝を聴いて欲しい。玉川のお家芸。その神髄に出会えた喜びを、ともに分かち合いましょう。

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中高年のSummer Sonic~謝楽祭2018年 最速レポート!今年は復興支援だ!~2018年9月9日

 

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落語家なのに落ち着かない

 

雲はあれど快晴の9月9日。

電車を乗り継ぎやってきました湯島天神

10時前に並ぶのはやっぱり福扇の列。今年は平成最後ということや、人間国宝柳家小三治が最後の揮毫か(?)ということで、かなりの人、人、人。と言っても、年齢層は高い。ちらほらと若い人の顔も見られるが、殆どは50代を過ぎた方々といったところだろうか。若い人たちが詰め寄せるサマーソニックのような、滲み出る熱意がひしひしと感じられた。高齢化社会の波が押し寄せているというが、体は老いても心が老いない、逆コナン状態の人々が、扇子をパタパタと仰ぎながら、手ぬぐいで顔を拭って列に並んでいる。

警備の方々も真っ黒な顔で、汗水たらして中高年の皆様を誘導している。謝楽祭のパンフレットを持っていないのか、福扇の列に並んで、「ここで二つ目さんのチケットは買えますか」と言ったり、「この並びは何の並びですか?」と問いかける人がいたりと、お祭りあるあるをこれでもかと見させて頂いた。

福扇を手にするところから、謝楽祭は始まると言っても過言ではない。まずは福引きで自らの運を試してから、様々な場所に向かって楽しむ。残念ながら私は参加賞だったが悔いはない。出迎えてくれた小せん師匠の爽やかな笑顔に癒されながら、ライブステージのある場所まで向かった。

まだのど自慢まで時間があったので、ざっとお店の様子を伺う。とにかく人、人、人で物凄い熱気である。寄席文字の店でも見に行こうかと思うと、途中で林家彦いち師匠が『板割りの店』をやっているのが見えた。板割りと労りを掛けて、お客さんの悩みを書いた板を割るという店だ。何とも空手着が似合う彦いち師匠。お弟子さんのやまびこさんときよひこさんの姿も見える。何かの道場かと思ってしまうほどである。

桂南喬師匠はその隣で将棋をやっており、小ゑん師匠はCDを売っていた。実に賑やかである。また、アサダ二世先生のお店も随分と繁盛している様子だった。こちらは出し物のコーナーがメインなので、コアなファンがこぞって並んでいる様子だった。

初心者の方は、まず福扇を買ってから、その並びにあるサイン帖とサインペンを売っている店を通ってから、お目当ての落語家さんのサインを頂くというのが、まずは初歩の楽しみ方だと思う。私の場合、今回は午後に予定を入れていたのでサイン帖は買わず、ただ店を眺めて終わってしまったのだが、次は午後に予定を入れずに一日存分に楽しみたいと思った。

さて、出し物コーナーを一通り見終えた後は、飲食コーナーである。これも物凄い熱気と黒山の人だかり。梅香殿側にある鳥居のところからざっと左右の店を見渡す。左には橘屋文蔵師匠の『三代目立呑屋文蔵』、右には大瀬うたじ先生の「ソバージュ」という蕎麦の焼きそばがあった。私のお目当ては古今亭菊之丞師匠の『エボエボBOSE』だったので、行列に並ぶ。途中、物凄い売り声の柳家かゑるさんの『揚げ物屋政談』を通る。売り声がとにかく面白い。「メンチカツ!油で揚げてるからカロリーゼロ!」、「メンチ美人、メンチマダム、メンチダンディ、メンチ少女来ましたー」、「メンチカツ一個、頂きましたぁ!」、「メンチカツ買ったらソースかけ放題!」。とにかく勢いがあって面白かったし、それに釣られてたくさんの人が買っていった。私もひとつ頂けばよかったと思う。

『エボエボBOSE』の向かいにはブログにも取り上げた金原亭世之介師匠の『寄席のトリ』がある。もはやこの通りは『美人ゾーン』である。古今亭菊之丞師匠の奥様で元アナウンサーの藤井彩子さんが『エボエボBOSE』のカウンターに立っており、たこ焼きにソースか醤油を塗ってくれる。反対に『寄席のトリ』では立っているだけで『美人だなぁ』とため息が出るほどの金原亭乃ノ香さんが焼き鳥を売っているのである。生粋のシャイである私は人妻のたこ焼きを買うことは出来ても、初々しい美人の前には立つことさえ出来ず、今年も結局焼き鳥を食べることなく時間が過ぎた。せめて林家はな平さんの『はなカラ』でも買おうと思ったのだが、これまたな林家なな子さんがいたので、買うことが出来なかった。

さらに通りを行くと、林家つる子さんの『アイスキャンディーズ』の店がある。これも物凄いおじさま達の熱気に溢れていたし、とにかく林家つる子さんが美人。断トツで好みはつるちゃん、なのだが、ここもやはり美人の圧力に負けて買うことが出来ず、ちょろっと前を通って眺めていた。

 

そんなほろ苦い未挑戦を悔やんでいるうちに『のど自慢』がスタート。司会は林家たけ平師匠と林家ぼたん師匠。審査委員長は、毎回我慢しきれずアカペラで歌いだしてしまう柳亭市馬師匠。去年と大体変わらないメンツ。相変わらず林家扇兵衛さんは歌が上手い。『憧れのハワイ航路』を歌っていた。

お次は林家はな平さんで『前座の夜』。尾崎紅葉尾崎紀世彦、というボケを華麗にスルーしての尾崎豊『十五の夜』の替え歌。これが大爆笑。前座の悲喜こもごもが見事に表現されていた。

そこから春風亭三朝さんの『高校三年生』、柳家小伝次さんの『愛を取り戻せ』、桂文生師匠で『みだれ髪』と続く。金原亭馬遊師匠は根室出身ということで、ファンの方も大勢おり、北海道のために北島三郎で『祭り』を歌う。殆ど出オチネタのオンパレードが続き、いよいよ出てきたのがおきゃんでぃーず。

真っ赤な衣装。美人なつる子さん。田舎娘感丸出しのあん子さんと一花さん。やっぱりセンターはつる子さんだよね、というような素晴らしい踊りのキレ。もはや狂気さえ感じさせるほどの熱の入りっぷりに会場は盛り上がる。林家扇兵衛さんやアサダ二世先生まで登場するドタバタぶり。司会の林家たけ平さんとぼたんさんの困惑ぶりも面白かった。

トリは林家たい平師匠で尾崎豊の『I LOVE YOU』。何と音が悪かったころの武道館バージョン。そういうマニアックなところで攻めてくるたい平師匠が素敵。座布団の衣装に身を包んで見事に歌いきる。途中物真似もあって大盛り上がり。

結果、のど自慢の優勝はたい平師匠に決まる。優勝景品は北海道の復興支援金に充てたいという、たい平師匠の希望により会場にいた方が1万円で落札。大きな拍手に包まれて幕を閉じた。

13時からの復興支援富くじを前に、再びざっと会場を散策。寄席の出番を終えたいぶし銀、小満ん師匠がサインに応じていた。私も欲しかったのだが、やはり午後の予定のことを考えて辞めておいた。うーむ、悔やまれる(笑)

この後は特に何もなく、富くじのが開かれたが当たらず。結果を見て即座に退散。その後どこに私が行ったのかは、次の記事で語ることにする。

 

後でTwitter等で流れていた情報によると、東出昌大さんがトークゲストに出ていたという。二K文舎withほたるも見たかったが、そっちのトークも見て見たかった。俳優というものを間近で見たことが無いので、それも見たいと思ったのだが、それ以上の体験を次の記事で出来たので良かったとしよう。

総括すると、去年と変わらず素敵なお祭りでした。今年の収穫は福扇を手にすることが出来たこと。去年は初回だったので、右も左もわからずただただ圧倒されて、何を楽しめばよかったのか分からなかったところが多かったけれど、再び来年の謝楽祭に向けて楽しむための情報を得ることができた。

時間が合わず謝楽祭に行くことが出来なかった皆様。Twitterだけでもその空気は伝わるとは思いますが、もしも、お時間がある時は是非是非、湯島天神に足を運んで、お気に入りの落語家さんとしばしのお話に興じられて見てはいかがでしょうか。そして、思い出に福扇を頂いて、帰るのもよろしいかと存じます。

余談ですが、福扇の列に並んでいる際に柳家小はださんと春風亭朝七さんをお見かけした。朝七さんは凄い肌が綺麗でした(笑)

前座から真打、お手伝いから見習い。色んな方が勢ぞろいの謝楽祭。

中高年のサマーソニックに是非とも足をお運びくださいませ!

また来年!行きます!

第10回 どんぶらこっこ ゑ彦印~バブルと鉄道と菜と煎餅と神の共演~2018年9月5日

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イナモリ商店!?

 

千早駅ってのがあるんですよ。

嘘だと思ったらWikipediaで調べてごらんなさいな

 

クイズ!ドレミファドンだったら即座に分かる落語の出だし。

「植木屋さん、ご精が出ますな」

 

まっつぐかぁ、いいなー、下町だなぁ。 

 

スーザン・ボイルになってくれ!

柳家小ゑんと聞くと、立川談志の旧名を思い出す方もちらほらいらっしゃるだろうと思う。今、柳家小ゑんを名乗っている落語家は、鉄道と電子部品とジャズをこよなく愛する素敵な人物である。寄席ではもう飽きるほどやっている『ぐつぐつ』が有名である。飽きるほど、と言っても柳家はん治の『妻の旅行』ほどはやっていないので注意してほしい。あっちはもう本気で飽きてしまった。

同じネタを何度もかけず、さらには江戸の小粋な小噺を幾つか紹介し、さらにはマニアックな鉄道や電子部品の噺を随所に挟み込む。見ていて「ああ、こういう博識な友人がいたなぁ」という思いがこみ上げてきて、微笑ましく見ることが出来る。

柳家小ゑん師匠の落語は、そのマニアっぷりと楽しそうに話す口振りが素敵である。意味は分からなくとも、その知識を一切の嫌味なく披露し、それでいて笑いを取れるのだから素晴らしい。きっとマニアになればもっと楽しめるのだろうと思うのだが、それほど鉄道や電子部品に興味が無いので、空気感で何となく笑っている。

冒頭から畳みかけるような笑いで一気に聴衆を引き込むスタイル。老いを感じさせない、まるで鉄腕アトムに出てくるお茶の水博士ばりの活き活きとした落語家である。

どんぶらっこ ゑ彦印の会は、そんなマニアックな小ゑん師匠と一緒に、格闘家の風貌と、本人曰く臼みたいな顔の林家彦いち師匠が落語をやる。林家彦いち師匠は『創作落語の鬼軍曹』と渋谷らくごで呼ばれるほど、新作の落語を作ってやっている落語家である。

高座には早足で駆け込むように歩き、座布団に腰を下ろしてからお辞儀をし、顔を上げるまでの所作がハキハキとしていて、第一声をしゃべる前から「あ、この人、体育会系だな」と思うほどである。新作落語でも体育会系は発揮されている。ファンにはお馴染みのムアンチャイという外国人が、ボクサーのセコンドとして覚えたての日本語で応援する『掛け声指南』や、お化けに熱血指導をする『熱血!怪談部』、ジャッキー・チェンの息子と刑務所で話す『ジャッキー・チェンの息子』など、見た目のスタイルに沿った熱い落語をやる落語家さんである。

どちらかと言えば、インドアな小ゑん師匠とアウトドアな彦いち師匠といった感じの二人会。ほぼ満席の会場は高座と客席に何ともいえないスペースがあって、その独特のスペースに最初は戸惑うのだが、慣れればどうということはない。

席に座って、お囃子が鳴る。開口一番は彦いち師匠門下の林家きよひこさん。見た目は男性に見えるが女性で、新作落語の『うちの村』をやった。随所に小ネタが挟まれる。田舎の人って門出を祝う風習がありますね、というマクラを振ってから噺に入った。ざっくりの内容は田舎から上京して働いていた女が、田舎に戻ると田舎がバブルになっていて戸惑うという話。気になったのは『オスプレイのような乗り物』という部分で、いっそ『オスプレイ』でいいんじゃないか。というところぐらいだった。オスプレイから降り立つところの擬音が圧巻だった。イメージしづらかったけど。

続いては小ゑん師匠。今年の9月に真打になる駒治師匠の披露宴の噺から、鉄道マニア垂涎の『鉄千早』。正直、何の知識が無くても笑えるのだが、聞き終えてしばらく経つと、詳細部分を全部忘れているという自分に驚く。その時は笑えたけれど、思い出し笑いが出来ない不思議なお話。色々とタメになる知識があったのだけれども。

千早ふるのネタを鉄道バージョンに変えたお話で、物凄く練ったんだろうなぁ。という印象。鉄道好きなら爆笑できる個所があったのだろうと思う点もあったけれど、リズムと空気感で笑えるお話だった。

仲入り前は林家彦いち師匠。冒頭に引用の「クイズ!ドレミファドンだったら、すぐにわかる落語」と言ってから、「この噺に入った瞬間の、皆さんの顔を見るのが楽しみ」と言って、「植木屋さん、ご精が出ますな!」で会場爆笑、『青菜』に突入する。

新作落語家さんは青菜がやりやすいのだろうか、瀧川鯉八さんもほぼ新作落語をやっているが、唯一古典落語を見たのは『青菜』だった。物凄い個性が溢れ出していて、ザ・鯉八ワールド仕込みの『青菜』だったのが印象深い。彦いち師匠の『青菜』は、それほどワールド全開ではないが、やはり体育会系らしいアレンジをして、見事に彦いち師匠印の『青菜』になっていた。暑い夏にはぴったりの噺なので、旬な話を聞くことが出来て嬉しい。

仲入り後は再び柳家小ゑん師匠で『下町せんべい』、小粋なネタが挟まれていたのだが、覚えているのは数か所ほど、江戸っ子の口調で「まっつぐいったところ」という言葉に強烈な感動を覚える青年の所作が印象的。下町愛好家というワードもあった気がする。古き良き時代に思いを馳せている青年に共感した。これも面白かったのだが、意外と数日経つと忘れているものである。その瞬間に存在していた強烈な面白さが消え去り、残り香だけが残っているといった印象。

トリは林家彦いち師匠で『神々の唄』。嘘をついて引けなくなった亭主と、それを何とか助けようとする妻のお話。なぜかスーザン・ボイルにそっくりなスーザン・ボイッが出てきて、それがかなりの人気になるというお話。短くて、笑いどころもそれほど多いわけではないが、おおよその筋は覚えられる話。オチにカタルシスはなく、おお、ここで終わるのかーという感じ。特に大きな波は無いけれど笑える話だった。

 

第10回ということだったけれど、特に目立ったイベントはなく、とつとつとやって終わった。不思議な組み合わせだなと思う反面、微妙なミスマッチ感が面白くて、時間があるとつい見に行ってしまう。落語終わりに近くの銭湯に行くのも良いだろう。

場所は本所にある。オフィスねこにゃさんが主催者さんをやっていて、情報はTwitterなどで見ることができる。

この二人に少しでも興味のある方にはオススメしたい。そんな、ちょっとマニアックな二人会だった。

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